第三十二話 赤松の宿
夕暮れ。
赤松の雑踏を抜け、四人は町はずれの宿に入った。
格子戸を開けた先、土間に立つ女将が声を張る。
「お泊まりでございますか」
六が手早く人数を告げ、さらに懐から一枚の懐紙を差し出した。
本来なら番所でしか見せぬものだが、六はあえてここで使った。
それが相手の心を動かすと見抜いてのことだった。
女将は受け取って目を通し、深くうなずく。
「病人連れとあらば、他の客と一緒では気の毒でしょう。二階の奥の一室をお使いください」
女将の気配りに、伽耶は小さく胸をなで下ろした。
四人は案内を受け、静かな部屋に通された。
畳に荷を下ろすと、伽耶はようやく息をつく。
昼間の番所通過と、賑やかな町歩きで張りつめた気が緩んだのだ。
「あ゛ーー」
おもとがつまらなそうに声を上げる。
「どうしました?」
六が荷を整理しながら聞く。
「どこに行っても魚とか汁とかばっかりじゃ。熊でも喰いたいのぅ」
「あたしは鹿かな」
ハクが呟く。
「二人が言うと猟奇的にしか感じないんだよね……」
伽耶が布団に寝ころびながら言う。
行灯の明かりが灯されると、六は座り直し、三人を見渡す。
「さて――なぜ肥前国に来たかは覚えていますよね?」
「なんとか……コマさんっていう化け猫に……会いに」
伽耶は思わず姿勢を正す。
「名は、龍造寺コマ。佐賀の地に残る伝承では、主を失ったのち妖となった猫とされています。
人に仇なす存在として語られますが……」
「ふーん……人の町に居つく猫か。魚ばっかり食ってそうじゃな」
おもとがごろりと寝転び、気のない返事をする。
六は小さく笑い、
「強さも知恵も兼ね備えていると聞いた事があります。ゆえに、まずはこちらが礼をもって臨むことが肝要です」
と静かに言った。
「で、どこに住んどるんじゃ?」
「実はわからないんです。しかし先程、人に仇なす存在と言いましたが、その騒動があったのがこの町。この町のどこかにはいるはず」
六は三人を見渡す。
「わからんだと!?まさか無駄足じゃなかろうな!」
おもとが起き上がる。
「大丈夫。人々はその化け猫を恐れ、祠も建立したと聞いた事があります」
「そこに行けばいるということか」
おもとが納得したように布団を見つめる。
「明日は、その祠を探しましょう」
そんな時、伽耶の胸に、昼間の光景がよぎる。
縄を打たれた商人。必死に抗う声。けれど誰も助けなかった。
「……さっきの人、あのまま捕まっちゃうのかな」
思わず口にした伽耶に、六は首を振った。
「深入りは命取りです。見過ごす勇気も、ときには必要なのです」
伽耶は声を失い、ただ視線を落とした。
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夜更け。
伽耶はどうにも眠れず、障子を少し開けて外をうかがった。
暗い町を駆け抜ける足音。
「待てっ!」と叫ぶ声。岡っ引きか同心だろうか、泥棒を追っているらしい。
闇の奥へ消えていくその声が、伽耶には底知れぬ恐ろしさを帯びて響いた。
(妖より……人の方が、よっぽど怖いのかもしれない)
障子を閉めても、不安は胸に居座ったままだった。
伽耶は布団に潜り込み、夜の長さをやり過ごすように目を閉じた。




