襲撃とプレゼント
唇に触れる暖かな温もりを感じながら、俺はゆっくりと目を開けた。
いつの間に寝ていたのだろうかとぼんやり考え、そして俺は僅かに開けた口に進入する小さな舌に悲鳴を上げかけた。
自分に縋り付いている体を引きはがし、俺は思わず口を手で覆う。
「何してる!」
「プレゼントを貰っただけです!」
「おまっ、舌入れただろう!」
「安心してください。ほら宿り木です、この下でなら誰とでもキスして良いんです。先生も変態と言われずにすみます」
そう言ってチカが振っているのは、どう見てもそこら辺で拾ってきた木の枝である。
「一歩間違えれば変態扱いされるとわかっていてあえてやるな!」
「だって欲しかったんです! 先生との熱いキス!」
熱いどころか寒気がしたというのが正直なところだ。寝込みを襲われて、それも相手は幼児だ。愛情を抱いているとはいえ、さすがにこれに欲情は出来ない。
「自分の布団に戻れ!」
「いやです、今日は先生と朝までイチャイチャするんです!」
「寝ない子のところにはサンタは来ないぞ」
「サンタになる気なんてないくせに!」
「それは残念だな、お前がほしがってた物を頼んでおいたのに」
わざとらしくチカを退けたが、彼女は疑いの目を俺に向けている。
本当はこんなに早く見せるつもりはなかったが、調子に乗るチカを懲らしめたくて、俺は押入に隠してあった秘密兵器を取り出す事にした。
「そっそれは、それは!」
叫びながらにじり寄ってくるチカの目に映っているのは、チカと再会したあの日、彼女が抱きしめていた俺の黒歴史である。
事ある事にあの学ランが欲しいというチカがあまりに五月蠅いので、この前お袋に送ってもらったのだ。
「くれるんですか!」
「良い子にするなら」
「します! 絶対します! だからそれを、それを下さい!」
あまりに必死なその目にギョッとしていると、チカは学ランをさっと奪い、それを顔に押し当てた。
結局、俺は最後までチカのペースを崩すことは出来ないらしい。
「高校時代の先生のにおい、ぐへへ」
将来が心配になる笑い方ではあったが、あまりに嬉しそうなので、俺は学ランを羽織ろうと奮闘するチカを苦笑混じりに眺めていた。
「言っておくが絶対外に持ち出すなよ」
「持ち出しません! 汚したくないですから!」
大きな学ランに包まれたチカは、見ているこちらが照れるほど、大事そうに袖を触っている。
「ありがとうございます、本当に欲しかったんです」
「こんな物のどこがいいんだか」
思わずぼやけば、チカは懐かしそうな顔で学ランに頬ずりしている。
「この学ランを抱きしめたとき、私確信できたんです。ここで待っていれば、先生が私を助けに来てくれるって」
言いながら不自然に顔を傾けたのは多分、俺に見せたくない物が目からこぼれたからだろう。
「ホントいうと、あのときの私は痣だらけだったし、痩せてて全然可愛くなかったし、先生に会うのが少し不安だったんです。でもこの学ランを羽織ってみたら、先生にぎゅっとされてるような気になって。きっと先生はちっちゃくても痩せてても痣だらけでも、私のことをまた好きになってくれるって思えたんです」
全部この学ランのお陰なんです。
そう言って微笑むチカがあまりに乱暴に涙を拭うから、俺は思わず彼女の腕を捕らえ、そして抱き寄せていた。
「俺は運命の相手なんだろ?」
「でも不安になることもあります」
「柄にもないこと言うな。そんな弱気なやつには、プレゼントやらんぞ」
「こっこれはもう返しませんよ」
「プレゼントが一つだと言ったか?」
告げると同時に唇を奪いながら、俺はチカを包んでいる学ランの襟を引き寄せる。
そのまま一瞬だけ舌を絡めてやれば、チカは幼児とは思えない甘い吐息と共にそれにこたえる。お陰で更に舌を突っ込みそうになったが、何とかそれだけは回避する。
「変な声だすんじゃねぇよ」
「せっ先生が不意打ちでするから」
「欲しいって言ったのはお前だろ」
俺の言葉に、真っ赤になった顔を隠すようにチカが学ランの襟を引き上げる。
「先生、私幸せです。幸せすぎて死にそうです」
「今度死んだらマジで怒るからな」
「安心してください、今度死ぬときは一緒です」
同じお墓に入りますと笑顔で言い切る5歳児に呆れながら、俺はもう一度彼女の額に小さな口づけを落とす。
本当はこんな事をすべきではない。そう思いつつもチカを手放せないあたり、完全にチカの予言は的中している。
断じてムラムラまではしていないが、こいつを喜ばせたい、甘やかしてやりたいと思う気持ちは否定できない。
「まあ、誰にも見られなければいいか」
言い訳のようにそう言って、そして俺は気付いてしまった。
「おい、何でカーテン開いてんだ」
確か閉めたはずだと主張すると、チカがばつの悪そうに微笑む。
「月明かりに照らされる先生の顔って、凄く素敵じゃないですか。だからその、つい鑑賞したくなって……」
「素敵じゃないですかって知るかそんなこと! とにかく開けたら閉めろ! 誰かに見られたらどうする!」
「もう夜中ですよ、いるとしたらサンタさんくらいです」
チカの馬鹿な発言に苛立ちつつ、俺は慌ててカーテンを閉めようとした。
だがそのとき、俺はそれと目があってしまった。
ベランダに何故か立っているそれは、クリスマスの赤い聖人。それが、プレゼントらしき箱を持ったままこちらを見ていたのである。
「サンタさんだ!」
と俺の隙をついて窓を開けたのはチカだ。
こう言うときだけ子供モードにならないで欲しいと焦った次の瞬間、サンタは俺に右ストレートをつきだしていた。
それを寸前の所で避けたとき、俺は気付いた。
このサンタは、ガキの頃俺にプレゼントを運んできたサンタと同じ人物に間違いない。
気付くと同時に思い出したのは、昼間かかってきた母からの電話だ。
『そろそろお父さんが仲直りしたがってるみたいなんけど、クリスマスにチカちゃんと来れない? あの人、何か無駄に張り切ってて』
今更母の呆れ声を思い出してもあとの祭りだ。サンタは、確実に俺を殺す気でいる。
結局その後1時間ほどサンタと殴り合いをしたのち、その日は朝までかけて、俺は最もばれたくない相手に俺の奇妙な恋人の話をすることになった。
それをサンタが信じたかどうかは定かではないが、後日「チカちゃんはおせち料理好きかしら?」と母からメールがあったので、親子の絆はかろうじて繋がっているらしい。
「お父様公認ですね」
とチカが調子に乗るのも、きっと時間の問題だ。
再会は突然に【END】