小さな侵入者
「あいつにガキが出来た」
兄貴を転がしたまま居間に戻れば、同じく赤い服に身を包んだ親父が足の折れたソファーに腰を下ろしていた。
何の前触れもなく、人が驚く台詞をぽんと吐く所は兄貴にそっくりだ。
とはいえあらかたの事情は聞いていたので、正直俺は話を適当に流し、さっさと家に帰りたかった。
けれど父の雰囲気はそれを許してはいない。
しかたなく部屋の片づけをするお袋を手伝いながら、両親の方からも一通りの事情を聞く事にした。
残念ながらこちらの二人は兄貴より口数が多いので、寝るために自室に足を踏み入れたのは午前2時すぎ。
「お兄ちゃんが大変」とお袋から電話を貰った時点で今日は帰れない予感がしていたが、案の定泊まって行けと言いくるめられ、仕方なく自分の部屋に退散した次第である。
高校卒業と同時に家を出でからロクに帰っていないが、ベッドが多少狭いのに目をつむれば、久しぶりに足を踏み入れた自分の部屋は未だ落ち着く場所ではあった。
勉強机や本棚などは俺が家を出て行った当時のまま、机の引き出しを開けると見たくもない赤点の答案などもそのままで思わず笑ってしまうくらいだ。
だがそのとき、俺はふと妙な違和感を覚えた。
この部屋は長いこと使っていなかったはずなのに、タンスや机の引き出しが僅かに開いている。
俺の私物はあらかた居間のアパートに運んでしまったので、ここに入っているのはお袋が取っておきたいと言った俺と兄貴の子供の頃の服だけだ。つまり、そう頻繁に開け閉めする物ではない。
そしてよく見ると、床に俺の高校時代のアルバムや昔来ていた服などが不自然落ちている。
誰かが荒らしたのは間違いない。しかし一体誰かと考えて、俺は気付いた。
俺のベッドの中に、何かが潜んでいる。
不自然にふくらんだ毛布は呼吸するように上下しているし、耳を澄ますと穏やかな寝息まで聞こえてくる。
そこで俺は、兄貴の子供のことを思い出した。
まだ4つか5つだというその娘は、頭が良く好奇心が旺盛だと兄貴は言っていた。
探検と称して俺の部屋に潜り込み、好奇心に任せて色々な物を引っ張り出したとしても不思議はない。
そしてそのまま布団に潜り込んで寝てしまった、というのがおおよその筋書きだろう。
恐る恐る布団をめくれば、やはりそこにいたのは可愛らしい一人の少女だ。
その穏やかな寝顔に思わず苦笑して、俺はあることに気付いてしまった。
クローゼットの奥にしまっていたはずの高校の学ランが、何故か布団の間から覗いているのである。
捨てればいいのに、これはこれで記念だからとお袋が後生大事にとっておいた物だ。
けれど本人ですら愛着のないそれを、なぜ目の前の少女が布団に引きずり込んでいるのかわからない。
その手の制服に変質的な執着を示す者はときたまいるが、この子はあまりに幼すぎる。さすがにこの年から変態だとは思えない。
次々浮かぶ疑問に混乱しつつ、俺は何気なく学ランの袖を引っ張ってみた。
とたんに少女の表情が強ばり、体が傾いた。どうやら学ランを握ったまま寝ているらしい。
ますます意味がわからない。子供が持ったまま寝ると言ったら普通タオルとかだろう。何で学ランなんだ、それも俺の。
息をのみつつ、俺は少女の側に膝をついた。
相変わらず眉間に皺を寄せている姿を見ていると、学ランを取ろうとしたのは軽率だったと反省しかけた。けれどよくよく考えれば、別に俺が引け目を感じる理由はない。
それでもあんまり苦しそうな顔をしているので、俺は思わず少女の頭を撫でてしまった。そうすればまた穏やかな顔に戻る気がしたのだ。
けれどそれは失敗だった。
俺が触れた瞬間、弾かれたように少女が起きあがったのだ。




