第三十話 六の機転
ひとしきり筑前の港町を歩き回った四人は、そのまま宿に泊まることになった。夕餉を終え、一室に集まる。
畳の上に置かれた行灯の光が、壁に淡い影を揺らしている。
「ちょっと観光みたいで楽しかったねー」
伽耶は布団に寝転び、ようやく肩の力を抜く。
「これが……宿……」
ハクは初めての宿に、きょろきょろと落ち着きなく視線を巡らせていた。
その和やかな空気を、六の声が切り裂いた。
「伽耶さん。魚津での“あの山”のこと、覚えていますね」
「あ……天音ちゃんが、手をかざしたら入れた、あれ」
「ええ。結界を壊したのではなく、縒り目をほどくように“緩めた”ような感じがします。普通の人間にはできません。……天音さんには、まだ秘密があるのかもしれません」
「札宿の娘じゃろ。説子の札の力が関わっていても不思議はない」
おもとは欠伸をひとつ。
「その通りです。もとより説子さんがなぜあの力を持つのかも不明です。……天音さんの父上を探すための旅ですが、娘本人の素性も看過できませんね」
六の声に伽耶の胸はざわついた。火のゆらめきに、魚津に残した天音の姿が浮かぶ。
(天音ちゃん……必ず戻るから!)
「あまね? せつこ? なんだっけそれ」
ハクは興味なさげに呟き、布団の柔らかさに夢中になっている。
「ごめんなさい、説明もろくにできないままで……」
六はこれまでの経緯と、これからの計画を語った。
そうして夜は静かに更けていった。
⸻⸻⸻
翌朝。
四人は荷をまとめ、街道を西へ進む。やがて人通りを外れ、山道に入る。
人目がなくなった途端、ハクは九尾の狐へと変化し、背を低くした。三人は背に跨がり、山中を駆け抜ける。
昼近く、稜線の見渡せる場所でハクが立ち止まった。
鼻をひくつかせ、三人を下ろして人の姿に戻る。
「鉄の臭い……焦げたような臭いも混じってる。この先に人間がいる」
「鉄砲、でしょうか」
六の眉が寄った。
「ここからは人の姿で進もう」
ハクが肩をすくめる。
四人は藪を抜け、獣道を選んで歩いた。伽耶はすぐに息が切れ、顔が真っ赤になる。
「はぁ、はぁ……ごめん……もう足が……」
六は静かに支え、額の汗を拭った。
「大丈夫です。もう少しで山道ですよ」
⸻
ようやく広い山道へ出た時、猿の甲高い鳴き声が響いた。
「キャッ、キャッ!」
木々から群れが飛び出し、牙を剥いている。
その先には、裃姿の武士と護衛三人。腰には火縄銃。地面には仕留めたばかりの鹿が横たわり、硝煙の匂いが立ち込めていた。だが弾は尽き、役人たちは猿に押され劣勢だった。
「た、助けなきゃ!」
伽耶は思わず声を上げる。
「あれは役人……番所を通っていないのが知られれば厄介です」
六が低く呟く。
「に、逃げなきゃ!」
伽耶は即座に意見を翻す。
「無視して少し迂回していくか」
おもとが提案するが、六は即座に首を振った。
「助けましょう。ひとつ策があります。ただし妖力は使わずに。私たちが妖だと知られてはなりません」
「めんどくさいのぅ」
「……うん」
おもととハクは素早い身のこなしだけで猿を翻弄する。石を弾き、枝を揺らし、群れを撹乱する。やがて猿たちは悲鳴を残し森へ散った。
⸻
「いやぁ……助かった。助太刀、かたじけない!」
上役は裃を泥に汚し、必死に威厳を保とうと背を伸ばすが、声は揺れていた。
「しかし、何用でここにおるのだ?」
護衛の一人が鞘に手をかける。
六は深く頭を下げ、低く告げる。
「実は筑前で抜け荷の騒ぎに巻き込まれ、通行の証文を失いました。しかもこの者が筑前で病にかかりまして……佐賀には名医がいると聞き、急ぎ参る途中。番所で足止めされれば命取りです。どうかお取次ぎを」
六は伽耶の肩を抱いた。伽耶は汗だくで息も荒く、まるで病人のように見えた。
(いやいや!これはただの酸欠!酸欠ですから!!)
伽耶は心の中で全力ツッコミ。
上役は護衛を一瞥し、唇を結ぶ。
(猿ごときに遅れを取ったと知られれば、立場が危うい……さらにこやつらをこのまま筑前へ返せば、どんな噂が流されるかわからんな)
「……今日のこと、口外するなよ」
上役が護衛たちに低く命じると、伽耶の方に歩み寄り顔を覗く。
「確かにこれは……顔も赤いし汗も酷いな。足も震えておる」
(いえ肉体疲労です!)
上役はしばし逡巡し、やがて懐から小さな矢立と懐紙を取り出す。
筆に墨を含ませると、さらさらと何かを書き付ける。
「病人を捨て置くわけにもいかぬ。そなたらには恩義もある。此度のことは目を瞑ろう。赤松の番所へ護衛に書き付けを回させるゆえ、急ぎ医者に診てもらうが良い。佐賀の医者は日本一だからな!はっはっは!」
上役は、さっきの恥を覆い隠すように鼻高々と言った。
護衛の一人は、上役から正式な書き付けを受け取り、急ぎ山を駆け下りていく。
上役はさらに懐紙を出し、書き始める。
――「病人を佐賀へ急送するゆえ、通行を許せ」
最後に花押を入れ、その紙を六へ差し出した。
「これを携えてゆけ。赤松の番所にて示せば、無用の詮索はされぬはずだ」
六は深く頭を下げ、受け取った。
「ご配慮、痛み入ります」
「……よいな。今日のことは口外無用ぞ」
上役は念を押し、残る護衛を伴って山道を去っていく。
六は深く頭を下げ、伽耶に笑みを向けた。
「良かったですね!これで佐賀の名医に診てもらえますよ!」
六はわざわざ上役に聞こえるように声を張った。
(ちょ、ちょっと!寸劇すぎるんですけど!?)
紙を懐にしまい、六が静かに告げる。
「これで番所も難なく通れるでしょう」
(いや、ただの酸欠で病人扱いされたまま……?)
⸻
歩き出してから、伽耶は六の袖を引いた。
「六さん……これ、たまたま運が良かっただけじゃない? もし疑われてたら……」
六は微笑んだ。
「ここは山の中。相手は四人。万一の時は――おもとさんとハクさんが片をつけてくれます」
「……」
伽耶は顔を青ざめさせる。
(六さん……優しいと思ってたけど……やっぱり怖い……!)
こうして一行は、赤松の番所へ向け歩みを進めた。




