第二十五話 魚津へ帰還
夕方、三人はようやく魚津宿場町へと戻ってきた。
山道を抜けた途端、潮の匂いと魚を焼く香りが鼻をつく。威勢のいい客引きの声が響き渡り、駕籠がすれ違うたびに埃が舞い上がった。
(ああ……人の声だ……町の匂いだ……)
伽耶は胸をなでおろす。山での血なまぐさい記憶が、少し遠ざかっていくように思えた。
「はぁ……ようやく戻ったか……」
おもとは肩を回し、強がるように言う。だが六の目には、まだ彼女の表情の隙に落ち込みが残っているのが見えていた。
説子の札宿に辿り着くと、暖簾を押し上げた瞬間、宿の奥から声が飛んできた。
「ちょっと! 半月くらいの旅って言ってなかった!? 旅、早っ!!」
説子が呆れたように笑いながら、腰に手を当てて三人を迎えた。
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しばらく休んだ後、六は宿の二階で改めて口を開いた。
「肥前国に渡るには船が最も早いでしょう。しかし……」
「わかるー、船酔いきついよね」
伽耶がうなずく。
「いいえ。必要なのは通行手形です。船は街道より改め(取締り)が厳しい場合があります」
六の言葉に伽耶は小さく肩を落とした。
「……じゃあ、歩くしかないってこと?」
「ええ。足腰の強い馬が見つかれば良いのですが」
伽耶は黙り込み、やがて立ち上がった。
「……おもとちゃんの様子、見てくる」
そう言って階下へ向かった。
六の真面目な話は、今の伽耶にとって苦しかった。
天音を助けることが正しいのか。昨日見た戦いよりもっと恐ろしい事になるのは自分でもわかる。自分のエゴで六やおもとが傷ついて行くのが容易に想像できる。
これが現実。そう受け入れているつもり。でも心の葛藤は収まらない。そんな時に、六の論理的な話を聞く心の余裕がなかった。
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一階に降りると、広間には説子しかいなかった。
「おもとちゃん? ああ、さっき向こうに散歩に出たよ」
夜になり、伽耶は町の外れまで足を運んだ。
「そういえば初めて六さんに会った時、夜は出歩くなって言われたなぁ……」
月明かりに照らされた道端に、小柄な影が座り込んでいる。おもとだった。
「……悔しいのぅ……」
小さな声が夜気に溶ける。
(……なんて都合の良いやつ!)ハクに言われた言葉がおもとの頭の中で何度も繰り返される。
伽耶は何も言わずに隣に腰を下ろす。しばらく沈黙が流れた後、おもとが呟いた。
「お前は……怖くないのか?」
伽耶は少し俯きながら答える。
「怖いよ……すごく怖い。でも……一緒にいると、不思議と大丈夫な気がする」
おもとは鼻で笑った。
「……阿呆め」
けれどその声は、ほんの少しだけ柔らかかった。
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「これほどの人間を見るのは久しぶりだなぁ」
突然、背後から声がした。伽耶とおもとは一斉に振り向く。
闇の中に立っていたのは、ハクだった。
「ハク……! なんでここに!?」
おもとの声が強張る。伽耶は反射的におもとにしがみついた。
「あたしがどこに行こうが、あたしの勝手さ」
ハクは薄く笑った。
「匂いを嗅いでついてきたな?」
おもとが睨む。
だがハクは答えず、ただ二人を見据えていた。
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その夜、三人は宿へ戻った。
広間で六が立ち上がり、ハクを見つけて目を細める。
「……なぜここに?」
「肥前国に行くって言ってたよね」
ハクは腕を組んで言う。
「確かに。ですが、手形の用意がまだ……」
六が言いかけると、ハクが遮った。
「長旅だな。……あたしもついてってやるよ」
三人の声が重なる。
「えっ!?」
「礼はしないとね。封印を解いてくれたんだから」
ハクはさらりと告げた。
「で……でも、そんな……」伽耶は思わず声を漏らす。怖さがまだ拭えない。正直、来てほしくない。ただ、怖い。
「明日、また来るから」
それだけ言うと、ハクは宿を出て夜の町に消えていった。




