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女王キリエ  作者: カイリ
第3章 ローランド会戦
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第3章「ローランド会戦」第2話

ジュビリーがレノックスを迎え撃つべく出陣した。自分に、何ができるのだろう。自問するキリエの元に、ある報せが届く。

「伯爵、見えてまいりました!」

 興奮気味の声が投げかけられる。グラムシャー伯領の丘には〈白鳥〉の紋章旗が翻る騎馬隊。兜から白髪がのぞく男が、目を眇めて示された方角を睨みつける。そこには、見る者を恐怖に陥れる〈盾に心臓〉の紋章旗を掲げた一軍が押し寄せていた。その数はざっと見て三千騎。

「来おったわ」

 グラムシャー伯はそう吐き捨てると兜のバイザーを下ろし、後ろに控えた軍勢を振り返る。

「撃ち方用意!」

 兵士たちが手際よく射出器(バリスタ)を前方に据え付けると、丘の下を駆け抜けようとするルール軍の動きを追う。グラムシャー伯は手を高く掲げ、軍勢を見据える。やがて、一気に振り下ろす。

「てぇッ!」

 バリスタから一斉に無数の(やじり)が弾き出される。小さいが鋭利な金属製の鏃はルール軍の兵士たちの体を豪雨のように打ち付け、次々と大地へと叩き伏せる。

「……!」

 隊列の後方からその光景を目撃したレノックスは思わず手綱を引く。すると、間髪を入れずに横からヒューイットが兜を押しつけ、さすがにレノックスも即座に被る。

「突撃だ!」

 グラムシャー伯が叫ぶと騎士たちも一斉に雄叫びを上げて一気に丘を駆け降りた。バリスタの攻撃で隊列が乱れたルール軍も、槍を突き出して迎え撃つ。グラムシャー軍からも攻撃を指示するラッパが鋭く吹き鳴らされる。

「往け!」

 グラムシャー伯軍は巧妙にルール軍を挟み込み、彼らと激しく打ち合いながら急勾配の丘に沿って共に前進する。

「死に損ないの老いぼれがッ!」

 レノックスが顔を歪めて吐き捨てる。丘に沿って突進する彼らの目の前が突然開けたかと思うと、両脇を固めていたグラムシャー軍の騎馬隊が不意に失速し、その場から離脱する。

「……!」

 異変に気づいたものの、軍勢はそのままの勢いで平原を突き進む。と、その時。レノックスたちの耳に、唸るようなざわめきが響く。

「!」

 レノックスはとっさに左右に視線を走らせた。

(平原……! まさか……!)

 彼が胸の中で呟いたその瞬間だった。左右から長弓の矢が大波のように押し寄せた。

「ぐぁ!」

「ぎゃあッ!」

 黒い矢の雨がルール軍に降り注ぎ、強靱な鏃は歩兵の薄い鎧をいとも簡単に貫いた。隊列の中央に位置していたレノックスは、両脇の兵士が盾になり、直撃は免れたものの馬から投げ出される。数本の矢が兜を直撃し、軽い脳震盪を起こす。

「公爵!」

 後ろからヒューイットのくぐもった声が聞こえる。レノックスはふらつく頭を押さえながら立ち上がると、主を失った騎馬を見つけて手綱を握りしめる。

「お怪我はッ!」

 ヒューイットが肩を掴んで叫ぶが、レノックスは唇を噛みしめて前方を凝視する。左右と前方から潮が満ちるように軍勢が押し寄せる。一際目立つ、グローリアの〈青蝶〉と、クレドの〈赤薔薇〉の紋章旗が冬空に翻る。

「クレド伯……」

「ジュビリー・バートランド……!」

 吐き捨てるように呟くとレノックスは馬に飛び乗った。

「我が王位を認めぬ逆賊だ! 蹴散らせ!」

 レノックスの号令に将兵は一斉に雄叫びを上げた。ロングボウの一斉射撃で損害を被ったとはいえ、絶対数ではルール軍が勝っている。

 態勢を整えたルール軍と、正面に陣取ったクレド・グローリア連合軍。双方の軍は武器を突き上げ、叫び声を上げて激突した。剣と剣が切り結ぶ音。槍が鎧を叩きつける音。盾で斬撃を受ける音。騎馬の嘶き。

 敵味方入り乱れた白兵戦が繰り広げる中、銀の甲冑の騎士が馬を走らせ、オウルパイクで次々と騎兵をなぎ倒してゆく。一人の騎兵を馬から叩き落とすと馬首を巡らせる。

「……!」

 バイザー越しに飛び込んできた光景に、ジョンは思わず息を呑んだ。くすんだ銀色の甲冑に身を包んだ冷血公が罵声を張り上げながら長剣を振るっている。斬るというよりも叩き潰すといった表現が近い。刻一刻と彼の周りは動かなくなった兵士の山ができ上がる。

「おおッ!」

 剣を振りかざして雄叫びを上げる冷血公に、皆怖じ気付いて後退りする。ジョンは目を眇めて歯噛みした。

「……狂獣め……!」

 その時、一際甲高い馬の嘶きが響き渡る。黒馬に跨った黒騎士が突進し、数人の騎士が後に続く。黒騎士は歩兵を下がらせると剣を抜き放った。レノックスが兜の下でにやりと笑う。

「バートランド!」

 ジュビリーは呼びかけに応じないまま猛然と斬りかかる。レノックスがそれを弾き返すが、ジュビリーは鋭く二の太刀を繰り出す。レノックスの騎馬は前足を跳ね上げてその攻撃を交わす。が、手綱を引き絞るレノックスの兜を、ジュビリーの剣が強打する。先ほどの脳震盪が後を引いていたレノックスが一瞬意識を失い、騎馬からなだれ落ちる。それを目にしたジョンがすかさずパイクを振りかざすが、不意に脇から手斧を投げつけられ、ぐらりと馬上で揺らぐ。とっさに振り返ると、駆け寄ったヒューイットが剣で斬りかかってくる。

「公爵!」

 馬上でジョンと剣を交えながら、ヒューイットが叫ぶ。ルール軍の歩兵が即座に落馬したレノックスを囲い、ジュビリーは舌打ちすると罵声を張り上げる。

「どけッ!」

 ジュビリーの軍馬が高い声で嘶くと、前足で歩兵たちを蹴倒すが、その間にもレノックスはその場から連れ出される。

「くそッ!」

 ジュビリーは手綱を引くと、辺りをさっと見渡した。劣勢ではない。だが、歩兵らはレノックスの狂戦士ぶりに恐れをなし、進撃できない。ジュビリーは焦りを感じながら唇を噛みしめた。


 ローランドでルール軍とクレド・グローリア軍が激突した報せはマーブルにも伝えられた。

「兵の数は」

 マーブル伯ジェラルド・シェルトンの問いに、斥候はわずかに息を切らしながら答える。

「はっ。ルール軍は同盟を結んだ諸侯の援軍も含め、約三千。クレド・グローリア連合軍は約二千です」

「数に開きがあるな」

「しかし、クレド軍によるロングボウの一斉射撃でルール軍はかなりの損害を被っています。今現在は拮抗しております」

「お聞きになりましたか?」

 シェルトンはそう呼びかけながら振り返る。そこには、姿見で自分の姿を眺めているエレソナがいた。白銀の甲冑を身につけ、小振りの槍斧(ポールアックス)を手にしている。

「こちらはどうかき集めても千五百です」

「奴らを相手にするわけではないからな」

 視線も向けずにエレソナは答えた。

「兄上がいないプレセア宮殿は手薄だ。占拠できればそれでいい」

「しかし」

「言ったはずだ。私は王位に固執しない。王家への復讐ができれば……」

「駄目よ!」

 突然背後から叫び声が上がり、エレソナとシェルトンは振り返った。そこには、顔を青ざめさせたアリス・タイバーンが立ち尽くしていた。

「あなたは女王よ……! この国の女王になるの! あなたには、その権利があるのだから!」

 母親の悲痛とも言える懇願に、エレソナは顔を歪めた。

「……母上がそう仰るなら……、王位を目指しても良い。……だけど」

 一度言葉を切り、エレソナは沈黙した。アリスとシェルトンが息を潜めて見守る中、エレソナのやぶ睨みの瞳が凶暴な光を帯びる。「まずは、私の幽閉に関わった人間全ての抹殺だ」

 アリスはごくりと唾を飲み込んだが、シェルトンは表情を変えないままエレソナを見つめる。

「宮廷侍従長セヴィル伯。母上を毛嫌いしていた王太后ベル・フォン・ユヴェーレン。そして……、私や母上から父上を奪った妹、キリエ・アッサー」

 エレソナは手にしたポールアックスを見つめた。

「あれが父上を奪ったのだ……。あれがいなければ、今頃私たちはまだ王宮にいた。母上が王都を追放され、私が幽閉されることもなかった」

 元はといえば、エレソナが嫉妬に駆られてキリエを殺そうとしたのが原因だ。だが、シェルトンはそれを指摘しようとは思わなかった。

「私から自由を奪った者は残らず殺してやる……。必ずだ!」

 静まり返る中、エレソナは不敵な笑みを浮かべて一同を振り返る。

「だが、ローザは別だ。ローザはずっと私の側にいてくれた」

 シェルトンがそっと部屋の隅へ視線を向ける。そこには、影のように無言で佇むローザ・シャイナーがいた。相変わらず仮面のように無表情のまま。

「シェルトン、行くぞ」

 そう言い放つ娘に、アリスは慌てて呼び止める。

「待って! 本当に戦場へ行くの?」

「当然よ」

 エレソナは不敵に笑いながら振り返る。

「私には手もあるし足もある。馬に乗れるし、武器も握れる。ならば戦う! 自由になったこの体で!」

「エレソナ……」

「ご心配なく、母上。必ず帰ってまいります。ローザ、母上を頼むぞ」

 ローザが黙って頭を下げる。強張った表情の母をそっと抱きしめるが、エレソナはかすかに眉をひそめた。母は、こんなに細い体だったか……? エレソナは不吉な思いに駆られた。


 斥候や将兵が行き交う大広間で、キリエは居ても立ってもいられない様子で立ち尽くしていた。斥候が戦況を告げるたびにレスターが方々へ矢継ぎ早に指示を出す姿を不安げな様子で見守る。

「女伯!」

 一際大きな声で叫びながら従者が馳せ参じる。

「使者を派遣していた諸侯から、援軍を送りたいと申し出が!」

「本当に?」

「どこだ」

 喜ぶキリエと違い、慎重な様子でレスターが問いただす。

「現在わかっているだけで、ベイカー子爵、ファーマン子爵、そしてミレン伯爵です」

「すぐに援軍を送ってもらえるの?」

「すでに軍勢を整え、後は女伯の命令を待つだけだそうです」

「併せてどれぐらいの規模になるの?」

「おそらく、千になるか、ならないかでしょう」

 その数にレスターが思案顔で黙り込み、やがて顔を上げると慎重に囁く。

「ルール公に味方するものが更なる援軍を送ってくることも充分考えられます。決して楽観できません」

 レスターの険しい表情に、キリエは眉をひそめて彼の横顔を見つめる。

「……いかが計らいましょう」

 従者の呼びかけに、キリエは顔を上げる。

「すぐに、援軍を派遣するよう」

「はッ」

 従者が背を向け、走り去る様子を見つめながらレスターがキリエにそっと寄り添う。

「ルール公との戦いがこれで決するとは思えません。これからも大きな戦いがありましょう。この度の戦いは、今後の勢力図を占う上で重要なものになるかと。この戦い、絶対に負けるわけには参りませぬ」

 キリエはごくりと唾を飲みながら頷く。こうしている間にも、ローランドでは次々と兵士が死んでいることだろう。彼女はいたたまれない様子で項垂れた。レスターが声をかけようとした時、再び大広間に斥候が飛び込んでくる。

「女伯!」

「どうした」

「マーブルから軍勢が……!」

 一瞬、大広間が静寂に包まれ、すぐにまた喧騒が沸き起こる。

「マーブル伯が?」

「はッ! つい先ほど、イングレス方面へ出撃しました!」

「イングレス?」

 キリエが思わず身を乗り出し、レスターを見上げる。

「まさか、プレセア宮殿を襲うつもり?」

「なるほど……。ルール公のいないプレセア宮殿は手薄でしょう。そこを叩き、イングレスを支配下に……」

「それとッ」

 斥候は息を整えてから言葉を接いだ。

「軍勢の先頭に、レディ・エレソナ・タイバーンと思しき騎兵が……」

「……何ですって」

 青ざめたキリエが呟く。

「先日、王位宣言をした際に目撃された姿格好とよく似ているそうです」

「あの雌狼……、自らの手で王都を手に入れるつもりか……!」

 珍しくレスターが苦々しげに毒づく。

「レスター!」

「落ち着いて下さいませ、キリエ様」

 レスターがしっかりとした口調で言い切る。

「マーブルとタイバーンの軍勢は数が知れています。せいぜい二千も満たないといったところでしょう」

「でも、不意を突かれたイングレスが落とされる可能性が……!」

「確かにその恐れはあります。私が手勢を率いて食い止めます」

「レスター……」

 レスターは幼いキリエを安心させるため、ゆっくりと諭すように語った。

「大丈夫です、キリエ様。マーブル軍を殲滅させるまでもなく、軍勢を撹乱し、イングレスへの進撃を断念させれば良いのです。この老体でもそれぐらいのことはできます」

 再び大広間にざわめきが沸き起こる。

「ローランドより帰還いたしました!」

 その叫びにキリエたちが振り返る。血や泥で汚れた兵士が疲労で顔を歪めてその場に跪く。

「戦況はッ」

「わずかに押され気味でございます……!」

「そんな……」

 わずかに喘ぎながら兵士は続ける。

「決して劣勢ではございませんが……、クレド伯の戦いぶりも空しく、皆、ルール公の狂気に恐れをなしております。戦意を高揚させねば、このままでは……」

「援軍を送るわ! それまで何とか踏みとどまって……!」

「おぬし、伯爵に援軍が到着することを伝えて参れっ」

「はッ……!」

 兵士が重い体を起すと、召使いらが数人駆け寄って水差しなどを差し出す。

 戦場から次々と届けられる情報に、キリエの胸が早鐘のように打ち鳴らされる。皆、命を懸けて戦っている。自分だけ、のうのうと城に留まっていてもいいのか? いいわけがない……! キリエは思い詰めた表情で項垂れていたが、やがて静かに顔を上げる。

「……ハーバート!」

 家令のハーバートが小走りに駆け寄る。

「お呼びでございますか」

 目を伏せたまま、キリエはかすかに震えた声で囁いた。

「……私の体に合う甲冑を探してきて」

「……はッ?」

 近くにいた者たちが一斉に振り返る。

「い、今何と?」

「さすがに、この格好では戦場へは行けないわ……」

「何を仰いますッ!」

 キリエの予想もしない言葉にレスターが目を剥いて怒鳴るが、彼女は青い顔のまま冷静に反論する。

「兵を激励して戦意を高めるのが私の仕事のはずよ。エレソナだって軍を率いて戦おうとしている……。私は、安全な場所で守られたまま、ただ祈りを捧げるだけの修道女でいてはいけないのよ」

「あなたが今までくぐり抜けてきた戦火とは比べようがない戦いですぞ! あの時は、我々がキリエ様を守って逃げおおせればよかったが……」

「この戦いは負けられないって、レスター、あなたが言ったのよ!」

 珍しくキリエが激しく声を荒らげるのにレスターは面食らって黙り込む。キリエは声を荒らげたことを恥じるように俯くが、すぐに顔を上げる。

「あなたが言ったように、この戦いはこれからの戦局を左右する大事な戦いになるわ。だからこそ、負けるわけにはいかない。レノックスへの恐怖を引きずれば、長い戦いを続けることはできない。だから、私も戦う姿を皆に見せなくては。カンパニュラとユヴェーレンの戦いがそうだわ」

 キリエはプレシアス大陸の二つの国の名を挙げた。

「十年前、カンパニュラ王が惨たらしく殺されて、国民は戦意を喪失した。絶体絶命の危機に陥った時、王妃だった今のフランチェスカ女王が立ち上がって軍を率い、彼女の戦いぶりでカンパニュラは息を吹き返した。今でもあの小さな国が戦い続けられるのも、女王の奮闘があったからよ。違う?」

 レスターはキリエの気迫に圧倒されながらも内心舌を巻いた。あの修道女……、ロレインといったか。彼女は世界情勢だけでなく、外国の戦史まで教育していたのか。確かに、一昔前までは、王妃や女王、女領主が戦場を馬で駆け抜けることは珍しくなかった。

「それに……」

 キリエはわずかに目を伏せ、小さな声で呟いた。

「あんな男に……、ジュビリーを殺されたくないわ……!」

 その言葉に、レスターは沈黙せざるを得なかった。しばらく沈黙した後、キリエは顔を上げた。

「ハーバート」

「……はっ」

 ハーバートはレスターの顔色を窺いながらもその場を辞した。

「レスター、あなたはエレソナを追って。私はローランドへ向かいます」

「キリエ様。ひとつ、約束して下さいませ」

 レスターの言葉にキリエが振り返る。老臣は険しい表情のまま幼い主君を見つめた。

「お姿を見せるだけで兵は士気を高めるはずです。戦いの渦中に身を投じることは、絶対に許しませんぞ」

「……わかったわ」

 キリエは力強く答えた。


 マーブルを出た軍勢は、一路王都イングレスに向けてひた走っていた。マーブルとタイバーンの兵を集めても千五百。だが、確かに支配者のいない都を襲うには千五百もあれば充分だ。シェルトンは併走するエレソナを一瞥する。馬の操り方も堂に入ったものだ。この姿を見れば王都の民も慌てふためくに違いない。問題はその後だ。レノックスと優位に交渉を進め、同盟を結ぶつもりだったが、アリス・タイバーンの意向を汲めば、あくまで王位を目指すことになる。しかし、今の自分たちの実力からいえば、それは無謀に近い。シェルトンは、マーブルを中心としたイングレス以北、北アングル地方を独立国として分離させることも視野に入れていたが、もちろんレノックスが認めるわけがない。長い戦いが続くことになるだろう。どちらにしても、実力不足だ。本来ならば、エレソナやアリスの身の安全を考慮し、レノックスの軍門に降るのが最善の策であるが、気位の高いあの母娘が受け入れるとは到底思えない。だからこそ、この機に乗じて王都を自分たちの手で陥落させておきたい。

(この戦いを制した者が、アングルを制することになる)

 シェルトンはそう自分に言い聞かせた。


 白銀の甲冑に身を包んだキリエは、長い髪を深紅のリボンで束ねた。

「女伯。いかがですか、甲冑は……」

「ちょっと大きいけれど、わがままは言っていられないわ」

 ハーバートが神妙そうな顔つきで囁く。

「それは……、殿がバートランド家をお継ぎになられた時の儀式で着用されたものでございます」

 その言葉にキリエは思わず振り返った。城代家令はじっとキリエを見つめた。

「その時、殿は十二歳でございました」

 そんな幼いうちに家督を……。キリエはわずかに動揺の表情を見せた。そして、鎧の胸当てにそっと手を添える。

「女伯、今ならまだ……」

 心配そうなハーバートの言葉に、キリエは目を閉じると顔を横に振る。

「……もう、逃げたり、隠れたりは、嫌……」

 そして、静かに息を吐き出すとキリエは衣装部屋を後にした。中庭へ向かうと馬丁がアガサを連れてきていた。アガサの首を撫でるとそっと頬を押し付ける。

「アガサ……、今から二人でジュビリーを助けに行くのよ」

 周りの喧騒に興奮気味ながら、アガサはキリエの語る言葉にじっと耳を傾けるかのような仕草を見せる。キリエは思い出したようにふっと微笑んだ。

「きっと、ジュビリーはものすごく怒るでしょうね。覚悟しておかなきゃ」

 アガサは鼻をキリエに押し付けてくる。

「行くわよ」

 キリエはそう呟くと、鞍に跨った。城門まで進むと、そこには普段はキリエの身を守る騎士団が待っていた。キリエは強張った表情で彼らを見渡した。

「ローランドでは、友軍がレノックスの狂気ぶりに恐れをなしているわ」

 キリエの呼びかけに騎士たちの表情も引き締まる。

「諸侯からの援軍が来るまででいいわ。私を守って。お願い」

 騎士たちは剣を捧げ持つと敬礼する。

「グローリア女伯、ご出陣!」

 騎士のひとりが叫ぶと部隊は一斉に城門をくぐって走り出す。キリエは兜のバイザーを下げると前を見据えた。


 その頃、精鋭の手勢を率いたレスターは、マーブルからイングレスへ至る道筋を先回りするべく、急峻なダイン山脈の峠を越えようとしていた。このまま行けば、イングレスへ向かうマーブル軍を見下ろす位置に回れる。マーブル軍を見つけ次第、崖から一気に襲い掛かる作戦だ。早い段階でマーブル軍を退却に追い込まなければ、クレド城の防御が手薄になる。レスターにとっても賭けだった。

(半年か)

 馬を走らせながらレスターは胸中で呟いた。

(教会を出て半年……。ここまで成長されたとは……)

 これも、持って生まれた王家の血がそうさせるのだろうか。レスターは、キリエの成長を頼もしく感じると同時に、複雑な思いに駆られた。


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