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23話

―夢を見た。

 とても不思議な夢だった。俺しか観客がいない映画館の中でただ一人、俺は映画を観ていた。少し意識がぼんやりしていたけれど、なんとなく、これは俺の夢の中だということは理解できた。

 そこには自分の今までの人生が、まるで一本の映画のように映し出されていた。

 不思議とその映画のカメラの視点は、俺の目から見た視点ではなく、そこにいるはずのない、第三者視点みたいなカメラマンが撮影しているかのように、俺自身の姿も映し出されている。

 幼稚園の時に初めて影山と出会った日。小学校入学式の日の中庭で上原たちと出会った時のこと。父と母さんが家で言い争う日々。影山と二人で小学校の図書室で他愛のない話をしていた日々。中学の時、河川敷でガラ中の奴らに絡まれ、上原たちに裏切られた日。孤山と初めて出会った時の喫茶店でのこと。高校一年の夏、ちーちゃんさんやカナっちさん、田崎や孤山と、五人で服を買いに出かけた時のこと。

 そして、月が輝く夜に、裏山の滝が流れる橋の上で、孤山が飛び降りようとした時のこと。

 そんな、今まで俺が人生で見てきたことの全てが、まるで一つの物語のように、映像として流れていく。

 文字通り、俺の人生が物語化されたようだった。こうして観ていると、人の人生もまた、一つの物語なのだと思えてくる。

 そうして最後に、俺が橋の上で倒れた映像が流れた。と、思いきや、その瞬間に目の前の映像は急に真っ暗になった。どうやらこれにて、映画は幕を閉じたようだ。

 それと同時に、俺は何かを悟ってしまった。

 ……もしや、俺は死んでしまったのかもしれない。なんとなく、そう思えてきた。……どうやら俺の人生(ものがたり)は、これで終わったらしい。

 ……やっと終わったのか。今一通り自身の人生を振り返ったけれど、思っていた通り随分とつまらない人生だった気がする。

 こんな退屈で起承転結もはっきりしていない薄っぺらな物語、誰が見たいと思うのか。いや、きっといないだろう。なんせ、他の誰でもない、この人生(ものがたり)の作者であり、主人公である自分自身が、つまらないと称してしまうくらいなのだから。

 にしても、本当に観ていてイライラした。醜い話ばかりだったし、これといって盛り上がるシーンがあるわけでもない。本当に退屈で、スカスカで、品のない人生(ものがたり)だった。

 あと、何よりも特に、この主人公が嫌いだ。まるで自分が悲劇の主人公のように思っているようで、いつも被害者面をしていやがる。その上、どうしてこの時こうしなかったのかと思うシーンもたくさんあるし、何をやるにも動機が薄い。どうしてコイツはこれほどまでに、ダメでクズでノロマで、貧弱で自分勝手で善人ぶりで、なんてしょうもない人間なのかと、観ていて何度も思った。

 はぁ、けれどこれでせいぜいした。こんなやつの最期は、こんなしょうもないオチがお似合いだと思ったから。

 ……だから、……これでいい。…………。

 ……すると、唐突に目が熱くなってきた。

 そして気づけば、目から水が流れていた。……これは、涙だ。

 ……どうして俺は、泣いているのだろう。何故泣く必要があるのか。これでいいじゃないか。これでいいはずなのに。……なのに、どうして、……こんなにも悲しいのだろうか。

 幸い、自分の人生の観客は、自分のみ。周りには自分以外誰もいないから、泣き顔を誰かに見られる必要もない。それにこれ、夢だし。

 だから涙を拭かずに、ひたすらに俺は考え込んだ。

 ……思えば、俺の人生は俺自身の器の小ささや、精神力の弱さによって、後悔を招いていた点が多いように思う。

 上原たちに裏切られた時も、俺がもう少し、あいつらを許せる広い心を持っていたのなら、また別の、明るい未来があったのではないかと、今ではそう思える。

 だって、俺たちはたしかに友達だったんだ。友達なら一度裏切られても、もっとちゃんと許せるように努力してやれば良かったんじゃないのか。

 母さんのこともそうだ。母さんから出た一つの言葉だけで、母さんの愛情に疑心暗鬼にならずに、これまで女で一つで支えてくれた事実をもっと考えれば、今頃もっと、ちゃんと母さんを愛せていたんじゃないのか。

 ……あぁ、なんでいまさらこんなにも後悔してしまうのだ。遅いんだよ。死んでしまった俺には、もういまさらどうにもならないだろうに。

 ―そう。何事も、後悔する時はいつだって、もうすでに遅いのだ。あの時こうすれば良かっただとか、そんなことは過ぎ去れば誰でも思える。

 だからこそ人は、後悔のないように、今を必死に生きるのだろう。

 そんな当たり前のことを、今になって痛感した。

 まさに、後悔先に立たずというやつだ。

 「本当に諦めちゃうんですか?」

 俺が下を向いていると、横から唐突に声がした。見るとそこには―

 「…………孤山」

 孤山がいた。どうして彼女がここにいるのかと思ったけれど、……あぁ、そうか。夢の中だから、なんでもありなのか。いや、ここは夢というより死後の世界なのかもだけれど。

 「本当に、諦めちゃっていいんですか?」

 たぶん、俺の中で一番思い入れの深い彼女が、こうして幻想として、ここに現れたのだろう。

 「よくはないけど。……いいんだよ、もう。それに、将来やりたいこととかもないしさ。俺なんかが生きていたって、きっと世の中のお荷物になるだけと思う」

 「……私を助けてくれた時、私のそばにずっといてくれるっていう約束は、守ってくれないんですね」

 孤山はそう言うと、心底がっかりしたように、顔を下に向けた。

 「……それは、本当に申し訳ないけど。……でも、もう俺は―」

 「夢原君は、まだ死んでいません。諦めないで、最後まで生きてください」

 「…………孤山」

 「夢原君が私を必要と言ってくれたように、私もあなたが必要なんです。私は、あなたに死んでほしくない」

 「…………」

 孤山が、涙を流してこちらを見つめる。それも、手首から指先くらいの距離まで顔を近づけて、至近距離で。

 そして、涙を静かに堪えながら、孤山はぽつりと言う。

 「……やっぱり私も、夢原君がいないと寂しいです」

 …………。孤山の、どこまでも澄み切った涙を見つめていると、俺の中で何かが動いた気がした。

 すると、突如終了したはずの真っ暗だったスクリーンが光だし、何やらまた、物語が動き出そうとしていた。

 光が強すぎて、目が痛いくらいだった。あまりに眩し過ぎて俺は手で顔を覆うが、光は弱まることを知らず、どんどん輝きを増していく。そのせいでスクリーンの内容は全く見えなかった。

 けれど、一度投げ出そうとしていたこのくだらない人生(ものがたり)の続きが、今はなぜだか、憎たらしいくらいに観てみたくなった。

 他の誰でもない、自分自身のこの目で―。


 *


 【孤山凪視点】

 

 ―夢原君が倒れた。

 ……私のせいだ。私のせいで夢原君を、大切な相棒を傷つけてしまった。

 その日の夜、私は裏山にある橋の上で、飛び降りて死のうとした。でも、寸前で夢原君が来たおかげで、それは未遂に終わった。

 けれど、助けに来てくれた夢原君は鉄でできた橋の手すりに頭を強くぶつけ、多量出血により気を失ってしまったのだ。

 私のせいで、私の一番大切な人を傷つけてしまった。今となってはもう、自分の行動に後悔しかない。彼がこんなことになるくらいなら、自殺なんてあんな馬鹿な真似はしなかったのに。

 その後、迅速に判断した田崎君が救急車を呼び、夢原君は病院へと搬送された。

 そして我々も病院と向かった。しばらくして、連絡を受けた夢原君のお母様と、妹さんが来られた。そして、前者は医師にすがりつき、「お願いします。息子を助けてください! お金はいくらでも払います! だからどうか、お願いします!」と、必死に泣き叫びながら懇願していた。

 私はそれを見て、胸が張り裂けそうになった。今すぐにでも、土下座して謝りに行かなければならないのに、私の足は動かなかった。この状況でどう謝ればいいのか、わからなかったのだ。

 それでも私は足を動かし、お二人の前へと走り向かい、頭を地面に強くつけて、土下座をした。

 「孤山凪と言います! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! 私のせいなんです! 私が、私を助けるために夢原君は!」

 私はとにかく謝り続けた。どう謝ればいいかなんて、そんなこと考えている場合じゃない。私はとにかく謝らなければない。

 謝って済む問題でないことはわかっている。けれど、それでも謝らなければならない。

 「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 私は頭蓋骨が割れるのでないかと思うくらいに強く頭を地面につき、夢原君が何故こうなったのかの事情をお二人に説明して、必死に謝り続けた。


 それから数分後。医師からは、夢原君は頭に強い衝撃を打ったため、しばらくは意識が戻らないと告げられた。けれど、命に別状はなく、それほど大きな衝撃でもなかったため、時間が経てばそのうちすぐに目を覚ますだろう、と医師から言われ、一同はひとまず安心した。

 けれど、私はそれでも、自身の罪悪感は消えなかった。いや、当然だ。消えていいはずがない。

その後、病院の待ち合い室の長椅子にて、私は夢原君のお母様と、二人並んで腰を下ろしていた。私みたいな人間が、病院で図々しく座っていていいはずがないのだけれど、それでも今は、少しでも夢原君のそばにいたかった。

 こんなしょうもない私のせいで、あんなに優しい夢原君を気づけてしまったのだ。助けに来てくれた夢原君は倒れたのに、私は無傷で病室の待ち合い室に座っている。そう考えるだけで、自分が許せなくなっていった。

 ちーちゃんたちや妹さんは、夢原君の無事を確認して胸を撫で下ろし、今日のところは一度帰宅して、明日また様子を見にくることになった。

 もう夜も遅いので、病院内はとても静かだ。そろそろ我々も病院を出なければならない時間になってきた。

 「……孤山さん、でしたっけ?」

 夢原君のお母様が、横から私に話しかけた。

 「……はい」

 目を合わせるのも烏滸がましい気がして、私は地面に視線を下ろし続けた。きっと、怒鳴られるのだろう。けれど、当然だ。命に別状はなかったとはいえ、大切な息子さんを死なせかけられたのだ。そりゃ、恨まれて当然だろう。

 普通の親御さんはそういうものであることは、私も知っている。私の親は自分の娘に無関心ではあるけれど。だからこそ私は、お母様の憎しみを受け止めねばならない。

 ……けれど、お母様から出たものは、私が身構えて予期していたものとは、全くの別物だった。

 「……ありがとうね。……いつも颯太と仲良くしてくれて」

 「…………え?」

 私は思わず顔を上げて、夢原君のお母様と顔を合わせた。彼女はなぜだか、優しい微笑みで私を見つめていた。その穏やかな微笑みからは、決して皮肉や怒りなんて感じない。ただ真っ直ぐに、純粋な言葉と笑顔を、私に向けているのだとわかる。

 私はたぶん、今は涙で顔がぐちゃぐちゃになっているけれど、そんなことを気にしている場合じゃなかった。

 夢原君のお母様は、一度顔を地面に向けた。けれど、その穏やかな表情を変えずに、それでいて、どこか儚げな表情をして言う。

 「……あの子ね。昔は元気で明るくて、笑顔が絶えないような子だったの。でも、私と夫が毎日のように家で言い争っていたせいで、いつの日か、あまり笑わなくなっていったわ―」

 「…………」

 その話は私も、夢原君本人から少しだけ聞いている。あまり深くは聞いていないけれど、お母様が今しがた申し上げたことは、私もなんとなく知っていた。ただ、夢原君があまり笑わなくなったのは、ご家庭だけの事情だけでなく、中学時代の友人関係も影響していると思う。彼から話を聞いた限り、友人たちに裏切られて、それをきっかけに友人たちと喧嘩沙汰になったのだとか。

 彼の話では、当時親御さんにも連絡がいったそうなので、お母様もそこらへんのことは、多少なりとも把握はしているのだろう。

 けれど、彼の人格までをも変えてしまったのは、他ならぬ自身の家庭環境のせいなのだと、自分を責めていることが、お母様の話し方から、心が痛むくらいに伝わってきた。

 そして、夢原君のお母様は口を開くたびに、ぽつぽつと涙を流した。

 「……私のせいなの。私が夫とのことで、自分のことでいっぱいいっぱいで、我が子のことをちゃんと見れていなかった。……今思えば、無意識に心にも無い酷いことを、あの子に言ってしまっていたような気がする。いまさら謝ったって、あの子に嫌なことを思い出させるだけだと思っていたけれど、……こんなことになるくらいなら、ちゃんとあの子と話して、謝っておけば良かった」

 「…………」

 「……でもね。中学校二年生の後半あたりかしら、なんだか仲のいい子ができたみたいで。そのあたりからあの子は、少しずつ自然と笑うようになっていった気がするの」

 ……中学二年生の後半あたり。たしか、夢原君と始めた出会ったあたりの時期だ。

 「……きっと、あなたよね。孤山凪さん」

 「……どうしてですか?」

 「なんとなくわかるのよ。あの子が必死に誰かを命張って助けるだなんて、よほど大切な人だったんだと思う」

 「……私は、そんな、誰かに大切に思われていいような人間では―」

 「そんなことないわよ」

 「…………え?」

 お母様はまた、にこりと微笑みながら言う。

 「あの子が大切に思える子なんだもの。今日初めて出会ったけれど、あんなに必死に自分に責任を持って謝罪できるあなたは、とても素敵な人だと思うわ」

 …………。…………どうして、そんなことを言ってくれるんだ。私が素敵な人間なわけがない。親にも愛されず、すぐに自暴自棄になって。挙句の果てには、大切な人を傷つけた。そんな私が、素敵な人間なわけないのに。

 ……今思えば、こんな私が誰かに愛されたいだなんて、図々しいのもほどがある。たしかに私は、親に愛されなくてもしょうがない人間だ。

 「……それに比べて私は、母親として。……いいえ、人間として失格だわ」

 病院内の静かな空間に、夢原君のお母様の、必死に抑えるような泣き声が、わずかに響く。

 ……彼女のその様子から、この方は本当に我が子を大切に思える人なのだとわかる。顔に白紙が貼られている大人のことは、私には理解が及ばないことばかりだったけれど、この人の純粋な我が子に対する思いは、不思議と伝わってくる。

 現に、夢原君のお母様の顔に貼られているのは白紙ではなく、薄葉紙だった。それも、今までにないくらいに、顔がよくわかる薄さの紙。だから、彼女の穏やかな微笑み、涙で埋められた表情がわかったのだ。その紙は今も段々と薄くなっていっていく。そして私は、初めて人の顔をはっきりと見ることができた。

 「……そんなことないです」

 「……え?」

 気づけば、口からぽつりと声が出ていた。

 「……夢原君のお母様は、とても素敵なお母様だと思います。私の両親は、今まで家にすらいてくれませんでした。それに比べて夢原君のお母様は、夢原君が倒れたと聞いて、こんな時間でもすぐに駆けつけました。話し方や表情からも、貴方は心の底から我が子を愛する方なのだと、私にはわかります」

 「…………」

 「……私には、貴方が母親失格だなんて、到底思えません!」

 ……私が死のうと思ったのは、人に愛されることを諦めたから。人に愛を求める自分が、とてつもなく独りよがりで、自分勝手な人間なのかと思えてきたから。……そして、自分が本当に一人なのだと気づいて。……そう思うと、心の中がキュッとなって、苦しかったから。

 ……今まで、死ぬのが怖いだなんて思ったことはなかった。むしろ逆に、救いだと思っていた。

 どうしても辛くなった時は、死ねば全てがどうでもよくなる。今こうして、必死に息をして生きている間は辛くても、死ねばいずれ、辛くも悲しくもなくなる、って。

 けれど、いざ橋の上に立つと、怖かった。死ぬって、どんな気分なんだろう。本当に、楽になれるのだろうか、って。今まで味わったことのない未知の感覚を味わうことに、この上ないほどの恐怖を感じた。

 私は橋の上で、本当は迷っていたのだ。死ぬかどうか。だから、夢原君が来るまで、動けなかった。それでも、まさか来てくれるだなんて思わなかったから、彼が来てくれた時は驚いたし、今思えば、嬉しかった。

 たぶん本当は、私も気づいていたのだ。自分はまだ、死にたくないんだって。

 すると、夢原君のお母様は、ハンカチで自身の涙を拭い、また、優しい微笑みを私に向けた。

 「……ありがとう。……孤山さん」

 夢原君のお母様の声は、本当に、夕凪のような優しさを感じる。

 まるで、小さな卵をひび一つ入れないように、そっと、優しく包むかのような、そんな声だ。

 その声が耳に入るたびに、私の心の中にある、孤独の苦しみや、黒いなにかが、洗い流されていくように思えてきた。

 私の中にある、赤子だった頃は透明だったはずの黒い水が、少しずつ浄化されていくようだった。


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