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女王キリエ  作者: カイリ
第2章 タイバーンの雌狼
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第2章「タイバーンの雌狼」第8話

生まれてきた日を知り、キリエとジュビリーとの絆も深まる中、王都イングレスでは大事件が起きていた。第2章完結。

 キリエにとって忘れられない十一月が過ぎようとしていた時。「いつまでこの楽しい時を過ごせるかわからない」という彼女の言葉が現実のものになろうとしていた。

 極寒の王都イングレス。プレセア宮殿に黒いローブをまとった一団がやってきた。貴族や女官たちは眉をひそめ、華やかな宮廷はたちまち異様な雰囲気に包まれる。

 先頭の男は大司教の証である白い帽子を被り、白い息を吐きながらかじかむ手を揉んでいる。彼らは家臣たちが居並ぶ玉座の間へ通され、緊張した面持ちで自分たちを呼び出した相手がやってくるのを待った。やがて外からざわめきが聞こえてくる。大司教は鋭い目を上げた。

 玉座の間に、高い足音が響くとレノックス・ハートが現れる。彼は上品とは言えない歩き方で玉座まで辿りつくとどかりと腰を下ろす。

「お待たせしたな。カトラー大司教」

 レノックスの横柄な挨拶に、大司教の後ろに控える僧侶たちは皆手を合わせて片膝をついて礼をとるが、カトラーだけは無言で冷血公を見上げると、わずかに顔をしかめる。レノックスは目を細めると冷笑を浮かべた。

「聖職者でありながら、合掌の礼をとらなかったのはそなたで二人目だ」

「二人目、でございますか」

「一人目はキリエ・アッサーだ。まぁ、あれと出会ったのは戦場だったがな」

 キリエの名を聞いてカトラーはますます険しい表情になり、とってつけたように頭を下げる。

 ベケット・カトラー大司教。イングレスの聖アルビオン大聖堂付きの大司教にして、アングルにおけるヴァイス・クロイツ教の最高位者である。

「グローリア女伯は我が一門の修道女。安否を懸念しているのですが」

「さぁな。今頃クレドでのんびりしているのではないか?」

 暢気な口調とは裏腹に、レノックスの表情は引きつっている。狂気に近い凶暴な光をたたえた目に怯むことなく、カトラーは上目遣いに見返す。

「クロイツのムンディ大主教から戴冠を拒まれたのは、知っているな」

「……存じております」

「あの狸親父め、アングルの現状を知りもせずに頭から否定しおった。そなたはわかっているな? 今イングレスを支配しているのは誰だ?」

 僧侶たちは不安そうな顔つきで大司教を見つめている。少しの沈黙の後、カトラーは表情を変えないまま声高に言い返す。

「アングルは現在、君主不在でございます」

 レノックスの頬がぴくりと痙攣する。だが、辛抱強く低く言葉を吐き出す。

「……ヴァイス・クロイツ教の坊主は皆頭が固いと見える」

「信仰心のない者からすると、そうかもしれません」

 大司教の強気な態度に、モーティマーは肝が冷える思いで見守る。レノックスは苛立ちを隠そうと拳を握りしめている。

「……まぁいい。要点を話そう」

 カトラーは、眼光鋭くレノックスを見据えている。

「そなたを呼んだのは他でもない。私の戴冠をそなたにやってもらいたいのだ」

「戴冠……? 私は大司教に過ぎませぬ。君主への戴冠権はクロイツの大主教猊下のみが有しております」

「だが、拒まれた」

 レノックスは更に言い返そうとするカトラーの言葉を阻んだ。

「誰が冠を授けようが同じことだ。誰が見ても、現在このイングレスを支配しているのは私だ。誰であろうと、ヴァイス・クロイツ教の司教から冠を受ければ、国民は納得する」

「愚かな……! 本末転倒な話です!」

 レノックスは玉座から身を乗り出すとカトラーを正面から凝視する。

「私が王になれば、そなたをアングルの主教に指名しよう。クロイツの指示を仰ぐ必要はない。そなたが今存在しているこのアングルでの地位が重要なのだ」

 カトラーは呻吟すると天を仰いだ。目を閉じ、眉をひそめ、やがて悲壮な表情で低く呟く。

「……天は一体どういう目的でこのような傍若無人な者をお造りになられたのか……。先王陛下も天でお嘆きになられているでしょう。待ち望んだ男子がこのような造りの間違った者だったとは――」

「口を慎めッ!」

 レノックスが一喝すると玉座を蹴って立ち上がる。ヒューイットやモーティマーが玉座へ駆け寄ろうとするが、レノックスは「下がれ!」と右手を払う。僧侶たちが震えながらも大司教の袖を引っ張り、平伏させようとするが、彼はその手を優しく払う。

「天が造り間違えた存在だと……。貴様は自分の立場をわかっているのかッ!」

「わかっております。悪逆な暴君の誕生を阻止すること。信心深いアングルの国民を守ること。私の今の役目はその二つに尽きます」

 レノックスは高座を駆け下りると腰の剣に手をかけ、モーティマーが慌てて腕を押さえる。

「公爵! 無知蒙昧な僧が申すこと……! お聞き流し下さいませ!」

「聞き流せだと?」

 レノックスは腕を振り払うと、跪いたままのカトラーを見下ろす。

「もう一度言うぞ」

 早くなる呼吸を抑え、レノックスは震える声で囁く。

「私に戴冠せよ。さもなくば……、この場で斬る!」

「公爵!」

「ルール公」

 カトラーは怯えることなく言い返した。

「あなたはすでに戴冠しておいでだ」

「……何」

「悪魔どもが巣食う地獄を統べる魔王に戴冠しておいでだ。……必ずや罰が下り、後悔なさるでしょう」

 その場に恐ろしい沈黙が広がる。レノックスは無言でカトラーを凝視していたが、やがて肩を落とし、くるりと背を向けた。が、その瞬間腰から長剣を抜き放つと、振り向き様に振り下ろす。

「が……ッ!」

 カトラーの首から鮮血が噴出し、僧侶たちが悲鳴を上げる。

「こ、公爵ッ!」

 場が騒然となる中、ヒューイットが返り血を浴びたレノックスに飛びつくと握り締めた剣を取り上げようとする。

「どけッ!」

 レノックスはヒューイットを蹴り上げると剣を握りなおし、すでに息絶えたカトラーに切っ先を向ける。

「後悔だと……。後悔するのは貴様だッ! 貴様らヴァイス・クロイツ教だッ!」

 腰を抜かした僧侶たちが譫言のように祈りを呟きながら後ずさりするのを見たレノックスは再び剣を振りかぶり、一人の僧侶に振り下ろそうとする。が、モーティマーが脇腹を突き飛ばして倒すと床にねじ伏せる。

「公爵! これ以上僧を殺せば、クロイツが黙っておりません! クロイツだけでなく、信仰心の篤い国民までも……!」

「黙れッ!」

 レノックスは右肘を突き上げてモーティマーの頭を殴打すると立ち上がる。

「私が王だ! 私が、アングル王レノックス・ハート・オブ・アングルだ!」

 彼の絶叫が玉座の間に響くと、貴族たちは悲鳴を上げながら我先に逃げ出していった。


「きゃッ!」

 暖炉の近くで暖をとっていたキリエは、爆ぜた薪の火が飛び散って悲鳴を上げた。

「どうした」

 書棚の影からジュビリーが声をかける。

「火の粉が……」

 キリエが恐々と暖炉を見つめる。教会には質素で小さな暖炉しかなく、このような大きな暖炉は見たこともなかった。まだどきどきする胸を押さえ、黙って暖炉を見つめていると、書斎の扉が荒々しく開け放たれる。

「キリエ様! 伯爵!」

「レスター?」

 汗だくのレスターが小走りに駆け寄ってくる。

「イングレスから早馬です。ルール公が、聖アルビオン大聖堂のカトラー大司教を殺害したそうです……!」

「!」

「何だとッ」

 キリエは息を呑み、ジュビリーは険しい顔つきで口走る。

「クロイツのムンディ大主教が戴冠を拒否したため、アングルの最高聖職者であるカトラー大司教に戴冠を要求したのですが、彼はそれを拒み、それどころかルール公を挑発する言葉を投げかけ……」

「馬鹿なッ!」

「キリエ様……!」

 キリエの悲鳴にも似た絶叫に、レスターもジュビリーも驚いて振り向いた。キリエの顔は紅潮し、唇が震えている。震える手で額を押さえ、必死に怒りを堪えようとしている。

「大司教は……、アングル国民の支えよ……! ど、どうしてそんなことをッ…!」

「キリエ様……」

「許せないわ! もう……、我慢できない!」

「ではイングレスに攻め込むか」

 ジュビリーの冷たい言葉に、キリエははっと我に帰った。振り向くと、ジュビリーは目を眇め、険しい表情でキリエを見つめてくる。

「女王になるため、今こそイングレスに攻め込むか? それもいいだろう。だが、攻め込んでどうする? イングレスは今レノックスの支配下にある。今不用意に兵を起しても無駄に人が死ぬだけだ」

 無駄死に。その言葉にキリエは体を震わせると、近くの書棚に寄りかかった。これまでにも多くの人が死んでしまった。これ以上、自分のために誰かが死ぬのはもう嫌だ……! ジュビリーがゆっくりと歩み寄ると、キリエの耳に口を寄せる。

「許せない気持ちはわかる。おまえは修道女だ。大司教の殺害など、到底許せないだろう。だが、ここで怒りに任せて挙兵してはならん」

 キリエは目を閉じ、ゆっくり深呼吸を繰り返すと落ち着きを取り戻そうとした。

「だが、今度ばかりはレノックスもただでは済まないだろう……」

 ジュビリーは小さく呟くと、レスターを振り返る。

「こちらが動かなくとも、何が起こるかわからん。イングレスの動きから目を離すな」

「はッ」

 レスターは一礼すると足早に立ち去った。

「ジュビリー……」

 ジュビリーが振り返ると、キリエは一転して蒼白の表情になっていた。

「……これから、どうなるの……」

 それには、ジュビリーも沈黙で答えるしかなかった。


 丘の上から一人の男が海を眺めている。正確には、眺めているのは海ではなく、その先にあるはずのアングル島だ。ガリアの港町クーレイは狭い海峡を挟み、アングルとは目と鼻の先ほどの距離だった。目を細める男の頬を、冷たい潮風が撫でる。そのうち、背後から草むらを踏む足音が聞こえてくる。

「アンジェ伯」

 振り向くと武装した騎士が足早に向かってくる。

「何とか船の手配はできました」

「アングルに上陸できそうか」

「まずは二十隻。上陸が成功すればガリアに帰還し、第二陣として残りの兵を輸送できます」

「そうするしかないか……」

 アンジェ伯アルマンド・バラは重い溜息を吐き出した。騎士が身を乗り出す。

「アングルは今、君主不在の混乱にあります。上陸は難しくないかと」

「まぁな。だが、後には引けん奇襲だ。手抜かりのないようにな」

「はッ。……それと、アングルから報せが……」

 騎士の言葉にバラが首を巡らせる。騎士は声をひそめて囁いた。

「ルール公が聖アルビオン大聖堂のカトラー大司教を殺害したそうです」

 バラの眉間に深い皺が刻まれる。

「……アングルにおけるヴァイス・クロイツ教最高指導者です」

「あの獣め、我慢を知らなすぎるな」

「アングルは保守的な信者が多い土地です。このままでは済まないでしょう」

 ヴァイス・クロイツ教。その言葉はバラにある人物を思い出させた。

「グローリア女伯は……、元修道女だったな」

 騎士が頷く。

「黙ってはおりますまい」

「しかし、その修道女があの狂獣を破ることができるかな」

「人々の信仰心をどこまで戦力に変えることができるか。そこが勝敗を分けることになるでしょうな」

 バラは再び海を眺めた。十二月の海は暗く重い。不穏な気持ちを駆り立てる灰色の厚い雲が重く立ちこめ、まるでアングルの状況を物語っているようだ。しばらく黙っていたバラは、やがて視線は海に向けたまま尋ねる。

「……ギョーム王太子は今何処にいらっしゃる」

「ルファーン城を拠点とされています」

「……わかった」

 バラは息をつくと騎士を振り返った。

「まずは船の手配を完璧にしておけ」

「はッ」

 騎士は一礼すると踵を返した。バラは騎士が向かった野営地のテント群を眺めた。

 彼の主君、ガリア王リシャール以下二万の兵員は長引く内戦に皆疲れきっていた。勢いが衰えぬギョーム王太子とこのまま戦い続けても勝ち目はない。そこへアングル王太后ベルからの誘いがあった。アングルとて内戦の混乱まっただ中。うまくいけば王太子の追撃を断ち切り、アングルを手に入れることができる。ギョームも、外国へ逃れた父王を追うよりもガリアの王位を優先させるはずだ。しかし、バラの薄い口元には冷笑ともとれる笑みが浮かんだ。

「……うまくいけばの話だ」


 ベケット・カトラー大司教殺害さる。

 その事実は野火のごとくアングル全土に広まった。アングル最高聖職者の死に皆悲しみ、絶望した。そして、殺害したのが他ならぬ冷血公レノックス・ハートだという事実に、ついに怒りが爆発した。イングレス周辺は一気に騒がしくなり、王都から逃げ出す者と、それを防ごうとするルール軍の小競り合いが頻発した。市民の流出は王都の機能を停止させる恐れがあったためである。

 そしてもう一つ、レノックスの神経を逆撫でする現象が起こった。辺境各地の諸侯たちがクレドの地を目指し始めたのである。豪族や爵位の低い者が多かったが、その事実はレノックスを激昂させた。そしてそれは、ジュビリーにとっても望んでいた時期ではなかった。

「十二人目の使者が到着した」

 クレド城の一室で、押し黙っているキリエの背にジュビリーが告げる。体にぴったりした濃紺のベルベットのドレスはキリエによく似合っていたが、華奢な体格が強調され、余計に心細い印象を与える。

 クレド城は数日前から各地の諸侯が寄越した使節団で溢れかえっていた。多くは城代家令を代理人としていたが、子爵以下の豪族や、主君を求める騎士など、続々と集結している。戦争の足音がはっきりと聞こえだしたことに、キリエは怯えて夜も寝られなかった。

「……十二人目……」

「十二人の諸侯に、二三人の騎士。……イングレスもここ同様、諸侯が集まりつつある。これまではっきりとした態度を示さなかった諸侯も、我々に加勢するか、それとも冷血公の側につくか、明らかになる」

 キリエが青い顔で振り返る。

「……レノックスに味方する人もいるの?」

 何故レノックスの元へ人が集まるのか理解できないキリエに、ジュビリーはゆっくり低い声で説明する。

「南アングル地方の地域は昔からエスタドとの交易が盛んだ。今のエスタドの隆盛を見れば、同盟を結ぼうとするレノックスに同意する者も少なからずいるだろう。奴がたとえ冷血公の通り名を奉られていても、気に入られてしまえば何の問題もない」

「そんな……」

「クレドのようなイングレス以北は、保守的なヴァイス・クロイツ教徒が多い。それ故クロイツの意向を重視する傾向にある。だから、皆おまえの元へ集まる。……内戦を制したとしても、エスタドとクロイツに対する駆け引きは続いていく」

「でも、それは」

 キリエは眉をひそめ、必死に囁いた。

「まるで、エスタドとクロイツの代理戦争じゃない……!」

「弱小国とはそんなものだ。それがいやなら、国力をつけるしかない」

 有無を言わさぬ物言いにキリエは黙り込むしかなかった。ジュビリーは言葉を続けた。

「例えば、プレシアス大陸で最も小さな王国であるカンパニュラが、軍事大国ユヴェーレンを相手に十年も戦争を続けられるのも、貿易で富を得ているからだ。国力とは、軍事力だけではない。経済力や外交術、すべてだ」

 ジュビリーの言葉に、キリエはあることに思い当たった。今までは女王になることだけを考え、ジュビリーやレスターから様々なことを学んでいた。だが、女王になった先のことまでは考えていなかった。国を富ませ、守らなければならない。それが君主の務めだ。

「だが……」

 思い詰めた表情のキリエに、幾分穏やかな声色でジュビリーが声をかける。

「今はレノックスと一触即発の状況だ。まずは、この危機を脱しなければ」

「……はい」

 緊張した面持ちのキリエを見下ろしていると、扉が静かに叩かれる。

「女伯、皆様がお待ちです」

「今行く」

 キリエの代わりにジュビリーが返事をすると、彼女は覚悟を決めたように大きく息を吐いた。

「……行きましょう」

 扉を開くと、数人の騎士や侍女が待っていた。侍女が部屋へ入ってくると素早くキリエの髪や衣装を整える。やがて一行が石造りの廊下を歩き出すと、廊下の先から慌ただしい足音が響いてくる。

「キリエ様!」

 やってきたのはジョンだった。キリエは眉をひそめると立ち止まる。

「イングレス郊外で武力衝突が……」

 ジュビリーの眉間の皺が深くなる。

「どこで」

「王領を管理しているセレン子爵とルール軍が境界線を巡って小競り合いを起こし、そのまま……」

「セレン子爵はこちらに使者を寄越しているぞ……」

「そうです。それで、滞在中の使節団が騒ぎ始めていて」

 キリエが怯えたような目つきでジュビリーを見上げるが、彼は静かに頷いてみせた。

「打ち合わせ通りでいい」

「……はい」

 再び一行は大広間へ向かう。目指す大広間に近づくにつれ、潮騒のようにざわめきが聞こえてくる。思わずキリエが震える手を握りしめていると、ジュビリーが軽く手を叩いてくる。顔を上げて彼と目を合わせると、キリエはもう一度深呼吸を繰り返す。

 やがて大広間への扉が左右に開かれる。そこには様々な姿格好の男たちで溢れかえっており、皆興奮気味だった。つい先日はここで、城に住む者たちが盛大に誕生日を祝ってくれたのに……。キリエは複雑な思いに駆られた。

「グローリア女伯である!」

 ジョンが声高に呼びかけると、ざわめきがわずかに静まり、一斉にキリエたちを振り返る。やがて彼らは道を空け、その道を緊張に顔を引きつらせたキリエが進んでゆく。その姿を目にした皆の口から驚きの声が漏れる。〈ロンディニウム教会の修道女〉がまだ幼い少女であることを知ってはいたが、皆、実際に目にして衝撃を受けたのだ。本当に、このか弱げな少女が冷血公と戦い、王位を継承することができるのか。

 皆からの視線を全身に浴びながらキリエは高座まで進んだが、高座に上がろうとする前に一瞬動きを止め、ゆっくり振り返った。

 居並ぶ使者たちを見渡すとキリエは静かに両手を合わせ、片膝を突いた。どよめきが上がる中、彼女ははっきりとした口調で挨拶を述べた。

「グローリア女伯キリエ・アッサーです。天のお恵みと今日の出会いに感謝いたします」

 女伯という身分でありながら、ヴァイス・クロイツ教の礼儀を忘れないキリエに、その場にいた者たちは皆驚き、そして心を打たれた。使者たちは次々とキリエに向かって跪いてゆく。その様子を、ジュビリーは片膝を突いた姿で見守った。幼いキリエが人々に訴えかけられるのは、修道女としての篤い信仰心だけなのだ。ひとしきり祈りを捧げてからキリエは立ち上がった。

「お立ちになって下さい」

 まだ緊張の残る声で呼びかける。

「私はご覧の通り、未だ成年に達していない修道女に過ぎません。あなた方の……、お力をお借りしたいのです」

 使者たちが顔を上げ、ゆっくりと立ち上がる。

「ご存知の通り、過日、兄ルール公がカトラー大司教を殺害しました。……許しがたいことです。そして、つい先ほどルール軍とセレン子爵の軍が衝突しました」

「我が君です!」

 突然大広間の中央から叫び声が上がる。叫んだ者が人をかき分け、前へ進み出る。

「我が主君、セレン子爵はルール公が王位を宣言した時から異を唱えておりました。天を冒涜し、民を虫けらの如く殺す公爵は君主にあらざると! セレンの地は王領。我が主君は新たな君主を求めております。グローリア女伯こそ、次なる君主にふさわしいと!」

 一斉に賛同する声が巻き起こる。

「我々だけではありません。多くの民や聖職者たちも女伯を女王にと望んでおります!」

「冷血公が王になれば、アングルは闇に呑まれます! 異国からの脅威にも晒されましょう!」

 皆が口々に叫び始め、キリエは震えを隠そうと拳を握りしめる。今まで抑え込まれていたレノックスに対する不満と怒りを目の当たりにし、改めてレノックスへの憎しみが増すと同時に、そんな彼と血の繋がりがあることに絶望する。

「ここにいる我々だけではありません」

 一人の老いた使者がしわがれ声を上げる。

「ルール領も、公爵によってガリア内戦に駆り出され、多くの未亡人や孤児が貧窮していると聞き及んでおります」

 孤児、貧窮。その言葉にキリエが息を呑む。

「ルールの民のためにも……、女伯! 今こそ起つべきです!」

 キリエの名を叫ぶ大音声に大広間が揺れる。あまりの勢いにキリエはわずかに恐怖を感じながら思わず後退(あとずさ)ろうとした時。

「申し上げます! 申し上げます! 女伯!」

 一人の従者が大広間に飛び込んでくると叫びながら人波をかき分ける。

「女伯! イングレスから早馬が!」

 イングレスと聞いてジュビリーが素早く振り返る。

「どうした」

「ルール軍と交戦中だったセレン子爵が戦死されましたッ!」

 キリエが口を手で押さえる。子爵の使者が蒼白になり、石のように凍り付く。

「セレンへ攻め入ったルール軍は、そのまま北上を続けております。現在はグラムシャーに侵入しており、このままだとここクレドへ……!」

 大広間は再び騒然とする。キリエは怯えた目でジュビリーを振り返る。

「……ジュビリー!」

 苦々しげに唇を噛みしめたジュビリーは、しばし沈黙すると毒を吐くように呟いた。

「戦争だ」


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