05
7日はあっという間に過ぎた。
余計な言葉一つ交わさず、一心不乱に取り組んでもハクに近づくどころか、軽くいなされるだけの日々。
真理は得意の切れまくりを封印していたが、最後に切れた。
実は俺も切れた。人のことは言えない。
「参った、何であそこで切れるかな。」
「同感だ。」
「やけ酒呑みたい。」
「右に同じ。」
翌日、15:00 河野伍長に連れられた俺達はG倶楽部に居並んでいた。
コウが正面に立っていた。
「ジーンの代理だ。
第18期生、神藤直人以下4名 G倶楽部への正式入部を認める。今後も一層の努力を望む。」
呆然としてしまった。だから、気付くのが遅れたのか・・
「コウ、キッドとローワンは何処だ。」
河野伍長の鋭い声が響いた。
コウの眼が揺らぎもせず見返す。
「それは担当伍長としての問いか、キリーとしてか。」
「好きに取れば良い、あのふたりがキッドを連れて何処へ行ったかと聞いてるんだ。」
G倶楽部の男達がたじろぐのをはじめて見た。
「任務だ、キッドのデビュー戦だよ。」
いつも穏やかなエラーの声さえ尖って聞こえた。
「まだ早いと言ったが聞き入れなかった、場数を踏ませたいらしいが、せめてお前が付いていれば良かったんだが。」
「場所は?」
「ロシア南部。」
「聞いてどうする、キリー。お前の仕事は終わってないんだぞ。ガキどもを放り出す気か。」
シュリの冷静な言葉にキリーは唇を噛み締めた。
「とにかく、お前達はG倶楽部で預かる。名は・・ウルフがスランプだ、少し待て。河野伍長、ご苦労だった。」
それは退出せよとの言葉、河野伍長と呼ばれたなら今の彼にはどうしようもないだろう。
拳で怒りを握り潰すようにして、それでも河野伍長は俺達に向き直った。
「頑張れよ、此処の鬼畜連中に潰されるな。」
「はい!」
思わず5人とも声が揃った。
「全く、何が鬼畜連中だ。しかも返事まで揃えやがって。」
シュリの言葉にエラーが笑った。
「正しい言葉使いですよ、ジーンはともかくローワンの鬼畜っぷりは周知の事実だし、2ヶ月にもならない小娘に何をさせようと、仕事である以上まともじゃない。」
「ジーンは何を焦ってるんだ?」
ハクの眼がエラーを探る。
「このガキ供を置いてまで急ぐ理由が解らん、あのふたりが動くなら間違っても物見遊山の筈はないし、へたを打てば死ぬぞ、あの小娘。」
肌が粟立つ、エラーに呼ばれて行くとコウハクシュリの3人とエラーに囲まれて俺は肝を冷やしていた。
「第一順位があれか・・良くキリーが押したな。」
コウの呟きにハクも頷いた。
「気付いたか、キリーの雰囲気がまるで変わった。
新人の心配など論外、関わる気も無い、眼の前で死んでもおそらく平然と見殺しにしかねない奴が、何だあれは。」
「だから直人を呼んだんですよ。」
エラーが続けた。
「キッドの仮入部時が初めてではない、Aチームの演習から挙がったデータに驚いたジーンの指示で、俺達はずっと見て来たんです。ジーンの最初の読みは五分五分。
それこそへたを打てばAチームは壊滅、巧く行ってもG倶楽部入りがひとりの予定だった。
どれほど粒が揃っていても担当伍長の腕ひとつで変わるのが初年兵だから。」
「キリーの腕か。」
シュリが唸った。
「直人、キリーはどんな担当伍長だ?」
一瞬、詰まった。
「・・・俺の目標です。」
俺は話した、キリーがG倶楽部だと告白した事は伏せて、それ以外をなるべく最初から、なるべく細かく。
「河野伍長で良かった、みんなそう云ってます。あの人を追って俺達は此処に来たんです。」
「亜湖とはキッドか、鍵だな。」
コウの言葉にエラーが頷いた。
「とても保たないと思いましたよ、データだけじゃ無理がある。ところがあれでしたからね・・云いたくないがキリーの眼は確かだった。」
「ジーンの愛弟子、虎の子キリーの手中の珠か。」
「キッドが潰れたならキリーはどうなる?」
エラーが微笑んだ。
「狂いかねない、75の確立でそう出ました。」
「奴が本気になったらロシアなど国として成立しなくなる、
世界の平和を守らなくてはならんか。」
真顔のコウにシュリが穏やかに告げる。
「いっそ潰させるか、中国込みで。」
「それは後が面倒だな、切り上げて放り込む。」
ハクがエラーを振り返った。
「Aチームの今後は?」
「鈴木歩美、20歳。美形の班長。」
「おい、俺が面倒み・・」
「直人、Aチームのバックアップだ。コウには任せられん。
お前達のチームだ、しっかり支えろ。」
「承知。」
「幾つかの手続きと手配が必要だ。三日か、キリーにはまだ云うな、弾丸並みの最大戦速で飛び出しかねない。」
「誰かつけるか?」
「・・・見失うぞ、迷子探しはまっぴらだ。」
「尤もだな、キリーなら単独の方が良い。」
「いや、鞘は必要だ。ブレーキもな。」
「と、なると今動けるのは・・違うな、奴の手駒だ。」
全員が俺を見た。
ハクが笑う。
「予定変更だ。Aチームは他の奴に見させる、G倶楽部は総力を挙げて任務の達成とキッドの確保に当たる、お前のデビューだ。健闘を祈る。」
ところが準備には1週間以上が掛かってしまった。
G倶楽部の頭、関東地区の師団長が捕まらず、話をつけたのが8日目、最速で手続きをして10日目。
この間ジーンからの連絡が途切れた事でG倶楽部は緊迫の度合いを深めた。
キリーには何も話せず、真理たちにも言えず俺は独り気を揉んでいた。
10日目、コウの名でのキリー召還に彼はG倶楽部へと帰って来た。
黒の作業着がこれほど似合うとは思わなかった。
身体つきまでひと回り大きく感じた。
「何が有った。」
表情は消され、研ぎ澄ました緊張は瞳の中にだけ浮かんでいる。
「ジーンとの連絡が付かない、昨日からだ。」
一瞬、キリーの表情が変わった。
「最初の任務は完了したが、もう一つで引っ掛かったようだ。キリー、現状を把握し任務の遂行とジーン等の確保を依頼する。」
「・・・承知。」
「Aチームはこちらで見る、同行は直人だ。」
「要らん、独りで良い。」
「駄目だ、必要だとこちらの判断だ、振り切るなよ。」
いかにもな不満が突き刺さるようだった。
「いつ出る?」
「本日、14:00発だ。ミリタリーは不可、一般旅行者のチケットを購入してある。その他諸々の用意も有る。」
「・・・日数が合わないが。」
「聞くな。」
俺は自分の事(初めての任務。)より、こんなに威圧的な河野伍長を見たことで萎縮していた。
これほどキリーと河野伍長の違いが歴然と感じられた事はなかった。そしてこれほど亜湖の無事を祈った事も・・・
「済みません、俺では足手まといですね。解っていたんだけど。」
エコノミークラスの座席に収まった男の気圧の低さに思わず声を掛けると、以外にも静かな応えが返ってきた。
「解っている、お前が太刀打ちできる相手じゃない。
どうせ有無を言わさず決められたんだろう。」
キリーも俺もラフな服装、パーカーやジーンズに身を包み(キリーはまた雰囲気が変わって学生にしか見えない)、秋の休暇を旅行で楽しむ学生の触れ込みに合う形になっていた。それらしいパンフや地図を広げた中に怪しいものは見当たらない。当然、コンパクトにまとめたバッグにも銃火器の類は入っていない。今回の目的が3人の確保だけなら解るのだが、任務の遂行はどうなるのだろう。
と、キリーが一粒の錠剤を取り出した。
「飲んでおけ、直行便だが8時間は掛かる。慣れないうちは胃をやられるぞ。」
胃薬かと思ったら睡眠薬だった。
結局、俺はイルクーツクの空港に着くまでを眠って過ごした。キリーは完全にふたりになるまでは任務のにの字も云わず、俺も余計な事を言わないようにしていたから、地図を片手に土産屋まで廻る羽目になった。
10月のイルクーツクはすでに冬の気配を漂わせている。俺は目的地も知らなかった。
「動くぞ。」
キリーがそう告げたのは薄闇が近づいた頃。
闇に紛れて近づいたのはポンコツのトラック。
鍵の代わりの棒状の金属で簡単にエンジンがかかる。
あっという間に俺たちは郊外へと走り出した。
「ジーンの任務はバイカル湖の西にある生体研究所のデータを持ち帰ることだ、仕事の内容事態は難しいものではない筈。潜り込んでコピーを撮るだけだからな。時間的にそこまでは済んでいると見るべきだが・・・」
「キッドが捕まった?」
「いや、ジーン、ローワンのどちらかが動けるなら繋ぎが切れる事は無い、キッド独りでは無理だろうが。
最悪、3人が嵌まり込んだ可能性もある。
直人、これだけは言って置く。
生きているなら何としても救い出す、G倶楽部は仲間を見捨てはしない、が・・死んでいたなら置いて行く。」
「・・・承知。」
おそらくはジーンだろうとキッドだろうとも・・・生きている者を最優先に動く覚悟をしなくてはならない。
俺達は身支度を整えながら頷いた。
作って貰った荷物には、黒系の迷彩服、銃こそ無いが多種多様の細かい道具を身に着けた。
車を降りたのは夜半過ぎ。道路から外れた森の中に隠すとあとは自力で走らなくてはならない。
暗視用コンタクトを着けると闇が消える。
「行くぞ、着いて来いよ。」
キリーの脚は速かった。それでもきっと俺に合わせてくれているのだろうが、着いていくのが精一杯だった。
走り続け足を止めたのは夜明け前、倒れこんだ俺にコンタクトを外させて呟いた。
「よく走った、少し休め。」
この機動力は俺がいなければもっと活かせるのだろう。
と、思う間もなく意識が途切れる。
起こされたのは2時間後、携帯食料を使いながらキリーの説明を受けた。キリーは俺が寝ている間に偵察を済ませていたのだ。
「ラボの周囲1キロは警戒区域となっている、結構な騒々しさだ。どうやら捕まったのはひとり、残りの人数の把握も出来ていない。ジーンとローワンならラボの上を取る。」
と、拳銃を渡された。ガバのチーフスペシャル。
「ロシア製が当てにならんのはロシア人が良く知ってる。」
「武器は現地調達か。」
薄い笑いがキリーの頬を滑り落ちる。
「当然だ。」
ラボに近づくにつれ兵士の数が増えた。
俺は緊張していたがキリーは無造作に路をとり俺を先導していく。時折ピタリと伏せたがどうやら兵士達の会話を聞いているようだった。
建物は山の中腹、ラボというより工場並みの大きさを持っていた。ロシアは広大だ。森林に覆われた山が連なり、人の手の入らない山間部に忽然とそれは建っていた。
キリーの指が動く、左から回り込み滑るように音も立てず斜面を登る。警戒区域ギリギリに小屋が見えた。
それを迂回して更に上がると小さな沢、流れに沿って1段、2段3段目に草で覆われた穴の口があった。が、俺の眼にはキリーがその場に張り付くまで見えなかった。
「キリーだ。」
ごく低い声に返されたのは、
「中へ。」
キッドの声。
ホッとしながら入った俺達を迎えたのは、武装したキッドと・・・傷を負ったジーン。
「速かったな、ロゥが捕らえられた。俺はこの様だ。」
素早くキリーが傷を見る。表情が固い。
「ジーン。」
「解っている、まずは状況だ、任務は成功した。データは此処にあるが、引き上げの時に俺がどじを踏んだ。
撃たれた俺とキッドを落とすためにロゥが残り、逃げ切れなかった。奴等はロシア正規軍に繫がっている、ジャイロまで繰り出してロゥを押さえた。」
「相当な人海戦術のようだな。餌にする気か。」
「おそらくな。キリー、頼めるか?」
「了解。まずはこっちから片を着ける。キッド、外に出てろ、呼ぶまで入るな。直・・・」
「嫌です。」
キッドを振り返ったキリーは物も言わずに殴りつけた。
切れた唇から血を流すキッドのむなぐらを掴んで引き摺りあげた。
「この腕はもう使えん、腱を切られている。此処にいたいなら声ひとつ立てるな、俺が捻り潰すぞ。」
一切の甘えも許さない戦闘兵士のキリーに、それでもキッドは退きもせず頷いた。
「手伝わせて下さい。」
「・・・いいだろう、肘上を止血しろ。直人、布だ。」
ポケットの中のファーストエイドを開け、広げる。
キリーが錠剤を出すとジーンは嫌な顔をした。
「駄目だ、そいつは効き過ぎる。意識が無くなるのは真っ平だ。」
「どうせ動けないだろう。」
ニヤリと笑ってジーンは横を向いた。
「駄目だ。このままで良い。」
かすかな溜息をついて薬をしまうと、俺にジーンを起こすように指示する。後ろから俺が抱きかかえ、ずたボロになった左腕をキッドに支えさせた。
キリーが握ったジーンの大型ナイフが何の前触れも無く一閃した。何が起こったのか判らないうちにジーンの腕が落とされた。ジーンは・・・声を上げるどころか、呻き声ひとつ立てず冷ややかにキッドが持った腕を眺めていた。
キリーが動く。
傷口に布を当てしっかり留め、腕が高くなるように置くとキッドから腕を受け取った。
「みやげにするか?」
「誰が喜ぶ、そんな物。」
「では、行って来る。ふたりで此処を守れ。」
思わず口が出た。
「張り付けと言われてます。」
「私も行きます。」
殴られるかと思ったがジーンが留めてくれた。
「連れて行け、俺は大丈夫だ。キッド、直人も邪魔はするなよ、殺されるぞ。」
「はい。」
はっきり言って今の俺よりキッドの方が使えるだろうが、俺は見たかった。キリーの戦闘兵士としての動きを。
ラボの守りは堅かったが、一度潜ったキッドの先導は確実で、このうえなく慎重だった。
建物の周囲は囲まれていたが、クリーニングシューターから潜り込むと内部には兵士の姿はない。
研究員が歩く様子は最近の騒ぎなど無かったようにさえ見える。話し声が耳に入った。
俺には良く解らなかったがキリーの合図で階段を降りた。
立ち入り禁止のマークが貼られたドアを抜けると、広大な空間が広がっていた。前の3面がガラス張りになり斜面の先の景観が、パノラマのように眼に入った。
入ったのはそれだけでは無かった。
椅子に括りつけられたローワンの骸。
一瞬のうちに見てとったのは彼の頭が半分無い姿と、血と脳症の飛び散った床。
「ロゥ!」
押し殺した低い叫びはキッド、飛び出したのはキリー。
そして俺達は罠に嵌った。
正面の大窓に浮き上がったのは3機のジャイロコプター、
真っ先に攻撃を仕掛けたのはキッド、一連射でガラスと1機のジャイロを落とす。
「直人、後ろは!」
「無駄だ、構うな。」
キリーの声が響き、柱の後ろに飛び込んだ。
ジャイロが狂ったように旋回し、マシンガンを連射してくる中、
「援護、2,1、ゴー!」
キリーと俺の援護を受けてキッドが飛び出した。
弾丸を見切って転がった先、床の取っ手を引き上げる。
飛び込んだキッドの姿が消えた。ジャイロの動きが変わって、次の瞬間、次々とジャイロが落ちた。
「急げ!」
床の穴に飛び込むと2m下の地面に転がった。
続いてキリーが飛び降りて来た。
キッドはすでに上を走っている。
「先に行け、切り離す。」
キリーの指示でキッドを追ったが、見失ってしまった。
何とか森の中に駆け込んだが、迂闊に動けないほど敵兵が溢れている。その時遥か下方でくぐもった爆音が聞こえた。
敵が動く、キリーだ。
隙をついてジーンの穴に向かったがそこにキッドの姿はなかった。
「どうなった?」
蒼褪めた顔色ながらジーンは落ち着いて俺の説明を聞き、探しに出ようとする俺を止めた。
「今はキリーを待て、むやみに動くとまずい。」
「でも・・」
「キリーは問題ない、キッドは・・俺にも解らん、ロゥはキッドを自分の弟子だと言っていた。自分の総てを伝えたいと・・・」
過去形で話す辛さがその口調から滲み出ていた。
「攻撃力は半端じゃない、頭も良い、何より戦闘の勘がキリー並みだが・・・いや、直人、お前も少し休んでおけ。撤退時はまたきついぞ。」
なにもすることが無いのでジーンの包帯を替え、腕が動かないように身体に固定した時、するりとキリーが入ってきた。内部を一瞥で見て取るとまた出かけたが、そこにキッドが戻ってきた。
「何をしていた。」
触れたら切れそうな声に爆音が被さる。
「キッド!」
「ローワンを・・弔った。」
キリーからの殺気が膨れ上がったその時、ジーンが、
「良くやったキッド、帰投する。」
俺は見てしまった。
キリーの拳が怒りのあまり震えるのを・・・
その眼に浮かんだ一瞬の憎悪を・・・
俺達の担当伍長は、消え去った。
そこに居たのはG倶楽部の戦闘兵士、亜湖には向けた事もない冷酷な眼差しを持つひとりの殺戮者。
帰国は厳しい道程となった。
イルクーツクに戻るのは論外、俺達は重症のジーンを抱えトラックに辿り着いたが、外交武官が手配したモスクワからの迎えと合流出来たのは三時間後だった。
発熱したジーンはそれでも帰国の一点張りで、小さな空港に廻して貰った政府のチャーター機で点滴を受けながらの帰還となった。
結果的にジーンのゴリ押しは正解だった。
キッドがローワンを爆破に巻き込んで消したのは良かったのだが、ジーンの腕から足がつき病院の洗い出しと空港の押さえとが始まったのは離陸2時間後、ギリで虎口を逃れたのだった。
立川連隊に直帰出来たのは幸いだったが、キリーは未だに表情を和らげず、キッドとも口を利かなかった。
ジーンを病院に送り込み(ウルフの蒼白の表情が痛ましい)俺達は20:15時にG倶楽部に辿り着いた。