第四十九話 神と人
伽耶は黙って荷を開け、弓を取り出した。
弦を指で弾く音が、夜気の中で小さく響く。
「伽耶さん、何をするつもりですか!」
六の声が鋭く飛ぶ。
「理とか、そんなん関係ない」
伽耶は冷たく言い放ち、弦を張る。
その動きには、躊躇がなかった。
「いけません! それはコマさんの覚悟を踏みにじることですよ!」
「そんなん、私には関係ないし」
伽耶の目が座っていた。
おもと、ハクは息を呑む。
六はなおも言葉を探したが、その眼の奥に宿る光に、何かを悟ったように口を閉ざした。
「……例え白鞘であっても、帯刀している以上、コマさんは武士です。武士の決闘を邪魔することは……」
六は最後まで言えなかった。伽耶の瞳に、常世の闇と光が同居していたからだ。
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「これで終いじゃ。楽にしてやる。そこに直れ」
ミケの声から冷笑が消えていた。
ただ、神としての威が残っていた。
「あなたに……傷のひとつもつけなければ……終われない!」
コマが脇腹を押さえながら、跳ねるように立ち上がる。
夜風が吹き、桜の花びらが舞い始め、やがて桜吹雪が起こる。
「しつこいのう」
視界を奪われたミケは目を閉じ、気配を読む。
しかし、コマは斬りかかってこない。
ミケは大太刀を振り上げ、風を巻き起こすように桜を吹き払った。
視界が晴れた時、コマはすでに距離を取っていた。
逆手に刀を構え、舞うように一回転。
その勢いのまま、目の前の空を突く。
その瞬間、宙に舞う大量の桜の花びらが刃となってミケへと飛びかかった。その数の多さにミケも受けきれず、頬や肩を裂いた。
ミケはわずかに顔をしかめるが、すぐに平然と歩み寄る。
「あら……また蜃気楼を使うと思ったけど」
「あれか。あれはとんでもなく力を使うのでな。すぐには使えぬ」
冷ややかな笑みを浮かべるミケ。
コマは脇腹を抑え、膝をつく。
「力、尽きたか」
ミケは油断していた。
コマはミケが瞬きをする一瞬を逃さなかった。
ミケが一瞬、瞼を閉じた瞬間、コマが突きを放った。
避けきれなかったミケの足に刃が走り、血が散った。
コマが渾身の一撃を放とうと、ミケへ向かって突進する。しかし神の前では"たかが妖"だった。
ミケはすかさず左手を構え、神通力でコマの首を絞める。
その力は、ロッテに使った時のそれよりももっと強く。
そして、動きが止まったコマに向けて、ミケは右手に持った大太刀をかざす。左手の神通力を解かれコマが膝をついた瞬間、ミケの大太刀がコマの左肩から袈裟懸けに斬りつける。
鋭い音とともに、コマの肩口が裂けた。
倒れ伏すコマ。
「コマさん!!」
六が叫ぶ。
「はぁ……」
うつ伏せに倒れたコマが大きく息を吐く。
「今際の言葉はあるか」
ミケが大太刀を構える。
「ありません。彼女たちが“生きた言葉”で、この出来事を伝えてくれるから……」
コマは静かに目を閉じた。
——しかし刃は、降りてこなかった。
目を開けると、ミケの身体にロッテがしがみついていた。
凍えるような冷気があたりを包む。
「コマは……絶対に死なせない!」
涙が頬を伝う。
ミケが左手でロッテの顔を掴み、地に叩きつけた。
それでもロッテは再び立ち上がり、抱きつく。
「ロッテ……もう、いいよ……」
コマの声は掠れていた。
「厄介よの」
ミケは大太刀の柄頭でロッテの後頭部を軽く叩くと、ロッテは気を失い、その場に倒れた。
(……ロッテ、ごめんなさいね)
コマが心で呟く。
「眠っていた方が、こやつにとってもよかろう」
ミケが視線を戻した瞬間、
ズン——。
一本の矢がミケの左肩を貫く。
ミケが振り返ると、社の前に伽耶が立っていた。
しかしミケの体が揺らぎ、コマの背後に姿を現す。蜃気楼を使われた。
「お前の願いを成就させまいと、皆、必死よのう……」
ミケがコマに笑いかけた、その瞬間——。
ドス——。
ミケの胸に矢が突き刺さった。ミケは完全に油断していた。
ミケはよろめいたが、体制を立て直そうとした。
ズン——。
ミケの胸に二本目の矢が突き刺さる。ミケは顔を上げ、伽耶の瞳を見た。
「……なるほど」
ミケがかすかに笑い、膝をついた。まるで伽耶以外の別の存在を見るように。
月が雲に隠れ、夜の風が凪ぐ。
伽耶の視界がふっと暗くなり、身体が傾く。
六が駆け寄る声を最後に、伽耶の意識は遠のき、そのまま気を失った。




