母と、娘
部屋に入っていくと、美鈴は不安そうな表情を向け何か言おうとした。だが、加藤は何も言わず、口に人差し指を当てる。静かに、というジェスチャーだ。
美鈴にそっと顔を近づけ、小さな声で囁く。
「あいつら、中学の時と全く同じだ。あんたらを引き渡せ、なんて言いやがったよ」
聞いた途端に、美鈴は表情を歪め俯いた。だが、加藤は構わず話を続ける。
「本当に、筋金入りのバカだよな。こんな状況になったら、あんたらを渡したところで無事に帰ることなんか出来ねえのによ。あそこまでおめでたい頭で、よくサラリーマンなんかやってられるな」
すると、美鈴は顔を上げる。
「みんな、あんたみたいに強いわけじゃない。それに、あの人たちは平和な世界で生きてきたんだよ。こんな状況だったら、視野狭窄に陥りバカな行動をするのは当然だよ」
思わぬ言葉に、加藤は苦笑しつつ答える。
「そうかい。悪かったな。けどな、本題はこっからなんだよ。何だって、あの連中に追われる羽目になっちまったんだ? こうなった以上は運命共同体だ。全て話してもらうぞ」
言い終えた加藤の瞳に、危険な光が宿っている。あえて口にしないものの、言わなければどうなるか……という脅しのようにも感じられた。
美鈴は下を向き、目をつぶった。どうしようか迷っているらしい。
その時、玲奈が母に近づいていき、肩に軽く触れる。
意味不明のやり取りだったが、これで美鈴の決心がついたらしい。顔を上げ、語り出す。
「私は、かつて新興宗教団体・ガイア救済教会の信者だった。信者といっても、末端の人間だったの。正直に言うと、当時の私は経済的に苦しくて……ガイア救済教会なら、生活困窮者には住むところをただで提供してもらえると言われたので、形だけ信者になった。で、仕事を探しながら施設内の雑用をしていたの。その施設は、ここから歩いて二時間くらいかかる所にある。大きな建物の一部屋に玲奈とふたりで住んでたけど、信者以外は知らない場所だった。地図にも載ってないんだよ。届け出もされていないみたい。その時点で、怪しいと思うべきだった」
聞いていた加藤は、クスリと笑ってしまった。ありがちな話である。
宗教団体、特に営利目的のインチキ宗教団体は、信者の数こそが命だ。形だけでも入信させるというのは、ごく当たり前のことである。中には、ホームレス同然の者が、このシステムを利用し住むところを確保しているケースもある。もちろん、教団側は生活保護を受給させ金を搾取しているのだが……。
もっとも、美鈴の話はそんなありきたりなものではなかった。
「ある日、あたしたちが住んでいる施設に、人相の悪い二人組が現れた。俺たちはヤクザの何とか会だぞ! お前らは届けも出さず、ここで何やってんだ! とか何とか怒鳴ってたのを、今もはっきり覚えてる」
「白戸市のヤクザとなると、たぶん士想会だな。なるほど、地図にも載っていない宗教団体の施設に、金の匂いを嗅ぎ付けたわけだな」
加藤は呟くように言った。が、次の瞬間に表情が変わる。
「ちょっと待て。まさか、そのふたりを殺しちまったとかいう展開か?」
「はっきり見たわけじゃないけど、間違いないと思う。その時、施設には六人の末端信者と三人の幹部信者がいた。幹部信者は、あたしたちに森の中を散歩するよう言った。私も行こうとしたら、玲奈が首を横に振って動かなかったんだよ。この子、たまにテコでも動かなくなることがあって、そういう時は必ず何かある。私は気になって、玲奈とふたりで施設にある掃除用具入れに隠れて様子を見てたの」
聞いた瞬間、加藤はフウと溜息を吐いた。勇ましいと言おうか、バカと言おうか。一歩間違えたら、親子そろって消されていたのだ。
それに、今の話には聞き流せない点があった。しかし、加藤はあえて何も言わず、美鈴が語るに任せた。
「隙間から見てたら、そのヤクザたちが、担架でどこかへ運び出されていったの。一瞬、眠ってるのかと思ったけど、片方は目が開いたままだった。私は怖くて、ガタガタ震えながら見ていた」
そこで、話は中断する。美鈴の表情が青ざめているのだ。気分も悪そうである。
死体の顔を見たことと、その時に感じた恐怖が、彼女にとって強烈なトラウマとなっているのだ。今、フラッシュバックに襲われているのかもしれない。
だから、話したくなかった……。
「大丈夫か? 気分が悪いなら、ここまでにしておくか?」
気がつくと、そんな言葉が出ていた。
加藤もまた、かつては強烈なフラッシュバックに悩まされた。社会復帰のため町を歩いていたら、イジメの体験が唐突に頭に浮かび、気分が悪くなり吐いてしまう……そんなことが、何度もあったのだ。
ややあって、美鈴は微笑んだ。
「ありがとう。優しいとこもあるんだね。でも、何とか大丈夫。それから、幹部信者の三人が帰ってきたんだけど……中のひとりがこう言ってた。ヤクザはよく焼けますな、やはり不健康な生活ゆえでしょうかね……なんて、笑いながら言ってたんだよ。その時、私ははっきりわかった。ガイア救済教会にいたら、私と玲奈もこいつらと同類の犯罪者になってしまうってね。だから、教団から逃げることにしたの」
「あんたもバカだね。そんなのほっときゃいいのに。どうせ、あんたとは無関係の人なんだし、死のうが生きようが関係ないでしょ。ヤクザなんか、どんどん死んだ方がいいんだよ」
吐き捨てるような口調で言い、かぶりを振った。
もっとも、この言葉と仕草は動揺を隠すためのものだった。優しいとこもあるんだね……の一言は、加藤にとって完全に意表を突いた一撃だったのである。思わずドキッとしてしまい、こんな態度をとってしまった。
対する美鈴はというと、険しい表情になっている。
「私は見たんだよ。あのふたりが、死体みたいにグダッとなって運ばれていくのを……見てしまった以上、関係ないなんて言えない。だから、私は警察に行くことにした」
「いやぁ、実に立派だねえ。うちのクラスメートとは大違いだ。ノーベル平和賞とまではいかなくても、町内福引大会の旅行券くらいは当てさせてあげたいもんだね」
ヘラヘラした態度で言った。美鈴が言い返そうとした瞬間、さっと顔を近づける。
「だけど、あんたまだ隠してることあるんじゃない?」
凄みのある声だった。途端に、美鈴の表情が歪む。この女、やはり何か隠しているのだ。
殺人事件よりも、彼女にとって重要な何かを──
「あ、ありません!」
怯えながらも、美鈴は言い返した。しかし、その声は弱々しい。
今までの言動を見る限り、彼女は自分が正しいと信じるもののためなら、とんでもない勇気を発揮するようだ。目の前で何人もの人を殺した加藤にも、毅然とした態度で接していた。他の元同級生たちとは違う。
しかし、自身の行動や主張に何らかの負い目や矛盾を感じていると、途端に気弱になる。今のが、いい例だ。
それよりも、考えねばならないことがある。本来なら、美鈴を殴ってでも情報を吐かせていたはずだ。だが、今はそんなことをする気にはなれなかった。
いや、それ以前に……いつもの加藤なら、こんな状況になる前に、親子を見捨てて逃げ出していただろう。哀れな母と娘を救うため、ガイア救済教会なる極悪宗教団体に立ち向かう……字面は格好いいが、あまりにも分の悪い戦いである。
俺も、あの元同級生のことを笑えねえな。
心の中で呟いた。
だが、すぐに気持ちを切り替える。今は、反省や後悔などしている時間はない。
まずは、先ほど考えた作戦について話してみよう。
加藤は、顔を上げ口を開く。
「ムキになるとこが、ますます怪しいね。ま、そんなことより、この状況をどうするか……そっちの方が大切だ。実はな、ひとつだけ助かりそうな方法を思いついたよ」
「本当に!?」
「ああ。俺の元同級生たち全員にレインコートかなんか着せて、フードを被せ顔をわからなくする。お誂え向きに、厨房には割烹着みたいなのがあるからな。そして、同じタイミングで一気に別々の方向に逃がすんだ。ついでに、あいつらに袋も背負わせる。その中には、灯油を入れたペットボトルとガスコンロ用のボンベを入れといて、灯油のペットボトルと袋には穴を空けておく」
聞いているうちに、美鈴の顔つきが変わってきた。作戦の内容を察したのだ。
それでも、加藤は構わず語り続ける。
「そうなると、背負った袋の穴から灯油が地面に垂れていくだろ。で、その垂れた灯油に、あいつらが走り出したと同時に火をつける。そうなると、火はあっという間に燃えていき、袋にも燃え移る。結果、大爆発だ。名付けて、人間爆弾作戦だ。いや、自爆テロ作戦の方が近いかな。とにかく、この状況では効果的だよ」
そう、加藤は裏の世界の住人であった。これまで、卓越した身体能力と、身の周りにあるものを上手く使い危機を脱してきたのである。
そんな加藤は、さらに語り続ける。
「その間、俺たちはそっと裏口から逃げて隠れ、この店を爆破する。ガスを充満させ火がつくようにしとけば、爆破は簡単だよ。そうなりゃ大事だし、山火事になれば消防局も警察も動き出す。俺たちの逃げ出すチャンスも、さらに上がる。ちょっと不確定要素は多いし不安ではあるが、今のところこれくらいしか思いつかない」
ここで、美鈴はようやく言葉を返した。
「あんたは、同級生を見捨てるの? しかも、自分が逃げるための道具にするの?」
「見捨てるも何も、最初から殺す気だったからな。あいつらの命、俺たちのために役立ててもらおうじゃないか。生命保険に入ってる奴なら、逆にラッキーかもしれないぜ。死ねば、家族に大金が入るからな」
茶化すような口調の加藤を、美鈴はじっと見つめる。その視線には、様々な思いがあった。
「そんなことできない」
少しの間を置き、彼女は答えた。
「何言ってんだよ。あんたも、とんでもないお人好しだな。仮にあいつらを助けたところで、あんたには何のメリットもないんだ。元同級生は、死んだって世の中に何の影響もない。俺の本音を言うなら、今すぐ全員殺したいくらいだよ。無能な味方は有能な敵の前に殺しとけ、みたいな諺なかったっけ? まさに、今のあいつらのことだよ」
「あの人たちだって、変わるかもしれない。だけど、殺したら変わるチャンスを奪うことになるんだよ」
「はあ? あんた、頭の中に大麻畑でもあるのか? あいつらが変わるわけねえだろうが。仮に変わったところで、そいつを確かめる術はないんだよ。助かるためには、あいつらを囮にするしかないんだ。邪魔するなら、本当に殺すよ」
強い口調で言った時だった。
突然、加藤の頭の中で奇怪な音が響き渡った……ような気がした。キーン、という耳鳴りのようなものである。頭痛を起こさせるほどのものではないが、いい気分でないのも確かだ。
ひょっとして、さらなるジャミングか? それとも、電磁波系の攻撃か?
加藤は、鋭い表情で辺りを見回した。同時に口を開く。
「おい、今なんか変な音が聞こえなかったか?」
だが、美鈴は答えなかった。俯き、体を震わせている。
代わりに、玲奈がじっと彼の顔を見つめていた。怒っているわけでも、怯えているわけでもない。ただ、その瞳は何かを訴えかけていた。
加藤は困惑し、どう対応すればいいのかわからず下を向く。
その時、美鈴の声が聞こえてきた。
「どうして? どうしてそこまで人を憎めるの? あんたらが何歳かしらないけど、中学出てから十年以上は経ってるんでしょ? あんたの事情は知らないし、復讐を止める気もない。でもね、その後はどうするの? その先は? あんたの人生に何が残る? 今、あの人たちを殺して、得るものはあるの?」
その時、加藤の顔に笑みが浮かぶ。ただし、それは自嘲の笑みだった。
「ふたつ教えてやる。俺の歳は二十三だ。もうひとつは、俺のろくでもない人生に何があったかをだよ。あいつらが俺に何をしたか、全て教えてやる。はっきり言って、気持ちのいい話じゃないぜ。それでも聞くか?」
「聞かせて……」




