第四十三話 九尾の狐的 渡しの道
一行は山に入った。
ハクは六に向かって短く言った。
「とりあえず筑前まで行けばいいんだよね?」
六がうなずいた瞬間、白光が彼女の身体を包み込む。
眩しさが収まった時、そこに立っていたのは、巨大な九本の尾を揺らす白狐だった。
「……っ!」
コマはその姿に目を見張る。
「すごい……」
ロッテは目を剥き、声を震わせた。
「な、なにこれ!? 人の姿だったのに……!」
九尾の狐は言葉を発することなく、静かにその背を伏せる。
六が淡々と告げた。
「乗りましょう。急ぎます」
「私、また一番後ろでお願いします!」
伽耶が手を上げて声を張る。
一行が背にまたがった次の瞬間、地面が弾け飛ぶように遠ざかり、山並みが一気に後方へ流れ去る。
「うわぁぁぁ! やっぱり速い!」
伽耶が思わず悲鳴を上げるが、やや楽しそうだ。
コマは必死に体勢を保ちつつ、唇を固く結んだ。
「……これが、九尾の力……」
ロッテは半泣きで叫んだ。
「は、速すぎる! 身体が置いていかれるー!」
六だけが揺れる背の上で冷静に告げる。
「初めてでは、目が回りますよ」
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赤松から筑前へ――山を越えての行程は、驚くほど早く過ぎ去った。
街道沿いの小さな番所が見えると、ハクは人間に戻る。その後、番所の前で六が懐から覚書を差し出す。
役人は目を通すと、軽くうなずいて通行を許した。
「ずいぶん簡単だったね」
伽耶がぽつりとつぶやく。
「赤松の名と花押が効いているのです」
六が応じた。
「この一枚で、筑前までの番所はすべて素通りできるはず」
「紙切れ一枚で……そんなに」
伽耶は目を瞬かせた。
「前に、聞いたことあるかも。コマから」
ロッテが言うと、おもとが鼻を鳴らした。
「ワシはよくわからん」
⸻
やがて潮の匂いが漂い、海が広がった。
伽耶は思わず立ち止まり、息を呑んだ。
「海だ……!」
「私も、久しぶりに見た」
コマは水平線を眺める。
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下関の船番所。六が覚書を差し出すと、番役は眉をひそめ、やがて頷いた。
「相違なし、通れ」
その一言で、一行は海峡を越えて本州側へと入った。
「え、早っ……!」
伽耶は拍子抜けする。
「覚書があるとは、こういうことです」
六は淡く笑った。
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そこから先は、街道を使わずハクの背中に乗り、山道を駆け抜けた。
ハクの背は風を裂き、峠を越え、谷を跨いで進む。
「うわぁぁぁぁ! 楽しいー!」
速度に慣れた伽耶は絶叫マシンに乗っている気分。
「と、止めてくれぇ……!」
ロッテは半泣きで叫ぶ。
「これは……素晴らしい!」
コマはハクの速度に感動し始めている。
山並みが次々と後ろに流れていく。宿場町の灯すら遠くに見下ろし、ただひたすらに西から東へ――。
やがて、瀬戸内を望む岡山の港町・下津井に一行は降り立った。
「おい!お前だけ尻尾に守られててずるい!次は私が後ろに座る!」
ロッテが涙目で伽耶を睨める。
少しの間、街道を歩き、下津井の船番所へ到着。
六が覚書を差し出すと、役人は小さな紙片を渡す。
「丸亀への上り切手だ」
「のぼり……きって?」
伽耶が首をかしげると、六が紙片を受け取りながら答える。
「港から港へ渡る際に用いる証文です。これがあれば“改め済み”とされ、途中で咎められることはありません」
「なるほど……パスみたいなものか」
「ぱす……?」
おもとが首をひねり、伽耶は苦笑いを浮かべた。
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一行は舟に乗る。
「ここから讃岐までは半日もかからないですね」
コマが讃岐の方角を見る。
「ええ、順風ですから思ったより早く着きそうですね」
六もコマと同じ方角を見た。
(な、なんか……堅物コンビって感じ)
伽耶が苦笑いした。
「おい……おい……」
おもとが伽耶の耳元で囁く。
「え?何?」
伽耶も小声で返す。
「ちょっと……頼みがあるんじゃが」
おもとが恥ずかしそうに囁く。
「どうしたの!?」
いつも強気なおもとが珍しくもじもじしているのを見て、伽耶は只事ではないと察した。
「お、お前の握り飯……1個くれないか」
「……」
おもとは空腹だった。
「はいどーぞ!!」
伽耶はおもとの顔目がけて握り飯を投げつける!
「何をする貴様!」
「何言うかと思ったらそんなことかよ!」
「いや、自分のは、出発前に食っちまったから……六に怒られると思って……」
「どんだけくだらないとこで危機感持ってんのよ!」
「あの、この距離なのでおおかた聞こえておりますけど……」
六が苦笑いを浮かべる。
舟は丸亀へと渡り、讃岐の港に着いた。
上り切手を改められた後、一行は山へと目を向ける。
讃岐山脈――四国の背骨のごとき険しい山々が、阿波への道を阻むようにそびえていた。
「おぉ……すごい山だね」
伽耶が声を漏らす。
「ここを越えねば、阿波には入れません」
六が静かに告げた。
「街道を行けば半日以上はかかりますが……」
コマが言いかける。
「街道は通らん」
ハクが低く言い放つ。
「あのくらい一気に越えられる」
ロッテが思わず伽耶の腕を握った。
「……次、次、私、後ろな!」
伽耶は苦笑してうなずいた。
「うん……でも、もう慣れるしかないね」
木々のざわめきが風に揺れる。
一行は視線を交わし、讃岐の山へと足を踏み入れていった。




