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13話

三章 過去と本音


 【夢原颯太視点】


 今でも鮮明に覚えている。

 桜が舞う、小学校入学の日を。いや、あいつらとの、上原(うえはら)たちとの出会いの日を。

 俺は母さんと、当時幼稚園年少だった妹の美月と共に、校門をくぐった。

 「そうくん。今日からいよいよ小学生だね。お母さん感動しちゃうわ」

 今では可憐で、それでいて今にも消えてしまいそうな、そんな穏やかな微笑みを見せる母さんだが、父との不仲がエスカレートし出す前の当時は、まるで太陽のような、元気の溢れる笑顔を見せる人だった。

 それは俺も変わらない。当時の俺も、悩みなんてこれといってなかったし、遊ぶことしか考えていなかった。

 今とは違って、自然と笑えるようなやつだったと思う。

 「うん。小学校めっちゃ楽しみ! でも、友達たくさんできるかなぁ?」

 毎日が楽しくて仕方がなかった。目の前に起こるすべてのことが、ワクワクしてならなかった。不安は多少あったかもしれないけれど、至ってポジティブだった。

 自分のことではあるけれど、笑顔が絶えない性格だったと覚えている。

 「そうくんならきっと大丈夫よ。友達たーくさんできるわ!」

 「うん。だよね!」

 「にぃに。がんばって」

 「うん。兄ちゃんかっこいいでしょ? 美月」

 今思えば、美月も小さくてかわいかったなぁ。

 今ではすっかり生意気に育っちゃって。時の流れって本当に残酷だよ。

 「あら!? 颯太くんママ、お久しぶり!」

 すると、唐突に横から声をかけられた。正確には俺にではなく、母さんにだ。

 「あらあら、日和ちゃんママ! お久しぶりね」

 「まあお久しぶりといっても、卒園式から一か月ぐらいしか経っていないけれどね」

 「うふふ。たしかにそれもそうね」

 横から尋ねてきた人は、幼稚園から一緒にいる影山日和のお母さんだった。傍らには影山もいる。お母さんの裾にしがみついて後ろに隠れていた。

 「あっ、ひよりちゃん。元気してた?」

 お母さんの背中にいる影山に気づいた俺は、遠慮なく声をかけた。

 けれど影山は、恥ずかしそうに隠れたままで、全然出てきてくれない。実のところ、天真爛漫(てんしんらんまん)な彼女も、当初は超がつくほどの人見知りだったのだ。今ではあんなにおしゃべりなのに。そう考えると、人って本当に変わるもんだなと思う。

 すると、ずっと隠れたままの彼女に、影山のお母さんが本人にあいさつを促す。

 「ほら、日和。颯太くんがあいさつしてくれているわよ? ちゃんとあいさつなさい」

 「……う、うん」

 影山はぴょこっと顔だけを出して、小さく頭を下げた。

 「……そうたくん。……おはようございます」

 照れているのか、目線は合わせてくれない。というか、顔がちょっぴり赤くなって見えるのは気のせいだろうか?

 「あらあら。日和ちゃん敬語を使えるなんて礼儀正しいのね。うちの颯太も少しは見習ってほしいわ」

 「ただ人見知りなだけよ。まったくこの子ったら、学校でうまくやっていけるのかしら」

 「大丈夫だよ。俺がひよりちゃんを守るから!」

 今思えば、自分が言ったとは思えないセリフだ。赤面もの。いや、それを通り越して黒歴史か。

 「あら。颯太くん頼もしいわねぇ。私も颯太くんが一緒でいてくれたら安心だわ」

 「……ありがとう。そうたくん」

 「ねぇねぇ、早く学校の中入ろうよー! 俺、先行くよ? 行こ、ひよりちゃん!」

 「う、うん」

 俺は影山を急かすように、手を強く引っ張り、校内へと走っていった。

 「こらっ、颯太! 日和ちゃんを強く引っ張らないのっ!」

 「良いわねぇ、男の子は元気があって」

 「おかげで毎日手がつけられなくて大変よ」

 後ろからの声なんて、もはや俺には聞こえていなかった。後先なんて考えない怖いもの知らずのただの少年には、初めての小学校を目の前にしたら、もう興奮を抑えられない。

 早く初めての学校の中を探検したくてたまらなかったのだ。


 *


 初めての入学式を終え、教室に集まってホームルーム。スペースの関係状、保護者は教室の廊下に集まって、共に教室内での説明を聞いている。

 保護者に学校でのことを伝えるために記す連絡帳や、算数の授業で使用する算数セットの保管場所。明日の登校時間や持ち物など、後は小学校一年生には理解し難い保護者向けの学校の説明を受け、解散となった。

 それから外に出て、校門前で影山親子と一緒に記念撮影。

 それを終えて母親同士の他愛もない会話に突入したので、会話が終わるまで俺は、影山を連れてまた校内を探検しに向かった。

 式の前に軽く見て回ったけれど、まだ一通りは見ていなかったのだ。

 校内へと入ると、俺たちと同じ探検隊が、何人も走り回っていた。自分たちと同じ新入生だろう。近くにいたその保護者であろう方々は、それを見てご指摘の声を上げていた。

 そんな感じで、入学式を終えた後も、校内はところどころに人だかりがあった。

 俺と影山は階段を上がって二階へ。上がったすぐ右隣にはトイレがあり、それを素通りして、図書室や俺たち一年生の教室を見て周る。一年生の教室があるフロアには、廊下の窓の外に小さな広場があった。

 そして、そこには上級生が育てているのであろうトマトの植木鉢が、端に寄せられた状態で並べられている。

 俺は興味本位で植木鉢を見たくなり、廊下の窓から広場へと足をつかせた。広場は窓を開ければすぐに中へと入れるので、危険は一切なかった。

 本当はたぶん、図書室近くに設けてある扉から入るのが、正規ルートなのだけれど。

 それに気づいた、当時はお行儀の良かった影山からは、ちゃんと扉から入らなきゃダメなんじゃないか、と指摘があったけれど、俺はそんなの気にせずに、ひょいっと中へと入った。

 「うわぁ、スゲェー。トマトだぁ」

 俺は近くにあった植木鉢に目を向ける。そこには真っ赤なプチトマトが成っていた。流石に正確な数までは覚えていないけれど、その植木鉢にはたぶん、三つ二つくらいは赤く成っていたと思う。何個かまだ熟していない緑のトマトもあった。

 「……なにこれ? 緑のトマトがある。……なんか不味そう」

 その頃の俺は、トマトというのはすべて赤いものなのだと認識していたため、初めて緑のトマトを見たその時は、不思議に思って首を傾けていた。当時の俺からすれば、世紀の大発見だったのだ。

 けれど、影山はそうでもなかったみたい。

 「それはまだ食べられないトマトだよ。トマトは美味しくなるまでは緑色をしているの。ママとお庭でトマト育てているから、私知っているよ」

 俺に続いて窓からゆっくりと出てきながら、影山が教えてくれた。

 「へぇ。そうなんだぁ。ひよりちゃんは物知りだね!」

 「う、うん。……まあね。私、すごいでしょ?」

 人に褒められたのが相当嬉しかったのか、影山は照れながら胸を張る。子供って本当に単純だ。すると、どこからか聞きなれない別の声が聞こえてきた。

 「すっげぇ。トマトがいっぱいじゃん! 美味そう」

 声が聞こえた方に顔を向けてみると、そこには当時の俺たちと同い年くらいの三人の男たちが、俺たちとは離れた別の植木鉢をしゃがんで見ていた。

 「でも、緑のトマトがあるよ?」

 「これはまだ食べられないトマトなんだよ。父ちゃんが言ってたんだ!」

 「へぇ。しょうちゃんなんだか博士みたーい」

 「えっへん!」

 なんかデジャブ。さっき俺たちがやっていたやりとりとまったく同じことを彼らもやっていた。

 「ん? ねぇ、しょうちゃん。なんかこっちを見ている子たちがいるよ?」

 「ん?」

 少し離れた俺たちにいち早く気づいた、少し朗らかな体型の子が、しょうちゃんと呼ばれていた子に、俺たちの方へと目線を促した。

 かと思えば、そのままその三人は俺たちのところまでずかずかとやってくる。

 「なあなあ、お前ら何年生?」

 しょうちゃんと呼ばれていた茶色気味な髪の男の子は、俺たちの前に来るや、急にそう訊いてきた。

 目の前に来られると、とんでもない迫力だった。空手でも習っているのかと思うくらい強そうな子だ。まるでガキ大将さながらだ。

 「っ……」

 ただでさえ人見知りな影山は、すぐに俺の後ろに隠れた。背中越しに震えているのが伝わる。

 「……あっ、えっと。い、一年生」

 先方の迫力に、俺が少し震えながら答えると、そのしょうちゃんと呼ばれていた子は急に目を丸くして、元気な声を上げた。

 「本当か!? 俺たちもなんだよ。俺、上原(うえはら)(しょう)。よろしくな!」

 「う、うん」

 声がすごい大きい。

 そう名乗ってくれた上原君は茶髪で、おでこには転んで怪我したくらいの小さな絆創膏を貼っている。第一印象からヤンチャさが滲み出ている。

 すると、それに続いて他の二人も自己紹介をしてくれた。

 「僕は坂田(さかた)(りょう)(すけ)。よろしくね」

 「えーっと。ぼくはね、(ふと)井工(いたくみ)。よろしく」

 上原同様に、二人もにこやかに自分の名を名乗ってくれた。三人とも優しそうだ。

 坂田と太井。前者はマッシュルームヘアをしていた。笑顔も自然で、爽やかな印象を与えた。なんとなくだけど、頭も良さそうな感じがした。

 後者はぽっちゃりとした体型で、顔つきも肉まんみたいだけど、笑顔が穏やかで愛着を覚える。仏様みたいな印象だ。

 初対面で最初こそ動揺したけれど、さすがは小学一年生。あいさつをされて、俺はすぐに警戒を解くことができた。

 「俺は夢原颯太。よろしく!」

 影山はいまだに、俺の背中に隠れたままである。

 「ひよりちゃんも、自己紹介したら?」

 影山だけ放っておくのも気が引けたので、なんとか輪に入れようと、俺が彼女に名乗るよう促してみた。

 すると影山は、恐る恐るしながらも、ぴょこっと顔を出す。

 「……こ、こんにちわ。……か、影山日和です」

 影山が怯えながらも、上原たちは快く俺たちを受け入れてくれた。

 「おう、よろしく!」

 上原の元気な声が響く。これが、俺と上原、坂田、太井の出会いだった。

もとい、これが全ての始まりだったのだ。

 今考えると、この日、こいつらとさえ出会わなければ。もっといえば、この日、広場になんてきていなければ、本当なら今はもっと、人を素直に信じられるような人間になっていたのではないか。今ではそう思う。

 なにがともあれ、もう出会ってしまったのだ。今さらあれこれ考えたって、すべて無駄。

 だってもうすでに、この時から俺の人生の歯車は、進み始めていたのだから。

 

 *

 

 それから小学三年生になった頃には、俺たち四人はすっかり仲のいい友達になっていた。

 影山は人見知りだったのも手伝い、俺とは絡むものも、上原たちとはあまりこれといった交流はなさそうだった。

 よく俺と上原たちは、外でサッカーやかくれんぼをしたり、家でゲームをしたりして遊んでいた。

 そして遊んでいる中で、皆々の個性や得意不得意がよく知れた。例えばサッカーをするときなんかは、スポーツ万能な上原が大活躍だ。ドリブルも上手いし、リフティングも余裕で五十回くらいはできていた。ちなみに俺は五回くらい。

 「はははっ、どうだ雑魚ども! これが真のサッカー王者の実力だ!」

 上原はよくそうやって俺たちを煽っていた。

 四人で試合をする際、二対二に分かれてやる時は、いつだって上原がいる方が勝った。毎回勝つもんだから、つまらなくなった俺たち三人は、総出で上原に挑んだこともあった。

 「行くぞお前らー! 突撃だー!」

 太井の掛け声に合わせて、俺たち三人はよく上原に向かって走り出していた。

 そうすればなかなかいい試合ができたので、めちゃくちゃに楽しかった。

 「あっ、ちょっ! たんまたんま!」

 上原も一斉に来られると焦っていたので、実に愉快だった。

 もはや試合として機能していなかった気もするけれど、そうやってみんなで泥まみれになりながらはしゃいでいた。

 かくれんぼでは意外に太井が強かった。大きな体格は一見不利に見えるが、彼は絶対に普通は隠れないだろう場所にも躊躇なく隠れていたので、手強かった。時には、人の家の敷地内に誤って入ってしまい、ひどく怒られていたくらいだ。

 もう根本的に芯が違うし、たぶんこの中で、一番根性があると俺が思ったのは太井だった。

 あと、ゲームでは俺と坂本が活躍。坂本は俺たちの中で一番頭が良かったし、テレビゲームやカードゲーム、様々なジャンルで頭脳を駆使し、無双していた。俺の場合は頭脳というよりは、単純に当時はゲーム中毒だったのもあり、経験の差がものをいったという感じだった。ちなみにゲーム系はなんやかんやで、坂本よりも俺の方が強かった気がする。

 「くそっ! また夢原に負けた!」

 「はっはっはっはっ、真のゲームマスターの実力を思い知ったか!」

 坂本はよく悔しがって、俺はそれに対して毎回煽っていた。サッカーで上原がやっていたみたいに。ちょっとセリフは違ったかもだけど。

 そんな感じで、俺たちは泥んこまみれになりながら、くたびれるまでひたすらに毎日を遊びまくっていた。

 楽しかった、本当に楽しかった。胸の中が常にポカポカ暖かくて、俺たちはいつも笑い合っていた。俺たちは四人いれば無敵だった。どんな怪物が現れたって絶対倒せるし、今すぐに他国からミサイルを撃ち込まれたとしても、宇宙人が地球に侵略してきたとしても、俺たちなら生き残れると思っていた。たぶんその頃は、上原たち三人も、そう思ってくれていたのだと思う。

 けれど、その無敵心は四人いればの話。家に帰って一人になると、俺はすぐに現実に戻される。まるで、悪夢を見ているかのようだった。家にいる間の俺は、ただただ目の前の光景にびくびく震えているだけの、本当に、弱い子鹿のようだった。


 俺の家は、都内にあるマンションだった。外で上原たちと遊んだ、あの太陽のように明るい世界は、家の中に足を踏み入れるだけで、一変する。

 

 *


 上原たちと遊んだ後は、家に帰宅。大体帰るのは、いつも十九時くらいだった。

 「……ただいま」

 家の中から、おかえりの声は返ってこない。その代わり、激しい口喧嘩の飛び交う声が聞こえてくる。

 「だから言ってるじゃない! わたしだって毎日毎日仕事してんのに、その上家事もしてるんだから、晩御飯作るのがちょっと遅くなったくらいで文句言わないでよ!!」

 「知るか! 俺はお前より稼いでるんだぞ!? その分家のことくらいしっかりやれよ!!」

 「何が稼いでるよ!? あなたは結局そのお金も家に入れずにパチンコに使うじゃない!!」

 今日もだ。今日も母さんと父さんが言い争っている。隅の方のソファーに、妹の美月が布団を頭に被り、耳を塞いでいた。

 とりあえず俺は、美月を別の部屋に連れて行き、避難させた。

 このように両親が不仲となり、言い争うようになったのは、俺が小学二年生になったあたりからだった。いや、もしかしたら俺が気づいていないだけで、元々両親は仲が悪かったのかもしれないけれど。

 ただ、わかりやすく口喧嘩をするようになったのは、二年生あたりからだ。それ以降、母さんもどこか、やつれたような顔をしていた。

 喧嘩の主な原因は、父が家に金を入れず、ギャンブルに使い倒していたというものだった。

 父は、絵に描いたようなクズ野郎だったのだ。

 小三となった今では、その喧嘩もさらにエスカレートしていき、父さんはやたらと母さんに物を投げるようになり、俺にも何かと暴力を振るうようになった。

 ……家庭内の空気は、本当に最悪だった。

 家族で一つのテーブルを囲むものも、会話は一つも生まれない。たまに父が、母さんの作ってくれた料理にケチをつけるか、舌打ちをするかだけで、そこから食事中にも限らず、また喧嘩に発展したりもした。

 その日の夜の食事中も、いつも通り地獄だった。

 「おいっ、味が濃いぞ! 前にも言ったよな!? もっと薄味にしろって!」

 父がまた母さんにいちゃもんをつけてきた。母さんも反論しだす。

 「だったら全部自分で作りなさいよ! 作ってもらっといて文句言うな!」

 この上ない正論である。味だって、別にそれほど濃くもないし。

 「あぁん!? 旦那に向かってなんて口の聞き方だ!」

 「うるっさいわね! だったら旦那らしくちゃんとお金家に入れなさいよ!」

 二人がまた言い争い始めた。今まで大人しくしていた美月も、いい加減とうとう泣き出してしまった。それなのにあろうことか、二人はまだ言い争い続ける。

 そして、母の口から衝撃の一言が。

 「私だって、もう子供を育てるのうんざりなのよ!」

 それを聞いた瞬間、俺は、血の気が引いた。……なに、それ? それはつまり、俺たちのことがそんなに邪魔だっていうのか? 

母さんも、つい口走ってしまっただけなのだろう。けれど、こういう極限状態で出た言葉だからこそ、その言葉は本音以外の何事でもないのだろうとも思う。この一瞬で、いつも温厚だった母の裏が垣間見えてしまったようで、怖かった。

 いくら溜まっていたからって、母さんにそう言われると、心が苦しくなる。

 そして、父と母さんの激しい口争いはいつまで経っても止まらない。

 流石に俺ももう限界だった。

 「あぁ、もういい加減にしろよ! 飯時くらい静かにしろ! 美月も泣いてんだぞ!? あんたらも親なんだったら、少しは時と場所を弁えろよ!!」

 俺は今まで蓄積されてきた怒りを、吐き散らかした。ほんの数秒、気味が悪いくらい静かな沈黙が流れた。いや、数秒というか、俺がそう感じただけで、本当は一秒も経っていなかったのかもしれないけれど。

 「……お前今なんつった?」

 父が、がん開きの目をこちらに向ける。俺はまるで、直接自分の心臓を鷲掴みされたかのように、体全身が激しく奮い立った。そして、次の瞬間。

 「うぐっ……!」

 俺は、右頬に重い圧を感じた。それとほぼ同時に、俺は椅子を転がせて地面に体をついていた。あまりに急なことだったので、すぐには何が起こったかはわからなかった。けれど右頬に感じたその圧は、少し遅れて熱いくらいに痛みを感じだす。

 やっと理解した。俺は、父に拳で殴られた。それも、手加減なしの歪んだ怒りに包まれた、鬼のような拳で。

 「このクソ息子が! 誰のおかげで飯が食えてると思ってやがるんだ!!」

 倒れた俺の耳に、上から父の罵声が降り注いだ。美月の泣き叫ぶ声がさらに増し、頭が割れそうになるくらい脳内に響く。

 母さんは力尽きたような体で、必死に父を抑えた。それを見て、母さんは根はいい人なのだと再確認されたが、それでもまだ、息子である俺はさっきの咄嗟に出た母の言葉が、頭に残ってしまう。

 きつい。もうダメだ。早くここから消えたい。いっそのこともう死にたい。

 そんな言葉で脳内が埋め尽くされた。

 世の中には、食べ物すらくれない親や、家にも入れてくれない親もいると思う。

 きっと、俺なんかよりももっと大変な家庭もあるだろう。そんなことはわかっている。そんな人たちのことを思えば、俺なんてまだマシな方なのかもしれない。けれど、そんなの俺には関係ない。俺にとって自分の両親は、十分クソみたいな親の部類に入る親だった。

 美月の泣き叫ぶ声と、父の罵声、母さんの泣き声が、耳の奥底を刺激し、頭がおかしくなりそうだった。

 頰が痛い。胸が苦しい。腹の奥底が気持ち悪い。目が熱い、泣きそう。

 ここにいたら、俺はどうにかなってしまいそうだ。

俺は耐えられなくなり、逃げるように家を飛び出した。

 「おっ、出ていくか!? ああ、いいぞいいぞ! テメェみたいな出来損ない、適当な場所でのたれ死ね!」

 父の罵声が後ろから聞こえてきた。それを聞いた俺は、もうこいつは父親ではなく、ただの化け物なのだと、そう悟った。


 家を一度出た後、俺は近くの夜の公園のベンチで一人、近所迷惑にならないよう、声を押し殺しながら泣いた。本当は、おもいっきり大声で泣き叫びたかったけれど。

 「ううううっ……!!」

 ……辛い日々だった。

 父は、本当にちょっとしたことにも何かと理由にして怒鳴っていたので、母さんに限らず、今まで俺と美月も、自身の一挙手一投足に細心の注意を払いながら生活をし、あの地獄のような空気に体を震わせながら過ごす日々を送っていた。

 あの家にいると、もう死にたいとさえ思えてきてしまう。

……けれど、俺はなんとか耐えることができた。だって俺には友達が、上原たちがいるから。

 

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