第四十四話 加茂の里
白き九尾の背は、讃岐山脈の峻険を駆け抜けていた。
岩肌を蹴り、谷を跨ぎ、風を裂く速さ。背にしがみつく伽耶は、声を上げる余裕もなく必死に耐える。
「やっぱ後ろじゃないと無理ぃぃー!」
「おおお!これは気持ちいい!」
最後尾に座り、ハクの尻尾で守られたロッテは楽しそうだ。
その横で、コマは刀を押さえながら息を呑んだ。
「……慣れると……確かに気持ちいい」
やがて山並みが緩やかになり、里の気配が近づいてくる。
ハクは大地に身を伏せ、人の姿へと戻った。
「ふぅ……」
伽耶はぐったりしながらも、前方に広がる景色に目を見開く。
川筋に沿って棚田のように畑が連なり、村人たちが鍬を振るう姿があった。まだ田植え前の季節、畦では子どもたちが水を跳ね上げて遊んでいる。
「……村だ」
伽耶の声に、六もうなずいた。
「阿波の加茂の里。山を下りきれば人の暮らしが続いています」
村に足を踏み入れると、農具を担いだ年配の男がこちらに目を留め、ゆっくりと近づいてきた。
「おぉ……旅のお方かえ?」
方言混じりの声が柔らかく響く。
「はい。お松さんのところへ参りたいのです」
コマが一歩進み、丁寧に頭を下げた。
「ああ、お松さんかえ」
男は目を細めて問い返す。
「はい。そこへ案内をお願いできませんでしょうか」
コマが静かに答えると、男は納得したように頷いた。
「ほんなら、川沿いに真っ直ぐ行きんしゃい。しばらくで丘が見えるけぇ。それが“お松さん”のお社じゃ」
伽耶は胸の奥がざわつくのを覚え、思わずつぶやいた。
「お松さんって言うんだ……」
六人は互いに顔を見合わせ、ゆっくりと歩みを進めた。
辺りは夕暮れ。一行はお松さんの社へ向かっていた。
「お松さん……聞いた事がある気がします」
六が難しい顔をしながら歩く。
「そうでしたか。あの方は有名ですから」
コマが前を向いたまま答えた。
「誰じゃ」
「知らない」
山で暮らしていたおもと、長らく封印されていたハクにはさっぱりわからない。
「まぁ、久しぶりなので姿を見せてくれるかは、何とも言えませんが」
コマが意味深な表情で話し始めた。
「お松さんという方は、昔、ある者に無実の罪を着せられ、詮議にかけられた方なんです。しかし最期の時まで自らの意思を貫き、無実を訴えました」
一行はコマの話に耳を傾ける。
「最期の時って……」
伽耶が呟く。
「お察しの通り、処刑されたと聞きます」
コマが淡々と答える。
(こんな夕暮れ時にそんな話するかー!)
伽耶は怯え始める。
「時同じくして、お松さんが可愛がっていた愛猫も一緒に殺されたとか……真偽のほどはわかりませんが。それから間もなくして、愛猫は化け猫となり、お松さんを陥れた者を祟りました。そしてその者らの家は断絶」
(うわー、どんどん怖くなっていくじゃん!)
「しかし、この村の人々は、お松さんの不退転の心と、理不尽な生涯を悔やみ、小さな墓を建てました。まさに、今私たちが向かっている所がそれです」
「ちょっと待って!祟り的なお墓に向かってるってこと!?」
伽耶は怯えながら声を上げる。
「いえ、村人が丁重に祀っているので、祟りの類いはありませんよ」
コマが笑顔を浮かべたまま返す。
「つまり、そのお松さんって人を味方につけたいってことね」
ロッテが無表情のまま話す。
「いいえ。お松さんには私もお会いしたことはないんですよ」
「え!?知り合いって言ってたじゃん!」
伽耶が冷や汗をかきながら言う。
「私が会いに来たのは、祀られているお松さんご本人ではなく……」
「わかった、もうわかった……」
伽耶は胸いっぱい息を吸い込んだ。
「やっぱり……化け猫の方かーい!!!」
伽耶の悲鳴にも似た叫びがこだまする。




