舞踏会初日〜ヘレンとクラウスの表舞台〜
——そんな、ハトとクラウスの舞台裏の出来事を知らないヘレンはというと。
継母と義姉らを乗せた馬車が、城に向かって遠ざかっていくのを見送っていた。
ようやく一息ついた時。
「お嬢さん」
背後で声がし、振り返る。
振り返ると、さっきまで人がいなかった場所に誰か立っていた。
夜中に突然現れた、黒いローブの人物。
どう見ても不審者だが、どう見てもあれは⋯⋯魔法使いだ。
だってここはシンデレラの世界。
転生者のヘレンは即座に理解し、そして思った。
⋯⋯いきなり背後にぬるっと出てこられて、ちょっとびっくりした。
(あれ? 意外と反応が薄い)
——あっさりしたヘレンの反応に、クラウスの方が驚いていた。
もっと驚かれるか、騒がれるかもしれないと覚悟していたのに。
登場の仕方を間違えたかな、と少し心配になる。
「あなたは⋯⋯」
ヘレンの声に、はっと我に返る。
いけない。今は自分の役目に集中しないと。
急いで、エリック王子の台本にメモされていた台詞を思い出す。
「今日まで辛い境遇によく耐えたね。今から君を舞踏会へ連れて行ってあげよう」
エリックは無駄にこういう演出に拘ってくるので、付き合わされる方はたまったものではない。
(まずはこのお嬢さんを舞踏会へ連れて行かないと)
そこから味方になってもらえそうな人物か、じっくり様子を見て⋯⋯。
と、クラウスが考えていた時。
「舞踏会は結構です。家を出て仕事を探したいんで、馬車だけ貸してもらえませんか?」
一瞬、場が静まり返る。
待って、今このお嬢さんは何て言った?
「⋯⋯え?」
予想外の返答に固まってしまう。
おかしい。
エリックからはお淑やかで儚げで純粋な少女だと聞いていた。
クロードは王子様への憧れが強い女の子だと。
この少女は、エリックやクロードから聞かされた人物とまるで違うような。
あと、辛い境遇にいる哀れな少女という話だったが。
(継母や義姉に虐げられ、舞踏会へ連れて行ってもらえずに泣いていると聞いていたけれど)
泣いているどころか、ケロッとしているように見える。
ぼろぼろの身なりから、恵まれていない境遇なのは明らかだが。
「そのう⋯⋯舞踏会へ行きたくはないのかな?」
「すみません。興味ないです」
はっきりと返されてしまった。
え? これはまずいんじゃないか。
「そうなのか。えっと⋯⋯どうしよう」
本当にどうしよう。
このままでは、三時間歩いてきた苦労が水の泡になる。
さっき不法侵入した件も、ばれたら捕まるかもしれない。
その前に、エリック王子に処刑される可能性が高いので、どの道詰んでいる。
私に何かあったら、誰がクロード様をお助けするのだ。
本気で焦っている様子のクラウスを見て、ヘレンは思った。
もしかして、「実はもう馬車やガラスの靴を一式用意して、裏でスタンバってたんだけど」というパターンかしら。
どうしよう。もしそうなら、断るのはさすがに悪いわよね。
明後日の方向に解釈したヘレンは尋ねた。
「私が舞踏会に行かないと、魔法使いさんは困るんですか?」
「いや、そういうわけじゃ⋯⋯⋯⋯ある、かな」
あるんかい。
ヘレンは心の中で突っ込んだ。
「困るというのは、何か事情があるんですか?」
「話したら、協力してもらえる?」
藁にも縋る思いで訊いてみる。
もし協力してもらえなかったら、本当に詰む。
「内容次第ですが、善処します」
「⋯⋯分かった」
前向きな回答がもらえたことに、少しほっとする。
結局、事情を話す流れになってしまったけれど仕方ない。
出来るだけ、当たり障りのない内容だけを話す。まだ全てを話すには、このヘレンという少女について知らなすぎる。
クロードのために、首になるわけにはいかない。
そんな思いからつい、エリックに首にされる件を、小声でこぼしてしまったのだが。
どうやら聞こえてしまったらしい。
「命がかかっているのに、私を脅して従わせたりしないんですね?」
ヘレンの言葉にきょとんとする。
この子、なんでこんなに落ち着いているの?
そしてすごいことを訊いてくるな。
まあ、そういう方法もあるにはあるけど。
(それをやっちゃったら、人としても終わってしまうし)
自分の命はともかく、自分を慕ってくれるクロードのことは気掛かりだった。
思わず口をついて出てきたのが⋯⋯。
「元々、天涯孤独の身だから。死んだら死んだで、誰も悲しむ人はいないよ。困っているのは、僕が死んだら、うちで世話しているハトの面倒を誰が見るのかっていう——」
「もうちょっと自分の命に重きを置いてください!」
急に怒られて、クラウスは目を丸くする。
似たようなことを、クロードからも言われたばかりだった。
——何で自分の命より俺の主食の心配してんだよ! おまえもうちょっと自分の命に重きを置けや!
普段は口の悪いクロードだが、クラウスのことを本気で心配してくれる数少ない人物だ。
このヘレンという少女も、初対面の相手の身の上を心配するなんて、ずいぶんとお人好しな子だと思う。
そんな彼女は——渋々とではあるが、舞踏会への参加を了承してくれた。
クラウスは胸を撫で下ろす一方、どうしてこうなったのだろうと自問する。
(シナリオでは、僕の助けでお嬢さんは舞踏会ヘ行くはずだった。なのに、僕の命を助けるために、お嬢さんが舞踏会へ行く流れになっているんだけど)
ちなみにヘレンも思っていた。
(シンデレラって『魔法使いに助けられて舞踏会へ行く』話だよね。シンデレラが『魔法使いの命を助けるために舞踏会へ行く』流れになっているんだけど)
互いにとって予想外の流れ。
しかし、さらに予想外のことが起こる。
「協力する前に、せめて顔くらいは見せてくれますか?」
「ああ、これは失礼したね」
言われて、自分がフードをかぶったままだったことに気付く。
何かもう悩みの種が多すぎて、フードをかぶりっ放しだったことをすっかり忘れていた。
急いで頭にかぶっていたフードを下ろす。
その様子を見て、ヘレンは思った。
どうやら、フードをかぶっていることを忘れていたらしい。
おっちょこちょいなのか、この人?
その時——先ほどまで雲に隠れて見えなかった月が姿を見せた。
月明かりに照らされ、クラウスの顔が顕になる。
————。
急に黙り込んだヘレンに、クラウスは首を傾げる。
一体どうしたのだろう。
ヘレンの菜の花のように明るい金の瞳が、まっすぐクラウスを捉えていた。
やがて目の前に近づいてきたヘレンは、がしっとクラウスの両手を掴み——。
「初めまして、クラウスさん! 私は本名をヘレンと言います! いきなりですが、結婚を前提にお付き合いしてください!」
唐突な告白に、クラウスは面食らった。
「いきなり何の話!」
ここにきて、まさかの展開。
ヘレンは転生者であり、オジ専であり、クラウスに一目惚れするという冗談みたいな奇跡のトリプルコンボを起こし——クロードとクラウスの運命を変えた。
その一部始終を木の上で見ていたクロードは、チベットスナギツネのような顔で思った。
(何この展開⋯⋯)




