第五十四話 百年の後始末
伽耶が夜にあった出来事を一通りコマに話した。
夢の話を始めた頃、囲炉裏の方でぱちりと音がした。
老婆が火ばしを手に近づき、鍋を掛ける支度をしていた。
「おや、お松さんが出たのかい?」
「え……」
伽耶が顔を上げる。
「あの人、お松さん!?」
四人の目が同時に見開かれる。
老婆は火に薪をくべながら、どこか懐かしむように微笑んだ。
「盗み聞きはしとらんよ。夢を見たって聞こえてな。そりゃあ怒っとらん証拠じゃ」
その時、戸の向こうからにぎやかな声がした。
「いやぁ、この二人、餌も持たねぇで手で獲っちまう。たまげたで」
老人が魚籠をぶら下げ、背後にはおもととハクが得意げな顔で立っている。
「ハクは手早いけん、ワシも負けてられんかったわ」
「ふん、魚の一匹や二匹、朝飯前さ」
「朝飯はこれからやけどの」
老人が笑い、台所に向かった。
伽耶たちは顔を見合わせ、ふっと空気が和んだ。
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囲炉裏の上で煮え立つ湯気が部屋を満たしていた。
老婆は大根と里芋を鍋に入れながら、ふと語り出す。
「お松さんいうんはな、この村の生まれじゃ」
その声は穏やかで、昔話のようだった。
「むかしむかし、殿さまの怒りをかぶってな、罪もないのに打ち首にされたんよ。それでも、村のもんはお松さんのおかげで助かった。あの社はな、村のもんが建てたんだ」
伽耶が身を乗り出す。
「やっぱり……すごく優しい顔だったもん!」
「そうや。けんどな、“祀る”っちゅうても、助けてもろうと思うてる人は少ない。お松さんは“見守って”おる」
老婆は湯気の向こうで目を細めた。
「人は、己で立たんと神さんも手ぇ出されへん。そういうもんなんよ」
老人が魚を焼きながら頷いた。
「うちの婆さんの言う通りや。わしらが田植えしても、雨が降るかどうかはわからん。けんど、種を撒かにゃ芽も出んのや」
六が静かに頷いた。
「“理”ではなく、“縁”の神……そういうことですね」
「理?」と老婆が首を傾げる。
「はい。理屈では測れない、けれど人と共にある存在です」
六の穏やかな声に、老婆は「ほう、そんなふうに言うたら立派やなぁ」と微笑んだ。
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「……守り神、ですか」
コマが低く呟いた。
「お松さんは、誰でも、命あるもんを見捨てんのや」
老婆はそう言って火を見つめる。
「けどな、あの人は“助ける”より、“見守る”んよ。あんたらが立ち上がれるように」
伽耶が思わず息を呑む。
——夢の中で聞いたあの声。
やさしく、でも確かに背を押してくれた声。
それが、いま老婆の口から語られている。
「……じゃあ、あの声も……」
「聞こえたんかい?」
老婆が優しく尋ねた。
「……はい」
伽耶は小さくうなずいた。
「そうかい。お松さんは、時々そんなふうに現れる。気づける人は少ないけどねぇ」
ロッテが小声で言った。
「……だから、社の中は暖かかったのか?」
「そうかもしれんなぁ。怒っとらん証拠じゃ」
老婆の声はあたたかく、火の音と溶け合った。
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やがて食事が整い、六たちは礼を述べて席を立った。
老婆は手拭を伽耶に差し出す。
「これ、持っていきなされ。道中の埃でも拭きんさい」
「ありがとうございます」
伽耶が頭を下げる。
老人が縁側から外を見て言った。
「ほれ、ええ天気じゃ。……お松さんも、よう見とるけんな」
伽耶たちはその言葉に背を押されるように外へ出た。
朝の光の中、遠く社の方から淡い光が一筋のぼっていた。
振り返ると、社の屋根に朝露が光っていた」
「……百年、ですか」
六が歩きながら呟き始める。
「コマさん、百年ほど前にこの地へ来た折、立ち寄ったという川へ行きましょうか」
「構いませんが、なぜです?」
「少し、見てみたくて」
六が含みのあるように答える。
風が吹き、桜の枝がそっと揺れた。




