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女王キリエ  作者: カイリ
第5章 聖女王戴冠
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第5章「聖女王戴冠」第7話

華やかな戴冠式の裏側で、早くも利権を巡って蠢く人々。ひとり不安な思いのキリエに、「彼」が再び現れる。

 キリエの明るい声にギョームはにっこりと微笑んだ。相変わらず、キリエの心の奥深くまで溶け込む柔らかな笑顔。緊張と疲労でくじけかけていた気持ちが途端にほぐれ、こちらまで自然に顔がほころぶ。半年ぶりに会うギョームは引き締まった精悍な顔つきになり、どこか大人びた雰囲気をまとっていた。王になるとここまで変わるものなのか。キリエは尊敬と憧れの入り混じった眼差しで見つめた。

 ホールのざわめきがやがてどよめきに変わる。女たちは若く端正な若獅子王の美しさに見惚れ、嘆息が漏れ出る。男たちはギョームがどんな挨拶を述べてみせるか興味津々に身を乗り出す。ギョームとキリエの即位は互いの協力によって実現した経緯があることを、列席した人々には知られている。しかも、ギョームは参列した唯一人の国家君主でもある。だからこそ、二人の対面には皆が注目した。ギョームは恭しく跪くと、相変わらず流暢なアングル語で挨拶を述べた。

「この度のご即位、誠におめでとうございます。女王陛下のご即位に、天もお喜びになっておられることでしょう。アングルの地に永遠の平和が訪れますよう、お祈り申し上げます」

 そして顔を上げると、もう一度穏やかな微笑を浮かべてみせる。

「……半年ぶりでございますね」

「……ええ」

 緊張の糸がほどけたように、キリエは嬉しそうに囁いた。

「私が今日、こうして戴冠できたのもギョーム王陛下のおかげです。……ありがとうございます」

「何を仰います。こちらこそ、内戦を終結し、即位できたのも全て女王陛下のご協力があったればこそ。感謝しております」

 明らかにこれまでの王子たちとの扱いの違いに、参列者たちは顔を見合わせた。ジュビリーは顔をしかめたが、無言のまま見守る。そんな周囲の目など気にする風もなく、ギョームは言葉を続けた。

「まだ国内が安定していないとのことですが、焦ることはありません。私も、微力ながら協力させていただきとうございます」

 半年前と変わらない優しい気遣い。ギョームは変わっていない。初めて会ったあの日のまま、優しくて穏やかな彼に、安堵の溜息をつく。

「……ありがとうございます」

 ギョームも嬉しそうに微笑むが、そこで息をつくとわずかに表情を引き締めた。

「ところで、本日は陛下のご生誕日と伺っております」

「はい」

 束の間、口をつぐむと、彼はじっとキリエを見つめたままはっきりと告げた。

「お祝いの意を表して……、踊っていただけませんか?」

 瞬間、その場の空気が凍りつく。そして、さざ波のように驚きの声が広がる。大陸の王子たちは皆顔を引きつらせ、アングルの廷臣たちは青ざめている。ギョームの後ろに控えたバラも唖然とした表情だ。

(まさか、この場で……!)

 ジュビリーの顔から血の気が引いてゆく。

 戴冠式での祝宴。しかも公衆の面前でのダンスの申し入れ。これはもはや正式な求婚だった。

 誘いに乗れば求婚を承諾したことになる。だが、断ればギョームの顔に泥を塗ることになる。彼は相変わらず微笑をたたえたままだ。アングルの女王はどんな対応を取るのか、皆が息を呑んで見守る。一方、キリエを振り返ったジュビリーは目を眇めて舌打ちした。きょとんとした顔つきで目の前のガリア王を見つめる幼い女王。キリエは、事の重大さをわかっていない!

 当の本人はと言うと、実は眠くて眠くて仕方がなかった。だが、自分が難しい決断を迫られているという自覚はあった。どうすればいい? どうすれば、この難関を切り抜けられる? しばし考え込んだキリエは、とりあえず微笑んでこう答えた。

「……では、一曲だけ」

 一瞬の間を置いて、人々の口から感嘆の声が漏れる。「喜んで」と答えれば求婚を受け入れたことになる。だが、「一曲だけ」と限定したため、承諾の意味が薄れる。うまい答えを考え出したものだ!

 それでもギョームは嬉しそうに微笑むと立ち上がり、右手を差し出した。キリエがその手を取り、高座を降りる。人々が二人のために道を開けてやり、やがて楽師たちが舞曲を奏で始めた。ギョームに手を取られ、キリエが少々危なっかしい足取りでステップを踏む。まだ顔を強張らせたままのジュビリーが二人のダンスをじっと見守る。微笑みながらも緊張した様子で踊るキリエが、一瞬ジュビリーに視線を投げかけた。まるで助けを求めるかのようなキリエの瞳にジュビリーは胸が締め付けられた。二人の脳裏に、去年の誕生日の祝宴がよぎる。あの日二人は、束の間憂いを忘れてダンスを楽しんだ。まさか、今年の誕生日がこのような展開になるとは……。

「……ご迷惑でしたか?」

 ギョームが小さく囁き、キリエは困ったような笑顔を見せる。

「……いいえ。でも私、ダンスが得意ではないので、陛下の足を引っ張ってしまいます」

 ギョームは目を細めるとキリエの耳元に口を寄せ、囁いた。

「お忘れですか? ギョームとお呼び下さい」

 柔らかな声色の中にもどこか有無を言わせない響きにキリエは言葉をなくした。

「先ほど、名前を呼んでいただいてとても嬉しかったですよ」

 頬が紅潮してくるのが自分でもわかる。頭が混乱し、ステップの踏み方もわからなくなる。恥ずかしさのあまり、俯くキリエの手をギョームが優しく握り締める。

「この半年、貴女と再会できる日を心待ちにしていました」

「……ギョーム様が仰った通りになりましたね……。本当に、私たちは王と女王に……。対等になりました」

 だがギョームは顔を横に振った。

「私にとってはまだ対等ではありませんよ」

「では、どうすれば対等に……?」

 再びキリエの耳元に唇が寄せられる。その口許に、うっすらと笑みが広がった。

「……貴女が、私の妻になれば」

 その時。キリエが足首をひねり、悲鳴を上げる。

「きゃッ!」

「陛下ッ?」

 慌てたキリエがギョームの足を思いっきり踏みつけると二人はその場に倒れこんだ。

「陛下!」

 その場が騒然となる中、ジュビリーやバラが慌てて駆け寄るが、ギョームは体を起こすと豪快な笑い声を上げた。

「これはしたり! ガリアとアングル両国で、向こう百年語り継がれますよ!」

 ギョームの笑い声に、人々は思わず釣られて笑い声を上げる。一方、その場に座り込んだキリエは呆然とギョームを見上げている。緊迫した空気が一瞬にして微笑ましい光景へと変わり、ジュビリーは思わず息をついた。

 だが、人々の笑い声が一瞬にしてかき消された。ジュビリーが振り返ると、こちらに向かって黒尽くめの男たちが歩み寄ってくる。

(……オリーヴ公……)

 ギョームがさっと立ち上がると、床に座り込んだままのキリエの手を取る。二人の目の前までやってくると、エスタドの宰相は若い王と幼い女王を見下ろした。ギョームは鋭い目で凝視し、キリエはわずかに眉をひそめている。ビセンテはゆっくりと頭を垂れると跪いた。

「……エスタドから参りました。オリーヴ公ビセンテ・サルバドールと申します。この度はおめでとうございます」

 ギョームの時と変わらぬ短い祝辞。キリエは静かに微笑んだ。

「……わざわざ遠くからありがとうございます」

「我が君から伝言を仰せつかっております」

 キリエがわずかに首を傾げる。ビセンテは目を細め、はっきりとした声で言い放った。

「グローリア女伯の王位は認めませぬ」

 一斉にどよめきが上がり、思わずかっとなったギョームが身を乗り出すが、キリエが右手を上げて制する。

「何故です?」

 静かに尋ねるキリエに、ビセンテは穏やかに答える。

「貴女が、修道女だからでございますよ」

 ジュビリーが顔をしかめ、キリエの隣に寄り添う。彼に一瞥をくれたものの、ビセンテは涼しい顔で続けた。

「ヴァイス・クロイツ教において、聖職者は民の最も下層に位置し、天に祈り、民のために奉仕する存在。その修道女が王位を宣言し、民の上に立つなど、あり得ないことでございます」

 その場が静まり返り、人々の目が一斉にキリエへと注がれる。キリエはしばらく黙ってエスタドの宰相を見つめていたが、やがて穏やかに微笑んだ。

「君主も、民のために奉仕する存在ではありませんか? 民のために国を守り、栄えさせることが君主の務めであるならば、君主もまた、聖職者です。だから、ガルシア王も立派な聖職者ですわ」

 滔々と述べてみせるキリエに、思わずジュビリーが振り返る。ビセンテも目を見開き、目の前の少女を凝視する。が、やがて低い笑い声を漏らすと立ち上がった。

「……面白いお方だ。我が君には、そのままお伝えいたしましょう」

「ええ、よろしくお伝え下さい」

 キリエの言葉に、ビセンテは再び笑い声を上げると外衣を翻し、その場を立ち去った。

「……陛下……」

 キリエの度胸に一番驚いていたのはギョームだった。ビセンテを相手に、ここまで言い返すとは……。だが、キリエの様子がおかしいことに気づいて顔をしかめる。

「陛下?」

 そっと背に手を添えると、キリエは顔を歪めて目を閉じた。そして、何か言おうとした瞬間、がくりとその場に崩れ落ちる。

「陛下ッ!」

 慌ててギョームが抱きとめ、すぐさまジュビリーも手を添える。周囲の人々が短い悲鳴を上げる。

「キリエ様……、陛下ッ!」

 ジュビリーの呼びかけに、キリエは小さく「眠いわ」と呟く。ジュビリーがジョンを呼ぶとキリエを両脇から支えて立たせる。

「お部屋にお連れしろ」

「はっ」

 一部始終を見守っていたマリーも慌てて側へ駆けつける。

「陛下……! 陛下、大丈夫ですか?」

 ギョームが心配そうに呼びかける。

「陛下、ギョーム王陛下にご挨拶を」

 マリーに言われ、キリエは迷惑そうに目を開ける。焦点の定まらない瞳が彷徨い、ようやく心配そうなギョームの表情を捉える。彼女は顔をしかめると「おやすみなさい、陛下」と呟いた。それを確認すると、ジュビリーはギョームに一礼し、キリエを抱きかかえてその場を立ち去る。

「……良い夢を、陛下」

 ギョームはそう呟くと、名残惜しそうに見送った。

 キリエはジュビリーたちに支えられてバンケティング・ホールを後にした。扉が閉じられた途端、侍女や召使が慌しく寝室へと駆け出す。

「兄上……!」

「もう、限界だったのだろう」

 心配そうに声をかけるマリーに、ジュビリーは険しい表情で呟く。

「オリーヴ公へのあのお言葉……。それに、ギョーム王陛下の言動も……!」

「それは後だ」

 わずかに取り乱した様子のジョンにジュビリーは短く言い放つ。

 寝室までは長い距離があった。ジュビリーたちはようやくキリエを寝室まで連れていくと寝台に横たえるが、彼女はジュビリーの胴着をぐっと握りしめた。それを見たマリーとジョンが思わず顔を見合わせる。気分が悪いのか、わずかに眉をひそめたまま目を閉じているキリエ。

「……おまえたちは控えの間にお戻り」

 マリーは女官たちにそう告げると部屋から退出させる。そして、

「では、兄上。後はお頼み申します」

「マリー?」

 思わず声を上げるジュビリーに構わず、ジョンとマリーは黙って寝室から立ち去っていった。ジュビリーが立ち上がろうとしても、キリエの右手はしっかりと胴着を握りしめている。ジュビリーは納得いかない表情で溜息をつくと、キリエの右手をそっと撫でる。

「キリエ、手を離せ」

 言われるままに手を離すものの、キリエは両腕を伸ばすとジュビリーの首に巻き付け、抱きついてくる。それは色気とかそういった類ではなく、子どもが親に甘えるような仕草だった。

「……キリエ」

 ジュビリーは困り果てた様子で呟き、背中を指先で叩く。

「寝台で寝ろ」

「……嫌……」

 疲労の色がありありと見える声が返ってくる。どうしたものかとジュビリーが焦り始めた時、キリエがぼんやりとした口調で呟く。

「……本当は、あなたと、踊りたかった……」

 耳元の囁きに、ジュビリーは口をつぐむ。

「だから……、たくさん、練習したのに……」

「練習だと?」

 ジュビリーは努めて皮肉っぽく言い返した。

「ギョームの足を見事に踏みつけたな。それでも練習したと?」

「嫌……!」

 突然キリエはそう声を上げるとますます強くジュビリーを抱きしめた。

「……ギョーム様なんか、嫌……!」

「どうした、何があった」

 ジュビリーが少し驚いた表情で聞き返す。

「……ギョーム様が、私を妻に、って……」

 ジュビリーの両目が大きく見開かれる。やはり……、あれは求婚だったのだ。動揺したキリエが足を踏みつけたせいで曖昧な結果に終わったが、遅かれ早かれ正式に結婚を申し込んでくるはずだ。ジュビリーは思わずキリエの腰にそっと手を回した。

「……結婚なんかしないわ……」

 キリエが空ろな声で呟く。

「だって私、修道女だもの……」

 ジュビリーは彼女の背中をゆっくりと撫でた。それは無理だ、キリエ。修道女だからという理論はまかり通らなくなる。

「……あなたと、一緒にいたい……」

 キリエの言葉に一瞬胸を突かれたジュビリーだったが、やがて子どもをあやすように髪を撫でる。

「私は……、おまえの側を離れん」

「……本当に……? 本当に……」

「……キリエ?」

 ジュビリーの耳に、キリエの寝息が聞こえてくる。彼はキリエを寝台に寝かすと、寝顔をのぞき込んだ。燭台の明かりが、乱れた髪が額にかかるキリエの顔を浮かび上がらせる。まだ幼さが残る面立ち。とても、一国を背負う者とは思えない。ジュビリーは髪をそっとかき揚げると、そのまま頬をゆっくりと包み込む。

 ついに女王に即位した。だがこれが、本当に望んでいた結果なのか? ジュビリーは自らに問うた。自分がキリエを教会から連れ出したことで、彼女だけでなく、ギョームの運命も変えようとしている。たとえ何が起ころうともキリエを守らなければならない。それは自分自身に課した義務だ。だが、自分はこれからも本当にキリエの隣で、彼女を支え続けられるのだろうか。ジュビリーはあどけない表情で眠るキリエを複雑な思いで見つめた。もう、こんな近くで彼女の寝顔を見ることもできないだろう。胸の中の何かが痛みを訴えていた。

 ジュビリーはゆっくり腰を屈めると顔を寄せ、キリエの瞼に唇をそっと押し当てた。


 戴冠式という運命の一日を終えた翌朝、キリエはひどい二日酔いに襲われた。がんがんと響く頭痛のため寝台から起きられず、新女王は大主教を始めとした各国の来賓の帰国の挨拶を受けられない事態に陥った。

「陛下、お水を……」

 エヴァが差し出すグラスを頼りなげに受け取り、キリエは少しずつ水を口にする。

「……みっともないわ」

「仕方ありませんわ。普段、御酒はお飲みになられないのですから」

 エヴァが気の毒そうに慰める。こくりと頷くものの、キリエは首を傾げながら右足を動かす。

「足首が痛いわ……」

「まだ痛みますか。医師をお呼びしないと。ダンスで足をひねられたから……」

 足をひねった? キリエは眉をひそめる。

「それにしても、昨日の陛下は本当にお綺麗でしたわ。あんなにお綺麗なら、ギョーム王でなくともきっとダンスにお誘いしたくなるでしょうね」

 キリエはぼんやりとした表情のまま、昨夜の出来事を思い出そうとする。

「ギョーム王もとても素敵なお方ですね。あの機転はさすがでした」

「……機転?」

 キリエが顔をしかめて振り返る。

「……何があったの?」

 キリエの言葉にエヴァが目を丸くする。

「……覚えていらっしゃらないのですか?」

 身を乗り出した途端、頭に激痛が走る。

「痛……!」

「陛下、無理をなさってはいけませんわ」

 エヴァがキリエを横にさせようとした時、寝室の扉が叩かれる。

「陛下、クレド侯がおいでです」

 侍従の声に目を上げる。再びいつもの黒衣に戻ったジュビリーがやってくるが、困惑した様子のエヴァに気づく。

「どうした」

「侯爵……。陛下が……、昨夜のことを覚えていらっしゃらないそうです……」

 両目を見開いて顔を強張らせるジュビリーに、キリエは青ざめたまま呟く。

「……私、何をしたの……?」

 ジュビリーとエヴァが思わず顔を見合わせる。

「……ミス・リード。侍医を呼んできなさい」

「はい」

 エヴァが緊張した面持ちで部屋を退出していく。ジュビリーが静かに寝台の縁に腰掛ける。

「どこまで覚えている」

 その問いにキリエは視線を四方へ彷徨わせる。

「ギョームと踊ったことは覚えているな?」

「……何となく」

 何てことだ。その辺りから記憶があやふやだとは。ジュビリーは思わず溜息をついた。

「ねぇ、私、何をしたの?」

 ジュビリーの様子を見て益々不安になったキリエが囁く。黒衣の宰相は上目遣いに見つめると、重い口を開いた。

「……ギョームがおまえに求婚した」

「はッ?」

 素っ頓狂な声を上げるが、途端に顔を歪めて頭を押さえる。

「う……、嘘よ、そんな……!」

「どうやら踊っている最中に求婚したらしい。動揺したおまえは足をひねり、ギョームの足を踏みつけた」

「……ギョーム様の、足を?」

 信じられない、と言った表情で呆然と呟くキリエ。そして、はっと思い当たる。これか。この足首の痛みはその時の? と、思った途端に顔が青ざめてゆく。

「まさか、そんな、粗相を……!」

「ギョームがとっさに笑いに変えたから良かったものの……」

 恥ずかしさのあまり、キリエは膝を抱いて蹲った。そして、恐る恐る顔を上げる。ジュビリーは相変わらず厳しい視線を投げかけてくる。

「……近い内に、正式に結婚を申し入れてくるはずだ」

「無理よ……! 私、修道女だもの……!」

「……もう、誰もおまえを修道女だとは思わん」

 だが、目を細めると静かに言い直す。

「エスタドのガルシア以外はな」

 ガルシアの名を聞いてキリエは体をびくりと震わせた。

「宰相のオリーヴ公とやり合ったのも覚えていないのか」

「オリーヴ公……。あの、背の高い人?」

「彼が言うには、ガルシアはおまえの王位を認めんそうだ」

 キリエが眉をひそめて顔を上げる。

「理由は、聖職者が民の上に立つのは道理が合わん、ということらしい。おまえは何と言い返したと思う? 民のために力を尽くすのが君主の務めならば、ガルシアも立派な聖職者だ、と答えたのだ」

「……私が……?」

 酔った勢いとは言え、よくもそんな大胆なことを。キリエは自分が恐ろしくなった。おろおろするキリエを見つめるジュビリーは表情をほんの少しゆるめた。

「……堂々とした受け答えに、ギョームが一番驚いていた」

 そして、どこか寂しげに溜息をつく。

「……やはり、おまえの体に流れる帝王の血がそうさせるのか……」

 帝王の血。それを聞いた途端、キリエはがばっと体を起こした。

「父と一緒にしないでッ!」

 キリエの剣幕にジュビリーが息を呑む。が、唐突に吐き気に襲われたキリエは顔を歪めると口を手で覆う。

「う……!」

「キリエ!」

 ジュビリーが立ち上がると背中に手を添える。その時、侍従が侍医の到着を告げ、その場が慌ただしくなった。


 帰国の準備を終えたギョームの元に、ジュビリーたちが神妙そうな顔つきでやってくる。キリエが帰国の挨拶に出られないことを聞いていたギョームは、いつもと変わらず穏やかに宰相に尋ねた。

「女王陛下のご様子は?」

「申し訳ございません。まだ体調が思わしくなく……」

 その言葉に若い王はいたずらっぽい眼差しで囁く。

「……二日酔いかな」

「……はい」

 ギョームは気の毒そうに苦笑を漏らした。

「無理もない。お疲れも溜まっていたのであろう。ゆっくり休んでいただこう」

「お心遣い、痛み入ります」

 深々と頭を下げるジュビリーに、ギョームはそっと身を乗り出す。

「女王陛下は……、何か仰っておられたか」

 ジュビリーは上目遣いに王を見つめた。

「……はっ。御足を踏んでしまったことを、心よりお詫びしたいと」

「お気になさらずと、お伝え願いたい」

「申し訳ございませぬ。実は……、昨夜のことはほとんどご記憶がなく、粗相があったことをお伝えしたところ、非常に驚いておられ……」

 ギョームが目を見開いてジュビリーを見つめる。

「……覚えていない?」

「はっ」

 ジュビリーが思わずごくりと唾を飲み込む。ギョームのことだ、露骨に機嫌を損ねることはなかろうが、落胆するに違いない。だが、ジュビリーの不安とは裏腹に、彼は意味ありげに微笑を浮かべてみせた。

「わかった。また後日使者を送る」

「……はっ」

 ギョームは側近を連れて客間を後にした。宮殿のアプローチに差し掛かった時。ギョームは足を止め、振り返るとジュビリーを手招きした。固い表情で歩み寄るジュビリーを見上げると、ギョームは低く囁いた。

「次は成功してみせるぞ」

 若い王はにやりと笑みを浮かべて見せた。ジュビリーは思わず返す言葉も見つからず、ただその場に立ち尽くした。ギョームは目を細めるとやがてゆっくりと背を向け、そのまま立ち去っていった。その後姿を黙って見送るジュビリーの隣に、ジョンがそっと寄り添う。

「義兄上……、ギョーム王は何と……?」

 ジュビリーはすぐには答えず、黙ってジョンを見つめた。

「……ギョームがキリエに求婚した」

 絶句するジョンを置いて踵を返すジュビリー。ジョンは慌てて小走りで義兄を追いかけた。

「で、では、やはり昨夜のダンスは……!」

「踊っている最中に直接申し込んだらしい。だが、キリエ本人は覚えていない」

 ジョンは動揺を隠せない様子で黙り込んだ。そして、歩みを止めないジュビリーに必死の形相で囁く。

「……どうなさるおつもりです!」

 だが、ジュビリーは答えることなく歩みを進めた。


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