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女王キリエ  作者: カイリ
第6章 初恋
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第6章「初恋」第7話

キリエとギョームを襲った賊の中に、エセルバートが。外交問題にまで発展しかねない状況に、キリエは女王として、決断を迫られる。

 そのまま気を失い、高熱を出したキリエは一晩中うなされ、夢と現の境界線上を彷徨った。その間、エヴァンジェリン・リードはレスターによる尋問を受けていた。

 薄暗く、冷たい石造りの部屋。ゆらめく蝋燭の灯火が二人の頬を照らし出している。室内にはエヴァの嗚咽が響く。

「ほ、本当に、何も知らないんです……! あの方のこと……!」

「ミス・リード」

 両手で顔を覆い、震えながらエヴァは必死に訴えた。少女の姿をレスターが目を眇めて見つめる。

「ジョージ・エセルバートと初めて会ったのはいつだね」

 項垂れたまま、エヴァは震える唇を開く。

「……馬上槍試合の、会場で……」

「どのようにして出会ったのだ」

「トビーが……、か、彼の小姓が、怪我をしていて……、医者を探していると……」

 レスターは腕組みをすると吐息をついた。エセルバートの小姓、トビー・ビルも捕らえられたが、まだ幼い少年は何を聞いても答えることができず、主人の計画は何も知らされていないようだった。

「これまで何度会った?」

「……四、五回ほどです」

「自分の素性などは何と言っていた」

「……グラムシャーの出身で……、ローランド戦役でお父上を亡くされたと。だ、だから、女王陛下のために戦いたいと、仰っていたのです……!」

「……なるほどな」

 レスターは目を眇めると、唸るように溜息をついた。そして、低い声で言葉を続ける。

「確かに奴はグラムシャー出身で、父親がローランドで戦死している。だが、奴が仕えていたのはグラムシャー伯ではなく、……ルール公だ」

「……え?」

 エヴァが呆然として顔を上げる。泣きはらした目は真っ赤に充血し、顔は涙で汚れている。レスターは厳しい表情を変えないまま言い放つ。

「奴の復讐の相手はルール公ではなく、女王陛下だったのだよ」

「……そんな、……そんな……!」

 エヴァは顔を歪めると手をわななかせて頭を抱える。

「最後に会ったのはいつだ」

 問いには答えず、レスターの尋問を拒むように耳を覆う。が、彼は声を高めて畳み掛けた。

「ミス・リード。答えなさい」

 もはや筋道を立てた考えができなくなっていたエヴァは大きく呼吸を繰り返し、必死で記憶を辿る。

「……一昨日……、いや、昨日です……」

「何の話をした」

「……陛下が……、修道院に行かれるご予定が、変わったと……」

 そこでエヴァははっとした顔つきになる。

「……表の街道は通らないって……」

 その言葉にレスターは歪めた顔を振る。

「ミス・リード、それは機密事項だ……!」

 エヴァは口を両手で押さえた。

「聖マーガレット修道院を訪問することは公表されていない。もちろん、日時が変更されたこともだ。街道とは別の経路を使うことも、すべては警備上の機密だ。侍女としての守秘義務は、毎日女官長から言い含められていたであろう」

「でも……、でも……、エセルバート様も警備を命じられたと……!」

「まだわからぬのか」

 レスターは苛立ちながらも、同時に哀れみの表情で諭した。

「奴はそなたを利用したのだ。女王を暗殺するために、そなたからの情報をルール公に流していたのだ」

 最後まで認めたくなかった言葉を浴びせられ、エヴァは悔しげに目を閉じた。やがて机に突っ伏して泣き崩れる。嘘だったのか。あの日自分に近付いたのは、すべて計算されたことだったのか。耳元で囁いたあの言葉のひとつひとつも、偽りだったのか。あの、唇の触れ合いも。レスターは哀れな少女をじっと見つめた。しばらく泣き続けていたエヴァは、やがて恐る恐る顔を上げる。

「レスター子爵……! お願いです……、陛下に会わせて下さい!」

「それはならん」

 レスターは眉間に皺を寄せて顔を横に振る。

「陛下は今、大変難しい立場にいらっしゃる。政略結婚を受け入れるか否か。その重要な決断を迫られている今、暗殺未遂事件が起こったのだ。今そなたを会わすわけにはいかん」

「お詫びしたいのです……! 陛下にお詫びを……!」

「それは伝えよう」

 レスターは気の毒そうに目を細めると、少女の肩をそっと撫でる。

「そなたはまだ若い。良いか、早まるでないぞ」

 エヴァは目を大きく見開くと、震えながら頷いた。やがてレスターは静かに立ち上がると部屋を出ていった。重い扉が閉まる音が響き、耐えがたい静寂に包まれる。

「……陛下……!」

 エヴァは顔を歪めると机に顔を伏せ、忍び泣いた。自分はどうなるのだろう。処刑されるのだろうか。婚約者のグラスヒル子爵は? 女王はどうなるのだ。自分の軽率な行動で、すべての運命が狂い出す。エヴァは震えながら自らの肩を抱きしめた。


 ギョームが訪れてから三日目の朝。ジュビリーが女王の寝室を訪れると、寝台の側にマリーエレンとレスターが寄り添っていた。

「……キリエ」

 寝台には、ここ数日の心労で頬が痩せ、目の下に痛々しい隈が広がるキリエが青い顔で横たわっていた。彼女は目だけ動かすとジュビリーを見上げる。

「……エヴァは……」

 かすれた声で尋ねられ、ジュビリーは小さく頷いた。

「食事が喉を通らんようだ」

「その、ミス・リードですが……」

 レスターが、キリエを興奮させないよう慎重に切り出す。

「彼女に二心はありませんでした。キリエ様がご存知のままの、心優しい侍女でございます。ただ……、侍女の本分を忘れ、守るべき規則を破ったことは、許されることではありません」

 そして、声を低めて付け加える。

「陛下にお詫びしたいと申しておりました」

 キリエは顔を歪めると細い手を上げ、顔を覆う。

「しかし、キリエ様やギョーム王に大きなお怪我がなかったのが不幸中の幸いでした。クレマンソー伯も、快方に向かっているそうでございますし……」

 結局、ギョームは片足を捻挫しただけで済んだ。自らの命も危険に晒されたにも関わらず、彼はアングル側の不手際を責めることもなく、事態を静観している。

 キリエは天蓋を見つめた。ギョームの好意に甘え続けるわけにはいかない。自分は女王なのだ。この国を統べる者として、落とし前をつけなければ。

「……ギョーム様に……、お詫びしないと」

 キリエが重い体を起こし、マリーが慌てて肩に手をやる。

「まだお休みになられないと……!」

 キリエは体を起こし、大きく息を吐き出した。

「……エヴァはどうなるの」

 レスターがジュビリーを見上げる。宰相は険しい表情で口を開いた。

「……ミス・リードは女王の忠実な侍女だ。聖女王騎士団の騎士を騙る反逆者が、その侍女を誑かした。……ミス・リードも被害者だ」

 キリエは、ジュビリーが考え出したエヴァの救済策に思わず涙ぐんだ。

「だが、無罪放免というわけにはいかん」

「……わかっています」

 マリーもやりきれない思いで目を伏せ、悔しげに囁く。

「……私の監督不行き届きです。可愛そうなことをしました」

 キリエは目頭を押さえると、震える声で呟いた。

「……エヴァを、一週間謹慎させます」

「一週間?」

「一週間あれば……、グラスヒルまで行って戻ってこられるでしょう?」

 ジュビリーはレスターと顔を見合わせた。

「……子爵に判断を委ねるつもりか。もし……、彼が拒絶すれば……」

「そうなれば……、それがエヴァにとっての罰です」

 キリエの毅然とした言葉にジュビリーは黙り込んだ。彼女は、女王としての義務を果たそうとしている。キリエはやつれた顔を上げた。

「エヴァに近づいたという、騎士は……?」

「北塔で尋問中です」

「会っておくわ」

「キリエ様」

 慌ててレスターが遮る。

「キリエ様がお会いになる必要はありません」

「エヴァを騙したのよ。許さないわ」

 キリエの鋭い言葉にレスターが息を呑む。ジュビリーは腰を屈めてキリエに囁いた。

「尋問ではない。拷問だ」

 キリエの目が大きく見開かれる。ジュビリーはじっと彼女の目を見つめた。

「……それでも、会えるか?」

 しばらく黙っていたキリエは、ごくりと唾を飲み込むと頷いた。

「……会います」

 ジュビリーは頷くと体を起こした。レスターが困惑した表情で宰相を見上げる。


 身仕舞いを済ませたキリエは、ジュビリーたちに伴われて北塔へ向かった。この塔は宮殿でも離れた場所にあり、囚人や謀反人の一時拘束施設として使われていた。当然今回の暗殺未遂事件で拘束された賊も全てここに収監されており、エヴァもこの塔の一室に軟禁されている。リシャールがイングレスを侵攻した時、ホワイトピーク公ウィリアムが収監されたのもここだ。

 陰気な顔つきをした衛士が守る北塔は陰鬱な空気に包まれ、華やかなプレセア宮殿と同じ敷地内とは思えなかった。湿った空気が充満する暗い階段をゆっくり降りてゆくと、牢獄からかすかに呻き声が響いてくる。キリエの手がジュビリーの手を捜して彷徨い、彼は黙って握り締めた。

 黒く汚れた扉が並ぶ廊下を行き、やがて一行は独房の一つに足を止めた。レスターが閂を外し、扉を押し開ける。暗がりの中で誰かが床に座り込んでいる。ランプを掲げながらレスターが中へ踏み込むとオレンジ色の灯火が全身血塗れの若者を照らし出し、キリエは思わず後ずさった。

「顔を上げろ。ジョージ・エセルバート」

 エセルバートは体をびくりと震わせた。そして、ゆっくりと顔を上げる。ぼろぼろに引き裂かれ、血と泥で汚れた肌着。体には鞭で打たれた傷が幾筋も走っている。美しい顔は苦痛と恐怖で歪んでいたが、キリエの姿を認めると、悔しげに目を細める。

「……これはこれは……、女王陛下……」

 エセルバートは痛みで体を強張らせながらも薄ら笑いを浮かべてみせた。その凄絶な笑みにキリエは息を呑む。

「こんなところに……、お越しとは……」

 キリエはエセルバートの壮絶な姿に恐れをなしながらも、厳しい目で見下ろした。

「……あなたがジョージ・エセルバートね。何故、エヴァに近付いたのです」

 エセルバートは体を震わせながら背を丸め、俯いた。キリエは顔を歪めて声を高めた。

「答えなさい……! 最初から、彼女を利用するつもりだったの?」

 大きく息を吐き出してから、エセルバートは顔を上げた。

「……出会ったのは偶然です。……後で、あの娘があなたの侍女だと知りました」

「……エヴァから得た情報を、ルール公に伝えていたのね。……私に、復讐するために」

 キリエの言葉にエセルバートは低く笑い声を漏らした。

「そうですよ。……心優しい敬虔な修道女のあなただ。親のためならば許して下さいますか」

「そんなわけないでしょう……!」

 思わず身を乗り出すキリエの手をジュビリーが握り締める。

「あ、あなたは、エヴァを騙したのよ! 純粋な彼女の気持ちを、裏切ったのよ……!」

 エセルバートは目を閉じた。瞼の裏に浮かび上がる、エヴァの屈託ない明るい笑顔。あの時、二人の間には確かに温かな空気があったのだ。だが、唇の端がゆるやかに吊り上る。

「それでは……、真摯な恋でした、とでも言えば許して下さいますか。それとも、罵詈雑言を浴びせかければ、心置きなく処刑していただけますか」

 キリエは震える手を握り締めると、目の前で嘲笑し続ける若者を見下ろした。

「……一言でいいわ。エヴァに詫びなさい……!」

「お断りします」

 エセルバートは目を眇めて言い放った。

「だったら、まずあなたが私に詫びるべきだ。私の父を死に追いやったあなたが……!」

「あの戦いで死んでいったのは、あなたのお父上だけではないわ……!」

 瞬間、エセルバートは目を剥いた。

「そのお言葉……。他の者にも言えますか。あなたのために愛する家族を奪われた全ての者に、言えますかッ!」

 突然立ち上がったエセルバートがキリエに掴みかかる。

「ひ……!」

 だが、ジュビリーがエセルバートの手首を掴むと突き飛ばし、レスターが咄嗟にキリエを背後へ押しやる。彼女は顔を引き攣らせてレスターの背中に隠れた。

「そうだ、その通りだ……!」

 床に転がり込んだエセルバートは地獄から響くような声で呻いた。

「あの戦いで死んだのは、私の父だけではない……! 皆、死んでいった! あなたのせいだ!」

 キリエの顔から血の気が引く。同時に、頭の中でフィリップ・ソーキンズの言葉が響き渡った。

「これまでに何百人もの人間が死んでるんだ! あんたのために!」

 自分のせいで、人が死んでゆく。自分を恨む者、憎む者は、大勢いる。自分の罪を、愚かさを、この若者に全てを見透かされている。そう思うとキリエは恐ろしくなって体を震わせた。

「……女王陛下」

 エセルバートは疲れ果てた様子でうな垂れ、目だけ上目遣いで見上げながら低い声で呼びかける。

「逆賊ひとり処刑できないようでは、女王は務まりませんよ」

 その言葉にキリエは息を呑んだ。

「……最期の慈悲を……」

 消え入るような囁き声に、キリエは顔を背けると口走った。

「処刑なさい」

 そして、背を向けると独房から足早に立ち去る。

「キリエ様……!」

 後を追うレスターが耳元で囁く。

「捕らえた賊は八人おります」

「全員処刑します」

「……御意」

 破裂しそうな胸を押さえ、キリエは階段を上がった。一刻も早く、憎悪に満ちたこの世界から立ち去りたかった。塔のアーチを潜り、春の陽差しが差し込む中庭へ出て、ようやくキリエは溜め込んだ息を吐き出した。手足はまだ震えている。ドレスの肩口には、エセルバートに掴みかかられた時の血糊がこびりついていた。これが、現実だ。眩しい太陽の光を受けた赤黒い血糊が巨大な現実となって目の前に立ちはだかる。キリエは苦しげに呼吸を繰り返した。

「キリエ」

 背後まで追ってきたジュビリーが声をかける。

「……これでいい。おまえは間違っていない」

 ジュビリーの言葉に、キリエは涙ぐむと顔を横に振った。


 その日のうちに、エセルバートを含めた反逆者たちは処刑が言い渡された。そのことはギョーム一行にも伝えられ、暗殺未遂事件は一応の収拾がなされた。

 朝も昼も食事を取らずにいたキリエだったが、疲れ果てた心と体を癒すため、薬草園の四阿(あずまや)を訪れた。

 冷たい石のベンチに腰をかけ、咲き乱れる野草をぼんやりと眺める。そうするうち、この半年の間に起こった出来事が蘇ってくる。

 王都の奪還。王位宣言。戴冠式。ギョームからの求婚。全てが嵐のように突然襲い掛かり、決断を迫られた。何が起こっているのか理解する間もなく。頼るべきはずのジュビリーには再婚の話が次々と舞い込み、そのことはキリエの心を激しく掻き乱した。わからない。皆の願いも、自らの望みも、もはや何もわからない。キリエの目には、すでに流れる涙も残っていなかった。苦痛に顔を歪ませると、キリエは体を折り曲げ、顔を両手で覆う。

「……どうして……、こんなことに……」

 誰に問いかけるでもなく呟いた言葉。キリエは悔しげに唇を噛み締めた。もう、何もかもどうでもいい。このまま空気に溶けて消えてしまいたい……。

 その時、背後から小枝が折れる鋭い音が響き、キリエはぎょっとして跳ね起きた。

「……失礼」

 振り返ったそこには、美しい金髪の青年がが決まり悪そうに佇んでいる。ギョームは心配そうにじっと見つめてきた。

「……侍従に止められたのですが、あなたを一人にはしておけなくて」

「……ギョーム様」

 思えば、暗殺未遂事件が起きてから会うのはこれが初めてだ。キリエははっと我に返ると立ち上がった。

「陛下……! こ、この度は本当に……、何とお詫びをすればいいか……」

 ギョームは黙って顔を横に振ると、わずかに足を引きずりながらキリエに歩み寄り、ベンチに座るよう促した。

「あなたの処断は見事でしたよ」

 ギョームの言葉に、キリエは苦しげに目を閉じた。

「……初めて……、処刑命令を下しました」

 消え入るような小さな囁き。

「でも、私のために人が死ぬのは、これが初めてではないのです。誰かが死んでいく度に、絶望し、天を恨み、私を憎む者が……」

 ギョームは痛ましげに目を細め、キリエの震える手をそっと握る。

「為政者になれば、命を狙われることは日常茶飯事になります。どんなに高潔で、非の打ち所のない君主であっても」

「……でも、私だけでなく、あなたまで命を落とすところだったのですよ……! クレマンソー伯だって……!」

「落ち着いて、キリエ様。私も伯爵も、怪我は治ります」

 わずかに取り乱し、まくしたてるキリエをあやすように両手で髪を掻き撫でる。温かな手の感触に口をつぐむと項垂れ、ギョームの胸に顔を埋めた。彼の優しさが胸に染み入る。せつなさに胸が張り裂けそうだった。どうして、このお方はこんなにも温かな言葉をくれるのだ。

 顔を青ざめさせ、震えが止まらないキリエの肩をそっと抱くと、ギョームは唇を耳元に寄せた。

「……いつまで、そうやって一人で重荷を背負うおつもりですか?」

 ギョームの言葉にキリエは目を上げる。美しい碧眼が射るように見つめてくる。

「あなたは忠義に篤い臣下に恵まれておいでだ。しかし……、彼らはあくまで臣下です。

為政者の苦悩を全て理解することはできません。私なら……、あなたを守り、支えることができます」

 二人は無言で見つめあった。ギョームは哀しげに顔を歪めると、猶も囁いた。

「……駄目ですか。私では、駄目ですか」

 かすかに震える指先がキリエの頬を撫でる。深い海のような鮮やかな碧い瞳に映る、怯えた顔付きの自分。キリエは、ずっと自分に向けられていた眼差しをようやく受け止めた。待っていてくれたのだ。受け入れるまでを、ずっと。だが、彼はやがて顔を伏せた。冷たい風が野草を揺らし、ギョームはキリエの肩に手を添えると低く呟く。

「……お体に障ります。戻りましょう」

 ギョームは立ち上がるとキリエの手を取った。顔を見られたくないのか、彼は背を向けて四阿を出ていく。その後をとぼとぼと続いたキリエは、ギョームの背中をじっと見つめた。疲れを背負った背中が、ジュビリーと重なって見える。キリエは辛そうに目を閉じると頭を振る。そして、そっと目を開くと、ギョームの名を呼ぶ。

「……ギョーム様」

 彼はゆっくりと振り返った。大きく見開いた瞳が、どこか不安そうに投げかけられる。キリエは小さい声で呟いた。

「私……、お受けします」

「え?」

「結婚のお話……、お受けいたします」

 ギョームの顔が一気に紅潮する。そして彼は足の痛みも忘れて駆け寄るとキリエを抱きすくめた。息を呑んで体を固くするキリエ。だが、ギョームもはっとして抱いた手を止める。

「こ……、こんな体で……」

「……え?」

 キリエが震える声で聞き返す。ギョームはせつなげに目を閉じた。

「……こんな細い体で……、今まで、お一人で戦ってきたのですか」

 瞬間、息が出来ないほど胸が詰まる。ギョームは益々きつく抱き締めた。

「約束します……。私は、絶対にあなたを一人にはしません。絶対に……!」

「……ギョーム様……」

 キリエは、恐る恐る手を上げると、彼の背中を抱いた。

 温かい。

 締め付けられる胸の痛みの中で、キリエはぼんやりと呟いた。これからは、この温もりが側にあるのだ。


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