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女王キリエ  作者: カイリ
第10章 運命の車輪
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第10章「運命の車輪」第3話

周囲の視線に耐える日々を過ごすキリエ。一方、ギョームは廷臣からある決断を迫られ……。ギョームの不満と猜疑心は頂点に達しようとしていた。

 その日の晩、キリエは緊張と恐れが入り混じった思いで夫の帰りを待っていた。大陸の緊張状態が続く中、ギョームの執務も目に見えて忙しさを増してゆく。それと同時に、いつまで経っても懐妊の兆候を見せない王妃に廷臣も国民も不信感を募らせているのだ。キリエの前ではその苛立ちは努めて見せないものの、その胸中を思うと心苦しかった。昼間、ルイーズに言い含められた言葉が繰り返し胸を刺す。

「陛下の思いに、お応え下さい」

 王妃として、女王として、義務を果たさねばならない。だが、その前にギョームをひとりの男として愛し、受け入れねばならない。

(私が彼を愛する資格なんてあるの……? 罪深い、この私が……)

 そんな思いが頭から離れない。と、その時。前触れもなく扉が開け放たれる。思わず飛び上がって振り返ると、ガウンを羽織った夫の姿が瞳に映る。薄暗い寝室。小さなランプの明かりに照らされたギョームの表情には、心なしか疲れが見える。

「……お帰りなさい」

「ああ」

 ガウンを脱ぎ、ソファに投げるその仕草に胸騒ぎを感じる。寝台に上がり、夜具に手をかける彼に思わず声をかけた。

「ギョーム……」

 手を止めたギョームは黙ったまま振り返る。心配そうに眉をひそめたキリエは小さな声で囁いた。

「……大丈夫?」

 その一言に、様々な思いが込み上げる。キリエは妃だ。自分のものだ! 何も答えないまま両手を差し出すと頬を包み込み、夢中で唇を重ねる。貪るような激しい口付けにキリエは思わず眉を寄せて体を硬直させた。と同時に、夫の手が寝衣のリボンをほどいた。

「……あっ!」

 わずかに離れた口から漏れる声にも構わず、ギョームは寝衣に手を差し込むとそのまま寝台に押し倒す。

「ギョーム……!」

 切羽詰った囁きなど耳に入らないのか、リボンが次々と解かれてゆく。思わず振り払おうとした手を掴まれ、夜具に荒々しく押し付けられる。

「……キリエ!」

 耳元で熱っぽく囁かれ、胸が張り裂けんばかりに波打つ。待って、と声を上げようとした時。彼の温かい手が寝衣の裾を割り、太ももを撫で上げた。

「ひっ!」

 息が止まる。次の瞬間、その手はキリエの小さな尻を揉み、ついに彼女は悲鳴を上げた。

「いや!」

 ギョームの手の動きが止まる。

「いや……! いや、駄目!」

 切れ切れに叫ぶ妻に、ギョームは息を呑んで体を起こした。泣き声を上げながらも、キリエの目は夫の顔を捉えた。

 困惑と怒りが入り混じった瞳。呆然と開かれた唇。求めていた温もりを失った手。キリエは激しい後悔に襲われた。ほの暗い闇の中、互いに息を弾ませたまま見つめ合う。

「……そうか」

 やがて、力なく肩を落としたギョームがぽつりと呟く。

「……いやか」

 寝室にギョームの溜息が漏れる。彼は手を伸ばすと、まだ体を震わせている妻の寝衣を調え、リボンをひとつひとつ結び直していった。そして、背を向けて夜具をめくろうとしたその手を、掴んで引き寄せられる。

「…………」

 振り返ると、キリエが無言のまましがみついてきた。体を震わせ、搾り出すような嗚咽が漏れ聞こえる。まるで雨に打たれた子猫のようだ。ギョームはふとそう思った。

「……キリエ」

 そっと呼びかけると、ぽろぽろと涙が溢れる泣き顔が上げられる。ギョームは痛ましげに目を細めると、頬にこぼれる涙を拭ってやった。が、その胸中はきりきりと締め付けられるほど痛みを訴えていた。彼女が欲しい。自分のものなのに、自分ものでない。このもどかしい思いに胸が引き裂かれそうだ。自分はこんなにもキリエを愛しているのに。

 そこでギョームは妻の頬を撫でる手を止めた。自分はキリエを愛しているのに。だが……、キリエはそうではないのか?

(……どうなのだ、キリエ……)

 ギョームは胸の内で問いかけながら、覆い尽すようにキリエを抱き締めた。


 翌日、キリエは沈んだ表情で朝を迎えた。朝餐を済ませると、人目を避けるように後宮の私室へと引き取る。大勢の貴族や廷臣の視線に晒されるのは苦痛でしかない。ルイーズに言い含められ、覚悟を決めていたにも関わらず、それでもギョームを受け入れることができなかった。どうしても恐怖心が勝ってしまう。昨夜の出来事を思い返すと思わず顔を赤らめ、両腕を抱く。いつもは優しく穏やかなはずのギョームが、あの時ばかりは野獣のような激しさを見せる。それがキリエを戸惑わせ、恐れさせる。だが、このままでいいわけがない。

「キリエ様」

 背後からマリーの控えめな声に呼びかけられる。

「ローラン侯がお越しです」

 キリエははっと顔を上げた。ロベルタの息子、アンリだ。慌ててソファから腰を上げると、開かれた扉から緊張で顔を強張らせたアンリが姿を現す。

「……王妃」

「いらっしゃい、アンリ様。突然で驚いたわ」

「ご、ご迷惑でしたか」

 真面目そうに口ごもる幼い侯爵に、キリエは慌てて腰を屈めると視線を合わせる。

「そんなことないわ。おいでいただいて嬉しいです」

 それでも固い表情のアンリに、キリエは彼と初めて会った日のことを思い出した。結婚式の前夜、シャルルの居城ロシェ宮殿に逗留した際、緊張しながらも可愛らしい花束をくれたのだ。だが、今の彼はあの時とは違った表情だ。

「あの……、王妃が、お元気でないとお聞きして……」

 小さな囁きにキリエは言葉を失った。アンリはもじもじしながら後ろ手で隠していたものをおずおずと差し出した。

「……夏に庭で取れた黒スグリです。お茶にして飲むと、体に良いそうです」

 アンリの小さな手には黒っぽい液体が満たされたガラス瓶が握られている。アルコールに漬け込んだ黒スグリだ。キリエは胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。なんて優しい子なのだろう。

「ありがとう、アンリ様……! 一緒にいただきましょう」

「はい……! 僕が淹れます!」

 アンリはぱっと顔を明るくした。早速女官たちが茶器を運んでくる。マリーはいそいそと支度をするアンリの様子に微笑むと、女官らと共に静かに退出していった。アンリは少し危なっかしい手付きで銀の匙で黒スグリを掬い、茶器へ取る。大きなポットから湯を注ぐ様をキリエがはらはらしながら見守るが、無事に黒スグリ茶は出来上がった。

「良い香り」

 甘酸っぱい香りを胸いっぱいに吸い込むと、キリエは嬉しそうに囁いた。ふうふうと息を吹きかけてからカップに口をつける。じっと見つめてくるアンリににっこりと笑いかける。

「美味しい。体が温まるわ。ありがとう、アンリ様」

 その言葉に安心したように微笑むと、アンリもカップに口をつける。

「……良かった。王妃が元気でいらっしゃらないと、陛下がとても心配なさるから……」

 ギョームの名にキリエの表情が翳る。そんな王妃には気づかず、アンリは言葉を続けた。

「両親も、すごく心配しています、王妃のことを。僕には難しいことはわかりませんが、宮廷でみんなが王妃の噂話をしていることぐらいは知っています」

「……アンリ様」

「でも、心配しないで、王妃」

 アンリはカップをテーブルに置くと身を乗り出した。

「王妃を大事に思っている人は大勢います。ガリアは良い王妃を迎えられたと、民は喜んでいます」

 必死に語るその一途な眼差しは、父親のシャルルよりもいとこであるギョームと瓜二つだ。キリエはまるでギョームに言い含められているかのような錯覚を覚えた。呆然としているキリエに気づいたアンリが慌てて居住まいを正す。

「も、申し訳ございません、差し出がましいことを……」

 顔を赤くして呟くアンリに、思わずキリエの瞳が揺れる。

「……でも、本当に、王妃は、ガリアにとって大事なお方です。……それを、知っていただきたくて……」

 そこでアンリは言葉を飲み込んだ。肩を震わせたキリエが幼くも優しい少年を抱きすくめたのだ。

「……王妃」

「……アンリ様……、ありがとう」

 か細い声で囁くキリエ。だが、このアンリの存在が事態を複雑にしていることを彼女はまだ知らなかったのだ。


 アンリが訪れてからしばらく経った頃。二月になり、いまだ春の温もりとは程遠い中、ギョームは不安を口にし始めた廷臣たちを静めるために、会議を開いた。

「オイールの市民は毎日戦争への不安を口にしております」

 侍従長ペール伯が険しい表情で口火を切った。

「エスタドとユヴェーレンが結託してアングルへ攻め込めば、このガリアも放ってはおかないでしょう」

「そもそも、ガルシア王はアングルではなく、我が国を大陸制覇における脅威と見なしております。この度のキリエ王妃に対する圧力は、陛下に対する揺さぶりでございましょう」

 廷臣たちの弱気な発言にギョームは苛立ちを隠そうとしなかった。そんな王に気づいたバラが、顔をしかめる。

「予は、そのためにこれまで大陸各国と同盟策を講じてきた。エスタドとはいつか決着を着けねばならん日がやってくる」

「その……、いつかのために……」

 貴族院議長エイメ侯が顔を歪めて身を乗り出した。

「国民は、一刻も早くお世継ぎのご誕生を願っております」

「何故待てない?」

 若い王が声高に言い放ち、廷臣らは言葉を飲み込んだ。

「キリエはまだ十六歳だ。結婚してまだ一年にも満たない!」

「陛下、十六歳ともなれば、ご懐妊に問題はございません」

「母上は予を生む時に死にかけた。世継ぎのためにキリエを失うわけにはいかん!」

「陛下……!」

 バラが隣で声をかけるが、興奮した王は聞く耳を持たなかった。それでもギョームは必死で怒りを抑えながら言い放った。

「予に子が生まれなくとも、叔父上がいらっしゃる。ガリア王家の血筋は途絶えぬ」

 テーブルの斜め前に座したシャルルが思わずギョームを振り仰ぐ。その顔には戸惑いと同情の色が同居していた。だが、ペール伯が身を乗り出す。

「陛下……。誠に申し上げにくいことでございますが、それはなりません」

「何故だ」

 ペール伯はシャルルをちらりと見やってから口を開いた。

「レイムス公が陛下の後継者になられること自体には問題はございません。ですが……、その先をお考えになられましたか?」

 ギョームは眉を吊り上げて見返した。

「レイムス公には、八歳になるご嫡男アンリ様がいらっしゃいます。もしもレイムス公が次期国王となれば、当然アンリ様がその後継者となります。エスタドの属国、レオン公家の血筋を引くアンリ様がガリア王になられることは……、避けねばなりません」

 ギョームはかっとなってテーブルを叩いた。

「叔父上に無礼だぞッ!」

「陛下……!」

 シャルルが鋭い声を上げる。皆が押し黙る中、エイメ侯が居住まいを正すと口を開いた。

「陛下。ガリアのためでございます。無礼を承知で申し上げます」

 エイメ侯の強い口調にギョームはきっと振り返った。

「オイール市民が陛下のことをどう噂しているか、ご存知でございますか。王は修道女を娶り、王自身も僧侶に成り果てたと……!」

 思わず椅子を蹴って立ち上がったギョームをバラが押し留める。

「陛下! どうか冷静に……!」

「離せ……、バラ!」

 広間が喧騒に包まれる中、エイメ侯はさっと立ち上がった。

「陛下、私をお斬りになりたいならお斬り下さい。それで、ガリアの未来が作れるのであれば!」

「エイメ侯……!」

 廷臣たちが慌ててエイメ侯を下がらせようとする。が、侍従長ペール伯も口を開く。

「陛下、国民がキリエ王妃の妊娠能力を疑っていることは事実でございます。陛下がまだお若い王妃をお気遣いなさっていることは承知いたしております。ですが……!」

「このままエスタドやユヴェーレンと戦争状態になれば、国民は未来を悲観します。陛下に後継者がいらっしゃらないことが、国民にとっては大きな不安なのです。他国からの侵入に怯える日々に加え、アングルのように……、王位継承戦争が起こることを、国民は恐れているのです!」

「では、どうすればいい!」

 常に冷静沈着なはずの若獅子王は我を忘れて叫んだ。エイメ侯がごくりと唾を飲み、恐る恐る口を開く。

「……側室を、お迎え下さいませ」

 ギョームは、全く予想もしていなかった言葉に呆然となった。廷臣たちは皆息を呑んで若い王を凝視している。目を見開き、譫言のように呟く。

「……側室だと」

 エイメ侯は王の前に跪くと必死にまくし立てた。

「側室をお迎えになり、お子が誕生すれば国民は安堵いたします! その後、キリエ王妃のご成長の過程でご嫡男がお生まれになれば問題は……」

「黙れッ!」

 ギョームの一喝に廷臣らは黙り込んだ。彼は怒りに唇を震わせながら呻いた。

「い……、言うに事欠いて、側室だと……! 予は……、父上のような男にはならぬッ!」

「陛下! 側室と愛人は違います!」

「何が違う!」

「陛下! 側室をお迎えにならないのであれば、最悪の場合、王妃を離縁することに……!」

 離縁という言葉にギョームはびくりと体を震わせた。

「カンパニュラにも、ポルトゥスにも、未婚の王女がおります。王妃とは、ご結婚されてからまだ一年も経っておりませぬ。離縁するなら、早いうちに……!」

「それ以上言うなッ!」

 ギョームは罵声を浴びせかけるとそのまま踵を返した。

「陛下……! 陛下、どうかよくお考えに……!」

 王は廷臣らの懇願を無視すると、広間を飛び出した。残された廷臣らは呆然と立ち尽くし、そして宰相を振り返る。バラは口元を歪め、力なく顔を振った。

 私室に戻ったギョームは荒い息遣いで部屋をあてどなく歩き回り、何とか冷静さを取り戻そうとした。だが、どう考えても側室など考えられないことだった。キリエ以外の女を抱くなど、汚らわしい……!

「……陛下」

 部屋の外からそっと声をかけられる。

「入るな……。誰も部屋に入れるな!」

「……マダム・ルイーズが……」

 ギョームは顔を歪めると大きく溜息を吐き出した。だが、彼はしばらく考え込むとソファに倒れこむようにして腰を下ろした。

「……入れ」

 扉が開き、緊張した面持ちのルイーズが入ってくる。

「陛下……。お聞きいたしました。廷臣たちがお世継ぎについて陛下に決断を迫ったと……」

 ギョームは顔を背けたまま、黙って呼吸を整えた。ルイーズは気の毒そうな表情で囁く。

「……王妃のお耳にも届きました」

 ギョームがはっとして振り返る。

「ご自分のせいで陛下が窮地に立たされていると仰せられて……、少々取り乱しておられます」

 キリエのことだ。自分を責め、怯えていることだろう。ルイーズはそっと歩み寄り、声をひそめる。

「……廷臣からは、何と?」

「……側室を持て、と」

 さすがのルイーズも言葉を飲み込む。

「側室が嫌なら離縁しろときた……!」

 ギョームは顔を歪めると額を手で押さえる。ルイーズは幼い頃から自分が育ててきた若い王をじっと見つめた。つい先日、王妃に言い含めたことを思い返す。ギョームは真面目で、融通が利かない頑固者。母を慕い、父を憎んだ。女にだらしない父を嫌悪し、潔癖症に育った。おかげで品行方正で立派な君主となった。だが、それと引き換えに、愛した女性に対して異常な執着心を持つようになってしまった。ルイーズは痛ましげに顔を振った。

「……陛下。王妃と添い遂げたいのであれば、どうか、王妃にお子を……」

「努力した! だが、すぐには無理だ!」

 廷臣たちと違い、育ての親も同然のルイーズに対してはギョームも本音をぶつけてきた。

「王妃は、まだ陛下にお体を許してはおられないのですか」

 怒りと不甲斐なさでギョームは言葉が出なかった。そんな王を見透かしたようにルイーズが畳み掛ける。

「陛下がお隠しになられても、すでに宮廷では知られております。信心深い陛下は修道女に手を出せないでいると、皆囁いております」

 ギョームは拳を握り締め、歯を食いしばった。

「このままでは、キリエ王妃に妊娠能力がないのではなく、陛下に子種がないと言い出す者が現れましょう。それだけは、避けねばなりませぬ……!」

 ギョームを王としてではなく、まるで我が子のように慈しむルイーズは必死に言い聞かせた。そして体を屈め、ギョームの耳元で囁く。

「……王妃もお心を痛めておいででした。……どうしても、恐怖心が先に立ってしまうと」

「……どうしようもない。彼女も努力している。だが、キリエは修道女だ。……男に触れたこともなかろう……」

 だが、そこまで言ってギョームは口をつぐんだ。本当に……、本当に、それだけが自分を拒む理由なのか? バラの言葉が呪いのように蘇ってきた。

(王妃が……、人目を憚りながらクレド侯の手を……)

 ギョームは頭の中が冴え渡ってゆくのを感じた。

 初めてキリエと出会い、クレド城で同盟会議を開いた時のことが思い出される。異母兄レノックスと再会し、怯えた表情をしたキリエは思わずジュビリーの胴着を握り締めた。

 求婚に訪れた際、暗殺未遂が起こり、命からがらプレセア宮殿に帰ると、キリエはジュビリーに駆け寄って抱きついた。

 そして……、新年祝賀会の晩餐会。ジュビリーが一度口をつけた杯を取り上げるとワインを飲み干してみせた。バラが余計な嫌味を言ったためにキリエが機嫌を損ねたことは明らかだった。

 キリエのクレド侯に対する信頼は異常だ……! 彼もそうだ。何故再婚しない? 妻が死んで十年も経つのに、まだ忘れられないというのか? 跡継ぎもいないのに……! ギョームは妄想を振り払うように頭を振って体を起こした。

「……ルイーズ。そなたの忠告は覚えておく。だが、これは私とキリエの問題だ」

「いいえ、ガリアの問題でございます」

 ルイーズのきっぱりとした口調に、ギョームは疲れ果てた表情で頷いた。

「……そうだな」


 ギョームの後継者問題で揺れた一日。不快感を露わにしながらも、ギョームは王として執務に手を抜かず、忙しい時を過ごした。やらねばらなぬことは他にもたくさんある。だが、今日の一件で最早この問題を先送りにすることも、有耶無耶にすることもできなくなったことも確かだった。

 その日の夜、キリエは不安に押し潰されそうになりながら夫の帰りを待っていた。晩餐でも、ギョームの機嫌は治っていなかった。ろくに料理に手をつけない代わりに、ワインばかり口にする夫にキリエは怯え切っていた。会議で何が話されたか、ルイーズから聞かされたキリエは、今夜こそ何かが起こるのではないかと身がすくむ思いで寝台に腰掛けていた。

「キリエ」

 扉を開けた夫に呼びかけられ、キリエはびくりと体を震わせて振り返った。その様子を見たギョームは顔をしかめた。妻が自分に怯えている。

「……お疲れ様」

 大きな寝台に心細げに座り込んだキリエを見つめると、ギョームは黙って妻の手を引き寄せた。

「ま、待って、ギョーム」

 口ごもりながら囁く妻にギョームは眉をひそめた。

「……ごめんなさい。私のせいで……、大変なことに……」

 ギョームは目を細めた。握りしめた手が震えている。キリエは再び口を開き、聞き取れないほど小さな声で囁く。

「……離縁を、勧められたのでしょう……?私……、あなたの迷惑になるなら……」

 その時、ギョームは彼女を抱きしめるとそのまま夜具に押し倒した。

「……ッ!」

 キリエは自分の口を手で押さえつけると必死で声を押し殺した。胸が張り裂けそうなほど波打つが、ギョームは抱きしめたままだ。荒い息遣いが耳に入るが、体を撫でてくることもない。キリエは体を硬直させたまま、息をひそめた。やがて、ギョームはそっと体を離すと、青ざめた妻の顔に手を添えた。

「……やめよう」

 その言葉に、瞑っていた目を開く。目の前には、異様な光を湛えるギョームの瞳があった。

「今夜そなたを抱いたところで、子ができるとは思えん」

 咄嗟に口を開こうとした妻の唇を指で押さえると、ギョームは耳元に口を寄せた。

「だが……、忘れるな」

 耳朶に熱い息がかかる。

「そなたは私のものだ。……誰にも渡さぬ。誰が何と言おうと、私から離れることは許さない」

 キリエは目を見開き、夫を凝視した。まっすぐ見つめてくる瞳は、自分しか見ていない。彼女は震えながら頷いた。ギョームは表情を変えないまま、唇を首筋に押し付けた。


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