第四十八話 神と妖
コマとミケの間に、ぴんと張り詰めた空気が流れた。
風が止まり、夜の田畑の匂いだけが漂う。
コマが静かに刀を抜いた。刀と鞘が擦れる音が、月明かりの下で小さく響く。
ミケもまた、無言で大太刀を構えた。地面に落ちるその影が、異様なほど長く伸びていた。
そのとき、コマの隣にロッテが歩み出た。
「……何をしているの、ロッテ」
コマの声は、わずかに震えていた。
「一緒に戦う」
「駄目。あなたは——」
「何も言わなくていい! 一緒に戦う!」
ロッテの青い瞳が、涙に濡れていた。
「十五年、一緒にいて……この話、一度もしてくれなかった。でも……私にはコマしかない」
「やめなさい」
「嫌!」
コマはわずかに目を伏せる。
その背を見つめながら、伽耶が六に詰め寄る。
「六さん、止められないの? 二人とも死んじゃうよ!」
六は目を閉じたまま、首を横に振った。
「死に場所を定めた者を止めるのは……武の理に背くことです」
「はい!?」
伽耶の声が震える。だが六はただ、拳を握りしめたまま立ち尽くしていた。
ミケの髪が風に揺れた。
その眼差しは、氷のように冷たい。
「——来い」
その一言で、戦いが始まった。
⸻
コマが地を蹴る。左から右へ、横一文字。
だがミケの大太刀がそれを弾き返し、金属音が火花を散らす。
反動を利用し、コマは体をひるがえし、右上から袈裟懸けに斬り下ろす。
しかしミケはすでにそれを読んでいた。真っ向からの一閃。
二つの刃がぶつかり、空気が震える。
次の瞬間、コマの体が弾き飛ばされ、地面を転がった。
「コマさん!」
伽耶が叫ぶ。
ロッテが駆け出した。
「ロッテ、いけない!」
コマの声が届くより早く、ロッテはミケへ向かって走り出していた。
ミケは左手をゆっくりと上げ、五本の指を獣のように曲げた。
空気が歪む。ロッテの体がぴたりと止まり、目を見開く。
「ぐ……ぅ……っ!」
まるで見えない手で首を絞められているかのように、苦しみに顔を歪めた。
「ロッテ!」
コマが立ち上がり、ミケの左腕めがけて斬りかかる。
だがミケは右手の大太刀で容易く弾き返した。
ロッテの苦しむ顔を見るコマの瞳が、どんどん薄紅色に変わっていく。
その瞬間——風が舞った。
ひらり、と桜の花びらが一枚、闇の中を流れる。
続いて、十枚、百枚。
桜の花びらが、夜空を覆い尽くすように舞い始めた。
「——桜!?」
伽耶が息を呑む。
六が叫ぶ。
「鍋島の伝承にもあります! 化け猫が現れる前、桜が舞ったと——!」
「おや、見事な桜じゃのう」
ミケが冷笑した。
やがて花びらは桜吹雪となり、視界を奪う。
その声の瞬間、ミケの足元からコマが姿を現す。
その刃が、下から上へ、逆袈裟に走った。
ミケの左腕が宙を舞い、地に落ちた。
ロッテが崩れ落ち、息を吸い込む。
「き……斬った……神を……」
ハクの声が震えた。
コマはすぐにロッテのもとへ駆け寄る。
「ロッテ! 怪我は!?」
「う、うん……大丈夫」
ロッテが弱く頷く。
だがその背後で、おもとが叫んだ。
「これはいかん!」
ミケの体が揺らぎ、輪郭が崩れ始めた。
煙のように、そこにあるはずの姿が溶けていく。
「おもとちゃんが使ってたやつだ……!」
伽耶が呟く。
「蜃気楼も使えるのか……」
ハクが低く言う。
次の瞬間——。
ミケは、すでにコマの背後に立っていた。
ロッテが急いで立ち上がり、コマとミケの間に飛び込む。
自分の腕を凍らせ、白い靄が立ちのぼる。
「コマには……指一本、触れさせない……!」
「お前は邪魔だ」
ミケは表情を変えず、軽く刀を払った。
それだけでロッテの体は吹き飛び、道端に叩きつけられた。
「ロッテ!!」
コマが振り返る。
背後から、低く冷たい声がした。
「死にたいのは——お前であろう?」
振り向くより早く、ミケの大太刀がコマの脇腹を貫いた。
「コマー!!」
ロッテの声が響く。
伽耶の目には、貫かれたコマしか見えなかった。
伽耶の耳にはロッテの悲痛な叫びしか聞こえなかった。
——ドクン——
心臓が大きく脈打つと同時に、伽耶の中で何かがはじける。
月が雲間に隠れ、あたりは一瞬、闇に沈んだ。




