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第八話 山道の邂逅

 山道に入った途端、私はすぐに後悔した。

 土の斜面はごつごつと石が転がり、木の根が容赦なく足を取る。慣れない草鞋は、藁が足の甲に擦れて痛い。


「はぁ、はぁ……ちょっと待って……これ、体育祭の持久走どころじゃないんですけど!

 スマホの万歩計があれば絶対ぶっ壊れてる!」

 息が上がり、額から汗がつたう。


 耳元では、ぶぅん、と虫の羽音。遠くでは「ギャッ」と鳥とも獣ともつかない声が響く。

「ひぃっ!? なに今の!?」思わず身をすくめると、六は涼しい顔で立ち止まり、言った。


「伽耶さん、深呼吸を。焦らず歩調を整えましょう」

 彼女はしゃがみ込み、私の草鞋の紐を結び直してくれた。

「ほら、少し緩んでいました。これでは足も痛みます」


 その落ち着いた仕草に、胸のざわめきがほんの少し和らぐ。


 そのとき、前方の茂みがガサリと揺れた。


「ひっ!? で、出た!? 熊!? 猪!?」

 叫んで飛び退いた私の前に現れたのは、一人の猟師だった。

 槍を杖代わりにし、脚に血の滲む布を巻いている。


「おや……人か。助かった……。握り飯を食ってたら猿に襲われてよ……脚をやられちまってな」

 猟師は苦痛に顔を歪め、どさりと腰を下ろした。


 六がすぐに近づく。

「傷を見せてください」

「いやいや……薬師でも医者でもねぇんだろ?」

 訝しむ猟師に、六は静かに首を振った。

「大丈夫です」


 六が男の脚に手を当てると、その掌がほんのり火照るように赤く染まった。

 しばらくすると、血がにじんでいた傷口が徐々に閉じ、痛みも和らいでいく。


「……な、なんだ、こりゃ……!」

 猟師は目を見開き、後ずさった。

「あんた……妖か……!?」


 猟師は慌てて懐から札を取り出し、震える手で握りしめた。

「こいつは説子さんの宿で配られてる札だ……これがあれば妖に近づかれねぇはずなのに……それでも遭っちまうなんて……」


 六は静かに手を引き、淡々と告げた。

「心配はいりません。私は人を害する妖ではありません。どうか、ご安心を」


 猟師はしばし黙り込んだ後、視線を逸らした。

「……傷を治してくれたことに礼は言う。でも、近づかれるのはやっぱり怖ぇ。悪く思わないでくれ」


 そう言って、猟師はぎこちない足取りで山を下っていった。


 私は呆然とその背中を見送り、六に向き直る。

「……六さん……今の……」

「これが、私の妖力ようりきです」

 その言葉は穏やかだったが、背筋に冷たいものが走った。

 私……やばい人(妖)と、やばい山で、やばい化け猫に会いに行こうとしてるってことじゃない……?


 ⸻⸻⸻


 夕暮れ。

 山裾に焚き火を起こし、二人で腰を下ろす。橙色の火が、頬を温めた。

 六が包みを開き、説子からもらった握り飯を差し出す。


 ひと口かじると、白い飯粒の甘さが口いっぱいに広がった。

「……なにこれ……普通の白ご飯なのに、めっちゃ美味しい……! コンビニのおにぎりとは全然違う……」

 思わず声が漏れる。

 六は小さく笑みを浮かべた。

「歩いたあとの飯は格別です」


 私は火に照らされた飯粒を見つめる。

(……ここで生きてるんだ、私……)

 ほんの少しだけ、この世界を受け入れ始めている自分に気づく。


 六は焚き火に手をかざし、静かに言った。

「明日には、目的の場所に近づきます」

「……目的って、あの、猫又……?」

 口にした瞬間、ぞわりと背筋が冷える。


「はい。“おもとさん”です」


 その言葉が、闇の中でやけに重く響いた。

 私は藁を枕にして横たわりながら、目を閉じても眠れなかった。

 ――化け猫とか……絶対怖いに決まってる……!

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