黒川烈道と、ガイア救済教会
白戸市にある田火山の奥地には、不思議なものがあった。
山肌を削って築かれた建物が、ぽつんと建っているのだ。二階建てであり、壁は白く塗られていた。
一見すると、どこにでもある小規模な保養施設、あるいは旅館のような佇まいである。
付近は綺麗に掃除されており、ここが何か知らずに通りかかった者は、新しく作られたホテルではないかと思うことだろう。事実、年に何度かは登山者が迷い込んできたりする。
しかし、この建物は……新興宗教・ガイア救済教会の総本部なのだ。
中に一歩入ると、外界を遮断するかのごとき光景が広がっている。壁には「天地敬神魂闘」の六文字が貼られており、日本刀が分厚い本に突き刺さった絵画が描かれている。
他にも「闘争なくして変化はない 変化なくして進歩はない」と書かれた掛け軸や、血まみれで倒れているヒグマの上に座っている男の写真などが飾られている。
そして地下一階では、教祖の説法が始まっていた。
その部屋は、薄暗く不気味な雰囲気に満ちていた。天井から古いランプが吊るされており、広さは小学校の体育館ほどだ。上に比べると地味で殺風景であり、こういった場所にありがちな禍々しいものなど置かれていない。
だが、部屋にいる者たちは異様であった──
「我らが愛し! 神として崇めるべきは! この大地である! 断じて、卑小な人間の作り出した法などではない!」
壇上から、大きな声が響き渡る。
その声の主は、堂々たる体躯の中年男であった。綺麗に剃りこまれたスキンヘッドには、奇怪な模様のタトゥーがびっしりと彫られている。
髭は無い代わりに、眉毛も無い。袖の無い衣服を着ているが、ズタ袋に穴を空けたようなものである。
胸板は分厚く、二の腕には瘤のような筋肉がうねっていた。また、両方の二の腕にもタトゥーが彫られている。
燃えるような瞳には、強靭な意思の光がみなぎっている。一目見れば、誰もが彼の意思の強さを理解するであろう。
有り体に言えば、時代劇に登場する山賊の頭領にしか見えないが……彼こそが、ガイア救済教会の教祖・黒川烈道なのであった。
室内もまた、異様な雰囲気であった。
コンクリート剥き出しの床に灰色の壁、他に何の飾りもない。刑務所や強制収容所を連想させるような風景だ。気の弱い者なら、いるだけで気が滅入ってしまうだろう。
黒川が立っているのは、そんな場所に作られた壇上である。原稿を置く木製の台も用意されているが、この男は原稿など用意していなかった。
聴衆に向かい、黒川はなおも熱弁する。
「我々の内に潜む欲望を否定するのは間違いだ! 欲望を肯定し、あるがままの姿で生きる! それこそが、我らが神である大地の望むべき姿なのだ!」
「然り!」
信者たちは、大声で応える。
その数は、全部で二十人ほどだろうか。老若男女が入り混じり、服装も顔つきもバラバラだ。しかし、共通する部分がひとつある。皆、恍惚とした表情で壇上の黒川を見つめている点だ。
中には、感極まったのか涙さえ流している者までいる……。
そんな聴衆に向かい、黒川は力強く語りかけていく。その声は、さらに熱を帯びていった。どこかの政治家など、比較にならないほどの熱量だ──
「闘争こそが、我々を神へと近づける! 闘争なくして、変化はない! 変化のないところに、進歩もない! だからこそ、我々は闘争を避けてはならん! 恐れてもならん! 闘争を重ねることのみが、人間を神へと近づけるのだ!」
「然り!」
「我々は、異教徒たちの身勝手な振る舞いを断じて認めてはならない! いつの日か大地の怒りにより、地上を災厄が襲うであろう! その時こそ、我がガイア救済教会の勝利なのだ!」
叫んだ後、黒川は拳を目の前の台に叩きつける。
すると、台は砕けてしまった。木製の頑丈なものだが、黒川の一撃で粉々になってしまったのである。空手の達人でもない限り、こんな芸当はできまい。
「然り!」
そんな恐ろしい光景を目の当たりにしても、信者たちは変わらない。一斉に言葉を返していく。
黒川は満足げな笑みを浮かべた。
「諸君らも心身を鍛え抜き、闘争を重ねよ! 己の人生と闘え! そして、来るべき日を待つのだ! 我々の夜明けは近い! 心しておくのだ!」
「然り!」
「では! 天! 地! 敬! 神! 魂! 闘! 天と地を敬い! 神の魂もて己の人生と闘争せよ!」
黒川に続き、信者たちも同じ言葉を唱えてゆく。
「天! 地! 敬! 神! 魂! 闘! 天と地を敬い! 神の魂もて己の人生と闘争せよ!」
演説の後、黒川は奥にある休憩室に引っ込んだ。続いて、その休憩室に女の信者が入って行く。
年齢は二十代だろうか。顔立ちは美しく整っており、体は肉感的な魅力を備えている。純白の衣装を纏っており、足取りはしっかりしている。目はうっとりとしており、黒川に対する絶対的な忠誠心が窺えた。
やがて、女はひざまずく。同時に、その口から声が漏れた。
「お慈悲を……」
黒川は頷くと、女に手を伸ばした。
やがて部屋の中から、なまめかしい声が聞こえてきた。中で何が行われているかは、考えるまでもなかった。
黒川は説法が終わると、この「儀式」を必ず行うのだ。既に五十を過ぎているはずだが、この儀式を欠かしたことがない。
これこそが、黒川の教祖たる証なのかもしれなかった。
それが終わると、黒川は地下室へと赴く。
ずた袋のような服装は変わらない。鋭い目で周囲を睨み付けるようにしながら進んでいく様は、獲物を探す肉食獣を連想させた。ただ歩いているだけでも、強烈な闘気を発している。生半可なヤクザや半グレでは、この男にひと睨みされただけで逃げ出してしまうだろう。
時おりすれ違う信者たちは、畏敬の念のこもった目で会釈する。黒川もそれに応じ、軽く会釈していく。この態度は、どのような身分の者が相手でも変わらない。
やがて黒川は階段を降り、地下室の扉を開ける。ここは、教団の中でも限られた者しか入れない場所なのである。
地下室にて、黒川は遅い昼食を食べ始めた。
内容はというと、大皿に入った卵と麦の粥と、大量の鶏肉と野菜だ。いずれも、塩で味付けされただけの質素なものである。
黒川は、一日三回このメニューを食べる。毎日、全く同じ内容だ。とはいえ、黒川は美食を否定しているわけではない。むしろ「食は闘争のために重要なもの」と捉えている。実際、信者たちとの会食では、普通に寿司だろうがフレンチだろうが何でも食べる。
ただし黒川は「戦場にいた時を忘れずにいるため」、個人の食事は麦と卵の粥と鶏肉だけである。毎日、これだけを食べているのだ。
食事が済むと、黒川は壁に掛けてあるものを見つめる。
それは、真白の仮面であった。プロレスラーの被る覆面のようだが、染みひとつ付いていない。殺風景な部屋の中で、仮面の存在は非常に目立っていた。
これは、全くの偶然から手に入れたものだ。手にした者は、必ず非業の死を遂げる……という伝説を持つため『白き死の仮面』と言われているらしい。ただし、その存在は一部の人間にしか知られていない。
そもそも、詳しいことは黒川も知らなかった。被ったこともない。ただ、凄まじい力を感じることだけは間違いなかった。触れるだけで、この世ならざるものの意思が流れこんでくる……そんな錯覚すら感じるほどだ。
「俺もまた、非業の死を遂げるのか?」
黒川は、仮面に問うた。
しかし、仮面は何も答えない。ただ、じっとこちらを見ているだけだった。
しばらくして、黒川は特別会議室に行った。
ここは、教団内でも限られた信者しか足を踏み入れられない場所である。とは言っても、中は他の部屋とさほど変わらない。殺風景な応接間、といった感じだ。
ただし、防音設備は完璧である。いったんドアを閉めてしまえば、中で何が起きようとも外には聞こえない。
「浅田美鈴と浅田玲奈が、逃亡したそうだな」
黒川の言葉に、幹部信者の荒牧慶次は頷いた。
メガネをかけ、白い礼服のようなものを着ている。背は高いが、黒川ほどではない。長い髪を、後頭部で束ねたスタイルである。整った顔立ちをしており、俳優もしくはモデルとして活動していてもおかしくない。
あらゆる点で、黒川とは真逆の風貌である。一見するとスマートな印象ではあるが、目に狂気の光を宿している点は黒川と同じである。事実、荒牧は教団でもナンバー2の地位に就いていた。
「はい。すぐさま追っ手を差し向けたのですが、まだ連絡がありません」
「どういうことだ?」
「最後に連絡があったのは、二時間ほど前です。その時は、顔に火傷痕のある不気味な男に邪魔をされたとのことでした。親子以外は全員殺せ、と言っておいたのですが……申し訳ありません」
荒牧は、深々と頭を下げる。その時だった。
「顔に火傷? 荒牧さん、ひょっとしたら、そいつは加藤亜嵐かもしれねえぞ。奴が敵に回ったら、非常に厄介だぜ。雑魚じゃ、返り討ちに遭うだけだ」
横から口を出したのは、拝み屋ジョーの名で知られている男だった。
見た目の異様さでは、教祖の黒川にも負けていないであろう。まず目につくのは、爆発したような巨大なアフロヘアだ。顔はとぼけており、耳には骨の形をしたピアスを付けている。首からは耳たぶが大量に繋げられたかのようなネックレスをぶら下げており、着ているものはポンチョのような服である。
この男はガイア救済教会の正式な一員ではないが、有力な協力者であり教祖の黒川ですら一目置いている。裏社会に顔が利き、さらに占い師や除霊師といったスピリチュアル系の人間たちとも関係が深いという、何とも奇妙な男である。
今もソファーに座り、ふんぞり返っていた。だが、偉そうには見えない。代わりに、不快感も与えない。
「その男を知っているのか?」
荒牧が尋ねると、ジョーは頷いた。
「ああ、ものすごくヤバい奴だ。車で跳ねられようがピストルで撃たれようが、平気な顔で起き上がって反撃する化け物だよ。しかも、ガキの頃はイジメられてたらしいんだが、その話がまた無茶苦茶なんだ。俺なら、軽く二十回は死んでるような目に遭ってるんだよ。なのに、病院に行ったのは一回きりだぜ。ありゃあ、舩坂弘の生まれ変わりなのかもしれねえな」
舩坂弘。
かつて、第二次世界大戦にて活躍した兵士である。水際作戦により中隊が壊滅する中、弘はひとりで戦い抜いた。
米軍の猛攻撃により瀕死の重傷を負いながらも、舩坂は傷口を包帯代わりの日章旗で縛ることで止血し、夜通し這うことで洞窟陣地に帰り着き、翌日には歩けるまでに回復していたのだ。
その後も瀕死の重傷を何度も負うが、ことごとく生き延びた。動くことすらままならないと思われるような傷でも、不思議と翌日には回復していた……と言われている伝説の兵士なのだ。
そんなジョーの言葉に、黒川は笑った。
「ほう、舩坂弘の生まれ変わりか。お前がそこまで言うとは、実に面白い。その加藤とやらについて、できるだけ詳しく教えてくれ」
「はい、構いませんよ。実は最近、加藤に関するいいネタを仕入れたとこだったんです」
そう言うと、ジョーはニヤリと笑った。




