第二十六話 背に乗って
翌朝。朝餉を済ませた三人は、暖簾をくぐって札宿を出た。
「次はいつ戻るんだい?」説子がいつものように聞いてくる。
「とりあえず旅支度をしますので、夕餉には戻ると思います」
六が穏やかに答えた。
その時、三人が振り向くと、宿の前に影が立っていた。
「……!」
伽耶の心臓が跳ねる。
「おはようございます。来てくれたのですね」六の声は落ち着いている。
そこにいたのは、やはりハクだった。おもとは一瞬だけ目を輝かせたが、すぐにそっぽを向いた。
「着いてきて」
ハクはそれだけ言い残し、無言で歩き出した。
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町外れを抜けると、山道へと続く緑の陰が迫ってくる。
(まーた山だよ……)
伽耶は露骨に肩を落とした。
「伽耶さん、妖の多くは山や森で暮らしています。仕方ないことですよ」
六は苦笑する。
それでも伽耶には、またあの血の匂いが蘇りそうで足がすくんだ。
やがて森の入り口で、ハクはぴたりと足を止め、振り返った。
「かや……だっけ?」
「あ……はい!」
伽耶は背筋を凍らせながらも答える。
「先に言っておくよ。あたしは伽耶を傷つける気はないから騒がないでね。あと、狐に化ければ言葉は話せない。だから――」
一拍置き、低い声で続ける。
「おもとに従え」
次の瞬間、少女の姿がゆらぎ、九尾の狐が姿を現した。
「ひぃぃ! やっぱ怖い!」
伽耶は思わず後ずさる。
だがハクは体を沈め、背を差し出した。
「……乗れってことじゃ」
おもとが飛び乗る。
六は着物を整え、横座りで腰を下ろす。
伽耶は混乱しながらも六に手を引かれ、恐る恐る背中に跨った。
「……へ?」
柔らかな毛並みに触れた瞬間、胸がぐらりと揺れた。
(な、なにこれ……あったかい……)
ハクの背は思った以上に広く、まるで羽毛布団に沈むような心地だ。「怖い」という気持ちが少し緩んだ。
「掴まれ」おもとが首に腕を回す。
六はおもとの腰に掴まる。
「ぎゃああ!」
おもとが悲鳴を上げる。
「……くすぐったい」
伽耶「……」
「あら、すみません」
六は微笑み、代わりにたっぷりした毛を握った。伽耶は思わず六に抱きつく。
⸻
「よし、いいぞ」おもとの声が合図となる。
その瞬間――
地を蹴る轟音が響いた。大木が揺れ、土が爆ぜ、空気が裂ける。
伽耶の視界がぐにゃりと歪み、身体が後ろへ引きちぎられるような衝撃に襲われた。
「どわぁぁあぁぁ!」
ハクは稲妻のごとく山道を駆け抜けた。
尾が風を切るたびに砂塵が舞い、木々の枝葉がざわめき、飛び退いた野鳥が白い影を追うように空へ逃げていく。
伽耶の頬を打つ風は鋭い。涙で視界が滲み、歯を食いしばっても声が漏れた。
それでも背中の毛並みは雲のように柔らかく、温もりに支えられて辛うじて振り落とされずに済んでいる。恐怖と心地よさがないまぜになり、胸の奥がぐちゃぐちゃに掻き乱された。
「もしかして……肥前国に向かってるんですか!?」
六が風を切り裂いて叫ぶ。
「だろうな。一日もあれば着くんじゃないか?」
おもとが張り上げる。
少しずつその速度に目が慣れてくる。
木々をひらりと交わしながらどんどん山奥へ進む。
しかしここは常世の山の中。餓鬼や小さな妖怪のような生き物も見え隠れする。
「け、結局こえぇぇぇぇぇ!!」伽耶の叫びは風にかき消され、山々にこだました。




