雨のさなかに
その日は雨が降っていた。
僕はいつも通り、心も身体も砕ける直前で。
容赦なく降り注ぐ雨は
心を刺す針のように
身体を流れる精油のように
頬を伝う涙のように
僕の感情を更なる負へと追い込んでゆく。
傘をさす力も残っていない僕に幾度も注ぐ雨粒は
心と同じ温度まで体温を奪った。
自分と死人との違いは何。
それはおそらく君の存在。
あるいは醜い生への執着。
もしくはちらつく微かな希望。
僕の生きる理由は、君。
静まり返った路地と、がらんどうの僕の頭に響くのは、
僕の名を呼ぶ幼く無邪気な君の声。
僕を現実に還す、唯一の術。
たくさんの人間に踏みつけられて、ひび割れ窪んだコンクリートの上の水溜りに、
傘もささず靴底を沈ませながら騒々しく駆け寄る君の姿はとてもいじらしくて。
「おかえりなさい」
柔らかな声と共に彼女は僕の懐に収まる。
線の細い体をそっと抱き締めた。
びしょ濡れになった君の鮮やかな栗色の髪を指で梳いて僕は言う。
「ただいま」
いつもより上手く言えなかったのは
それはきっと五月蝿い雨のせい。
君が強く抱きしめるせい。