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359回目のプロポーズ  作者: 28号
本編
12/30

先生と私の朝

 朝目がさめると、先生はそこにいなかった。

 それを寂しいと思ってしまった瞬間、私はまた後悔する。

 結局、私は何一つ諦めきれていない。

「起きたのか?」

 突然響いたその声に驚いていると、先生が寝室を覗きに来る。

「おはようございます」

 我ながら他人行儀な声だと思ったが、昨日のあの失態の後でどう接したらいいかわからない。

「メシできたけど食えるか?」

「あ、いや…食欲は……」

 無ければ格好が付くのに、私の腹は何とも情けない音を立てている。

「あります」

「じゃあ食え」

 渋々居間に向かえば、先生の目玉焼きハンバーグが私を待っていた。

 それを見た瞬間目頭が熱くなったが、残念なことにそろそろ幼稚園に行く時間である。

 最後の食事になるかも知れないのに、残すのはしのびない。

 だから今日だけはゆっくり朝ご飯を食べたいと考えていると、先生に先読みされた。

「今日は幼稚園休め。俺も午前中は授業がないから、昼前に行くことにした」

 それはつまり、色々とお話をすると言うことだろう。

 昨日あれだけ嫌いを連呼させておきながら、今更のように先生との別れが忍びなくなってしまった私は、思わず視線を下げた。

 けれどすぐさま、先生の手が私の顎を持ち上げる。

「それで、俺に言う事あるだろう?」

 ある。ここまで来たなら言わねばならない言葉がある。

 視界の隅に置かれた絵本をちらりと見て、そして私は先生に視線を戻し、静かに息を吸った。

「好きです」

 なのに、出てきたのは全く違う言葉だった。

「いや、あのそうじゃなくて、あの……私のことは忘れてください。そしてあなたは幸せになって下さい!」

 後半若干棒読みになったがとりあえずミッションは成功である。よし、今日は何とか言えた。

「そうじゃないだろう」

 けれど先生は満足しない。

「ごめんなさい」

「そうじゃない」

「ありがとうございました」

「違う」

「……いただきます」

 途端に先生が頭を抱えた。

「俺に怒ってるんじゃないのかお前は」

 その発想はなかった。むしろどうしてそう言う発想になるのかわからなかった。

 と言う顔をしていたら先生も私の思いに薄々気付いたのだろう。彼は酷くばつの悪そうな顔で、私の顎から指を放す。

「お前を見捨てた俺を、お前は責めないのか」

「責めるわけ無いじゃないですか」

「でも昨日泣いていただろう。俺がお前のことを忘れたのは、お前を見捨てたからだって」

「だってあれは先生がした事じゃないし。それに普通だったら、100回に到達する前に挫折しちゃうと思うし、むしろそれだけ付き合ってくれた事に感謝って言うか、ごめんなさいって言うか」

 むしろそれでも諦めきれなくてごめんなさい。

 そう言って頭を下げると、先生が昨晩のように私を抱き寄せた。

 そのまま腕の中に閉じこめられると凄くホッとする。やっぱりこの温もりを手放したくないと強く強く思ってしまう。

「でも私頑張ります。時間はかかるかも知れないけど、先生のことちゃんと諦めて、4歳児らしい4歳児になります」

 だからもう少しだけ、あと少しだけで良いからこうしていたい。

「先生好みの女、じゃなくて幼児になりますから」

「何度も言ってるが、俺は幼児には興味はない」

「でも、こんな4歳児嫌でしょう? だから幼稚園にも入れたんでしょう?」

「むしろ俺はガキは嫌いだ。お前じゃなかったら、家に何て置いてない」

 その言葉だけでもう凄く嬉しかった。けれど先生は、ありがとうと言いかけた私の口を塞ぐ。

「今日はちゃんと誤魔化さずにいう、だからもう少し聞け」

 こくんと頷けば、先生が眉間に皺を寄せつつ私の顔をのぞき込んだ。

「それにもし、お前をずっと家に置いておけるなら多分俺はそうしてる。幼稚園に入れるくらいなら、あのパイプ椅子に座っていて欲しいとも思ってる。もちろん、それは今のお前にだ」

 そう言う先生は、未だかつて無いほど真っ赤な顔をしていた。だから、私は気付いた。

「先生、もしかして恋人は腕の中に閉じこめておきたいタイプですか?」

「何だそれは」

「好きな人はずっと抱きしめていたいタイプですか? 外に出したくないタイプですか? 鎖でいやらしく縛り付けておきたいタイプですか?」

「後半は頷けないが、好きな相手を独占したい気持ちは普通あるだろう」

 好きという言葉に、私は思わず先生の顔を穴が開くほど見つめた。

「じゃあ私のこと、ずっと抱きしめていたいとか思ってたんですか?」

 尋ねた途端顔を背けられた。

 図星だ。絶対図星だ。今まで勘違いし続けてきた私でもわかる。これは絶対図星だ。

「じゃあ何で幼稚園なんかに入れたんですか!」

「お前が無理してるからだ。俺にあわせようと色々我慢して、どんどん子供らしさが少なくなってくから」

「それが辛いなんて言ってません!」

「わかってる。ただそれを、俺が見てられなかっただけだ」

「やっぱり、本当は幼女らしい幼女が好きなんじゃ……」

「違うって何度言わせんだお前! 俺はただ、お前に無理して欲しくねぇんだよ!」

 お菓子を我慢したり、おもちゃを我慢したり、寂しさを隠したり。

 そう言う小さな我慢がいつしか増えていくのが辛いと、先生は怒りながらも教えてくれた。

 我慢が増えることを辛いと思ったことはなかった。

 だけど言われれば、私は先生への想い以外のことを二の次にしすぎていたのかも知れない。

「先生の愛だけあればよかったんです」

「わかってる。でもそれだけが人生じゃないだろう」

「でも一番大切だから。けどそれがないのが辛くて、どうしても欲しくて」

「ならいくらでもくれてやる。だから、お前はもっと他の物も大事にしろ。お前が積み木で遊んでても、菓子をねだっても、幼稚園でどろんこになっても、嫌いになったりはしない」

「あと、ピアニカも吹くの好きです」

「ピアニカでもリコーダーでも好きなだけ吹け」

 昨日あれだけ泣いたのに、またしても私の目からは涙があふれ出した。

「先生優しすぎます」

「そこが好きだってお前が言ったんだろう」

 言ったけど、そのときよりも今の方がずっと優しい。

「先生、大好きです」

「知ってる」

「前よりずっと好きです」

「わかってる」

「だから、もう一回チャンスを下さい」

「それはこっちの台詞だろう」

 私の涙を拭って、そして先生はどこかふっきれた顔で私の唇を奪った。

「お前がでかくなったらプロポーズをやり直す。だからそれまで、ずっと俺を好きでいろ」

「先生、いつにもまして大胆ですね」

「ぐだぐだしてる間に、お前が手間のかかる幼児になったら嫌だからな」

「私はたぶんずっと私のままですよ。しつこさだけが取り柄ですから」

 そう言って笑うと、今度の人生では他の取り柄も作れと優しくこづかれた。

 それから私は先生の腕の中に捕まったまま、目玉焼きの乗ったハンバーグを食べた。

 先生のご飯はやっぱり美味しい。でも特に今日は美味しくて、私は幸せな気分でご飯を3杯もおかわりした。

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