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女王キリエ  作者: カイリ
第3章 ローランド会戦
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第3章「ローランド会戦」第8話

異国からやってきた美しい〈若獅子〉ギョーム。彼の意図がわからないキリエは戸惑うが……。

第3章「ローランド会戦」完結。

 広間へと移動した一行は、互いに緊張した面持ちで椅子に座した。会談が始まると、穏やかなギョームの表情は一変して探るような目つきになる。

「国内の様子はいかがですか」

「……暮れの戦いが終わってからは、王位継承権者たちはお互いの動きを牽制し合い、沈黙を保っています。……イングレスを落とされて、動くに動けない状態です」

「なるほど」

 キリエが言いにくそうに続ける。

「……私は、異母兄姉たちと戦うだけでなく、イングレスも取り返さねばなりません。国民を守るためには、まずはそちらが優先事項となります」

 ギョームは満足げに頷く。

「噂では年端も行かぬ幼い修道女だとお聞きしていましたが、なかなかしっかりしていらっしゃる。安心いたしました」

 「安心」の本意がわからず、キリエはかすかに首を傾げてみせる。

「アングルへ来るまでは、様々な方法を考えておりましたが……、女伯がここまでしっかりしたお考えをお持ちでしたら、話は早い」

 ジョンは、王太子が何を言い出すのか気が気でない様子で見守っている。一方、レスターは落ち着き払った態度ながらも気を緩めずに若い王太子を凝視している。

「私は父を討つために参りました」

 美しい顔をした少年は微笑を湛えたまま、冷たい声でそう宣言した。キリエは眉をひそめた。

「ガリアが衰退していくのを私は黙ってみていることはできない。だから父に退位を迫ったが受け入れられなかった。そのため、ガリアは内戦に突入した。すると、父はあろうことか国を捨て、アングルの首都を奪った。……こんなことが許されるわけがない。ガリアの全ての国民に代わって、謝罪します」

 そう言って頭を下げるギョームに、キリエは戸惑い、ジュビリーに視線を向ける。彼は険しい表情のままギョームを見つめている。

「殿下」

 キリエがそっと声をかける。

「あなたが、お謝りになることはないですわ」

 ギョームは顔を上げると真っ直ぐキリエを見つめた。

「私に考えがある。協力していただけますか」

「……考え?」

「ガリアの内戦が、結果的にアングルをも巻き込んでしまった。私は父を討ちたい。女伯、あなたや他の王位継承権者たちはアングル王を僭称する父を駆逐したい。利害は一致します」

 利害という言葉にレスターが反応した。同盟を持ちかけるつもりか。

「要するに、今は兄妹喧嘩どころではない。お互いに結託し、父と戦うのが得策だと思うのです」

「……結託?」

 ジュビリーが思わず呟く。キリエは意味がわからずに黙り込む。王太子は何を言っている?

「つまり……、庶子同士で同盟を結ぶべきだと、そう仰せになりたいのですか?」

 ジュビリーの言葉にギョームは頷いてみせる。

「同盟なんて……!」

 思わず口走ったキリエが口を押さえ、言い直す。

「レノックスが……、兄が同盟に応じるとは思えません」

「では、休戦調停を結ぶのは?」

「調停など、約束を守るような人じゃありません」

 固い口調で言い返すキリエに、ギョームは穏やかな口調で語りかける。

「ずいぶんと兄君を嫌っておいでのようだ。でも、わかりますよ。彼の残虐非道ぶりはガリアでも有名です」

 身内の恥を暴露されたようで、キリエは顔を赤くして目を伏せた。

「〈冷血公〉とは一度だけ刃を交えたことがある」

「……殿下が?」

「剣を叩き折られました。戦場で死を覚悟したのは、後にも先にもあの時だけですよ」

 冑を脱ぎ捨て、髪を振り乱して剣を振るうレノックスの姿がありありと目に浮かぶ。その彼と一騎打ちを演じたのか。

「ですが、あなたはその兄君を恐れずに迎え撃った。戦場で剣を抜いたそうですね?」

 キリエはギョームを恐々と見つめた。

「そんなことまで、ガリアに伝わっているのですか……?」

「ガリアに伝わっているということは、女伯の勇猛さはプレシアス大陸全土に知れ渡っているということですよ」

 思ってもみなかったことに、キリエは改めて狼狽した。ギョームは相変わらず余裕さえうかがわせる表情で微笑んでみせる。

「最初は信じられませんでした。いざお会いしてみれば、このように天使と見間違えるほどの小さな少女でございますし。まさか、あなたがそのような勇気をお持ちとは」

「殿下!」

 狼狽たえた自分を隠すように、慌ててキリエが声を上げる。

「あなたは……、その冷血公や、エレソナ・タイバーンと同盟を結べと?」

「父を駆逐するまでの間でよい。彼らにとっても父は目障りのはず。持ちかけたら乗ってくるでしょう。ならば、早い方がよい」

 本当に、そんなにうまくいくのだろうか。キリエは懐疑的な表情でギョームを見据え、次いでジュビリーを振り返る。が、キリエは、ジュビリーの眉間に険しい皺が刻み込まれているのを見て息を呑んだ。機嫌を損ねているのか、ギョームの本意を量りかねているのか、とにかく、歓迎はしていない。ギョームは言葉を継いだ。

「同盟と一口に申してもすぐには動けないことでしょう。まずは相手方に持ちかけてみることです。女伯から持ちかけるのが不都合ならば、私が三者を引き合わせてもよい」

「それは……」

「ともかく、私はしばらくアングルに滞在します。同盟を結ぶことに同意していただけるのであれば、一度ここへ集まりましょう」

「……兄たちと?」

 ギョームは笑顔で頷く。

「私にとっても、あなた方は従兄妹だ。一度顔を会わせておきたい」

 キリエは腑に落ちないながらも、頷く。その場に沈黙が流れ、ジュビリーが静かに身を乗り出す。

「失礼ながら、王太子殿下。この度の滞在先は……」

 その言葉に、ギョームは子どものように照れ笑いを漏らす。

「恥ずかしい話だが、決めていない」

「よろしければ、このクレド城に」

「それは助かる。世話になろう、バラ」

「感謝いたします、クレド伯」

 バラが深々と頭を下げる。が、キリエは思わぬ展開に困惑の表情だ。

「では、女伯。同盟の件、ご一考を」

 広間を後にした王太子の一行は、城代家令ハーバートによって西塔へ案内された。

「ジュビリー」

 私室に戻る道すがら、キリエが助けを求めるような口調で呼びかける。

「どう思う? 同盟なんか……、レノックスたちが同意するわけがないわ」

「……しかし」

 ジュビリーが考え込んだ顔つきのまま呟いた。

「実際、彼らも目障りなリシャールを早い内に何とかしたいだろう」

「でも、そのためにあの二人と同盟を結ぶなんて……。私にはできない」

 キリエは乗り気ではないらしく、暗い表情で呟く。

「三者が協力した方が、迅速かつ確実にイングレスを奪還できるだろう。問題はその後だ」

「ルール公のことです。きっと我々を出し抜こうとするでしょう」

 ジョンが少し興奮気味に口を挟む。その後ろで、ずっと黙り込んでいるレスターに気づいたジュビリーが声をかける。

「レスター、どうした」

「……いえ」

 眉間に皺を寄せたまま、ぼそりと返すレスター。

「王太子は、こう仰せでございましたな。『こちらから引き合わせてもよい』と。ぐずぐずしていると、王太子が勝手に同盟の話を取りまとめてしまいそうですな」

「まさか」

 キリエが顔をしかめて立ち止まる。

「異国の地で、互いに争っている勢力を結びつけるなんて……」

「やりかねんな、あの無鉄砲な若造なら」

 未来のガリア王を若造呼ばわりするジュビリーに、キリエは思わず肩をすくめてみせる。

「仮に同盟を結ぶにしても、主導権を握るためには王太子に動いてもらっては困る。レスター、ルールとマーブルに斥候を送り込め」

「はっ」


 その日の晩餐は、突然訪れたガリアの王太子のために、急ごしらえながらも華やかに飾り付けられた大広間で行われた。キリエは貴人と共に食事を取るのが初めてだったため、昼間以上に緊張した様子だった。

 食事の前に皆が祈りを捧げると、キリエたちアングル人とギョームは合掌した手の先を額につけたが、バラたちガリア人は指先を額につけることなく手を下ろした。思わずガリア人たちの所作をまじまじと見守っていたキリエに、ギョームが微笑みかける。

「お祈りの後に指先を額に当てるのはアングル式の礼拝だそうですね。ガリアでは見られない様式です」

「アングル式?」

「私は母からお祈りの作法を習ったので、アングル式です」

 話題が信仰のことになると、緊張していたキリエの表情がわずかに明るくなる。

「母が嫁いでから、ガリアも一層敬虔なヴァイス・クロイツ教徒が増えたということです」

「ガリアはどんな所ですか?」

 ギョームはワインを満たしたゴブレットを片手にはにかんだ。

「ガリア人は欲張りですよ。食べることも着ることも楽しみたい、という人種でしてね」

「まぁ」

「ガリアは農業国です。豊かな食材は実に様々な料理を生み出しました。お洒落をすることも大好きで、王都オイールの貴族たちはいつも新しい衣装で身を着飾ることを競っています。音楽や演劇にも目がなく、大陸中から多くの音楽家が集まっています」

 キリエは、まだ見ぬ海を隔てた異国の様子を想像して胸を躍らせた。教会の外の世界は、何を見ても新しい発見と驚きの連続だった。海の向こうの世界はきっと、アングルよりももっと色彩の異なる景色が広がっているに違いない。彼女が王太子の言葉に引き込まれている様子を、ジュビリーがどこか不安げな表情で見つめている。

「母が生まれ育ったアングルを訪れるのは、私の夢でもありました。アングルは、どんな所です?」

 ギョームの言葉に、明るい表情だったはずのキリエは息を呑んだ。そして、困惑の表情で俯く。ギョームは怪訝そうな表情で少女を見つめた。

「……ごめんなさい」

 キリエは小さな声で申し訳なさそうに呟いた。

「私、十年間教会を出たことがなかったので……。外の世界のことは、まだ……」

 バラたちが思わず顔を見合わせる中、ギョームはじっとキリエを見つめ、やがて静かに呼びかけた。

「教会でのことを教えて下さい」

「でも……」

「お願いします」

 キリエは恐る恐るジュビリーに視線を送る。彼はわずかに頷いてみせた。王太子の真っ直ぐ見つめてくる瞳に、キリエはどこか気圧されながらも、おずおずと口を開いた。

「……教会で、薬草を育てていました。私が作った薬草が誰かの役に立つことが、私の生き甲斐でした」

 キリエの語る言葉に、ギョームは小さく頷きながら聞き入っている。

「それから、教会の修道女からいろんなことを学びました。アングルだけでなく、外国の歴史も。それと、ガリア語やエスタド語も習いました」

「その修道女は、女伯が王位継承者であることをご存知だったのですか?」

「……はい」

「その修道女のお名前は?」

 キリエは首を傾げながらも答えた。

「ロレイン様です。ロレイン修道女……」

 ギョームは穏やかに微笑んだ。

「ロレイン修道女に感謝しましょう。彼女のおかげで、アングルは素晴らしい君主を迎えることができるのですから」

 思わぬ言葉にキリエの目が大きく見開かれる。そして、嬉しそうな微笑が浮かぶ。

「……私は、殿下の母君に感謝します」

「母に?」

「母君のおかげで、殿下は敬虔なヴァイス・クロイツ教徒になられ、こうしてアングルにおいでいただけたのですから」

 ギョームも嬉しそうに頷くと、ゴブレットを掲げる。

「我々の出会いを、天に感謝しましょう」

 キリエも控えめにゴブレットを掲げると、二人は杯を合わせた。

 静かながらも穏やかな晩餐が終わり、アプローチに向かいながらギョームがキリエに呼びかけた。

「アングルを訪れるは初めてですが、これほど美しい国だとは知りませんでした」

「気に入っていただけましたか?」

 最初に比べると幾分落ち着いた表情でキリエが尋ねる。

「ええ。一刻も早く、アングルに平和を取り戻さねばなりませんね」

「……はい」

 アプローチの出口まで来ると、ギョームは夜の闇を背に、正面から真っ直ぐキリエの瞳を見つめて囁いた。

「私は、あなたの力になりたい」

 キリエはわずかに顔を引きつらせた。

「その代わりと言っては失礼だが、私にも力を貸していただきたい」

「……私にできることが……?」

 困惑気味に呟くキリエに、ギョームは力強く頷く。

「あなたは、知恵と勇気をお持ちだ。臣下にも恵まれている。ご協力いただけたら、私にとっても大きな力になります」

 俄かには信じられないギョームの言葉に、キリエは黙って相手を見つめる。

おやすみなさい(ボン・ニュイ)、レディ・キリエ」

 ギョームはキリエの右手を取ると恭しく頭を下げた。

「……良い夢を、王太子殿下」

 ギョームたちは西塔へ向かい、後に残されたキリエは、胸騒ぎを覚えながらその姿を見送った。

「殿下」

 西塔へのアーチをくぐりながら、バラがそっと囁きかける。

「グローリア女伯は、未来のアングル女王となれますかな?」

「……いや」

 ギョームはちらりと背後を振り返り、不敵な笑みを浮かべると呟いた。

「未来のガリア王妃だ」

 顔色を変えるバラを尻目に、ギョームは踵を返した。


 その日の深夜。ジュビリーの書斎にマリーエレンが夜食を運んできた。

「兄上、今日はお疲れになったでしょう。早くお休みになってください」

「おまえもな」

 書類に書き込みを続けながら短く答えるジュビリー。机にキリエの薔薇が置かれているのを見て、マリーは腰を屈めた。

「……キリエ様のことですが……」

 キリエの名を耳にすると、ジュビリーは手を休めて顔を上げた。

「どうした」

「少々……、戸惑っておられました。王太子殿下の礼儀正しい言動に感銘を受けたようですが、何をお考えなのかわからないと、仰っておられました」

「……考えていることは見え透いている」

 ジュビリーは不機嫌そうに吐き捨てた。

「彼にとっては、レノックスやエレソナがアングルの君主になられては困るのだ。自分が即位すればアングルと同盟を結ぶつもりだろうからな。その伏線だ」

「その同盟ですが……。女の私が口出しするべき問題ではないのですが、その……」

 マリーは後を続けるべきかどうか言いよどみ、ジュビリーは目を細めた。

「どうした」

「ギョーム王太子はまさか、キリエ様を……」

 それから先はとても口に出来なかった。マリーの気持ちを推し量って、ジュビリーは重々しく頷いた。キリエを見つめるギョームの瞳が頭から離れなかった。

「……ずいぶんと協力的に見えるが、ギョームはアングルの王位継承権を有している。それを忘れてはならん」

「はい」

 キリエは、人格を形成する大事な幼少期を教会で過ごした信心深い少女だ。それが突然、大人の汚い駆け引きが横行する権力者の世界に投げ込まれ、その中で必死に生き抜こうとしている。そんな時に、甘い言葉を囁く若者が現れれば動揺するだろう。ジュビリーは、新たに現れた一筋縄ではいかない強敵に重い溜め息を吐き出した。その兄を、マリーは心配そうに見つめた。


 翌朝。キリエが渡り廊下を抜けて礼拝堂へ向かうと、そこにはすでにギョームがバラと共に佇んでいた。ギョームはキリエの姿を認めると嬉しそうに微笑む。

「おはようございます、レディ・キリエ」

「おはようございます、殿下。……ずいぶんお早いのですね」

 驚いた様子でキリエが挨拶を述べると、ギョームはちょっと肩をすくめて見せる。

「毎日、朝駆けをする習慣があるのでつい早起きをしてしまいました」

「ゆっくりお休みになれましたか」

「ええ」

 頷いてから、ギョームは身を乗り出した。

「キリエ様。よろしければ共に礼拝をさせていただけますか。あなたは敬虔な修道女でいらっしゃる。一緒に礼拝をさせていただければ、こんなに嬉しいことはありません」

「は、はい」

 緊張に顔を引きつらせると、キリエはぎこちない仕草で彼らを礼拝堂へと導いた。

 いつもは自分一人で祈りを済ませるキリエだったが、今日はギョームらのために「修道女」として祈祷を上げた。

 キリエが普段よりも張りのある声で朗々と聖句を詠唱していく。ギョームは深々と頭を垂れ、口の中で共に聖句を呟く。が、口をつぐみ、そっと目を上げる。頭布(ウィンプル)を被り、細い手を胸で合わせ、祈りを捧げるキリエの姿は、幼い少女ではなく、どこか近寄りがたい畏怖と荘厳を見せている。ギョームは、祈りも忘れて見とれた。文字通り、目を奪われたのだ。

 やがて朝の礼拝が終わり、二人は揃って礼拝堂を後にした。

「朝の礼拝は母を思い出します」

 ギョームが口にした言葉に、キリエは首を傾げて見上げてくる。

「母はいつも、朝駆けを終えた私を礼拝堂で待っていました。……あの頃は良かった。父は礼拝などしませんでした。王室行事の時しかまともに祈りを捧げようとはしなかった」

 言葉の端々から母への思慕と父への絶望が感じられ、キリエは何と声をかけて良いかわからず、口をつぐんだ。そこでギョームははっと顔を上げると慌てて詫びた。

「申し訳ございません。あなたのお気持ちも考えず」

「いえ、構いません……」

 キリエも申し訳なさそうに囁く。そして、ギョームの心をほぐそうと明るい表情で話しかけた。

「とても敬虔なヴァイス・クロイツ教徒でいらっしゃったのですね。殿下の母君は」

「ええ。……母は信じていたのです。天に祈りを捧げ続ければ幸せになると。平和になると」

 それだけ、ギョームの母は夫の愛に飢えていたのか。そう思うとキリエも哀しげに眉をひそめた。ギョームがそんな両親を見て育ったのかと思うと、果たしてそれが良いことだったのだろうかとひそかに彼を哀れんだ。自分は両親の顔も覚えていない。だが、ロレインに深い愛情を注がれて育った。数奇な運命に翻弄されようとも、自分は幸福なのかもしれない。黙り込んだキリエに、ギョームは気恥ずかしげに笑って振り返った。

「思い出しますよ。母は伯父によく相談をしていました。手紙をよくやり取りしていましたから。その手紙を通じて、私も伯父からよく言葉をかけてもらったものです」

「……父から、ですか」

「エドワードのこともよく手紙に書かれていて……。残念です。彼とは一度も会えなかった」

 エドワード。異母兄の名にキリエはぎくりと体を強張らせた。が、そんなキリエの心境も知らず、ギョームは昔を懐かしむように言葉を続ける。

「私は一人っ子でしたから、エドワードは弟のように思っていたのです。……あなたも、彼とは」

「……はい。……会っていません」

 固い表情でキリエが頷く。顔を強張らせたキリエに気づくと、ギョームはわずかに眉をひそめた。が、そこには触れず、穏やかな口調のまま呼びかける。

「母から伝え聞いていたこのアングルが内戦で揺れていることは、私にとっても哀しいことです。早く、平和を取り戻しましょう」

 そして息をつくと主塔を見上げる。

「長話をしてしまいましたね。朝食をいただきましょう」

「はい」

 キリエは、ほっとした表情で頷いた。


 キリエたちは食堂で朝食を共に取った。だが、キリエの思い詰めた表情にジュビリーはすぐに気がついた。食事を終えるとギョームらはそのまま西塔へ戻り、書斎へ向かおうとするジュビリーをキリエが呼び止めた。

「待って、ジュビリー」

 その場に留まるジュビリーにキリエが低く呟く。

「……少し、話したいことがあるの。昨日のことなのだけど、私、考えたの」

「一晩中眠らずにか」

 ジュビリーの言葉にキリエは眉をひそめる。

「眠れなかった日の顔は、すぐにわかる」

 思わず顔に手をやるキリエだが、恐る恐る上目遣いでジュビリーを見つめる。

「……私、同盟なんかしたくない」

 ジュビリーは目を眇め、黙って見据えてくる。

「でも、いつまでもリシャール王がイングレスだけで満足するとは思えない。彼が、本格的にアングルを侵略し始める前に、何とかしなければ」

「……そうだな」

 ジュビリーはキリエの言葉に頷いてみせた。彼女にしてみれば、自分を殺そうとした異母兄姉たちと手を結ぶなど、考えたくもないだろう。

「それに、以前ヘルツォーク殿が言ったことを、覚えている?」

 ジュビリーが眉を上げてキリエの顔を見つめる。

「エスタドのガルシア王が、レノックスと連絡を取ろうとしているって。早くしないと、エスタド軍までアングルに上陸しかねない。そうなれば……」

「急がねばな」

 ジュビリーが後を続け、キリエは黙って頷いた。自分の嫌悪感や不信感を押し隠し、同盟に応じる。その決意を固めたのだ。戦争が長引けば長引くほど、決断の連続が待っている。自分の心を殺すことも、騙すこともしなければならない。キリエは、それを少しずつ学んでいる。

「レノックスたちと同盟を結び、ギョーム王太子とも協力する。……そうしましょう」

「わかった」

 歩み出そうとするジュビリーを、キリエがとっさに呼び止める。

「待って」

 振り返ると、不安に満ちた表情でキリエが見つめてくる。

「……これで、いいの? もし、間違っていたら、お願い、止めて」

「……キリエ」 

 ジュビリーはゆっくり歩み寄ると顔を近づけ、耳元で囁いた。

「自信を持て。決断を後から批判するのは容易い。重要なのは、決断するかしないかだ」

 その言葉に、キリエは少しだけ表情をゆるめた。ジュビリーは力強くキリエの肩を叩いた。


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