12話
その後、俺は近くの公園へと足を踏み入れた。公園というより、緑豊かな広い芝生がある公共広場といった感じだ。あまり立ち寄ったことのない場所だけれど、人もまだらだし、静かで落ち着いた。
俺は近くにあった適当なベンチへと腰を下ろした。頭上にはちょうど木があり、自身の座るベンチ周りには木陰ができていた。冬という時期と夕方の時間帯ということも手伝い、それほど日差しは届かず、木影も薄く、少し肌寒い。制服であるブレザーの上にコートを羽織っているが、剥き出しになった顔の肌には、冬の冷たい風がなびいてくる。マフラーを巻いてくればよかった。
目の前には大きな湖があった。木の柵に囲まれた、半径二十メートルほどの大きな湖だ。
「はぁ……」
俺は無意識に、小さなため息をついていた。やらかした、と思っていた。さっきの事を。
あんな、人もそれなりにいた場所で、大きな声で叫んでしまった。その瞬間に周囲から届けられた、奇異なものを見る視線を思い出すと、今になって心が痛くなってくる。
それに、影山と田崎にまで迷惑をかけてしまった。影山には随分と酷い事を言ってしまった気がするし、田崎にも嫌な態度をとってしまった。
そして何よりも、まだ中一の夏に起こった出来事の記憶が、脳内を侵食していた。
「うううう……!」
心の中が締め付けられる。それを抑えるように、俺は必死になって手で頭を押さえてうずくまった。
いい加減、もう忘れたい。どうして忘れられないんだ。もう四年も前のことなのに。
こうやって、いつまでも過去に囚われ続けている自分に対しても、嫌気がさしてくる。今まさに、自己嫌悪に陥り始めていた。
こういう時、自分がとてつもなく一人に感じられてきて辛い。どうにかして気を紛らわせたい。自分は一人ではないと、今すぐにでも思いたい。
こんな時、どうすればいいのか。
「……孤山」
俺は自身の携帯をポケットから取り出し、メールを打った。宛先は、友達保険を結んでいる孤山凪。
今こそ、友達保険を利用すべきだ。
*
それから約四十分後。俺は八神道高付近にある喫茶店へと訪れ、窓際の横並びになっているカウンター席へと腰を下ろした。
一人携帯を弄って小説投稿サイトの作品を閲覧していた矢先、背後から声をかけられた。
「お待たせしました、夢原君」
声に釣られて首だけ振り向かせると、そこには孤山が立っていた。手にはカフェオレが入った白のティーカップが収まっている。先に注文カウンターで注文してきたらしい。
薄茶色い液体からほんのり湯気が出ていることから、ホットであることがわかった。まあ、冬の寒い時期には妥当だろう。
俺は公園から直で来たから制服だけれど、孤山は家にいたのか私服だった。
となると、家からわざわざ呼び出して申し訳ない気持ちにもなってしまった。
孤山は、一年前にちーちゃんたちと買い物に出かけた際にも、俺と孤山との間で話題になった、黒のワンピースの上に白いカーディガンといった、シンプルな装い。
無地だけれど、たしかに彼女が前に言ったように、これが逆にオシャレなのだろうと感じられた。
「ごめんね。急に呼び出して」
「いえ。友達保険ですし、気にしなくていいです」
そう言うと孤山は、俺の右隣の椅子に腰を落ち着かせた。そして、テーブルに一度置いたカフェオレを手に取り、口につけて少し飲む。
俺も先に頼んでいた、メロンソーダが入ったグラスを手に取り、ストローで飲んだ。
するとややあって、暗くなり始めてきた夜空を目の前の窓越しに眺めながら、孤山は訊ねてきた。
「呼び出したということは、何かあったのですか?」
その問いに、俺は少し黙ってしまったが、少し間をおいて返した。
「……ちょっと、昔を思い出しちゃってさ」
「……そうですか」
孤山には、友達保険を結ぶにあたって、俺が中学の時に何があったのかを全て話している。それもあって、すんなりと返してくれたのでありがたい。
逆に俺も、ご両親が仕事人間で、昔から家では一人だったことや、友達がいないことなど、孤山の事情も聞いていた。
「まあ、だから。今は誰かとゆっくり話したかったんだよね。……一人じゃないって思いたかったから」
「その気持ちはわかります」
ちなみに母さんには、友人と遊ぶから帰りは少し遅くなるため、晩御飯は置いておいて欲しいと連絡した。孤山に関しても、両親は仕事で自宅には彼女一人しかいないので、帰りの時間はさほど気にしなくて済む。
冬の夜空を眺めながら、俺はぽつりと呟いた。
「……人間関係って、なんかめんどくさいよね」
「そんなことは今更ではありませんか?」
「まあ、そうだけどさ」
時々思う。世界に自分一人、もしくは孤山と二人だけなら、どれだけ心地よいだろうと。
結局人の悩みなんて、大抵は人が絡んでいるものなのだ。世界から自分以外の人間が消えたのなら、さぞかし素晴らしい世界になるであろうことは、容易に理解できる。
食料問題や娯楽、電気など、人が消えることによって機能しなくなる部分もあるだろうけれど、俺は何も長生きしたいとは思わない。
しばらく一人の世界を満喫したのなら、俺も死ねばいい。
「けれど、ありのままでいいんじゃないですか?」
すると、孤山がそんなことを言ってきた。
「ありのままでいいんだと思います。それを周りが受け入れてくれないのなら、それは仕方のないことなのだと開き直ればいいんですから」
……ありのままで。そんなふうに生きられれば、どれだけ楽だろうか。この世界、きっと誰しもがそうであるべきだと考えていることだろう。この世界も、それが正しいことなのだと表明しているようにも思う。
けれど、俺のようにこうしてうずくまっている人に手を差し伸べるように、その言葉を正義のように謳っているこの世界そのものが、そういう生き方をさせてくれないのだ。とんだ矛盾である。
「綺麗事だよ、そんなの」
俺が冷ややかな口調でそう吐くと、孤山は暗い夜空を見ながら呟いた。
「綺麗事かもしれませんが、その綺麗事に救われる人だって、いるんじゃないでしょうか?」
「……どういうこと?」
「言葉って、受け取り方が大切だと思うんです。どんなにきつい言葉を浴びせられても、自分で良いふうに捉えられれば、きっとその言葉はプラスになります」
「……言葉を、プラスに」
「だから、綺麗事だと思うことも綺麗事で片付けずに、自分にとって良いふうに捉えればいいのでないかと、私はそう思います」
さすがは小説家志望と言うべきか、たまには孤山もいいことを言うじゃないか。
けれど、どこか根暗なオーラを纏った孤山らしからぬセリフだ。たぶん、今まさに落ち込んでいる俺を、少しでも励まそうとしてのことなのだろう。
だから今は、彼女の言葉を素直に受け取っておこうと思う。
「……たしかに、そうだね。……ありがとう」
「大したことは言っていませんよ」
そう言うと孤山は、再びカフェオレの入ったカップを両手で包み、口につける。
それから口からカップを離すと、孤山は何かを回想しているかのように、しばらくカップを見つめていた。
「……にしても、なんだか少し思い出しますね。夢原君と初めて出会った時のことを」
孤山は自身の手に持ったカフェオレを見つめながら、そんなことをこぼした。
「え、なんで?」
一瞬なんのことかわからなかった。けれど、よくよく過去を振り返ってみると、すぐに思い出せた。
「あっ、そっか。そういえば孤山と出会ったのも、カフェオレがきっかけだったっけ」
孤山は少し頬を膨らませながら、こちらを睨んできた。
「……忘れてましたよね?」
図星をつかれた。それでも一応、俺はしらばっくれる。
「そ、そんなことないって。ちゃんと覚えてたよ」
「……本当ですか?」
「本当だって」
なんだかまるで、恋人同士の馴れ初め話みたいな感じがして、変な気持ちになった。
にしても、そう言われるとちょっとずつ思い出してきた。孤山と初めて出会った時のことを。けれど、そこまで回想するには心底不本意ではあるが、あの出来事が起こった頃まで遡らなければならない。
俺が孤立したきっかけである上原たちとの、あの夏の出来事を。
俺は孤山を隣に、カウンター席の窓から覗ける、雪が降り落ちていく冬の夜空を眺めながら、過去へと回想に浸った。




