第五十一話 灯
月光が、血に濡れた道を淡く照らしていた。
その上に、疲れ果てた六、おもと、ハクが並んで座り込んでいる。コマとロッテは気を失い、伽耶の手には、ミケから託された小さな巾着袋が握られている。
「……このまま、ここにはいられません。どこか休める場所を……」
六がかすれた声でつぶやく。息は乱れ、顔は青白い。
(休める場所って……このあたり、田んぼしかないじゃん……)
伽耶が心の中で返したその時だった。背後に、誰かの気配を感じる。
振り返ると、闇の中にお松さんの小さな社が月明かりに白く浮かんでいる。
「こちらで休んでください」
どこからともなく声がした。柔らかく、しかし確かに伽耶の耳に届く。
「……あそこで、休めって言ってる!」
伽耶が指を差すと、おもとが目を閉じたまま低く言った。
「誰がそんなことを言っておる」
(え……もしかして、私にしか聞こえてないの?)
背筋がぞくりとする。
社の中に、ふわりと灯りがともった。
「見て! 灯りがついたよ!」
伽耶が叫ぶ。六たちがゆっくりと顔を上げた。
六「いったい誰が……」
おもと「あの猫神じゃろ」
ハク「とどめでも刺す気かい……」
「違う! ミケさんの声じゃない!」
伽耶が答える。
「では誰じゃ」
「わからない。でも、“あそこで休め”って……優しい声だったの」
「阿呆め。罠に決まっとる」
六がゆっくり膝を立てた。
「……罠でも、構いません。このままでは、コマさんが夜の冷えに耐えられません。思案している時間すら惜しい……」
伽耶は小さくうなずいた。
「さっきの声、すごく優しかった。お母さんみたいな……」
そうつぶやくと、ロッテを背負い上げた。腕は震え、足取りはおぼつかない。それでも伽耶は、社へと一歩ずつ進む。
社の前に立つと、木の扉がひとりでに開いた。
恐怖は不思議と湧かなかった。
むしろ、胸の奥に温かさが広がる。伽耶は吸い寄せられるように中へ入った。
社の中は、外とはまるで違う空気だった。
小さな社なのに、どこか懐かしいようなぬくもりがある。
伽耶は畳の上にロッテを寝かせ、そっと外へ出る。
六たちはまだ動けずにいた。伽耶はコマの身体を抱え上げようとする。
「ぐ……重い……」
引きずるようにして背負う。足元がふらつく。
「まったく、無茶をしよる」
おもとがため息をつき、立ち上がった。ハクも黙って手を貸す。
三人でコマを運び入れると、おもととハクは畳の上に座り込む。ようやく六の番だった。
「私が連れてくる!」
伽耶は息を切らしながら駆け戻る。伽耶たちがコマを運んでいる間に、六は意識を失っていた。
地面に倒れた六の肩を抱き起こす伽耶。
「六さん! 六さん!」
返事はないが、微かな呼吸がある。
伽耶は震える足で、六を背負って社へと向かう。
全員が中へ入った瞬間、扉が静かに閉まった。
不思議なことに、恐怖は感じなかった。
畳の上にはロッテとコマ、そして六が横たわる。おもととハクは壁にもたれて座り、伽耶も反対の壁際に腰を下ろす。
風の音もなく、ただ灯がゆらめいている。
死闘の夜のはずなのに、社の中は不思議なほど穏やかだった。
伽耶は壁にもたれ、まぶたを閉じた。疲れきった伽耶、おもと、ハクはそのまま眠りにつく。
その夜、伽耶は夢を見た。
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白い霞の中に、ひとりの女性が立っている。
三十代ほどの、どこにでもいそうな着物姿。けれど、息をのむほど美しかった。
その女性が、優しく微笑む。
「意志を変えることは、とても簡単です。
でも、意志を貫くことは……本当に苦しい。
けれど、あなたならきっと、できるはず。私はあなたを信じていますよ」
その声――伽耶が何度も耳にしたあの声だった。
「あなたが味わった苦しみは、無駄にしてはいけません。
忘れてはいけません。
それは、あなたの願いを成し遂げるための力になるのです」
伽耶は言葉を発したかった。(あなたは……誰?)
けれど、声が出ない。ただ見つめることしかできなかった。
女性はそっと伽耶の頬に触れた。
指先から伝わるぬくもりに、胸がほどけるような安らぎが広がる。
伽耶はそのまま目を閉じた。
――気づけば、朝だった。
目を開けると、畳の上には六、コマ、ロッテが穏やかな寝息を立てている。
おもととハクも壁にもたれて眠っていた。
伽耶は静かに息を吸い込んだ。
夜の寒気も、血の匂いも、もうどこにもなかった。




