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女王キリエ  作者: カイリ
第11章 エスタドの大鷲
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第11章「エスタドの大鷲」第5話

ついにエスタドがガリアに侵攻した。国境で戦闘が続く中、クロイツのムンディ大主教がガルシアに停戦を呼びかけるが。

 それから先はあまりにも慌しく時間が過ぎ、キリエは自分がどんな対応をし、どんな指示を下したか覚えていなかった。混乱が静まる間もなく、キリエはジュビリーが編成した援軍を伴い、ギョームと共にガリアに向かった。結婚式の最中にエスタドの侵攻を知らされたモーティマーは、すぐさま公務に戻った。アンは、夫が女王から拝領したイングレス郊外の屋敷で留守を預かることになった。

「今度ばかりは、すぐに帰るとは言えません」

 船出の日、申し訳なさそうに呟くモーティマーに、アンは寂しそうな顔つきで囁いた。

「そんな言い方しないで。あなたは……、私の夫なのだから」

 モーティマーははっとした表情で新妻を見つめた。アンが上役の娘だという意識が抜け切らないでいる自分に気づくと、彼は思い切った様子でアンの肩に手をかける。

「……留守を頼む」

 アンは嬉しそうに頷いた。

 エスタドのガリア侵攻の報せが届いた三日後には、キリエとギョームはホワイトピークを出港した。情報が錯綜していたため、急拵えではあるが約五千の兵を引き連れた大船団を率いての帰国だった。

 ギョームはバラたちとずっと船室に篭り、会議を重ねていた。キリエは強張った表情で船縁に体を預け、夏の陽差しを受けてぎらぎらと光を放つ波を見つめていた。

「キリエ様、船室でお休みになられては……」

 ジョンの声に振り返る。だが、溜息をつきながら目を伏せる。

「……義兄上がソーキンズを呼び寄せて、沿岸警備を命じたそうです」

「……そう」

 キリエは憂鬱そうに目を上げると自分が乗る船を囲むようにして併走する軍艦を眺める。

「……ガルシア王は……」

「はい?」

 思い詰めた表情のキリエに、ジョンは身を乗り出した。

「彼の目的はガリアだけではないでしょう……?」

「……キリエ様」

「ガルシア王はギョームを憎んでいるわ。彼の妻である私も……」

 ついに牙を剥いた大鷲。ギョームはガリアを、自分はアングルを守らねばならない。だが、自分たちはあまりにも若すぎる。あの猛々しい大鷲相手に、国を守りきることができるのか。

 ジョンが険しい表情で黙り込んでいると、背後から話し声が聞こえてくる。振り返ると、ギョームが廷臣らと言葉を交わしながらこちらに向かっていた。

「船酔いは大丈夫か、キリエ」

「ええ……」

 ジョンやガリアの廷臣たちは、一礼するとその場を引き下がった。ギョームは船縁に手をかけると軍艦がひしめく海原を見渡した。

「……考えたくはないが」

「え?」

「大主教が、神聖ヴァイス・クロイツ帝国の件を他国に働きかけたのが洩れたんじゃあるまいな」

「まさか……!」

 眉をひそめて声を上げる妻に、ギョームは肩をすくめて見せる。

「まさか、な」

 そして、不安そうに目を伏せるキリエの肩を抱き寄せる。

「……大丈夫だ。いつかこの日が来るとわかっていた。そのためにカンパニュラやポルトゥス、ナッサウとも同盟を結んできた。……安心しろ」

 キリエは夫の手に自らの手を重ねると、押し殺した息をつく。二年前は、レノックスと王位を争う戦争の渦中にあった。その後、リシャールの手に落ちたイングレスを奪還する戦いもあった。今度は、大陸を巻き込む戦争になる。自分は……、修道女ではなかったか? 人々の幸せを願い、平和を祈る聖職者ではなかったのか? それが今、自分は争いの中心に立っている。こんな未来は望んでいなかった。女王になったのも、ギョームの妻になったのも、平和を望んでのことだったはず。

「……ギョーム……」

 目を閉じ、小さく囁くと夫は顔を近づけてきた。

「……後悔してる? 私と、出会ったことを……」

 ギョームは頬をそっと包み込んだ。額と額を合わせ、彼は低く呟いた。

「そなたは、後悔しているのか?」

 キリエは押し黙ったまま顔を振った。ギョームは穏やかに微笑んだ。

「私は、そなたを愛したことを後悔したことなどないぞ」

 迷いのない真っ直ぐな眼差し。目に溶け込む優しい微笑に、キリエは声を詰まらせて夫の胸にすがりついた。

「……ギョーム、私……」

「キリエ」

「……愛してる……」

 妻の口から、初めて「愛している」という言葉を聞いたギョームは、思わず息を呑むと強く抱きしめた。


 キリエとギョームがオイールに到着するまでの間、エスタドとガリアの国境では断続的に戦闘が続いていた。ギョームが張り巡らせた対エスタド包囲網が功を奏し、カンパニュラとの連携作戦で、国境が突破されることはなかった。だが、当然国民の不安は相当なものだった。華やかなはずの王都オイールは一気に陰鬱な空気に支配された。

「斥候からの報告ですが、ユヴェーレンがカンパニュラとの国境付近から軍を引き上げ始めたそうでございます」

 九月上旬。廷臣会議で、バラが顔を強張らせて口を開いた。ギョームは険しい目を向ける。

「引き上げだと?」

「ユヴェーレンはエスタドと同盟を結んでおります。よもや、ガルシア王はユヴェーレンと共に我が国へ侵攻するつもりでは……」

 廷臣たちの間からざわめきが起こる。

「つまり……、ガルシアはガリアに照準を合わせたと……?」

 王の言葉にバラは曖昧に頷いてみせる。

「ユヴェーレンのオーギュスト王は……、キリエ王妃の退位要求を突きつけてきました」

 バラの言葉に廷臣たちは息を呑んでギョームの表情を見守る。彼はしばらく沈黙を守った後、眉間に皺を寄せて呟いた。

「……オーギュストはキリエを目の敵にしている」

 廷臣たちが言いたいことはわかっていた。ガルシアは自分を、オーギュストは妻を忌み嫌っている。エスタドとユヴェーレンの両国は、徒党を組んで襲いかかってくるだろう。ギョームは両手を組み、体を乗り出した。

「エスタドが我が国を攻め滅ばせば、次はアングルだ。そして、カンパニュラ、ポルトゥス、ナッサウ……。奴は大陸を制覇するつもりだ。今挙げた国々にとっても、望むことではないはずだ」

「協力を呼びかけねばなりませんな」

 王の言葉を受けてバラが言葉を継ぐが、廷臣たちは不安げな表情で沈黙を守っている。

「何を恐れている」

 ギョームが声を高め、廷臣たちは思わず伏せていた目を上げる。

「手をこまねいて、自国の滅亡をただ待つつもりか。そなたちには祖国を守る自信も気概もないのか!」

 静まり返った大広間に、若獅子王の叫びが響く。不安と困惑の表情だった廷臣たちの瞳に光が戻ってゆく。

「国民は我らを信じて日々を過ごしている。我々には国と民を守る義務がある! 戦わずして恐れ戦く者など、我が臣下にはいらぬ! ここから立ち去るが良い!」

「陛下……!」

 廷臣たちの表情が力強いものへと変化する。

「ガリアを守りましょう……!」

「エスタドの傍若無人ぶりには、周辺諸国も我慢ならないはずです。今こそ繋がりを強め、共に起つべきです!」

 廷臣たちが次々と声を上げ、ギョームはひそかに安堵の息をついた。国の危機に際し、最も不安に駆られているのは自分だ。だが、それを少しでも見せるわけにはいかない。不吉な鼓動が波打つ胸を静めようと息を吐き出す王を、バラがそっと見つめたその時。

「申し上げます」

 大広間に侍従がやってくると声高に告げる。

「クロイツより、大主教猊下の使者がお越しでございます」

 クロイツ。その場は途端に静まり返った。


 ガリアがクロイツの使者を迎え入れた頃、エスタドのピエドラ宮殿にも同様の使者が訪れていた。使者は、大司教ワイザー。イングレスを支配下に置いたリシャールとベル・フォン・ユヴェーレンに破門を宣告した人物だ。その隣に控えているのは、武装した騎士。ヨハン・ヘルツォークだ。

 大広間に、側近を引き連れたガルシアが姿を現す。胡乱な目付きの大司教に、エスタドの大鷲は笑みを浮かべてみせる。

「これはこれは、ワイザー大司教。わざわざお運びとは一体どうしたことですかな?」

 皮肉たっぷりに呼びかけるガルシアに、ワイザーはじろりと睨み付けるとわずかに肩をすくめてみせる。

「相変わらずでございますな、ガルシア王陛下」

「お互いにな」

 ガルシアは不敵な笑みを浮かべながら吐き捨てた。ワイザーはどこか諦めの表情で溜息をつくと居住まいを正した。

「先月から、エスタド、ガリア両国の国境で戦闘が続いておりますな」

「その通り」

「大主教猊下は大陸の動乱に発展するのではないかと、大変ご心配されております。猊下は両国に対し、即時停戦を呼びかけると仰せでございます」

 淀みなく語られるその言葉に、ガルシアはわずかに腹をゆすって嗤いをこぼす。

「両国に対し、とは聞いて呆れる」

 ガルシアの言葉にワイザーは目を眇めた。

「これまであからさまにギョームに肩入れしておきながら、今更喧嘩両成敗と言い出すのか? 白々しい!」

「陛下」

 ワイザーが遮ろうとするがガルシアは口元を歪めて体を乗り出す。

「あの若造こそ、君主にあるまじき行為をやりたい放題だ。ヴァイス・クロイツ教徒に示しがつかんであろう!」

「それは異なこと……。君主にあるまじき行為とは?」

「実の父親を死に追いやっただけでなく、天に仕える修道女を妻に娶った。挙句の果てには、子をなすために側室を持ったそうではないか! 天がお許しになるとでも?」

 ガルシアの激しい口調に、ワイザーの背後に控えた司教たちはわずかに怯えた表情を見せる。が、隣に控えたヘルツォークは動揺することなくエスタドの大鷲を見据えている。

「リシャール・ド・ガリアはクロイツが破門しております。かの人物こそガリアに害をなし、天に背く存在でございました」

「だから実の息子が殺してもよいと?」

「ギョーム王陛下は断腸の思いで決断を下されたことでしょう」

「話にならんな」

 ガルシアは目を細めるとワイザーを射るように見つめる。

「ギョームだけではない。あの田舎娘……。あれもとんだ面の皮だ。自らの信条のために、腹違いの姉を夫に差し出すのだからな。おぞましい夫婦よ……」

「それまでに至った経緯をご存知ありませんか。ガリアの民は、いつ何時エスタドが攻め込んでくるかわからない、不安な日々を送っておりました。その人々の不安が王に世継ぎを求めさせたのでございますぞ。本来ならばまだ幼い王妃の成長を待ち、王妃の嫡子を望んだであろうに……」

 ワイザーののらりくらりとした物言いにガルシアの顔がかっと紅潮する。

「言い掛かりだ! 予はキリエの尻拭いなどせぬぞ!」

「ガルシア王陛下」

「これ以上話すことはない!」

 ガルシアは玉座から立ち上がった。

「ムンディに伝えよ。そなたの思うままになると思ったら大間違いだ!」

 ワイザーは両目を見開くとエスタドの王を凝視した。

「世界はクロイツではなく、予を中心に回るのだ。見誤るなッ!」


 国境を巡る戦闘は膠着状態が続いていた。キリエは夫が会議に忙殺されている間、王宮を出て奉仕活動を始めた。聖オルリーン大聖堂を始め、多くの教会や修道院を訪れて民の声に耳を傾ける。そのため、少しずつではあるがオイール市民の不安は解消されていった。自らの宮廷費や、所領であるバレクランでの税収を使って行動を起こした幼い王妃に、廷臣らは驚きを隠せなかった。

 王妃の間では女官や侍従が行き交い、慌ただしい空気が流れていた。王妃の大胆な奉仕活動に、ビジュー宮殿侍従次長カンベール子爵は呆れながらも、できるだけキリエの意に沿うよう取り計らおうとしていた。が、あまりにも宮廷費を注ぎ込もうとする姿に眉をひそめる。

「王妃、あまり無理はなされないよう……。これ以上宮廷費を注ぎこめば、王妃ご自身の生活が……」

「私はいいの。アングルからの内帑(ないど)金もあるし」

「しかし……」

収支報告書から目を上げたキリエは、どこか遠くを見つめる目で呟いた。

「……それよりも、ギョームのことが心配だわ……。疲れが溜まっているみたいだから」

「そうでございますな……」

 夫の体を案じる幼い王妃を、カンベール子爵はどこか気の毒げに見守る。そして、外が騒がしくなったかと思うと、侍従が王の訪問を告げる。

「忙しそうだな、キリエ」

「あなたほどではないわ」

 ギョームは、侍従たちが忙しそうに立ち働いている様子に目を向けると顔の表情をゆるめた。

「そなたのおかげで助かるぞ。市民の混乱は収まりつつあるらしい」

「私にできることは、これぐらいだから……」

「ありがとう」

 ギョームはやや疲れた息をつくと呟いた。

「少し、良いか」

「ええ」

 二人は落ち着かない後宮を出ると中庭の薬草園を訪れた。こんな風にゆっくりと二人で時間を過ごすのは久しぶりだった。

「先日のクロイツの使者は……」

 四阿(あずまや)のベンチに寄り添って腰掛けると、キリエが控えめに問いかける。

「大主教が停戦を要求したが、ガルシアは受け入れなかったらしい」

 キリエは不安げな表情で夫を見守った。

「大主教は、エスタドが軍を引き上げなければ〈天に対する反逆〉と見なし、各国へ参戦を呼びかけるつもりだそうだ」

「それは、いつまでに引き上げなければ……?」

 キリエがおろおろした表情で囁き、ギョームは妻を安心させるように肩を優しく撫でる。

「そこは明言しなかった。恐らく、エスタドが本格的にガリアへ侵攻すればの話だろう」

 キリエは顔を強張らせたまま、そっとギョームの胸に寄りかかった。

「……アングルからの支援にはずいぶんと助けられている。だが、しばらくはそなたに不自由な思いをさせることになる」

「ギョーム」

 思わず眉をひそめて夫を見上げる。

「私は教会育ちよ。質素な生活には慣れているわ」

 妻の言葉にギョームは苦笑を漏らした。

「教会ほど質素にはさせないぞ。それに、来月はそなたの誕生日だ」

 夫の言葉にキリエは寂しげな表情になる。

「こんな時だもの……、お祝いなんかいいわ」

「そうはいかん。そなたがこの世に生まれた大事な日だ。戴冠記念日でもあるし……」

 キリエにとっても誕生日は特別な日だ。だが、今はとてもそんな気分にはなれない。ギョームが誕生日を忘れずにいてくれただけでも嬉しかった。

「去年ほど盛大な祝宴はできないが、祝いの場は設けさせてくれ」

「……ありがとう。でも、ギョーム、お願い。無理しないで」

 妻の訴えに、ギョームは思わず肩を抱く手に力をこめる。

「毎晩帰りが遅くて、体が心配だわ」

「……そなたとこうしてゆっくりできるのも久しぶりだな」

 そこで二人は同時に口をつぐみ、見つめ合った。思えば、誰にも邪魔されることなく、二人きりの時を過ごすのはいつぶりだろう。やがてギョームが両手で頬を優しく包み込んだかと思うと唇を重ねてくる。キリエは思わず体を固くするとぎゅっと目を閉じた。明るい屋外での口付けは未だに慣れない。そんな妻に構わず、何度も唇を重ねるギョームはキリエの首筋に唇を這わせた。

「きゃっ! ギョーム……!」

「嫌か?」

 口付けを落としながらギョームが短く囁きかける。キリエは顔を真っ赤にしながら体を震わせた。

「だって……! 誰かに、見られたらっ……!」

「大丈夫だ。誰も来ない。誰も……」

 まじないのように囁く言葉。思えばこの数ヶ月、ギョームは自分の体に触れようとしなかった。どこか腫れ物を触るかのような扱いだったが、これまでの思いが一気に解き放たれたのか。身を捩るキリエの胸に手を添えると、ベンチに押し倒す。

「ま、待って、ギョーム……!」

「キリエ……」

 どこか懇願するような夫の囁きに、キリエは胸が締め付けられた。彼を拒みたくない。キリエは震えながら両手で彼の頭を掻き抱いた。ギョームの口から荒々しい息遣いが漏れ、胸が慄いた、その時。

「陛下ッ!」

「きゃあッ!」

 突然の呼びかけにキリエは悲鳴を上げてギョームに抱きついた。ギョームも慌てて体を起こすと、そこには石のように固まったバラが立ち尽くしている。潔癖症の王の思わぬ姿にバラはしばらく言葉が出てこなかったが、やがてはっとして我に返ったようにその場に跪く。

「も、申し訳ございません!」

「ど、どうした、何があった」

「はっ! え、エスタドが……!」

 エスタドと聞いてギョームにしがみついていたキリエが振り返る。

「エスタドの軍が、越境いたしました!」


 エスタド軍越境。その報は瞬く間にガリア国内を駆け巡った。華やかなビジュー宮殿は兵士や軍馬で溢れ、物々しい空気に包まれた。越境の報せが伝えられた二日後には、ギョームは出陣の日を迎えた。

「本当に、あなたが行かなきゃならないの……?」

 甲冑用の胴衣姿の夫に、キリエがおろおろした表情で問いただす。

「キリエ」

 ギョームは苦笑すると妻の肩を撫でる。

「国境付近ならともかく、越境されて黙っているわけにはいかん。君主の務めだ」

「でも……」

 不安でいっぱいのキリエに、ギョームは哀しげに呟いた。

「……父上と戦った時もそうだ。私も父上も、前線で戦った」

 キリエは言葉に詰まった。やがて、両腕を伸ばすとギョームを抱きしめた。彼はかすかに震える妻を強く抱きしめ、耳元で囁く。

「……大丈夫だ。ちゃんと帰ってくる。その間、王都を頼む」

「……はい」

「すまない。誕生日は一緒に迎えられそうにない。でも、必ずお祝いはしよう」

 律儀な言葉にキリエは思わず泣き笑いの表情を浮かべた。二人は静かに体を離すと、そっと口付けを交わした。

「……行ってくる」

 キリエは黙って頷いた。二人の脳裏にオイールの惨劇が過ぎる。あの時も、こうして二人は別れた。

 アプローチに向かうと、甲冑を身にまとったバラが王を待っていた。その隣にはジョンが控えている。

「グローリア伯。キリエと……、オイールを頼んだぞ」

「お任せ下さいませ、陛下」

 ジョンも緊張した表情で言葉を返す。キリエはそっと身を乗り出した。

「アンジェ侯……、ギョームをお願い」

「ご安心を、王妃」

 アプローチの先には、兵士や軍馬がひしめいている。キリエは、馬に向かおうとする夫の手を引っ張るとすがりついた。しばらく二人は抱き合い、ギョームはそっと妻の額に唇を押し当てた。

「頼んだぞ」

「……はい」

 名残惜しげな表情でギョームは頷くと軍馬に跨った。

「ギョーム王陛下、ご出陣!」

 バラが号令をかけると、兵士らは一斉に声を上げた。軍勢が城門から出撃していく様子を、キリエは青ざめながらも精一杯に胸を張り、見送った。

「……サー・ロバート」

 後ろで控えていたモーティマーが身を乗り出す。

「エスタド周辺の情報を集めて。ユヴェーレンの動きも気になるわ」

「御意」

 モーティマーは一礼すると踵を返した。その後姿を見送ると、ジョンはそっとキリエの側に寄り添った。

「キリエ様」

「……長くなるわ」

 ジョンは口をつぐんだ。キリエは苦しげに目を閉じた。

「この戦いは……、長くなるわ」


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