横断不道
その男は体を震わせながら「私が…私自身が祀られている神の祠なんです…」と言った。
バイクのエンジン音が響くなか、頭の中で男の言葉が耳に粘りついている。
僕はクラッチを握り、ギアを上げスピードを上げ目的地に向かう。
その男は二日前に死んだ。聞いた話によると出血多量によるショック死だったという。死因を聞いた僕は腑に落ちた。
男と出会ったのは小さな町の喫茶店で珈琲を注文した時だった。喫茶店に男が入り、サラリーマンのようなスーツを着ているが顔に生気はなく、スーツの腕辺りに妙な膨らみがあり、苦労しているのだろうなという印象だった。
男は席につくなり店主は心配そうに彼に近付き、しばらく喋っていた。
「…………は大丈夫か?」
「……………腕が痛くて眠れない……切り落としたい……」
という言葉しか僕の聴覚は認識しなかった。
僕は何かしらの病気で体が痛むんだろうなとしか思っていなかったが「切り落としたい………」という言葉に少しの違和感が残った。
メニュー表と財布を開き、この喫茶店で食べられる物はないと分かり、残りの珈琲を飲み干し、勘定をすませようと思ったが、男がこちらを見ているのだ。腹を空かせた獣のように、瞬きすらしていなかった。反射的に目を反らそうとしたがスーツの中身がチラリと見えた。体の震えが止まらなくなり、汗が吹き出る。
足が一歩、勝手に後ろへ下がり、椅子にぶつかりそうになって踏みとどまる。
「君は…踏み越えてはならない道を渡った事はあるか?」
男はナリヤマと名乗った。ナリヤマは少し慌てて、スーツの腕当たりの膨らみを力一杯抑え込んでいた。
あれから三十分。燃料メーターはすでに底を指していた。
山の麓で電波も圏外だ。ガス欠という不安が、雪のように降り積もっていく。
「あった…」
ガソリンスタンドを見つけ、積もりに積もった不安の雪は一気に溶けた。
タンクの蓋を開けてガソリンを入れる。人気のないガソリンスタンドに不気味さを感じながら、一月程前に喫茶店でその男から聞いた場所を思い出していた。
(『あれ』を見てしまったら、忘れるわけがない)
十二リットル程タンクに燃料を入れてお釣をもらい右に方向指示器を点灯させ、ガソリンスタンドを後にした。
ナリヤマは少しの間、奇妙な膨らみを押さえつけていた。僕は彼の様子を見ていた。
「あの 腕ってもしかして..」
ナリヤマの額に汗が少し浮き出して、僕のことをぎょろりと睨むように見る。腕を押さえつけるのやめて、少し息を吐く。
「君 もし 腕の「彼」を見たのなら 私の話を聞いてくれないか...?」
彼は話を続けた。
ナリヤマは氷水をぶっかけられたかのように震えだした。その様子を見た喫茶店の店主が「いい加減 その村に行きなさい」というがナリヤマは首を横に振った。僕は彼の話を聞くのはあまり、気が進まなかった。『あれ』を見てしまったからである。
ナリヤマは「何か」を話そうとすると、過呼吸をおこし、口の周りが唾液なのか胃液なのかわからないものを床にぶちまけていた。
僕はその様子を見て後ずさりしてしまい、店主の方をチラリとみると、もう助からない病気の患者をみるような目をしていた。
「店主さんは何か知っているんですか?」
僕はその店主に疑問を投げた。店主は頷いた。「かわいそうだが...」すると、店主が話を続ける。
彼...いやナリヤマ君は仕事で とある村いや集落かな に仕事で出張に行ったそうなんだ。仕事内容の事は聞いてないが、集落の人たちは彼を歓迎したらしい。
話が変わるようで悪いが私の知人がその集落の出身なのだよ...。知人曰く、その集落には古くから「掟」があるらしい。知人はその「掟」の事はどうしても話してくれなかった。
僕は息を呑む。ナリヤマはぐったりとして喫茶店の長椅子に横になった。ナリヤマの腕から声のようなものが聞こえる。
話を戻して、彼はその集落の「横断歩道」を渡らされたらしいんだ。
すると、ナリヤマが飛び起き、血眼で腕を掻きむしる。
「私が渡らせられた『横断歩道』は渡ってはいけない場所だった...だから私の体内に住み着いたんだ...」
と意味不明な事を言いながら、店主が何か諦めた様子で僕に耳打ちしてくる。
「彼は常連なのだが前までとても小食だったんだよ だけどあの集落に行ってから必ず二つ分の珈琲と料理を頼むようになってね...」
腕を掻きむしり、スーツの腕の部分が破け始め、皮膚までも搔きむしり血が滴り始めた。
僕はその時しっかり見たんだ。腕に目と口のようなものが浮き始めるのを。
うねるような山道をバイクで進む、錆びて読めない交通標識と落石を何回見ただろう。
(ちゃんと整備されていたなら ツーリングスポットとして人気になるだろうに)
しばらく、進むと木々の隙間から所々、家屋が見える。僕は開けた所にバイクを停めた。木でできた看板に薄く
○○展望台
と書いてあった。僕はリュックの中からフィルムカメラを取り、美しい景色をフィルムに焼き付けた。
腕から白いのが少し見えるようになった頃、正気に戻ったナリヤマは話始めた。
「私は…押されたんだ…」
集落の事だろうか、ナリヤマは思い出したくもない事を僕に伝えるため、苦しそうに話を続ける。その姿は見るに堪えなく脳に焼き付いた。
「渡ってしまったんだ…『横断歩道』を…だからぶつかった…」
「…」
僕は黙る事しかできなかった。正気に戻ったとはいえずっと、腕の「あれ」を掻きむしっている。
「だから…私は…私自身が祀られている神の祠なんです…いや そうなってしまった…」
あれから、ナリヤマは病院に行ったがその「道」について興味が湧いた僕は場所を聞いた。
腕を掻きむしる様子が脳にこべりついているのもあるが小説のネタになるかもしれないということとナリヤマの最期の言葉が少し気になったからである。
「〇〇集落だ…地図を使えばわかる」
と腕が固定されたままで包帯が巻かれているナリヤマは外の景色を見ていた。
「私の上司に言われたんだ…あそこにいけば人が変わるようになるって…上司もそうだって…私は変わりたかっただけだった…」
目を細め、大粒の涙が貯まっていた。僕が聞いた最期の言葉だった。
山を下り、その集落に着いたが天気は快晴だ。しかし山に囲まれているからか、やけに薄暗く、集落に人気らしきものも感じられなかった。
「ここで合っているのか?」
と呟き、地図を開く、目的地である集落はここで間違いはないらしいが、「横断歩道」は見当たらない。
(っていうか、こんな限界集落のような場所に横断歩道って必要なのか?)
と思っているとこちらに向かって来る足音が聞こえ始めた。
周りを見るが誰もいない。ただただ足音が大きくなって近付いてくるが何故か恐怖という感情が湧かなかった。むしろ歓迎されているような心地よさだった。
足音が目の前で停止した時
(いや、逃げなきゃヤバい)
僕はエンジンをかけようとしたがエンジンがかからなかった。そして何者かに背中と左側をポンっと道路に押された
「え...」
一歩、足を着いた。
その時エンジンがかかり、そこから逃げるようにその場から離れた。バイクのミラーで「それ」は確認できた。
集落の人間と思われる顔が黒い「物」が手を伸ばしているのとそこの車道に白色で舗装された「横断歩道」があったのを…
そこの集落から離れて高台からその集落を見たとき、その場所には「横断歩道」はなかった。
(何だったんだ…あれは…)
僕が足を着く瞬間、その「横断歩道」だろうか。車道に十二単を着た「何か」がいて僕の体のどこかを指を差していた。
「右の前腕………」
全身から汗が吹き出し、僕はバイクのエンジンを止めてリュックからサバイバルナイフを取り出す。
(キャンプ道具を持ってきて良かった…!)
バイクを停めて数分、あの足音がこちらに向かってくるのが聞こえる。先ほどよりも早く、僕は急いで木の枝を咥えて右腕の前腕の長袖をめくる。右腕の前腕の一部が少しうねうねと気味が悪く動き、見覚えのある形に変形しようとしていた。
ナリヤマの腕の形と一緒だ...心臓に氷水をぶっかけられた気持ちだった。だが足音のパレードは急ぎ足でこちらに向かってくる。息遣いがどんどん早くなる。
「うわあああああ!」
僕は覚悟を決めそれをめがけて、ナイフを振り落とした。
数日後、僕は右腕の一部を削った。あの足音は集落の人達で僕はすぐに近くの病院に担ぎ込まれた。幸いにも腱や靭帯は切っていならしい。だが油断はできない。「再発」もしくは「転移」している可能性があるからだ。
(だから、ナリヤマさんは身体を自分で削り続けたのか...)
結局、あの「横断歩道」と「足音」はなんなのか、わからない...もしかしたら三途の川に似た境界線なのかもしれないし、何か「神聖」な道なのかもしれない...。「神の道」だから、彼は「祠」になってしまった。僕の推察だけどね。
ただ一つ言えるのは、昔そこには「何か」がいた...。フィルムを現像してそれが分かったそれしか僕の口からは言えない。




