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        02

翌日は5月1日 

立川連隊第19期生の入隊式が行われる朝、G倶楽部員は全員が白と灰色の第一級軍礼装に身を包み式典に参加していた。

部隊章も階級章も一切無く、簡素な徽章だけを胸につけた一団は新入隊員よりも当然目立っていた。

居並んだ初年兵の真後ろで整列した姿は美々しい。


「知らなかった、俺たちの時も出迎えてくれてたんだ。」

ルゥの言葉にエラーが頷いた。

「他の式典には出ないがこれだけは神藤中佐が押したんだよ、初年兵に華を添えろと言ってね。」

迎えて貰った誇らしさはG倶楽部に入った者だけが解るもの。大多数の初年兵にその意味は通じはしないが・・・


「神藤・・中佐・・?」

首をひねるキッドを全員が驚いたように見つめた。

「・・・ジーン。」

コウが睨み、ハクが瞑目した。

「そうか。キッドは知らなかったか・・」

「今更なんだ、キッドだぞ。」

ウルフの妙に達観した声に、事もあろうにキリーが吹き出した。

今年の入隊式はなんとも不謹慎なものになってしまった。が、第一順位者は林智也、19歳。データに寄ればカリフの幼馴染であった。

「後で電話してやろう、きっと喜ぶぞ。」

ナイトにモクが応えた。

「少し面倒みてやれ、構わんなジーン。」

「あぁ、なかなか良い身体つきだ。引き込め。」

「こうして無垢な子供たちは人買いに買われるんだな。」

シュリの呟きは黙殺された。




「懐かしかっただろう、去年の今頃は初めての顔合わせだったな。」

キリーの言葉にキッドが頷いた。

「班長は・・・」

途切れた先をキリーが促した。

「なんだ、今更遠慮は要らんぞ。」

「・・班長は優しかったです。」

少し困った様な表情があの頃と変わらない事がキリーには不思議だった。一年も前の日々が不意に蘇る。

「・・班長か、本当に真面目にジーンには断ったんだが、押し切られた。まぁ、今では良かったと思ってはいるんだが。大変だったな、初年兵訓練は。」

クスッとキッドが笑う。

「出来ればもうやりたくは無いですね、走ってばかりで結構きつかったから。」

礼装を馴染みのジャージに着替えストレッチをしながらの会話だった。

キッドの腕を伸ばしながらキリーも笑う。

「お前が余りに子供で俺は幼稚園の先生になった気がした。

少しでも怒鳴れば泣きそうに見えて触るのも怖かった。」

「私は・・・軍に入って良かった。此処に入れて貰えて本当に良かったです。みんな優しいから。」

「・・・・そうだな・・」



遠目でふたりを見ていたのはジーンとモク、ウルフだった。

「良い絵だ、キリーのあんな顔を見れるとはな。」

ジーンの呟きにモクが溜息をつく。

「キリーの方はお前が片を着けたな、キッドはどうした?」

「キッドは未成年だ、12月に20歳になるまで難しい。なるべく早く片を付けたいが・・・」

ウルフの眉間に剣呑なしわが寄せられる。

「俺が行って来るか? 」

「ジーンに任せろ、お前では叩き壊すだけだ。未成年とはいえ軍人だ、その辺で押し切れるだろう。いざとなれば俺たちが出張っても良い、早く自由にしてやれ。」

「そうだな、奴の給料も大半が渡っている、ろくでもない鬼畜野郎供だ。近々に始末してこよう。」

ストレッチを終わらせたふたりがマシンを使い始め、ウルフがいそいそと近づいて行く。

「さて、俺達もノルマをこなすか。」

ジーンとモクもウルフの後に続いた。





東京最大の雑多な繁華街、新宿。

人も車も多く、ビル群の足元を蠢く様は蟻の大群のように見える。が、蟻の方が余程統一されていただろう。

軍隊の動作を身に付けた男の眼には煩わしさだけが映っていた。裏道を幾つか抜けると途端に薄汚い光景に変わった。

繁栄する街の陰の部分だった。

男の通常軍装が異常に浮いて見える。

町名番地を頼りに来たがそもそもまともな家が建っている訳ではないし、表記もされていなかった。

インフラが整っていなければスラム街としか言いようも無い、自分達で住む町を整えようともしない生気の無さがそこにあった。

午後も早い時間なのに人影もまばらだったが、当然だろう。此処を訪れる人間はまずいないのだ。

男が10歳ぐらいの少年を捕まえたのは運が良かった。

通常なら学校に行っている筈の子供は男の手を振り解こうとしたが、魔法のように出された一枚の紙幣にピタッと動きを止め、上目使いに男を見上げた。

「この辺りに高村さんが住んでるな、連れて行ってくれたらこれをやろう。」

辺りを見回して少年は頷いた。

連れて行かれたのは更に奥、いっそう酷い路地だった。

潰れないのはお互いに寄りかかっているからだろうバラックは何処から何処までと区別もつかない。


「此処だよ。」

示した手に札を握らせると脱兎のように走り去った。

それを見送って振り返ると14.5の少年が立っていた。

( さすがに良く似ているな・・)

「高村亜湖の弟だね、お父さんはご在宅か?」



バラックの中に入った男が再び出てきたのは小一時間が過ぎた頃、外で蹲った少年の前で足を止めた。

「心配しなくて良い。君のお姉さんは元気だよ。」

見上げた男の高さに僅かに眼を見張る様が初めて会った頃のキッドそっくりで苦笑が漏れる。

「・・・生きてる?」

「生きてる、言付けがあれば伝えるよ。」

少年は首を横に振った。

「生きてれば良い・・・あ、絶対に帰って来るなって云っておいて。親父が風俗の方が金になるって言ってたから。」

「・・・・・解った、俺も返す気は無い。君もその気があるなら来なさい、18になったら。雪代と言えば良い。」

「・・・雪代・・さん、姉ちゃんを頼む。」

「了解した。」

この少年を置いて立ち去るのは気が重かった。



『亜湖は俺の娘だ、どうしようと俺の勝手だろう。

軍隊なんざ辞めさせてもっと稼げる仕事をさせてやる。

女にはいくらだって金になる仕事が有るんだ、まして亜湖の器量ならな。おい、お前等・・亜湖を抱いたんなら金は払ったんだろうな。泣いて頼むから客も取らせ無かったって言うのに、ただで輪姦したなら俺が許さねえぞ!』

いっそ殺した方が後腐れは無いと思うほど、怒り心頭に達したジーンはだが、無理やりに感情を抑え込んだ。

『何処に売ってもここまでにはならんだろう。この辺りの相場は知っているし、それに・・・臓器売買のネットワークは軍を相手にはしない。解るだろう?』

『けっ!極潰し供が。国を挙げて親から子を買い叩く積もりか。』

『その辺にしておけ、このほかに・・・俺からだ。』

狙い通り小切手よりもジーンの出した札束に眼が動く。

『いくら軍人でも19歳だ、給料は多くはない。5年務めてやっと一般人並み、まして保険など掛けてはいないし死んだと思えば良い、たいそうな金額だろう。』

あこぎな人買いになった気分を十分味わいながらジーンは一枚の紙を取り出した。

そこに署名捺印すれば高村亜湖の親権は雪代博嗣に移る。

散々ごねながらも亜湖の父親は最終的に名前を書き込み判を押したのだった。



まとわり付く腐臭に吐き気がした。

あの環境でよく曲がらずに育ったものだと感心するより呆れてしまう。それでもこれでやっとキッドは自由になった。

後はひとつ、

「ついでに片を付けておくか。」






キッドが本業の雪代少佐の当番兵を務めて仕官食堂に入るのは今では珍しい事ではなかった。

だが、昼を過ぎた夕方に此処に入る事は今までなかった。

『カリフの母親を紹介してやる。』

ジーンの言葉に驚いたものの、何度か逢った筈だと聞いて挨拶をする積りで後について来たのだった。

夕食の準備に追われる厨房はかなり忙しそうだったが、神藤夫人は手を拭きながら明るく声を掛けてくれる。

「直人がお世話になって、これからも宜しくお願いしますね。無口で無愛想だけど。」

確かに見知った顔がうふふと笑う笑顔が優しそうでキッドもつられて微笑んだ。


「姉ちゃん?」

振り返った先に、

「・・・綜・・?・・綜!」

1年も逢っていなかったが間違えようもない。

姉弟は飛びつくように抱き合って泣き崩れる。言葉もない、ただ泣くだけの再会を神藤夫人とジーンは見守っていた。

「雪代少佐、良かったですね・・本当に・・良かった・・」

「ご面倒をお掛けしますが・・」

涙を拭いながらの夫人の言葉にさすがのジーンも胸が詰まる想いを味わっていた。


キッドの為に手は打ったが、大きな問題までおまけで拾い上げてしまい、考えて考えて考え抜いてG倶楽部を始めとしてあらゆる手を打って整えたのは、亜湖の弟、高村綜を神藤夫人の里子とする事だった。

親は金で黙らせた。G倶楽部の予算からの出費はけして少なくは無かったがコウもウルフもモクもそして金庫番のエラーでさえ一言も異論を挟むことはなかった。

夫人も事情を聴くや快諾してくれたが、大変だったのは高村綜本人の説得。

自分が居なければ父親の面倒を見る人間が居ないし他人に迷惑は掛けたくない。

それはジーンの胸を打った。あんな親でもこんな子供が育つのか、亜湖が育てたからなのかは解らなかったが。


涙を収めた姉弟が小声で話し込みやっとキッドの顔が上げられた。

「ジーン、有難う・・・」

キリーを真似て胸ポケットからハンカチを出した。

(くそっ、キリーには負けてる・・奴は慣れてるからな。)

「大した事じゃない。今日はお前も泊めて貰え、積もる話も有るだろう。」

格好良く決めた積りがあっさり断られた。

「いいえ、綜の元気な顔を見れただけでいいです。

私には軍務が有るし、綜も学校や此処のバイトが有りますから。」

「うん、いつでも逢えるから。姉ちゃん頑張れよ、俺もちゃんと働くし勉強もするから。」

絶対にウルフに話してやろうと思った、モクにもエラーにも。このどこまでも純真で麗しい姉弟の涙を誘う姿に泣くのは自分ひとりではもったいない。



「で・・?  独りだけおいしい役をやったんですか。」

エラーの冷ややかな眼差しにモクの同じ温度の声が被さった。

「良かったなぁ、ひとりで点数上げられて。

何より大事なキッドに感謝されたならこんなに良い事はないよなぁ。」

ウルフは声もなく唯泣いていた。

憮然としたジーンにどこか笑いを含んだ声が掛けられた。

「まったくだ。俺からも礼を言う。」

澄ました表情のキリーを横目で睨みジーンは呟いた。

「そんな物は要らん、仕舞っておけ。」

「あいにく俺のポケットは一杯だ。ハンカチでな。」

「・・・俺のもだ。」

低次元の言い合いはコウの出現で終わりを告げた。


「ジーン、電話だ。師団長。」

その場の気温が一気に下がる中、表情を改めたジーンは音も無く立ち上がった。

師団長からの直通電話は緊急事案を意味していた。

場数を踏んだ男達でもこの緊張感は腹に堪えるものがあった。

今、問題が起きそうな国は、都市は、人物はと凄まじい勢いで情勢を思い巡らせる日本陸軍の最精鋭たちの表情に、さっきまでの緩さは消えうせていた。

「緊急招集を掛けるか?」

ウルフの声すらひび割れて聞こえる。

「いや、この場で済むなら済ませてしまおう。どっちにしろ、ガキには無理な話だ。」

モクの言うとおりだった。

G倶楽部に上がったとは言え実戦をこなしたのはキッドとカリフのみ、いずれは初陣を飾らなくてはならないとしても現状では連れて出る事は不可能だった。

ジーンの個室のドアが開きコウの厳しい顔が現れる。

目顔で呼ばれその場の全員が室内に入ると、ジーンはデスクに寄りかかるようにして煙草をふかしていた。

「何処だ?」

キリーの質問に眼を向けたが直接は答えず、ただ黙って男の瞳だけを見つめていた。

それだけでキリーには理解できた。戦闘兵士が派遣される事態、死と破壊の任務だと。

「場所は?」

「香港、九龍地区。」

緊張が一瞬、凍結する。

「任務は?」

「連絡員が消えた。」

今度ははっきりとした怒りがその場を支配した。

「佐伯が?」

「諜報部のベテランだろう、奴がドジを踏むか?」

モクとウルフを押さえてジーンの声が響く。

「キリー、調べて来い。状況に応じて判断を下せ。」

「承知。」

「キッドを連れて行け。」

岩をも貫く眼差しがジーンに突き刺さった、が・・・

「・・・了解した。」

感情の吐露は一瞬のみ、後は一切の表情を消し去って男は

くるりと背を向け出て行った。


「・・・ジーン・」

「言うな。」

ウルフを遮った声は苦く耳に届く。

「・・キッドには必要な任務だ。」

誰もが知ってた。此処に来た本当の意味を。

だからそれに抗う事など出来よう筈も無い。

それでも、キッドは・・・キッドを出すのは自分の身を切られるより辛かった。

知力、能力、力量の総てを備えながらも、今だ無垢な心を失わない少女。

小娘ともガキとも言いながらもこのG倶楽部の男達が認める戦闘兵士のたまごは、出来る事なら護っておきたい対象だったのだ。誰よりもジーンが、そしてキリーが・・・


「ジーン、バックアップの体制を。」

冷静なエラーの声に男達はその顔を上げた。

任務は任務、ならば可能な限りの援護体制を、取れる限りの手を尽くして護る。キリーと、そしてキッドを。

「エラー、作戦司令部に連絡を入れろ、コウはアジア支部だ。

ハクに諜報部を揺さぶって細かいデータをださせろ。

シュリを呼べ! ふたりの装備を万全に用意させる。」

総力を挙げて事の発端となった諜報部をはじめあらゆる機関に連絡を入れ始めたのは2230時、翌0700時には大半の準備が整い始めていた。


今の時点での部員が総て揃うなか、打ち合わせを済ませたふたりが姿を現した。

キリーの表情に全く変化は無く、それを真似るようにキッドも落ち着き払っていた。

「盛大な見送りだな。」

苦笑を浮かべるキリーにジーンが呟いた。

「前回があれだったから仕方あるまい。

ではキリー、キッド。後は任せる。」

「承知。」




約60年前に中国に返還された香港島はいまや一大観光都市となり世界中から人が集まっていた。

無論、一時期は揉めたとはいえ現状は穏やかな国交を保っている日本からの観光客も数限りなく訪れて、観光に買い物にと異国のバカンスを楽しんでいる。

但し、軍人の表立っての長期滞在は控えられていた。

未だに根強く残る旧日本軍に対する反発心を掻き立てる行動はこの国にはNGである。

かと言って全く居ないわけではない。

日本企業の衣を纏いながらの諜報活動は中国軍部も黙認している裏の活動であった。九龍島の拠点は日本の旅行会社の顔を整えていたが、実際の仕事も当然行われ裏の仕事に関わって居る者は3人だけである。そのひとり、佐伯拓哉諜報部主任の所在が掴めなくなって既に7日が経っていた。

佐伯のすぐ下の遠藤と坂本もこの道10年は優に有るベテランであった。

場所が場所なだけに迂闊な新人など寄せ付けもしないシビアなポジションで、その為かキリーはともかくキッドにはいかにも不審な視線を隠そうともしなかった。

表向きは香港、九龍の新規ツァーの企画の為の下見として、河野主任と高村社員が訪れた体を組んで有る。


「佐伯課長は九龍島に潜る直属の情報屋と会う予定だった。

確か昼の1400時だ、3時間で連絡が入る筈が来なかった。以来途絶えたままだ。」

遠藤の言葉に坂本も頷く。

「場所が良くないから同行すると言ったんだが・・」

「情報屋との繋ぎは?」

キリーの問いに遠藤が肩を竦めた。

「名前しか解らん、確か紅龍と言ったが後は課長が教えてくれない。危険だからと。」

「長いのか、付き合いは。」

「この半年ほどだ。」

「佐伯さんは何を探っていた?」

ふたりは顔を見合わせた。

「・・・中国マフィアだと思う・・最近日本にPDと云う薬が出回っている。その元が中国マフィアだとの噂を捉えた。」

キリーが頷いた。

「パラダイスドリームか、安くて軽めに跳べるからガキや若いサラリーマンに広がっている様だな。

常習性も少ないと聞いたが胡散臭い話だ。」

「うむ、幾ら安全を謳っていても薬は薬、まして流れる量が半端ではない。個人で持ち込むなら知れてるが、へたをすれば国を挙げての供給、大昔のアヘン並みだ。」

「まさかPDで日本の弱体化を狙う積りでも有るまい。」

「あり得ないとは云えない、此処は中国だ。」

遠藤の言葉にキリーの眉間が寄せられた。

「紅龍か・・・そこから行くしか無いか。」


アジアンエクスプレスカンパニーの宿舎は香港の中心地にあり、魂消るほど美しい夜景の天幕を纏っていた。が、この二人には夜景より室内の異常を調べる方が余程大事だった。無言のまま調べつくして、やっと落ち着いたのは夜もかなり遅くなっていた。

キリーが自分の左耳を指してキッドを促した。

「練習して有るか?」

「はい、OK貰いました。」

「一通り合わせて置こう。」

キッドの初陣、ロシアから帰ってすぐキッドに極秘の処置が施された。

左耳の後ろに埋め込まれた装置は数種類のシグナルの送受信を可能とする。

遠距離は届かないものの慣れたキリークラスでは1000M内外に近づけば捉える事も出来た。

ジーンの場所を特定出来たのも、ローワンのシグナルが途絶えた事で絶命を知ったのもこの装置があればこそであった。

日本の最先端技術、今現在の脳科学の粋を極めた装置は小指の爪ほどの大きさと薄さを誇る。

当然、知る人間は限られる。

装着する人選も厳しく、たとえG倶楽部に所属していたとしても、単独任務をこなせ、なおかつどんな状況でも冷静、怜悧な判断が出来る人間だけが選ばれた。

この小さな装置(G倶楽部では単にチップと呼んでいたが)の存在を他者に知られる事は許されない。

これが最後と理解した瞬間、一定のシグナルで消滅させなくてはならなかった。痕跡も残さずに。

要は自爆である。チップの装着と同時に左下の奥歯に特殊な爆薬を仕込まれ、自爆シグナルの発生で炸裂、消去。

チップが残り人手に渡る可能性は皆無、装着者が生き残る可能性も。

キッドに関しては基準をクリアしていたが、ジーンはその決定をキリーに委ね、キリーは迷う事無くキッドを病院に連れて行ったのだった。

『お前が此処で生きていくなら、俺同様此処でしか生きていけないなら受け入れるべきだ。』

キッドに躊躇いは無かった。

チップと死を受け入れジーン相手に練習をし、なめらかに数種類のシグナルを出せるようになっていた。


「よし、大丈夫だな。」

基本のシグナルには声帯同様の脳波の個人差がありそれで個体識別が可能となるが、任務についていない場合は切られていた。以前に面白半分で全員がいっせいに入れたところ、揃って頭を抱えるはめになったとジーンが笑って語ってくれたことがあった。思い出して微笑んだキッドにキリーは真面目な視線を投げた。

「これだけは必ず守って貰いたい・・・お前は女だ、危険は生命だけでなく、身体にも及ぶ可能性が有る。」

微かにキッドは頷いた。

「戦って回避出来れば良いが、どうにもならない場合も在りうる。酷な言い方だが・・黙って受け止めろ。

むやみに抵抗するな、体力を温存して事後に備えろ。

間違ってもそんな事で自爆はするな。そんなものがお前を本当の意味で傷つけはしない。解ったな?」

「・・・はい。」

それを心配していたのはキリーだけでは無かった。

と云うより、チップ装着の時点で全員が懸念していたのだ。

キッドの中にちらつく潔癖性はやがて父親の言葉で証明された。

客を取らせようとした父親に、この素直な娘が泣いて抵抗したのなら相当に重い事態の筈だった。

軍内部では幾らでも護ってやれるが、いざ任務となった時にキリーの手が届かない場合も有るのだ。

言葉の上では何と言おうと女性の本能は男には絶対に理解出来ない。

だがキリーにはその言葉しか使いようも無かった。


「いいか、馬鹿な男が何をしてもお前はお前だ。

絶対に死ぬな、必ず俺が助けに行くから待っていろ・・」

自分の言葉の中に思わぬ本音が出た事でキリーは僅かにうろたえた。が、

「・・はい、解りました。」

考えながらゆっくりと続ける。

「・・以前は、私の持っていたのは弟と・・それだけで・・守る事で自分を失わずに居られたんです・・たぶん。

あの状況で自分を守るのはひとつだけでも支えがないと、とても生きていけなかった。流されそうになった事も何度もあったけど・・・」

微かに笑うと妙に大人びた表情になる。

「今はそんな事に固執していません、あ・・勿論わざわざそうしようとも思いませんけど。

今の私にはもっと大切なものが有るから・・ジーンの腕がなくなっても生きて欲しいと思ったし、出来ればロゥも・・どんな傷でも生きていて欲しかった。そう思った時に解ったんです。

本当に大切なもの、本気で護らなくてはならないものが。

だから、大丈夫です。まだ何一つ返せていません、私だけでなく綜まで救ってくれた恩返しをしなくては罰が当たります。」

「・・・恩を取り立てる気は毛頭無いが・・それなら良い。

そう思っていれば死に急ぎはしないだろう。」


心からホッとしたキリーの表情にキッドは気付いた。

「貴方だけじゃないんですね、心配してくれているのは。」

「・・・当然だ、オヤジ連中に捕まって2時間かかった。

何が何でも生かして連れ帰れとの厳命だ。お前を死なせたら俺も帰れん。」

うんざりしたような響きの真面目なぼやきにキッドの表情が緩んだ。

「・・本当に良かった、軍に入って。こんなに大切にして貰えるなんて思わなかった。」

ジーンには絶対言う気はないが、キッドは本当に可愛い。




翌日から二人で動き始めたが九龍島地区で最初に異変に気付いたのはキッドだった。

言葉は困らない程度の会話しか出来ない以上、中国人に成りすます訳にはいかないので日本企業をことさら強調したOLを設定したのだが、スーツ姿のキッドに奇妙なほど視線が集まった。

「中国人にモテるようだな。」

すぐにキリーも気付いた。

シュリの用意したブルーグレーのスーツはキッドに良く似合っていたし、薄めの化粧は整った顔立ちを引き立てていたが、通り過ぎた視線が戻されるのを何度か見ればそこには別の意味が隠されていると思った方がいい。

「誰か似た人がいるみたいですね、観光客は反応しませんし。そこの店に入ってみますか?」

「奥には行くな、俺は出口で見張っている。」

観光パンフレットを手にキッドが店員をつかまえ、日本語と片言の英語を撒き散らすのを耳にしてキリーは密かに笑った。言葉を知らない相手には油断が出来る。


案の定キッドは変わった情報を仕入れてきた。

「私に良く似た人物はホンロン、紅の龍です。」

「ほう、奇遇だな。」

「ここ数日姿を消しています。紅龍を探してみますか。騒ぎが大きくなれば尻尾も出ますが。」

「・・・別の尻尾が出そうだな、いったん戻る。着替えて動いた方が良いようだ。」

「了解。」



それは会社員の衣を脱ぎ捨てるという事だった。

それぞれ隠しポケットの多い私服に着替えると部屋を後にした。キリーはジーンズにジャケット、キッドは黒のパンツに半そでのパーカー、どちらも最小の武器をフルに身に付けていた。

「先行しろ、ベースシグナルは開いておけ。」

九龍地区の繁華街を縫うようにキッドは歩き出した。

慣れた相手と組む時は視界には入らなくても気にはしなかったが、さすがにキッドではそれは出来ず確認しながら付いていく。

薄闇が降りてきても変化はなかった。

観光客を装い店を見て歩くキッドの背中が見え隠れする中、キリーは自分が囲まれている事に気付いた。

(・・ちっ、こっちに来たか。)

男が良く知る軍人の気配ではない、訓練された動きではなかった。切り離して様子を見ようとした時、キッドのシグナルが点滅、何を見つけたのか・・・

瞬間、何かが腕をかすめた。

弾ける様に距離をとったが・・膝が落ちる。

「・?・・・」

「大丈夫か?」

「酔ったようだ。」

仲間を装った男達が寄って来た。

即効性の麻酔か毒か。

エマージェンシーを入れた瞬間に意識が途切れた。


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