第三十四話 野良猫網情報網
白髪の女が「龍造寺コマ」と名乗った瞬間、伽耶は思わず声を裏返した。
「え……ちょっと待って! 猫じゃない……どういうこと!?」
目の前の女性は、すらりと背が高く、袴姿も板についている。二十代前半にしか見えないのに、瞳の奥には人ならざる光が潜んでいた。
「確かに、私は猫の妖ですよ」
コマは穏やかな笑みを浮かべた。
「腕が鈍らぬよう、五年ほど前からこの町の剣術道場に通っておりましてね」
「は、はぁ!?」
伽耶の頭は真っ白になった。
「ちょっと待って! 私たち、コマって名前の猫を探してるんですけど! なんで人間のあなたがコマって知ってるんですか!?」
「私の名前がコマだからですよ」
あっさり返すその声音は優しく、けれど揺るぎない。
ハクが一歩前に出て、静かに鋭く睨みつけたる。
「いやいやいや、ちゃんと見てよ! 猫じゃないから!」
伽耶が慌ててツッコむ。
だがハクの黒い髪が、じわじわと妖気を帯びて白く光り始めていた。
「恐ろしいほどの妖力を感じる……」
コマは両手を前で重ね、静かに言った。
「どうか恐れないでください。皆さんのご用を伺いに来ただけです」
その声音に、不思議と圧迫感はなく、むしろ安心感があった。ハクも髪の白みを収め、わずかに肩を落とす。
「……ってか、“皆さん”って言いましたよね!? え、仲間がいることまで知ってるの!?」
伽耶の声が震える。
「ええ。私には耳の良い友が多くおりますから」
コマが目を細めると、草むらから数匹の野良猫が姿を現した。伽耶は思わず身をすくめる。
「昨夜、宿で私の名を口にしましたね? それを友が聞き、私に知らせてくれたのです。ただ……今日は道場で鍛錬をしていたので、少し遅れてしまいました」
(なにそれ猫の情報網!? てか宿に泊まってることまでバレてるの!? 怖すぎるんですけど!)
伽耶は心の中で絶叫した。
「混乱させてしまってすみません。……まずは宿に向かえばよろしいですか?」
友好的な笑みを浮かべるコマ。その様子に、伽耶はますます混乱を深めた。
⸻
宿に戻ると、伽耶はぐったりと膝をついた。朝は病人のフリでまともに食べられず、昼の握り飯も吹き出してしまったため、空腹で限界だったのだ。
「あら、おかえりなさいませ。神社には行けましたか?」
女将が顔を覗き込む。
「顔色が優れませんねぇ」
(いや……ただの腹ペコなんです……)
伽耶は泣きそうになる。
だが次の瞬間、女将は後ろにいるコマを見て目を丸くした。
「あら! コマさんじゃありませんか。お久しぶりですねぇ」
「えっ! 知り合い!?」
伽耶が叫ぶ。
「ええ、コマさんはこの辺りでは有名ですよ。そこの道場の師範代ですもの。武士にも一目置かれるほどの腕前なんです」
「とんでもございません」
コマは深々と頭を下げた。
女将が納得した様子で引き下がると、伽耶とコマは二階の部屋に通された。六とおもとはまだ戻っていない。
(スマホ使えたら一発で呼べるのに……)
伽耶はポケットの中のスマホを握りしめる。
⸻
その頃、六とおもとは宿へ向かう道を歩いていた。
「今日は収穫なしでしたね」
六が苦笑する。
「雲を掴むような策だからじゃ」
おもとがむすっと返す。
だが次の瞬間、六がぴたりと足を止めた。
「おもとさん、感じますか」
「うむ……妖気の匂いじゃ」
二人は顔を見合わせ、一気に宿へ駆け込んだ。
「あら、おかえりなさいませ。お連れの方なら、もう部屋にいらしてますよ」
女将の言葉に、二人は表情を引き締めて階段を上がる。
襖を開けると、そこには既に座って待つコマの姿があった。
「初めまして。龍造寺コマと申します」
六は珍しく驚きの表情を見せた。
「……あなたが龍造寺コマさんですか。なぜ人間の姿を?」
「この姿の方が何かと都合がよいのです。人間社会に溶け込めますから」
コマは微笑んだ。
六は深く息を吐き、座り込んだ。
「……盲点でした。猫だけを探しても見つからないわけです」
いつも泰然自若な六が、こんなふうに肩を落とす姿を伽耶は初めて見た。
「どういうこと?」
伽耶が首をかしげる。
六は視線を落としたまま語る。
「昔、この地で起きた鍋島化け猫騒動……飼い主の仇を討つために化けた猫こそ、龍造寺コマさん。人の姿を望むほどの強き意志を持っていた……そう考えれば当然のことでした」
「つまり、人間に化けて人間の町で暮らしてるってことか」
おもとが唸るように言った。
「皆さんが私を探していると、猫たちから耳にしました。細かいことは後回しにして……ご用件をどうぞ」
コマは姿勢を崩さず、ただ穏やかに微笑んでいる。
六は一呼吸置き、伽耶を一瞥した。
「では、経緯を説明いたしましょう」
六の口から、伽耶を現世へ帰すための道のり、天音の父の救出、そして戦力増強の必要性が語られていった。伽耶は口を結び、コマは終始黙って頷いていた。
⸻
「なるほど。戦いに備え、戦力を募っているのですね」
コマは静かに言葉を紡いだ。
「理にかなっています。それに……」
伽耶を見つめ、意味ありげに微笑む。
「この方は、不思議な運気を持っているように見えます」
「運気……?」
伽耶は首をかしげる。
「私自身の話をすれば……」
コマはゆったりと続けた。
「五年前から人の姿になり、道場に通いました。けれど妖は歳を取りません。怪しまれる前に、いずれ猫へ戻らねばと考えていたところでした」
「つまり、お力を貸していただけるのですか?」
六が問う。
「訳を聞いた限り、外道ではなさそうです。協力はいたしましょう」
コマは一拍置いて、声を低めた。
「ただし――私からもお願いがあります」
正座を崩し、横座りの姿勢で伽耶を見据える。
「この町の野良猫は皆、私の友です。けれど一匹だけ、特別な友がおります。皆さんにも、その方と友になって欲しいのです」
伽耶は息をのむ。
「……特別……?」
コマは不敵な笑みを浮かべた。
「難しい事ではありません。ただ、その方と仲良くなって頂きたいのです」




