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    03

その頃の僕にはまだ余裕が有って、人間観察を楽しんでいられたが、それは長くは続かなかった。

地獄の初年兵訓練は確かにその名の通りきつかった。

陸短で叩き込まれたにも関わらず、僕達は粗い息継ぎをし、這いずり回った。汗にまみれ、泥にまみれ、のた打ち回りながら今だけをこなして行った。

もう、人のことなんて考えてもいられない。


二ヶ月目が過ぎた頃はどん底に落ちていた。演習は激しさを増すばかりで息もつけない。

キリーも亜湖も意識から消え僕はただ・・・独りの兵士になっていた。

合図で身を起こす、


走る。


走る。


走る。


撃鉄がカチリと響いて狙いを定めるのは一動作。本能が敵を倒せと囁く。

トリガーを絞れば弾丸がほとばしる。

熱も冷気も、色さえ消えた世界は静寂の中でゆっくりと崩壊していく。

何を壊そうとしているのか、敵か、それとも味方か・・・

ボクハナニヲシテイル・・・


「直人、落ち着け。」

雪代大尉?・・いや、キリー・・だった。

「右は篠が廻る、お前と亜湖は左だ。カバーしてやれ。」

驚いた、キリーと雪代大尉が似ているなんて。

その低いゆったりした声に、舞い上がっていた神経が平静を取り戻し、僕はキリーの眼を見返す。

「・・キリー・・?」

「トリガーハッピーになるな、マイナス査定だぞ。」

どこか笑いを含んだ声に気持ちが落ち着いた。


「行け。」

走り出した亜湖の背を追う、僕が全力で走らなくては追い付けないほど亜湖は速かった。低く跳ねる、躱す、飛んで転がりまた走る。亜湖は・・・戦闘兵士だ。

彼女の堪は天性のもの、飛んでくる弾丸まで見切って走る。


「直人、篠!」

見ると篠が足止めを喰らっていた。

「承知!」

篠の左前に援護射撃、さらにその奥にも。

手を上げる篠に合図して再び走り出したが、当然亜湖の姿は無い・・・いや、待っていた。

「今回は殲滅戦だから。」

フラッグを取るだけなら独りで十分だった、亜湖なら。

「篠を待つか。」

「うん。」

Aチームは今回苦戦していた、亜湖と僕、篠とキリーの4人しか残っていない。

しかしキリーは立場上あまり手は出さないから実質3人で敵を倒さなくてはならなかった。

どうすれば良い?

考えがまとまらない内に篠とキリーが追い付いてきた。

「さて、どうする?」

詰まった僕とキリーの眼が合った時、亜湖が答えた。

「敵は8人、班長はこのまま戦闘速度で前進、敵を惹きつけて。直人と篠は正面から右にかけて潰していく。私は最大戦速で左から回り込む。」

「了解、相打ちに気を付けろよ。」

なんて事だ、キリーを餌に使うとは。

それでもキリーが動き出したなら、もう後には引けなかった。

おそらく本来の力の半分も出していない筈のキリーでも、戦闘速度を出されたならこっちは全力で行くしかない。

そして、出る敵を潰してみっつ数えた時、左正面に立つ亜湖を見た。



「終了!」

市橋曹長の声が響いた。

「Aチーム、勝利。 良くやったな。」

耳に馴染みのないどよめきにギャラリーの多さが判る。

「廻り込んで後ろを取った速さは大したものだ、高村初年兵。神藤、篠原両初年兵も見事な食いつきだった。」

恐れ入るほどの賛辞。

僕は感嘆の想いを込めて亜湖を見た。いつからか亜湖は変わっていた。しっかりと其処に立つ彼女に幼い子供の影はなく、静かな自信に満ちた姿が有った。

亜湖のエースは揺るがないだろう。今の僕では引き離されないように付いていくのがやっとだった。

頼りになる仲間の存在は嬉しいものだが、僕も負けてはいられない。

今思えばこれが僕の初年兵訓練の最大の山場だった。


「直人、今日はごめんね。」

宿舎に戻った僕に亜湖が声を掛けてきた。

「何が?」

謝られる覚えがない。

「篠の援護とか、最後も直人の意見も聞かなかったし・・」

おかしな事を言う、演習中の冷静な顔とは違う子供の顔で、だが以前よりも真っ直ぐ僕の眼を見ている亜湖に、

「亜湖の判断は正しい、皆の力も自分の力量も把握しているから出来た作戦だったし、事実成功した。」

認めるのはちょっと悔しいけど。

「敵の人数は把握してなかった。亜湖のお陰で勝てたんだ、もっと自信を持てよ。」

ホッとしたように笑顔を見せて頷く亜湖に僕も思わず笑ってしまった。

僕はいろいろな絡みが有るからチーム内では極力おとなしく、目立たないようにしているし、迂闊な言葉を出さないように口も堅くしている。


その僕が話しているのは余程珍しかったのか、キリーに捕まった。

「良い事だな、若者が仲良くする光景は微笑ましい。」

「・・・貴方はジジイですか?」

キリーの笑顔は閃いてすぐに消えた。どうやら真面目な話らしい。

「今日の演習をローワンが見ていた。」

参った。

てんぱった挙句、亜湖のケツ持ちをして辛うじて勝たせて貰った一幕を、よりによってローワンに見られていたなんて。思わずついた溜息にキリーはシビアな笑みを浮かべた。

「気付いてない様だが直人、ケツに火がついてるぞ。

お前の為だけに、俺が寄越された訳じゃ無いのは解ってるだろう。あと20日、ジーンがどう出るか楽しみだな。」

くそっ、嫌な野郎だ。

蹴倒してやりたいが、今の僕では手も足も出ないのは判っているし、事実は事実として認めなくてならない。

それにキリーの担当伍長の腕は確かだった。

Aチームは未だひとりの脱落者も出していない。どころか、エースの亜湖を筆頭に全員のレベルも上がっている。

ギャラリーにローワンまで加わるほどAチームの評価は高いと云う事だ。

全く冷や汗ものだ、僕の焦りもケツの火も消えないまま、初年兵訓練は最終日を迎えた。


最後の演習は対軍曹チームのフラッグ戦。

木村、篠、真理、亜湖と僕の5人での攻撃は遮蔽物に身を隠してのストーキングから始まった。

亜湖の強さは脚を活かした攻撃だけではない。ぴたりと臥せると呼吸も心臓も止まったように身じろぎひとつせず、気配も無く移動している。味方でもその動きには付いていけない。

しかも眼が良く、敵味方ともに掌握していた。

篠と真理に援護を預けて木村が指を振った。

飛び出した瞬間、木村の意図が解った。

(嵌めたかっ!)

だが、亜湖も僕も今更止れはしなかった。

援護の弾幕が張られる中、敵弾を躱し、更に走る。

「御幸だ!」

亜湖の声に咄嗟に反応して、左に廻る。

俺の身体が動く。

今だ、此処だ、走れ、走れ!

弾倉を換える間も惜しむように俺は撃った。


気が付くと伊達軍曹の終了の声が聞こえた。

3ヶ月、地獄の初年兵訓練の終わりはまだ明るい夏の午後だった。みんな実感がないようなどこかボンヤリした顔だったが・・木村のあえて消され表情と、それを見る篠の眼の色にこのままでは終わらない何かを感じる。

視線を受けて転じれば真理が俺を見ていた。


「直人は・・関係者だね。」

宿舎に帰る路、ごく低く訊ねてきた真理に頷いた。

「真理も?」

確信は在る、身内の匂いは判るから。

それでも次の言葉には驚いた。

「兄がG倶楽部、亡くなったけど。」

チーム内で一番小柄な真理は少し俯くと表情が解らない。

「神藤中佐の子?」

「うん。」

俺を見上げた真理は柔らかい笑みを浮かべていた。

俺もきっと同じ表情だろう。

長く逢っていないイトコに思わぬ場所で再開したような、照れながらも暖かな感情がそこに在った。

「これで終わると思う?」

「真理は?」

ふっ、と唇の端があがり、

「みんな知ってる、知らないのは亜湖ぐらいなもんだ。」

「いつもフォローご苦労様。」

あはは、と上を向いて笑う真理は綺麗だった。




ミーティングは紛争した。

穏やかに始まったのもつかの間、亜湖のエースとG倶楽部の話題から木村英嗣の怒りを引き出したのは、誰でもない河野卓担当伍長本人だった。

次々と出る不満、苛立ち、それに対する木村への告発。

罵りあいのなかにあって、発端を崩したキリーは表情ひとつ変えず黙していた。

視線を捕らえようとしても組んだ己の指先を頑なに見つめている。

自分達で解決させようとしているのか・・・ならば。


「自分も気付いていました。」

内部分裂をする前に頭を冷やせ。

とは言えやっぱり慣れない事はする物じゃない、話が危険な方向に行きかけた時、真理に留められた。

ありがとう、真理。

おそらくこれが最終試験、担当伍長としての仕上げになるのか、だが・・木村は自らの脱退を口にしてしまった。

ドアの音は響く。

間髪いれずに立ったのは亜湖だった。

戦闘の勘はいいが口の廻らない亜湖にみんなの援護が入る。

キリーの眼を見てやっと解った。

ならば後は木村を引きずり戻すだけ。




個人面接では散々だった。

「ジーンからの伝言だ。

『高村亜湖のような天性の才能は無い。木村英嗣ほどの気概も見えない、西田圭佑の怜悧さ、高橋真理の眼、篠崎亮介のバランス、太田御幸の野性、古川雅彦の慎重、鈴木歩美の・・・愛らしさ。今の神藤直人に欠けている物を挙げるとこうなる。2ヶ月の猶予を与える、神藤直哉の名を汚すことは俺が許さん。』以上だ。

俺からも有る、お前の悪いところは頭を使いすぎる所だ。

だが、いざ戦闘に入ると考えた事もすっ飛ばして中途半端な没入に落ち込む。

兵士がアドレナリンだけで戦うと回りをも巻き込み悲惨な結果にしかならない。とはいえ単独で動くには技術も知識も経験も明らかに足りない。

敢えて苦言を呈すれば、今のお前はG倶楽部には向かない。

どれもこれも半端だ。ジーンに貰った2ヶ月をG倶楽部の為に使うのはお前の自由だが、俺としては他の道を進めたい。G倶楽部よりも上を目指すと云う道程もある。

お前の良さを追求していけば良い仕官になるだろう。」


耳が痛かった。

痛いなんてもんじゃない。

聞いているうちに蒼褪め、冷や汗が出てくる。

自分でも覚えが有る以上、返す言葉の一つもない。

それでもここまでコテンパンにやられると、いっそ小気味が好いとも云えた。

キリーの表情は冷静で俺の眼を真っ直ぐ見つめていた。

「よく解りました。一晩考えても良いですか?」

「勿論。」



居室に戻る気にはなれない。かと言って行く場所も無い。

結局シャワールームに入り冷水を浴びた・ら・・

泣けてきた。止まらない。

子供の頃は雪代中尉が来てくれた。

いつだって雪代大尉がいてくれた。

あの人の傍に行きたくて、あの眼を見ていたくて、あの声で呼んで貰いたくて俺はG倶楽部に行きたかったのだろう。

俺なら、俺の力なら楽勝で入れると疑いもしなかった。

思い上がっていた、俺には何の力も無い。こんなに何も出来ないんだ。

『自分を哀れんで泣ける内は幸せだ。』

雪代大尉の言葉がふと聞こえた。初めて会った拗ねた子供にくれた大人の言葉。

大尉、俺はまだガキのままだ。

それでもやってみよう、2ヶ月という時間を無駄にはしたくない。これからは神藤直人唯一人でG倶楽部に挑戦してやる。




俺の配属先は第一歩兵大隊所属第三中隊。

同期は真理と御幸。ひがな一日銃を担いで走り回る。

統括軍曹は伊達軍曹だった。

それは初年兵訓練の延長のようで、かなり違っていた。

今までは担当伍長が雛を守る親鳥のように面倒を見ていたのに対して、自分の事は総てが自己責任で誰一人手を出そうとはしない。

伊達軍曹は絵に描いたような鬼軍曹で、割れ鐘のような声で怒鳴り、怒鳴り、怒鳴る。

俺達は第三中隊の中では唯の足手まといに過ぎない。

元気印の二人もさすがに頬を引きつらせ(俺も同じだ)置いていかれないように必死に足を動かすしかなかった。


一週間が過ぎた。

呆れるほど毎日が同じ繰り返しに御幸がぼやいた。

「なあ、何時まで続くんだ?」

ヘルメットを脱いで汗を拭いながら真理が笑う。

「ずっとさ、これが歩兵だ。」

「真理、お前楽しいか?」

真理の眼に強い光がさした。

「これは基本だよ、此処で務まらなくて何が出来る。

私には目標が有るから何だってやってやる。」

御幸の表情が変わった。

「河野伍長が以前云っていた、いらないものを削ぎ落として自分の手で自分を作り直せって、多分いまは削る物が有る。だから私は何も考えずに集中しようと思っている。」

確かにその通りだ。俺の余計なものは多すぎてきっと削るのは大変だろうけど、此処でそれが出来るならやってやる。

「御幸、頑張ろう。」

俺の声に御幸は頷いたが、真理が睨んだ。

「私には?」

「だって真理は俺達よりも強いだろ。」

真理の正拳は本当に強かった。



午後からの剣道は久しぶりで楽しかった。

随分離れていたせいか、素足に感じる床さえ懐かしい。

精神を統一すれば馴染みの無我に埋没して行く。

篠とはほとんど互角の腕で良い勝負に持ち込めたし、木村の相手も喜んで務めたが、キムはヘリ倶楽部も掛け持ちなので週に2回程度の参加だった。

忙しかったが空き時間にはキリーに頼んで歩兵戦のテキストの講義もしてもらう。

キリーはちょっと驚いたような顔を見せたが何も言わずに協力してくれた。


さらに一週間が過ぎ、事が起きた。

明日は亜湖のG倶楽部入りが決まる夜、召集がかかった。

自分の事のように緊張した。

亜湖の所属は緊急救命部隊、実際に命に関わる限界の部隊だった。だが、キリーは表情も変えない。

どれ程心配しても顔には出さない。

担当伍長として誰にも変わらぬ態度で3時間が過ぎたころ、伊達一等軍曹が蒼白の顔で駆け込んできた。

命令不服従とジーンの名が耳に入った。

飛び出していったキリーの速さは瞬間移動の如く。


「何があった?」

キムが真顔になって俺を見る。

「伍長の血相が変わっていた、直人、お前なら解るはずだ。」

やはり気付かれない筈は無い。

少し勘が良ければ判らない筈はないだろう。

「G倶楽部に関わっている、聞きたいか?」

キムの態度は変わらなかった。

そして、みんなの・・・

「良いだろう。唯、すぐ忘れてくれ。」

みんなの顔を見て俺は話し出した。

「G倶楽部での命令は絶対だ。亜湖の配属先の上司はG倶楽部員、現場でおそらくその名を出した。

この先の亜湖がどうなるかは判らないが・・・承知しての上ならば亜湖は何が有っても後悔はしないだろう。」

「俺達はどうしたら良い?」

篠が真剣に尋ねた。

「静かに待て。亜湖か伍長が説明してくれる。」


「いいさ。」

真理が笑った。

「何処へ行っても、何をしても、私達の亜湖は変わらない。

Aチームの亜湖は亜湖だ。」

歩美が涙をこぼしながら笑った。キムは深く息をついた。

亜湖に何があったかは判らないが、間違いは無い。

きっと後悔はしないだろう。



夜半、帰ってきたキリーは疲れきっていて俺達はさすがに黙って寝た振りをしていた。

朝になり俺達の顔を見て少し笑う。

「心配かけたな、亜湖は無事だ・・俺が殴ったから今は医療室に入っているが、顔が腫れたぐらいだろう。」

「解りました。」

真理がきっぱりと言い切った。

「私達は大丈夫。伍長はいまは亜湖だけ考えてください。」

Aチームは全く動じなかった。

河野伍長の手腕、人柄、自分達に向けられる信頼と愛情を何の疑いも無く素直に受け入れ、同じものを返したいと願っていたから。

結局ひとは人の中で生きていかなくてはならないのだ。

戦いの中で生きるなら尚の事、仲間を信じるしかない。

担当伍長としてのキリーの冷静でこれ以上なく頼れる存在が有るからこそ、俺達Aチームはひとかけらの動揺も無くいつも通りに過ごす事が出来た。


そして俺達はその夜、亜湖の正式入部を心から祝った。



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