第九話 命婦のおもと
「……この辺りでしょうか」
翌日、昼頃。説子がおもとと出会ったという山あいにたどり着いた。
もう少し歩くと、六が足を止めて辺りを見回す。
「……人か、何かが暮らしていた形跡がありますね」
小川のそばには焚き火の跡や、かじられた獣の骨が散らばっている。
「ひぃぃぃ!!」
私は情けない悲鳴を上げて、六の袖にしがみついた。
「伽耶さん。静かに」
六が眉を寄せて制した――と思った次の瞬間、大きく息を吸い込んだ。
「おもとさーん!いらっしゃいますかー!」
「いやいや!さっき“静かに”って言ったよね!?矛盾してない!?」
パニックでツッコむ私を無視して、六は落ち着いた声で続けた。
「説子さんからお話を聞いて参りました!どうか姿を見せてください!」
「ちょっ、化け猫呼ぶとか正気!? 怖すぎて頭が真っ白になるんだけど……!」
もう完全に本末転倒。心臓がバクバクで、膝まで笑いそうになる。
けれど返ってくるのは、小川のせせらぎと木々のざわめきだけだった。
「あの、六さん……ねえ、やっぱりいないんだよ。もう帰ろう、ね?」
泣きそうな声で言った、その時。
「――なんの用じゃ」
背後から澄んだ声が響いた。
振り返ると、十二、三歳ほどに見える少女が立っていた。
黒に近い紫の髪が日差しを受けて揺れ、瞳の奥が猫のように光っている。着物はほつれ、裾は土で汚れていた。
「……へ?」
あまりに拍子抜けした私は、間の抜けた声を漏らした。
「あなたがおもとさんですか?」六が静かに問いかける。
「そうじゃが?」少女は無表情のまま答えた。
「説子さんから聞いて参りました。あなたに会いたいと」
「説子……? 説子は、息災なのか」
おもとが目を丸くする。
「ええ。二十年前に助けてもらったことを、今でも語っておられます。今は魚津で旅籠の主をしています」
「そうか……説子が……」
おもとの瞳が一瞬揺れた。
六は一歩踏み出し、丁寧に告げた。
「ですから、共に山を下りませんか。説子さんからの言伝です。「あなたに、会いたい」と」
おもとは黙り込み、視線を逸らした。迷っているのか、それとも警戒しているのか。
「……それだけのために来たのか?」
「はい」六は即答した。だが、その言葉の裏には、まだ別の意図が隠れているのを私は感じ取った。
私は思わず小声で「え、用心棒を探しに来たんじゃないの……?」と囁いたが、六は反応を返さなかった。
「説子さんからの言伝を届けるために来ました。それが第一の目的です」
おもとの耳がぴくりと動き、鋭い瞳がこちらを射抜いた。
「……隣の娘は、現世の者じゃな」
「はい。つい先日、迷い込まれた方です」
六は伽耶をかばうように言葉を継いだ。
「……ふん」
おもとは短く鼻を鳴らし、瞼を伏せる。
その小さな見た目からは想像できないほどの圧が漂い、私は喉を鳴らすしかなかった。
――いや、でも、やっぱどう見ても恐ろしい化け猫っていうより……普通の子どもなんだよね……。




