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第三十八話「夜の石垣」

 夕餉を終え、二階の部屋に戻った。

 行灯の柔らかな灯りが畳を照らす。女将が「体調は良くなりましたか?」と気遣ってくれたが、伽耶はうつむいたまま小さく頷くだけで、声は出なかった。


 卓を囲む四人の間に、重い沈黙が流れる。

「さて……ロッテさんの仔細を聞いてしまった今、私たちはどう行動すべきでしょう」

 六が口を開いた。

「やっぱり次はワシか?」

 おもとが顎をしゃくる。

「順番に話をするのも一つの手ですが……何を語るか、方策を決めておかねば」

 六は腕を組み、眉間に(しわ)を寄せた。


 伽耶は立ち上がり、障子をすべるように開ける。

「……少し、外の空気、吸ってくる」


 夜の冷気が頬を刺す。石垣に腰を下ろすと、背後の宿から聞こえていた人々の笑い声や食器の音が急に遠くなった。


「あんな話を聞いたあとで……明日、何を話せばいいんだろ」

 膝に額を乗せ、小さく吐息を吐く。

 天音のこと、ロッテのこと、自分のこと。考えが絡まり合い、ほどけない。

「なんで私、こんな所に飛ばされてきちゃったんだろ……。私、何か悪いことでもしたのかな」

 言葉にしてみても答えは返ってこず、胸の中のぐしゃぐしゃだけが広がっていく。


 ふと足音が聞こえ、伽耶が顔を上げると、隣に腰を下ろす気配。

「うわっ!びっくりした!」

 ハクの姿に思わず叫ぶ。ハクもその声に驚く。


「あの……大丈夫?」

「あ、うん……いや、大丈夫……じゃなさそう」

 伽耶は苦笑しながら返した。

「三人で策を練ってた。明日は六が話すって」

 ハクは淡々と告げた。

「そっか……」

 伽耶の声は小さい。夜風がふたりの間を吹き抜け、少しの沈黙が続く。



 その静けさを破ったのはハクだった。

「大丈夫じゃないって……何が?」

「え!? あ、さっきの話ね」

 伽耶は肩を竦めた。

「ロッテのこととか、天音ちゃんのこととか、自分のこととか……色々ね」


 しばし、ハクは無言で聞いていた。

「なんで私、ここにいるんだろ。戻りたいけど……戻れたところで、居場所なんてないんだよね。でも、家族には会いたいし……」


「家族がいるなら、そこが居場所じゃないのかい?」

 ハクは首をかしげる。

「そういう意味じゃなくてさ。心の居場所っていうのかな。私……ずっと自分を隠して生きてきたから」


「ロッテや、あたし達のことは知りたがるくせに、自分のことは隠すんだな」

「えっ……ああ……ごめん。そういうつもりじゃないけど」

 伽耶は言葉を探し、視線を落とした。


 するとハクは懐から一枚の銭を取り出し、伽耶に差し出した。

「これ、猫探しのとき六からもらったやつ。やる」

「え!? いや、どんなタイミング!?」

 伽耶は思わず素っ頓狂な声を上げた。

「握り飯買って余ったから……人間が持っていれば?人間が作ったものだし」

 ハクは冷たい目線で前を向いたまま続けた。

「人間は表と裏を勝手に決める。けど実際は、どっちが表か裏かなんてどうでもいい。ただこだわるから、人は無駄に他人を苦しめる」


「……あれ、現世と常世も、これと同じで表と裏、みたいなこと言うのかと……」

 伽耶が、現代的な例えをそのまま口にした。

「人間はいつも、自分の立っている場所が“正しい”と思いたがる。だから同じ場所に立つ者同士は助け合い、違う場所に立つ者を嫌う。そして――そんな無意味な理由で人は人を殺す」


 伽耶はその言葉に息をのんだ。ハクが、ただ理屈を語っているのではなく、自分自身を重ねているのを感じた。

「……それってつまり、ハクちゃんも……大切な人を失ったってこと?」

 その問いに、ハクの表情が一瞬揺らいだ。

「隠して生きてきたあんたなんかに……話すつもりはない」


「だから隠してたわけじゃ……」

「家族にすら自分を隠して生きてきたんでしょ」

 ハクが伽耶の言葉を遮る。

「それは……確かに」

 伽耶は言葉を失った。


 沈黙ののち、ハクは小さく呟いた。

「でも……伽耶は強いと思うよ」


「それ! 前にも言ってたけど、どういう意味なの?」

 伽耶が身を乗り出す。

 しかしハクはむすっとした顔のまま立ち上がり、宿へ歩き出す。

 しかし途中で足を止め、振り返った。

「ねぇ。“ちゃん”ってなんだい」

「え!? このタイミングで!?」

 伽耶は声を裏返らせる。

「もういい!」

 ハクは顔を背け、宿の中へ消えていった。


 取り残された伽耶は大きくため息をつき、夜空を見上げた。

「なんか……いい話になりそうだったのに」

 目に映るのは、現世の街では決して見られないほど鮮やかな星々。

「自分が立ってる所が正しい……か。“正しい”って、なんなんだろ」


 その呟きは、夜風にさらわれて消えていった。





⸻⸻⸻





 翌朝。

 宿の縁側に、静かな足音が近づく。現れたのはコマだった。


「おはようございます。昨日は随分長くお話してしまいましたね。ただ、一つだけ言い忘れていました」


 四人の視線が集まる。


「ロッテとは、何度会って頂いても構いません。ただ――彼女を傷つけることだけは、やめてくださいね」


 その声音はやわらかだったが、瞳の奥には鋭い光が宿っていた。


「傷つける? 闘うってことか?」

 おもとが眉を吊り上げる。

「向こうから攻撃してくれば、ワシは闘うぞ?」


「そうなれば、相手が一人増えるでしょうね」

 コマの口元には笑みがあったが、そこに宿る影に伽耶はぞくりとした。


(コマさんも敵に回すってことか! 避けたい! 避けたすぎる!)

 伽耶の心の中で悲鳴が上がった。



 四人は藪へ向かう道を再び歩いた。


「昨日練った策の通り、私が話をしますから。皆さんは後ろへ。手は出さないようにお願いしますね」

 六がそう告げると、おもととハクは顔を見合わせ、無言で頷いた。


 やがて藪の奥、冷気の漂う場所に着く。


「ロッテさん。おはようございます。どうかもう一度だけ、お話を聞いてもらえませんか?」

 六の声は静かに響く。


 霜を踏む音。藪から現れたのは、昨日と同じ金髪の影だった。


「お前らは……本当にしつこいな」

 青い瞳が鋭く光り、冷気が一層濃くなる。


 伽耶は六の耳元でそっと囁いた。

「相手、昨日より機嫌悪そうだよ! 何を話すの?」


「コマさんと私たちが友好的関係であることを伝えます。コマさんについての与太話で心を開く策です。下がっていてください」

 六が小声で返す。


 六が一歩前へ出ようとした、その瞬間。


「待って!」

 伽耶が六を引き止め、前に立った。


「伽耶に昨日、六の策をちゃんと伝えたのか?」

 おもとがハクに小声で尋ねる。

「いや、六が話すってだけしか言ってない」

「はぁ、今日も失敗じゃな……」

 おもとがため息を漏らす。


「伽耶さん、下がっていてください! 無駄に刺激してはなりません!」

 六が焦りながら伽耶の腕を掴んだ。だが伽耶はそれを振りほどき、ロッテに一歩、また一歩と近づく。


 冷気が鋭さを増し、伽耶の髪は凍り始めた。吐息は白く、肌を刺す寒さに震えそうになる。


「それ以上近づくな!」

 ロッテが叫ぶ。


 伽耶はそこで足を止めた。服の裾が凍りつき、指先は赤く染まる。それでも笑顔を崩さず、ロッテを見据える。


 ロッテの手がわずかに動き、臨戦の気配が走る。

 それを見たおもとが腰を落とし、ハクの爪が伸びる。六も緊張に肩を強張らせた。


 張りつめた空気。誰もが戦いの始まりを覚悟する――


 全員の視線が交差し、空気が凍りついた瞬間、伽耶は満面の笑みを見せる。





「友達になろう!」






 全員は、その一言に、ただぽかんと口を開けるしかなかった。

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