03
「気が付いたか?」
暗い部屋だった。記憶をたどる必要も無い。
キリーは意識をはっきり保ち辺りを探ったが、そこには一人の男が居るだけだった。
「ほほぅ、こんな場面に慣れているようだな、何者だ?」
完璧な広東語は紛れもない中国人。年の頃は30代半ばか。
落ち着いた怜悧な表情、白いマオカラーのスーツに同色の刺繍が鮮やかに浮かび上がる。
真っ直ぐな黒髪と黒い瞳が年齢より若く見えた。
「言葉はわかる筈だ、なんなら日本語でも構わないが。」
「此処は何処だ? なぜ俺がこんな目に遭う?」
男は微かに笑った。
「「聞いているのは私だ、日本人。日本の軍人には見えないが・・・変わった奴等もいると聞いた。」
「俺は日本の旅行会社の社員だ、放して貰いたい。」
いきなり笑い出した。
「それを信じろと云うか? その眼も脚の運びも尋常ではない、訓練された人間のものだ。ましてこの九龍島であの目立つ娘を連れまわるなら覚悟の上だろう。」
「・・・? 彼女は俺の部下だが、まさか俺のように監禁してるのか? 金目当ての誘拐にも見えないが。」
長い間男は考え込み、ほとんど光の入らない瞳でキリーを見つめていた。
「日本人、私は珀龍と呼ばれている。」
この中国人が名乗るとは思わなかった。
彼等は日本人を金儲けの相手としか見てはいない。
名乗るという事は対等の関係を求めるという事だった。
ならば、
「俺はキリーと呼ばれている、部下はキッドだ。」
これは賭けだった。
佐伯の行方もキッドの安全もこれに掛かっていると云うキリーの直感だった。
「キッド・・・紅龍に似た娘か・・・キリー、私は今少々困った事態になっている、手を貸して貰えないだろうか。」
釣り上げる事が出来るだろうか。
だがどちらにしてもこの状況は望ましくはない。
「・・・こちらもだ、手札をさらす覚悟は有る。」
冷ややかな笑みが男・・珀龍の口元をかすめた。
「私達3兄弟にはひとりの父と3人の母がいる、そして父が養女とした血の繫がらない妹がひとり、それが紅龍だ。
彼女は日本人で父が日本に住んでいた頃引き取った子供だった。」
真夜中の月明かりの下、ガーデンプールに映る満月が煌く中で珀龍は琥珀色の酒を手に低く囁いた。
「紅龍は、私達にはこの上なく愛おしい妹だった。
九龍島の総ての人間に愛されていた。美しく潔く正義感に溢れ、誰にも同じ眼差しを注ぐ天使、慈悲を知り慈しむ天女・・・厳しい現実の狭間で生きるしかない人間をひとりでもひとつでも救おうとした生身のマリア。
・・・・だが、その優しさが彼女を殺す事となった。
PD・・・パラダイスドリームに疑いを持った紅龍はある日本人と知り合った、佐伯だ。」
キリーは言葉もなく瞑目した。
「同じ目的でこの2年、繋ぎを取りながら動いていた。」
キリーの手が珀龍を留める。
「済まないが俺にはあんた達が何者か解らない、此処がどこで、どんな立場なのか教えてくれないか。」
男は少し驚いたように眼を見張った。
「なるほど・・・九龍島を知らずに来たか。君達は諜報部では無いのだな。」
「違う、同じ軍関係だが組織は異なる。佐伯が消えて依頼を受けた、諜報部とは協力関係にある。」
「協力? 彼らを信用しているのか?」
嘲笑うような珀龍にキリーは何も云えなかった。
珀龍の言葉を信じるならば、九龍島で知れ渡っている紅龍を知らない訳がない。キッドを見ながら何一つの情報も漏らさない二人を信じる事は出来ようも無い。が、
「彼らは今の時点で外しておく、いずれ片は付けるが。」
「それは正しい。 話を戻そう、私達は九龍島の支配者だ。
此処は九龍の沖3キロに造られた人工島で私達、李家の拠点となっている。様々な事案から九龍島を護る為、ひいては香港を護る為に働いている。」
「李家?あの李一族か・・・中国国家は?」
「私達に国は必要では無い。李家は国家に救われた事等ない。搾取されるばかりの歴史なら有るがな。」
皮肉な笑みを浮かべた表情はどこかジーンを思い出させた。
「紅龍は日本に流れるPDの量に疑問を持っていた。
トリップは軽く安価な為出回るのは解るが異常な出方だと云っていた。しかも出所が掴めない。何処にでも出ている為余計に難しかったようだ。
私達兄弟はこの1年多忙を極め他国に出る事も多く紅龍は自力で片を付けようとしていたが、そんな中PDの持つ本当の恐ろしさを知って連絡してきた。
体質にも寄るが3年から4年継続し服用したなら、ある瞬間にバッドトリップに変化する。完全に脳のコントロールが利かなくなり・・・実験動物の猿は凶暴化して息が耐えるまでの24時間暴れ狂ったそうだ。」
キリーは表情一つ動かさず黙って聴いていた。
「蒼龍からの連絡を受けて私達は帰国したが、遅かった。
佐伯と紅龍は踏み込み過ぎた様だ。私達の帰りも待てないほどの状況だったと思われるが・・・半月前彼女の遺体が発見された。」
「半月・・・佐伯は7日前に紅龍と会う為に出掛けてそのまま消えている。」
「・・・佐伯は紅龍が死んだことを知らない。これに関しては私のミスだ。」
「では佐伯は紅龍の名で呼び出された? 紅龍と佐伯の関係を知る誰かに・・・諜報部の者か・・」
「おそらくは・・・ただ私ではそれを調べる事は難しい。
日本には今は手を出せないし、弟は紅龍の件でうちひしがれている。
キリー、報酬は用意する。紅龍を殺した犯人とPDの根っこを調べてもらえないか・・・」
「報酬? では、俺の手元にキッドを返して貰おう。
あんた達兄弟が紅龍を大事にしているように、G倶楽部にもキッドは必要な存在だ。」
此処に来て初めて珀龍の中に動揺が走った。
「・・・君達はclubGか。日本陸軍の最精鋭と称される。彼女には・・・申し訳ない、逃げられた。」
ぐっ、とキリーの背が伸びる。
「何があった?」
「君と同時に捕えようとしたが、三人を蹴散らしてあっという間に消えた。」
そこには呆れたような響きさえあった。
「君には当然だが腕利きを六人ほど配したが、彼女はこちらの手を掠らせもせず・・・なるほどClubGならば・・・」
ただの女と思っていたのなら当然の結末であろう。が、こうなると・・・
「では、俺を放して貰う、今。」
キッドは宿舎にも戻らず、遠藤、坂本の二人にも繋ぎを取ろうとも思わなかった。
あの時、自分の周囲の空気が変わった瞬間キリーのエマージェンシーが鳴り響き、咄嗟の判断で身を隠したのは以前の教訓から学んだものだった。
今現在、生命に関わらないなら格段にキャリアが上のキリーを助けに走っても意味はない。
供に捕まってはかえってキリーの重荷になりかねない以上今は自分が自由でいた方がいい筈だった。
キリーのシグナルが走り去るのを歯軋りする思いで送りながらキッドは次の行動に入った。
賑わう繁華街から幾つか路地をたどると途端にスラム街が現れた。脚を止めることもなく奥へと進んでいく。
キッドに恐怖はなかった。こんな街なら良く知っている。
18年間生まれ育った新宿と何処も変わらないスラムには懐かしささえ感じていた。
そこに棲む人間達にも・・・
キッドの姿が再び現れたのは早朝、場所はごく小さな埠頭だった。そこには船が付けられ荷運びの人足達が袋やコンテナを忙しげに運び込んでいた。
ODのTシャツ、迷彩柄のパンツ、足元をジャングルブーツで固めたキッドは自分の身長ほどの六角棍を持ったまま恐れもせず近づいたが、彼等はちらりと見ただけで全く気にもせず黙々と働いていた。
「九龍島に行きたいが、誰に言えば良い?」
ひとりの人足が顎で示したのは肩に荷を担ぎ上げた別の男。汗と埃に汚れた作業着ながら見事な体格だった。
「蒼、九龍島に行きたいそうだ。」
「・・・ああ。」
振り返りもせず、だが承諾の返事にキッドは身軽く船に飛び移った。荷を運び終わった男達はそのまま埠頭に残り、岸壁を離れて走り出す。さっきの男、蒼と呼ばれた男がひとり舵を取り荷物とキッドを沖合いへと連れ去っていく。
キッドの眼は遥か先を見つめ、男の眼はそのキッドを見つめていた。
「何か?」
くるりと振り返ったキッドが正面から男の顔を睨んだ。
「紅龍に似ていると云うのは散々聞いた、それ以外に何か有るのか?」
男の暗い表情に微かに怒りが閃いた。
「紅龍だと・・・誰が似ているものか。」
吐き捨てるような響きはこの地に来て始めて耳にした激しい感情の発露であった。
似ていると云われ続けるのも嫌だったが、此処まで嫌悪を込めて否定されるのも別の意味で腹立たしい。
ましてキリーと離れた事でキッドも焦燥を隠しようもなかった。いきおい言葉も荒くなる。
「それはありがたい、すっかり嫌気が差していた所だ。」
男の眉が跳ね上がる。
「その生意気な口を閉じていろ、放り出すぞ。」
「やれるものならやってみろ。」
男の手が舵から離れ、同時に身体から威圧感が溢れ出した。
と、思わぬほどの速さで間を詰められた。弾ける様に下がったキッドに更に踏み込んだ男の喉元に棍がピタリと突きつけられた。
「・・・ふざけたガキだ。」
「舵を取れ、私も黙っていよう。」
剣呑な空気のまま二人はやがて九龍島の港に入った。
待っていたのは、一台のベンツ。岸に上がったキッドの前でドアが開き男がひとり降り立った。
「なるほど、これでは噂にもなろう。ようこそ九龍島へ、歓迎するよキッド。
私は珀龍と言う、それは弟の蒼龍だ。」
憮然とした喧嘩相手には眼も呉れずキッドは珀龍と名乗った男に近づいた。
「キリーは何処だ。」
「屋敷にいる。来なさい。」
「では、私を騙したのか?」
そこは趣味の良い広々とした書斎でキッドと二人の男が対峙していた。
「キリーが迎えに来るまで此処で待っていなさい。」
全く無視して踵を返したキッドの背中に低い声が投げられる。
「女、船は返した。」
ぐっと睨んだ先に蒼龍の暗い眼差しがあった。
「女がでしゃばるとろくな事にならん。」
膨れ上がる威圧感はさっきの比ではない。
「蒼・・!」
止める珀龍の言葉も終わらぬ一瞬、男の身体が飛び出した。
中国古来の格闘技、太極拳。素晴らしい速さだった。
キリーに勝るとも劣らぬ技の切れ、踏み込みの深さ、手も脚もめまぐるしく仕掛けられる攻撃は見事なスピードに乗ってキッドに襲い掛かる。そしてキッドはその攻撃を一本の棍で弾き返し続ける。
まるで舞うような脚捌きはかのローワンに徹底的に叩き込まれた美技であった。
ふと、男の動きが止まった。
「何者だ、俺の動きに此処まで対応する奴は男でもそうは居ないが・・」
「蒼龍、キッドはClubGだ。」
溜息交じりの珀龍に驚いた表情が向けられた。
「・・・馬鹿な、やつらが何故・・?」
「済まなかった、蒼龍はいま少々気が立っていて礼儀を忘れたようだ。キッド、キリーは直ぐに帰ってくる。
それまで此処に居た方が良いと彼も判断した。船は彼の為に向こうに置いておく。」
表情のひとつも緩める事なくキッドは厳しい眼差しで珀龍を眺めた。それはウルフなどが見たら別人と見紛うばかりの冷酷な眼差しであった。
「24時間待とう、それ以上は無用だ。」
初夏とはいえ夏の盛りのような陽射しが照りつける真昼、キッドは港の一望できる丘に立っていた。
24時間を見知らぬ他人に呉れてやりキリーを一人で行かせてしまった事をこれ程後悔するとは思わなかったが、珀龍の言葉にも確かに頷ける。キリーを探してうろつくのはキッドには決して得策ではなかった。
何処へ行っても紅龍の名が出てくるこの街ではキッドは自由に動けない、人の目が多すぎるのだ。
珀龍に見せられた写真は双子と云っても不思議ではない、そこに笑顔の自分が映っているようだった。
『紅龍は日本人だ。だからこそ日本に出回るPDを押さえたかったのだろう。あれほど他人にも優しい娘だから・・』
落ち着いた珀龍とは正反対に蒼龍は刺々しい態度を崩そうともしなかった。
『同じではない、紅龍は此処の人間だ。こんな日本軍の奴と一緒にするな。』
なんとなく違和感を感じるが、日本陸軍立川連隊に入ったならば確かに日本軍だ。
そう思うと不思議だった。育ちが育ちだから喰いっぱぐれの無い公務員を選んだ積りだったのに、こんな異国で仕事をするとは思わなかった。
足音に振り向くと珀龍が立っていた。
「退屈だろう、良ければ此処を案内しよう。」
言外に含みを持たせた言葉にキッドは頷いた。
九龍島は人工島にしては相当に大きく縦に約3キロ、横は2キロほども有る。
「この島は私達の父が望んで造ったものだ、父なりの楽園を造りたかったのだろうが・・・完成しても父は此処には来なかった。」
東側中央部の港から南下して珀龍の館を越えた先で車を降りると呆れるばかりの緑が溢れていた。
コンクリートの土台を覆い隠す土と樹木、流れる小川さえそこに在り、豊かな起伏にとんだ大地はどう見ても天然そのもの。開けた丘、うっそうとした森、涼やかな林・・・
育った場所も今現在の居場所も到底緑豊かなとは言えず、一番近いのは初年兵訓練で走り回った森だけ、暗いイメージしか残っていないロシアは論外としても・・・
「凄いな・・」
圧倒的な自然を創り上げるにはどれ程の手と財力を掛けたのか想像も付かなかった。
「この辺りは放ってある、その方が良い様だ。」
指先が示した先には不似合いな古ぼけた小屋が木々の隙間に覗いていた。
「父の産まれ育った家を再現した。」
それは手を入れて古く見せた家だった。
「これは君に話すことではないが、調べればいずれは明るみに出るだろうから・・・父は中国軍部のスパイとして日本に入り込んでいた。九龍を、ひいては私達を護る為だったと思うが・・・素性が割れ国外に逃れたが別のトラブルで命を落とす事になった。」
「キリーにその話は?」
「いや、そこまでの余裕が無かった。」
「ではしないほうが良い、私も忘れよう。その調査で来た訳ではないし、それこそそんな余裕は無い。」
珀龍はじっとキッドを見つめ、微かに微笑んだ。
「・・・アリガトウ、紅龍に習った日本語だ、彼女の好きな言葉だと云っていた。」
「紅龍はいつから此処に?」
キッドをエスコートするようにゆっくりと歩きながら珀龍は話し始めた。
「もう7年だな。父が消えて彼女は父に言い含められた通りの行動を取り九龍島に、私達の元に来た。
当時16歳、子供でも公安は容赦なく連行した筈だが彼女は実に賢明で冷静に立ち回り此処に辿り着いた。
蒼龍と供に父を救おうと動いたが、叶わず・・・日本にも帰れず此処に住む事もせず、一時期は九龍の街で独りで暮らしていた。正義感が強く、優しい娘だが束縛を嫌って、口の悪い碧龍はノラ猫だと笑っていたが・・・3年前、ある事件で蒼龍が無理やり連れ帰った。以来供に暮らしていた。
もっとも私達3人は常に誰かが出掛けているから揃う事は少ないのだが。紅龍が一番慕っていたのは蒼龍だ。
蒼も、あの女嫌いが紅龍だけは大事にしていた。」
「ああ、だからか。似ていると言われる私が気に入らないのか。」
「済まない、紅龍が消えてかなり堪えている。本来なら礼儀は心得ているのだが・・」
「いや、構わない。3年前の事件とは?」
「・・・・レイプだ。」
黙り込んだキッドに珀龍はちらりと視線を投げて静かに続ける。
「九龍に出回り始めたドラッグを紅龍は危ぶんだ。彼女は動き出すと早くて、私達の援護など待ちもせず・・・
知らせを受けて駆けつけたが・・」
「・・・珀龍、同じ女として私には聞く権利があると思うが・・そんな事で紅龍を本当に傷つけられると思うのか?
そんな事で紅龍の価値や存在が否定されると思うのか?
男はそう思うものなのか?
たとえ何があったとしても紅龍は紅龍だ、私が私で有るように。馬鹿な男の思惑通りに踊って紅龍を抱え込んだ貴方がたの精神を疑うよ、放してやれば紅龍はどれ程嬉しかっただろうと・・・」
キッドは思わず頬をつたった涙を拭った。
「・・申し訳ない、私が意見を挟む立場では無いな。」
「いや・・確かにそうだろうと今なら解る。
紅龍は私達に遠慮していたのだろう、何度も謝っていた。彼女が悪い訳ではないのに。それが紅龍を押さえつけていたのだな。」
「大切にされたなら同じ気持ちを返したくなるのは人として当然だ。もし私なら『だから何だ、そんな事は大した事じゃ無い。』と、一喝される方が嬉しいと思う。女は結構強いものだ。」
珀龍の表情が柔らかく晴れる。
「そうか、確かにキリーならそう云いそうだな。」
珀龍は知る必要は無い。
キリーなら確かにそう云うだろうが、その裏で心が砕けるほどの愛情を注いで呉れる事を。
「話は変わるが、さっき出た碧龍とは弟か?」
深い森は初夏の陽光も透さぬほど葉が繁っていた。
ゆったりと小道を辿りながら珀龍が微笑む。
「私達3兄弟は全員母親が異なる、私は中国人の母、蒼龍は日本人、碧龍はフランス人。
まったく父は奔放な人生を送ってきたようだ。他人に言わせると私は沈毅で思想化、蒼龍は何を考えているのか解らない、碧龍は明るく暗い。
なかなか当たっている。今はEUで動いているが直に帰ってくる予定だ。」
「そうかな?もう着いていると思うが・・・」
不意に大地が揺らいだ。
幾つかの爆音と地鳴り、何よりも大気がざわめく。
「!・・何だ?」
「どうやら始まったようだ、珀龍、逃げた方が良い。」
「一体な・・」
有無を言わさず腕を取ると小道から外れて走り出す。
なるべく深い木々の下を潜る様に駆け抜けた先に広がる丘が現れる。そこには、
「ッ、此処まで来ていたか。」
キッドの舌打ち交じりの低い声を耳にした瞬間、珀龍は理解した。目前の丘には十数人の武装した男達がジープやトラックから降りようとしていた。
「行こう。」
引かれた腕を珀龍は外す。
「君は逃げなさい、彼らが何者かは解らないがそう簡単に私を殺せはしない。が君は保証できない。」
こんな場面でも落ち着いた表情に微かな笑みを浮かべる。
「出来れば蒼龍に告げて貰いたい、港付近に居るはずだ。頼めるか?」
「・・了解した。」
お互いに解っていた。今は言い合う事態では無い。
この島内では珀龍に逃げ場はなく、それが出来るとしたらキッド以外に居ない。
踵を返したキッドを見送って珀龍はみずから男達の前に姿を現した。
「此処で何をしている。」
幾つもの銃口がこの島の主に向けられた。
九龍島の支配者がいささか乱暴に引き立てられるのをキッドは木陰から見送った。九龍のスラムで耳にした噂は単なる噂では済まない様だった。
『紅龍をつけ回してた奴は昔の碧龍の遊び仲間だった。』
『紅龍が消える直前、碧龍を見かけた者が居る。』
それを珀龍と蒼龍に告げたのか聞くと、彼等は黙って顔を見合わせ俯いた。
『此処に住むにはルールがある、俺たちは紅龍以外の李家には関わりたくない。』
赤の他人のキッドたちに見せる顔と、自分達を支配する者への顔は異なるという事だった。
キッドは蒼龍を探す為に動き出した。
「やはりお前だったのか、信じたくは無かったが・・・」
そこは珀龍の馴染んだ場所だった。
前に立つ端正な、そして酷薄な表情は四半世紀も見慣れた顔であった。
「碧龍・・・お前が何故、こんな事をする必要がある?」
うすく赤のかかった頭髪、緑の瞳はどこか悲しげにさえ見えた。指の爪を噛む癖は幼い頃と何も変わらない。
だが出された言葉は皮肉な響きが含まれていた。
「俺はこんな処で終わる人間じゃない、珀兄・・・上を取る気が無いなら後は俺に預けて貰おう。
この俺が必ず頂点に立ってみせる。」
「そんなことをして何になる・・」
数人に囲まれながらも珀龍は一歩踏み出し、その途端銃口を向けられた。
「近づくなよ、珀兄。あんたが気功を使うのを俺は知っているんだぜ。だから、悪いな。」
碧龍は言い様に短銃の引き金を引いた。
「別に殺すつもりじゃない、今はな。だが・・・」
右膝を打ち抜かれて倒れこんだ珀龍を見下ろして、
「死にたくなかったら俺の云うとおりに動いて貰う。
此処を制圧したら手当はしてやるよ、それまでは我慢してくれ、まだ蒼龍が残っている。」
仲間に連れて行くように指示すると碧龍はもう一人の兄を、今度は殺す為に捕えに向かった。
午後の強い陽射しは白く輝いて光と影をくっきりと映し出していた。反乱した碧龍の仲間、もしくは手下達はさほど多くは無い様だったが指示が行き届いているのか必要な要の場所、道の分岐路や何より港の抑えは完璧になされていた。呆れるほどの木々に隠れながらそこ此処を見て周るが探す蒼龍の姿はなくキッドは焦燥感に駆られていた。だからだろうか、人の気配に気づいた時は囲まれていた。
「ほほぅ、なるほど紅龍によく似ているとの噂は確かだったな。」
それは見知らぬ顔、細く鋭い瞳が笑んでいるがそれは閾下の恐怖を誘う酷薄な何かを潜ませている。
6.7人なら蹴散らせる、逃げるだけなら十分のはずだった。
ジーンをも唸らせた速さで抜け出そうとしたキッドの腕を何かがかすった、瞬間!膝が落ちた。
「なっ・・・」
意識ははっきりしている、だが身体はピクリとも動かない。
横向きに倒れたキッドを見下ろして男が笑った。
「安心しろ、30分もすれば元に戻る。後遺症も無い。
もっとも、別の意味で元には戻らないがな。」
キッドが運ばれたのは珀龍の父親の小屋だった。
埃っぽい小さな寝台に投げ出されたキッドに男たちが下卑た声をかけながら出て行った。
「陸、俺たちにも廻せよ。」
「順番を決めておくぜ、殺すんじゃないぞ。」
狭い小屋の中で二人になった。
陸、と呼ばれた男は大柄で仰向けのキッドにいきなり圧し掛かる。ニヤニヤと嗤いながら、
「紅龍を知っているか? 顔はお前によく似ていたが生意気な女だった。碧がOKするまで大分待たされたが、待った甲斐があったぜ。
泣き叫ぶ紅龍を犯すのは楽しかったよ、まして処女だ。」
話しながら手がキッドの身体を弄りTシャツの中に入り込んで来た。
「俺が突っ込むと息が止ったようになりやがったが、何回も何回も犯してやるとなぁ、へへっ 腰を降り出したんだ。あいつも好い思いをしたって事だ。お前も処女だろう、身体が硬いからすぐに分かる。楽しみにもう少し待ってろ、あと少ししたら感覚が戻ってくるからそうしたらとことん犯してやる。」
「紅龍を殺したのか?」
恐怖は確かに在る、手足の動かないまま男の手が肌をまさぐるのも、その次にどうされるのか分かるなら尚更。
だが、それよりも尚、キッドの中には怒りが沸き起こっていた。その怒りだけを命綱に感情を切り離す。
「ああ?俺じゃないぜ、碧の下剋上の前祝に奴がやったんだ。散々いたぶってやったと云っていた。紅龍はなぁ、蒼龍に惚れていたんだ。碧の大嫌いな蒼龍にな。その女を犯すのはさぞかし良い気分だったろうよ。」
陸は話しながらキッドのTシャツを脱がせブラジャーを外す、ベルトを緩め迷彩パンツを下ろそうとして舌打ちした。
「なんて色気の無い靴を履いてるんだ、俺の好みじゃない・・」
がっちり締め上げたジャングルブーツを苛立たしげに解き始める。
「そろそろ戻り始めるな。」
いきなり両腕をベッドの柱に括り付けボトムと下着を引きちぎるようにむしり取った。
「いい身体じゃないか・・」
全裸のキッドを両手で撫で上げる。確かに感覚は戻り始めて嫌悪感が噴出しそうだった。