第五十六話 静かな覚悟 前編
小川のせせらぎが、変わらぬ調子で流れていた。
先ほどまで張りつめていた空気が、伽耶の言葉で少しだけ穏やかに感じられた。
そんな中、コマが静かに口を開いた。
「……嬉しい言葉を、ありがとうございます」
そう言って、コマはゆっくりと皆を見回す。
「でも、皆さんを利用してしまった。その償いが、まだ済んでおりませんし……伽耶さんの言う通り、あちらの主たちに受け入れてもらえるのだとしたら。少しばかり、気が楽になります。本当にありがとう……」
その言葉と同時に、コマの手が鞘へとかかる。
木と金属の擦れる音とともに刀が抜かれ、ためらいもなく、自らの首元へと添えられた。
「ちょ、ちょっと待って!! ストップストップ!! 何やってるの!?」
伽耶が悲鳴に近い声を上げ、駆け寄る。
ロッテも血相を変えて飛び出した。
「やめろ!! コマ!!」
コマは穏やかな顔のまま、二人を見る。
「体は失われても、ロッテのことは……草葉の陰から“見守り”ますから」
「草葉って何だよ!! やめろって言ってるだろ!!」
「捉え方がおかしいって!! 全部おかしいから!! ストップ!!」
ロッテと伽耶が必死に叫ぶ。
「え……? ですが、こんな私でも、受け入れてもらえると……」
コマは困ったように首を傾げた。
「いや、“私が”だからね!!」
伽耶は勢いよく自分の胸に人差し指を立てる。
「コマさんの主じゃなくて、私!!私は受け入れるよって言ったの!」
「え?つまり……私は、やはり主には受け入れてもらえない……という事ですか?」
コマの声が、ほんの少し沈む。
「えっと……それは、ちょっと、わかんないけど……」
伽耶は言葉に詰まる。
そのとき、後ろの方からハクの声がぼそりと落ちた。
「あの……」
「ハッちゃん!! 何か言ってやって!!」
伽耶が縋るように振り返る。
「ん……“すとっぷ”って、なに?」
「…………」
一瞬の静寂。
そして次の瞬間、六が小さく吹き出した。
「ふふ……愉快な方々ですね」
伽耶とロッテが揃って首を傾げる。
「どこが!?」
「全然笑えないんだけど!?」
「目を見れば、わかるじゃろ」
おもとが腕を組み、コマを見ながら言った。
「目?」
「どういう意味?」
その問いに答える代わりに、コマはふっと表情を緩めた。
刀を静かに鞘へと納める。
「……ごめんなさい。冗談ですから」
「は?」
「はぁ!?」
伽耶とロッテの声が重なる。
「まさか、ここまで驚かれるとは思いませんでした」
コマはどこか照れたように微笑む。
「申し訳ありません」
そう言うと、コマは立ち上がり、川辺から一歩離れた。
「少しばかり、用を済ませて参ります。ここでお待ちください」
それだけ告げて、背を向け、歩き出す。
「えぇええ!? 何これ!? 何の寸劇!? 意味わかんないんだけど!!」
伽耶が頭を抱える。
「コマ!! ふざけるなぁ!!!」
ロッテが怒鳴る。
「まぁまぁ」
六が穏やかに笑う。
「コマさんなりの、照れ隠しですよ」
「照れるって何よ!!しかも、やり方が大袈裟すぎるし!!」
伽耶が声を荒げる。
「私がコマの頭、冷やしてくる!!」
ロッテが前に出る。
「いや、ロッテちゃんが言うとリアルに聞こえるから……」
伽耶が慌てて止める。
「では、私たちも行きましょうか」
六が静かに言った。
「え? どこへ?」
ロッテが六を見る。
「コマさんはここで待てって……」
伽耶も六を見て言った。
「そのコマさんの所ですよ」
六は当然のように答える。
「え、わかるの?」
伽耶が少し乗り出す。
「そんなもん、ひとつしか無いじゃろ」
おもとが肩をすくめる。
六は静かに笑みを浮かべ、歩き出す。一行はそれに続くように小川を後にする。
「……“りある”ってなんだ」
ハクがぼそりと呟いた。
⸻
その頃、お松さんの社。
鳥居の下、コマは戸惑いが混じったような、どこか照れた笑みを浮かべて立っている。
昨日はどこからともなく聞こえた鈴の音も今はなく、ただ、静かな気配だけが、そこにあった。




