23話
【夢原颯太視点】
ピッ、ピッ、ピッ、と、機械音のようなものが、どこからか一定のリズムで聞こえてくる。その音に気づいた俺は、ゆっくりと目を開いた。
その視界の先には、白い天井があった。どこだろう、ここは。
すると遅れて、自分が今ベッドに横たわっていることに気づいた。そして、俺はゆっくりと身体を起こし、周囲を見回す。
横には窓があった。そこから温かい日差しがかかり、なんだか気持ちがいい。どうやら今は、昼間のようだ。ただなんとなく、まだ頭がぼんやりする。
すると、すぐ近くから声をかけられた。
「……お兄ちゃん?」
声がした方に顔を向けると、そこには、妹の美月が立っていた。制服姿に学校指定のカバンを肩にかけ、まるで夢でも見ているんじゃないかというような面持ちで、こちらを見つめている。
そして、少し間を置いてから、美月はその場に崩れるように泣き崩れ、膝をついた状態で俺のベッド端に、手で隠すようにして顔を埋めた。
「……良かった、本当に良かった。……もう、二度と起きないのかと思った!」
「ちょ、美月。……泣いてるの?」
俺が動揺しながらそう言うと、美月は顔を上げて、ギリっと睨むような目を向けてきた。美月が泣いたところなんて最近は見たことがなかったから、俺は少し動揺してしまった。
「当たり前でしょ! お兄ちゃんが倒れたって聞いた時、本当に怖かったし心配したんだからね!?」
「……ご、ごめん。……心配かけて」
「バカ! バカお兄!」
「……本当に、……ごめん」
「……でも、……無事で良かった」
美月が制服の袖で涙を拭いて、ゆっくりと立ち上がった。
今気づいたけれど、ここはどうやら病院のようだ。俺が倒れた後、田崎たちが救急車を呼んでくれたのだろう。……どうやら俺は、まだ死んでいなかったらしい。
「……俺、どんくらい寝てたの?」
俺が何気なくそう訊く。
「うーん、二日くらいかな」
「思ってたよりもそんなに時間経ってないな」
「バカ! こっちはそれまでめちゃくちゃ不安だったんだから!」
「いやまあ、それはごめん」
「あっ、早く病院の先生呼ばなきゃ。お兄ちゃんが起きたって。ちょっと先生呼んでくるね」
「うん。ありがとう」
「あっ、それと―」
美月が病室を出ようとした時、美月は思い出したように俺の方を振り返った。
「……お母さん。お兄ちゃんが病院に運ばれたって聞いた時、今まで見たことないくらい取り乱してた」
「…………え?」
「……お兄ちゃんさ。お母さんに愛されていないんじゃないかって、ずっと心配してたでしょ?」
「……え、……どうして」
「なんとなくわかるよ。ずっと一緒に暮らしてきたんだもん」
「……そ、そうか」
美月にも、けっこう色々と心配をかけさせてきてしまったみたいだ。今まで美月はまだまだ小さい赤ん坊のように思っていた自分がいたけれど、いつのまにか美月も、ちゃんと大人へと成長していっているのかもしれない。
そんなことにいまさら気づくだなんて、俺は兄失格だな。
「……お母さんさ。お兄ちゃんが病室に運ばれた時、ずっと泣いてたよ?」
「…………」
そう言い残した美月は、そっと病室を出ていった。……残された俺は、妹の言葉を胸に留めながら、誓った。……これからは、もっと母さんと、ちゃんと話そう。
*
【孤山凪視点】
その翌日。私は朝イチで夢原君の病室へと向かった。そして、朝から一日中病室で彼のそばにいた。夢原君が倒れてからも、私は学校を休んでいた。どうしても行く気にはなれないのだ。というか、のうのうと学校へ行っていて良いわけない。
途中、夢原君のお母様と妹さんもやってきた。それと入れ違いで後からちーちゃん、カナっち、田崎君の三人もやってきて、夢原君にりんごを持ってきていた。目を覚ましたら食べてほしいね、とのこと。
それからみんな帰り、やがて夜になったので、私も一度帰宅した。
それから翌日の昼間。私は今日も、夢原君の病室へと向かった。本当は朝から行きたかったけれど、昨日よく眠れなかったおかげで、昼間からの来訪になってしまった。
病院内で病室に向かう道中。昨日来る時もそうだったが、今でも私の頭の中は後悔と自己嫌悪と自分への憎しみで溢れていた。あまりに苦しくて、吐きそうで、体が無意識にフラフラして、上手く歩けない。
私は手すりにつかまりながら、廊下を歩いた。途中、何度かそんな様子を見た看護師たちに心配をされたが、私は「大丈夫です」と言って、そのまま一人で夢原君の病室へと向かう。
それから、やっと病室に着いて彼の方へと近づいていく。そして彼の姿を見たその瞬間。私は、はっと目を見開いた。
―その時、一瞬だけ時間が止まったように感じた。一分だろうか、五分だろうか。いや、もしかしたら実際は、ほんの数秒だったのかもしれない。
ただその間はまるで、全く予期していなかったプレゼントを大切な誰かから突然渡されたかのような、胸の高鳴りを覚えた。いや、そんなやわなものじゃない。もっと大切で、特別で、胸の中が溶けてしまいそうになるくらい、涙が溢れてくるような。そんな、上手く言葉にできないくらい嬉しい気持ち―。
「……おはよう、孤山。……無事で、良かった」
そこには、夢原君が目を覚ましていて、体を起こした状態で、にっこりと優しく、穏やかな微笑みを、こんな私に向けてくれた。
「……おはようございます、夢原君。……本当に、無事で良かった」
私も気づけば、泣きながら笑顔を浮かべていた。
彼のその優しい微笑みは、私に、生きていていいと、そう言ってくれているようだった。
*
【夢原颯太視点】
俺は病室で目覚めてから、二週間後に退院した。
退院当日の朝、母さんが病院まで迎えに来てくれて、一緒に帰宅した。二人で並んで歩くなんて随分と久々だったから、なんだか少しだけ、照れ臭かった。
「……颯太」
自宅のアパートに帰る道中。交差点の信号待ちで立ち止まっている時、母さんが横から口を開いた。
「……何?」
「……今まで、ごめんね」
「…………」
母さんの口から出た言葉は、あまりにも予想していなかったものだったので、俺は少し、ふいをつかれたような感覚だった。
けれど、無事にこうして、また生きることができたからこそ、俺も、母さんに伝えたいことがある。色々言いたいことはあったし、どう整理して何をどう言えばいいのかわからなかったけれど、まずは、今俺の中にある気持ちを、伝えることにした。
「……俺も、今までごめんなさい」
俺がそう言うと、母さんは泣きそうな顔を堪えて、にこりと微笑み、横から俺をぎゅっと抱きしめた。いい歳して街中の交差点で親に抱きしめられるなんて、めちゃくちゃ小っ恥ずかしかったけれど、今はなんだか、母の温もりを、素直に受け止められた。
やがて目の前の信号が青になり、俺たちは一緒に、歩道を進み出した。前へと進み出したその一歩が、なんだかちょっぴり、自分を強くしてくれた気がした。
それと同時に、俺は心の中で決意を固めた。
次は、上原たちだ。
*
三日後の昼。俺は中学時代に通っていた学校の近くにある公園へと、足を踏み入れた。
年季の入った青い滑り台に赤いブランコ、ジャングルジムと小さな砂浜があり、広さは半径五十メートルほどのこじんまりとした公園だ。
この公園では小学生の頃によく、上原と坂本と太井の四人で遊んでいたのを覚えている。なんだか、少しだけ懐かしい気持ちになった。
今日は、あらかじめ連絡を入れた上原たち三人に会うことになっている。
上原たちの連絡先なんてとっくに消していたけれど、今回は影山に頼った。彼女の友人に、中学時代俺と同じ学校に通っていた者がいたらしく、その人がたまたま上原たちの連絡先を持っていたため、今回はそれ経由で、上原たちに連絡することができたのだ。
ちなみに、今日は孤山にも来てもらっている。やはりまだ一人では怖かったから、相棒の孤山に来てもらった。彼女には、離れた場所から見守っていてほしかったのだ。
それでも今は、上原たちが来るまでは俺のそばにいてくれている。
「……大丈夫ですか、夢原君?」
ブランコを囲う柵に腰を落ち着けた俺の傍らには、孤山がいる。俺の隣で柵の上に腰を落ち着けた孤山が、心配そうな表情で俺に問いかけた。無理もない。今まで上原たちとの過去を思い出しただけで、具合を悪くしていた俺だ。心配されても仕方がない。
にしても、まさか俺が自分から上原たちに会って、ちゃんとあの時のことを謝りたいだなんて、自分でもかなり驚いている。本当に、いまさらだけれど。
「……うん。平気だよ」
少し、嘘をついてしまった。本当は、平気じゃない。すごく怖い。
もう三年以上前に喧嘩別れした友たちと、いまさら会って謝るのだ。三年も経過してからの謝罪だなんて、卑怯極まりない気もするし。けれど、今会わないと、これからも一生、ずるずると後悔を引きずることになる。だからどうしても、上原たちに会って謝りたかったのだ。
待ち合わせの時間まで、あと五分ほど。
上原たちにはメールで、『いまさらだけど、どうしても話したいことがある』的なことを伝えた。本当にいまさらだから、断られる可能性も危惧していたけれど、実際は案外あっさりと、『わかった』と、返信がきたのだった。まずは、拒まれなかったことに一安心だ。
……なんだか、緊張してきた。
「では、そろそろ私は離れておきますね」
「うん、ありがとうね」
孤山は一声かけ、公園の敷地内にある離れた木々に、身を潜めに向かった。その向かった先には、影山もいた。あらかじめ彼女も、心配して様子を見にきてくれたのだ。
影山は木の影から、俺に向けてウインクをした。ファイト! というメッセージだろう。今思えば、影山にも色々と迷惑をかけてしまったな。
すると、あっという間に五分が過ぎ、俺はあたりを見渡した。そろそろ来ると思うのだが。
「おい、夢原」
そうこうしていると、公園の入り口から声をかけられた。
「……上原、坂本、太井…………」
そこには、上原たちがいた。俺の名前を呼んで声をかけたのは、上原だ。
久々に会った彼らは、随分と見た目が成長していた。
皆、昔の姿のまま背丈だけが伸びているような感じだった。あと、髪型も少し変わっていた。
久々に彼らの顔を見た俺は、つい身体が強張ってしまった。気づけば、少しだけ後退りしていた。
「……あっ、あぅっ、……あ」
動揺して、言葉が詰まった。言葉が出てこない。
「……みんな。……ひ、久しぶり」
それでも、なんとか出せた。
「……久しぶりだね。夢原」
すると、坂本が返してくれた。言わなければならない。今、ここで。あの時のことを謝るんだ。俺が大人気なかった。殴ってごめん、って。
俺がやっとの思いで口を開こうとすると、それよりも先に上原が口を開いた。
「夢原。俺たちも今日、いまさらだけど、お前に言いたいことがある」
「……え?」
そう言って、上原たちは深呼吸して、その次に、三人揃って頭を下げた。
「俺たちが悪かった!」
「僕も、ごめんなさい!」
「ごめん!」
「……は?」
俺は、目の前で起きている状況がわからなかった。まさか、上原たちが先に謝罪してくるとは思わなかったから。
「お前が今日、俺たちを呼び出した理由はなんとなくわかる。ただその前に、俺たちから先に謝らせてくれ!」
上原はそう言って、頭を下げ続ける。坂本と太井も同様に、頭を下げていた。上原は続ける。
「ずっと、後悔してた。なんでちゃんと謝らなかったのかって。俺たちはお前に最低なことをした。殴られて当然だった! こんだけ時間が過ぎて、いまさら謝ったって卑怯なのはわかってる。でも、お前が今日こうして呼び出してくれたから、謝るなら今日しかねぇと思った。本当に、すまなかった!」
「……」
俺は、唖然としていた。俺は、どうすればいいかわからなくなって、つい、上原たちに気づかれないように、孤山たちの方を見てしまった。どうすればいいのか、教えてほしかったのだ。
すると孤山は、「大丈夫」と言うように、そっと、頭を縦に振る。
……俺はそれを見て、自分の気持ちを、上原たちに伝えた。一度、深呼吸をして―。
「……上原、坂本、太井。……俺の方こそ、ごめん。……良かったら、また俺と、……友達になってください!」
上原たちが頭を下げている中、俺も、彼らに頭を下げた。
その頭の上からわずかに感じる、雲ひとつない快晴の青空が、俺の心を優しく照らしてくれている気がした。
随分と長くなってしまったけれど、これが、俺と孤山の物語だ。
そして、十年の年月が経過し、物語は冒頭へと移る―。




