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2話

 入学式から一ヶ月が経った放課後。

 美術室で、紙を立てかけたイーゼルを、目の前に立てて座っている俺。

「おーい。そろそろ作品の締め切り近いからなー。もう少しペース上げてけよー」 

 そこに、我が美術部顧問の渡辺わたなべがそう告げ、あくびをしながら気だるそうに俺たちの周りをうろうろと歩いていた。茶髪のパーマに、顎には渋い髭を生やしており、印象的には良い意味で、大人の渋さがでている。

 いつも若干気だるそうな態度ではあるけれど、こう見えても意外と授業は真面目に展開しているし、生徒のこともそれなりに親身に考えてくれるので、生徒からは好印象だ。

 ちなみに俺の担任でもあり、俺もこの人のことは嫌いじゃない。

 俺は入学式以降。美術部に入部した。理由としては単純で、昔から絵を描くのが好きだったからだ。というか、中学でも俺は美術部に所属していたからそれもある。

 ちなみに清水君はゲーム部に所属したらしく、入学式以降は特にこれといった会話をしていない。最初こそそれなりに話していたけれど、数日で自然と話さなくなった。別に仲が悪くなったとかそういうことではないのだけれど、単に趣味があまり合わないし、話す話題も減ってきたというだけ。

 言うなれば。最初らへんになんとなく話しかけて仲良くなった人とは、それ以降の生活では徐々になぜだか疎遠になっていく。まあ、そういったふうなあるあるの話だ。

 そんなこんなで、今は別々に行動している。別に友達というほどの関係ではなかったし、それでいいのだけれど。

 そして話は変わるが、今は美術部の作品制作をしている最中。入部当初に早速、十月の文化祭に向けた作品制作の課題を課された。入学して早々に文化祭の話とは随分と気が早いな、と感じたけれど、そもそも我が美術部はそこまで活発な部活ではないため、週に三日しか活動日がないうえに、一日の活動時間は三時間もあるかないかくらいだ。

 そして、その課題の作品がいきなり、A1サイズという大々的なものとなっているため、持ち帰って制作というのも、ちょっと難しい。

 まあ。話をまとめると、要はあまり制作できる時間がない。入学した四月から十月の文化祭まで数ヶ月あるけれど、実際の制作時間に換算すると、時間に余裕はない。

 なので、四月の段階で制作し始めるのは妥当な判断となる。

 限られた時間に追い込まれ、俺たち美術部員は今まさに、ちょっとした危機であった。

 俺は絵を描くのは好きなので、別に描くのは嫌ではない。けれど、

(はぁ……。なんかしんどい)

 さすがに時間に追い込まれながら作業するのは、なかなかに辛いし、楽しいものではない。

 それに、別に俺もプロの画家を目指しているわけではないから、そこまでガチにはなれない。俺は単純に絵を楽しく描きたいというだけ。だから、もう少しゆっくりと、落ち着いて描きたいというのが俺の本音だ。

 今度は心の中ではなく、実際に口からため息をついた。ちょっと疲れたな。

 そして一旦手に持っていた筆を目の前のキャンバスから離し、今自分が描いている絵を、椅子に座りながら、体を少し離して、遠目で見つめてみた。

 ……目の前には、横長に配置したキャンバス。

 そこには白い雲と青い空が広がっていて、その下には青い海が、紙の端まで果てしなく広がっており、奥には地平線が見えている。

 なんだか静かで、どこか切なさもあり、寂しげだ。けれど、それがどことなくエモいと感じさせる雰囲気があった。そして、そんな風景の真ん中には、この広いキャンバスのそこのみ、鉛筆で描かれた下書き状態で、一人の人間がぽつんと立っていた。ただ、見た目は俺と同じくらいの高校生のように見える。

 まだ下書きなので、男が女かもはっきりしていない。一度体を離して客観的に見たあと、今度は主観で見てみた。そうすると、自然と真ん中の下書き状態の人物に目がいった。

 俺は一体、誰を描いたのだろうか。自分で描いておいて、よくわからない疑問だなと思う。

 それからは、周りの人が描いている作品をこっそり見渡した。そして、また自分の作品を見てみると。

 ……やっぱり俺って、下手だなぁと自分で思った。まあそもそも、俺は楽しく描ければそれで良いのであって、そこまで絵に執着して描いているわけではないのだから、下手なのは仕方がないことだ。うん、そうだ。

 俺はため息をつく。首も少し疲れてきた。

「おい。夢原、どんな感じだ?」

 俺が伸びをしていると、背後から声がした。

 軽く振り返ると、いかつい体つきで少し強面の男子生徒がいた。俺の同級生の田崎良太郎たざきりょうたろうだ。

「田崎、こんな感じ」

 俺は右手で自分の作品に指を差した。

「……おー。結構上手いな」

 田崎はまじまじと俺の絵を見てそう呟いた。言い方的に、たぶんお世辞じゃなくて純粋にそう言ってくれているのだと思う。

 田崎は美術部に入部してからの付き合いになる。八神道高の美術部は、男子の部員数が著しく少ない。部員全員合わせて見ても、二十四人中、男子の数は六人ほど。肩身が狭い。

 しかも、そのうち四人は二、三年生の先輩なので、同級生の男子は俺と田崎しかいないことになる。先輩もいい人たちで仲は良いのだけれど、やはり同級生の方が気楽に話せる。入部当初、この状況にいち早く気づいた田崎が、積極的に俺に話しかけてくれた。正直嬉しかったし、活動中に少し話すうちに、好きな漫画の話になって、趣味も合った。話すのは部活中の時間のみだけど、田崎と話す時間は、いつしか俺にとっての楽しみになっていた。

 いかつい体つきだけれど、根は優しいやつだ。田崎はさらに続ける。

「っていうか、どういうコンセプトで描いたんだ、これ?」

 俺は少し返答に困る。自分で描いておいて、なかなか難しい質問だった。変な話、自分でもよくわからない。なんとなくパッと思いついたものを漠然と描いていたら、気づけばこれが描けていた、といった感じだから。

「うーん。なんだろう。なんとなく筆を走らせていたら、たまたまこれができてた」

 俺がそう言うと、田崎は「は?」と言った顔で首を傾けたけれど、少し間を置いて、今度は失笑しだした。

「お前。その道のプロみたいなこと言うなよ。つまりは適当に描いたってことか? まあ、ある意味それも才能だわ」

 少し小馬鹿にしたように笑うので、俺は内心イラっとした。にしても適当というのは失礼だ。

 ……でも、まあ。実際そうではあるか。

 適当と言われると少し語弊があるのだけれど、でもまあ、そうとも言える。描き始める際。何を書こうかと悩んでいる時に、なんとなくパッと思い浮かんだものが、この風景だったから描いた。それまでだ。

「ちなみに田崎は何を描いたの?」

 俺が訊くと田崎は、

「ん? 俺か? 俺は、ほれ、あれだよ」

 と、指を俺の後方に向けた。その少し先には、田崎が描いたのであろう作品が、イーゼルの上に立てられていた。

 田崎が指を差した流れで、自分の作品に寄って行ったので、俺も誘導されるように向かった。

 「おー。……すごい」

 俺は作品を見た瞬間に、その絵に吸い込まれそうになった。その縦長に置かれた絵には、夜の空に白い満月と、都会のビルが立ち並ぶ、キラキラした夜の街並みが描かれていた。

 細部まで細かく描かれていて、街に並ぶ店の看板なんかも、有名チェーン店の名前をパロディした店名が書かれている。そういう細かいところまで描かれてある点に遊び心を感じて、見ていて面白い。あと、単純に上手だった。

 それはもう。この絵が有名な絵画展に置かれていたとしても、違和感を感じないであろうほどに。 

 無論。俺が描いた絵なんかと比べるまでもない。

「やっぱりすごいね、田崎は。さすがは画家を目指しているだけのことはあるよ」

 俺は純粋に感じたことを言うと、田崎は少し照れながらも、謙虚に手を振った。

「いや。まだまだだ。周りの先輩方を見てみろよ。俺なんかとはレベルが段違いだ」

 そう言いながら田崎は、先輩たちが描いている作品を、その場で見渡す。

 レベルが段違いか。うーん。俺はそこまでは思わないけどなぁ。たしかに、先輩方の絵も十分素晴らしい出来だ。俺が描いた絵を隣に並べたのを想像すると、肩身が狭くなるくらいに。

 けれど、田崎の絵も十分、先輩たちに遅れをとらない。いや、なんならそれ以上かもしれないくらい上手だと思う。純粋に俺はそう感じた。これは、決してお世辞でもないし、嘘でもない。

「俺は田崎の描いた絵も十分すごいと思うけどなぁ。絵を見ていたら、細かいところまでこだわっていて面白かったし。人にそう思わせるのって、すごいことだと思う。田崎はやっぱり、きっと良い画家になれるよ」

「そうか? まあ、そう言われると、悪い気はしねぇけど。ありがとよ」

 田崎は照れたように頬をかく。ツンデレだなぁ。

 しばらく田崎とそんなふうに喋っていると、唐突に背後から俺の肩が突かれた。

「お二人さん。ちょっといいかい?」

 突然すぎて、一瞬ビクッとなった。俺が反射的に後ろを振り向くと、そこには、両腕を背中の上で組んだ状態の、一人の男子生徒が立っていた。

「おっと、ごめんね急に。驚かしちゃった?」

「あっ、部長。いえいえ、大丈夫です」

 俺がそう言う。

長身にまるメガネをかけており、顔立ちも整ったこの人は、我が美術部部長である、三年生の潮田光彦しおたみつひこ先輩だ。

「どうしたんすか? 部長」

 田崎が潮田部長に訊く。

「ああ。実は今日美術部の二、三年のみんなで、カラオケ行かないかって話をしていたんだ。それで良かったら、一年生もどうかな、と思ってさ」

 カラオケ。久しぶりだ。

というか、かれこれ美術部全員でどこかに遊びに行くのなんて、初めてかもしれない。いや、初めてだ。なんせ新入生歓迎会はこの教室で軽く自己紹介等で済ませていたから。

 部長の誘いに、俺は迷うことなく首を縦に振り、行きますと言った。  

 部員の先輩や、あまり話したことのない同級生の女子たちとも仲良くなれる、いい機会だ。行かない選択はない。田崎も、「俺も行きます」と返事をした。

 じゃあ早速、今日の部活が終わったら近くのカラオケにみんなで行こう、と部長が言った。

 では、他の一年の女子たちにも声をかけないと、と思ったけれど、あまり喋ったことがなかったから、少々声をかけずらい。それを察してくれたのか、ありがたいことに、他の一年生には部長から誘うと言ってくれたので、任せた。


 午後十八時頃。外が暗くなりつつある部活帰り。美術部部員全員で、学校から徒歩十五分ほどのところにある、カラオケに向かっていた。全員と言っても、本日は二十四人中、三名ほど欠席していたので、二十一人で向かっている。

 その道中。同級生である一人の女子生徒が、みんなに向けて楽しそうに言う。

「にしても初めてですよね! 美術部でカラオケ行くの!」

 その言葉に部長も頷く。

「たしかにそうだよね。全員で行くのは初めてだ」

 次々に他の人たちも、「そういうばそうですね!」「なんかやっぱり、大勢で遊びに行くのっていいっすよね!」などと、ワクワクしながら盛り上がっている。

 俺はそんなふうな会話を、すぐ後ろを歩きながら聞いていた。みんなキラキラ笑っていて楽しそうだ。そんなみんなを見ていたら、俺はふと疑問に思った。

(……みんなは、心の底から信じあえるような、そんな親友はいるのだろうか)

 いや、きっといるんだろうな。俺とあいつらの絆が、本物ではなかっただけで。ふつうは、みんなそれぞれ親友と呼べるような、そんな、絶対的な誰かがいるものなんだろうな……。俺がぼんやりとそんなことを考えていると、俺の隣を歩く田崎が、会話をするように俺に言った。

「にしても俺。カラオケなんて数ヶ月ぶりだぜ。久々だけど歌えっかな? みんなの前で恥なんてかきたくねぇな。っていうか。夢原はカラオケとか行くのか?」

 ……カラオケ。今思えば、あいつらと遊びに行ったどの場所や、楽しかった思い出も、今ではもう、すべてまやかしだったように思える。

 あいつらに裏切られたあの日を思い返せば、あいつらと過ごした、毎日が楽しかった、あの時間や記憶。それらはすべて、意味のない上辺だけのものだった。俺たちの絆は、偽物だった。

 カラオケもそう。何度も四人で九十点台後半を目指して奮闘しまくった、あの日々も。今となっては、とんでもなく馬鹿げた時間だったと感じる。……もう、思い出したくもない。

「えっ、あー。……いや、俺は行ったことないかな。歌もそんなに上手くないし」

 俺は、田崎に嘘をついた。歌が上手いかどうかはともかく、カラオケは何度も行ったことがあるのに。だけど、気づけばそう言っていた。

 たぶん。俺は無意識に、あいつらと行った記憶を無かったことにしたかったのかもしれない。

「そうなのか? まあ、行ってみると楽しいからよ。今日はもうみんなで盛大に盛り上がろうぜ」

「うん。そうだね」

 ……。

「……ねえ。田崎」

 俺は、田崎になんとなく訊いてみた。

「……田崎はさ。今まで友人って呼べるような人って、いた?」

「友人?」

 あまりにも唐突すぎる質問に、田崎は一瞬眉を寄せて、訳のわからなそうな顔を浮かべた。けれど、すぐに普段の顔に戻す。そして、一秒か二秒かくらいで、すぐに答えた。

「……まあ、いるな。幼稚園の時から一緒だったやつもいるし。中学の時に出会ったやつとかも。まあ言っても少ないけどな。けどまあ、一応いる」

「じゃあ。……親友って呼べるような人は、いた?」

 我ながら奇妙な質問だよな。と思いつつも、一度誰かに訊いてみたかったので、訊いてみた。

 そんな問いかけに対し田崎は、

「……うーん。……どう、だろうな」

 と、首を若干傾けはするものの、しっかり考えてくれているようだった。

 しかし、あまりにも急で謎の質問なのに、まさかこんなにも真面目に考えてくれるとは思っていなかったので、正直、ちょっぴり嬉しかった。

「……まあ、いるな。一人だけ」

 ……やっぱり、いるものなのか。

「小学生の頃から一緒にいるやつなんだけどな。いつも一緒に遊びに行ったりしてるんだ。まあ、友達は他にもいるけど、そいつは表裏なく、唯一ちゃんと腹を割って話せる、特別な存在って感じかな」

 ……特別な存在、か。正直、羨ましい。俺が欲しいものを、田崎はすでに持っているのだ。

 やっぱり、みんなそれぞれ、一人くらいは親友がいるものなんだろうなぁ。そう考えると、いかに自分が一人であるのかが、身に染みてわかる。

「っていうか。それがどうしたんだ?」

 田崎が不思議そうに訊いてきた。

「いや、なんでもないよ。ただなんとなく訊いてみただけさ」

「ふーん? まあなんでもいいけどよ」

「おーい! そこの一年の二人、はやくー!」

 俺たちが並んで話し歩いていたら、前方を歩いていた部員たちが、目の前のカラオケのある建物の中へと入っていった。部長が遅れていた俺たちに手を振っている。

「すんませーん。今行きます」

 田崎が走り出したのと同時に、俺も早歩きで建物内へと向かう。辺りはもう夕陽が沈んで暗くなっていた。


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