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睨み合い、先に折れたのはロイドだった。溜息をついて言う。
「……まあ、そうだな。君のまじないへの向き合い方を見ても、そう簡単にあきらめてもらえるとは思っていない」
マチルダは浅く頷き、用心深く言葉の続きを待つ。ロイドは続けた。
「だが結局は、お金の問題だ。違うか?」
「……それは……」
確かにマチルダがまじないを売っているのは、お金のためだ。家族を助けるためだ。
でも、それだけではない。自分にできることをして、喜んでもらって、対価を頂く。そのことがすごく大切だ。
だが、そのことを主張するのははばかられた。貴族的な主張でないことは分かっている。理解してもらえるかが分からない。
それにロイドは、曲がりなりにもマチルダと話をして、折り合いをつけようとしてくれている。彼にとってはまじないも魔女も忌まわしいだけのものであるはずなのに。
「……まあ、そうね。どうぞ、続けて」
だから、話を聞くことがこちらの誠意だ。心のうちに去来するさまざまな思いは置いておいて、肯定して先を促す。
「だから代わりに、私が君を雇おう。恋人として」
――……聞くんじゃなかった。
「すみません、頭の病気の薬は扱っていないんです。それはおまじないではなく、ちゃんとしたお医者様に診てもらってください」
お帰りはあちらです、とドアを示して退出を促すマチルダに、ロイドは目を眇めた。
「おい、話を聞くんじゃなかったのか」
話し方がぞんざいになってきている。
「儲け話なら聞きますが、与太話はごめんです」
「何が与太だ、依頼の話だぞ。儲け話だ。一か月、金貨一枚。それでどうだ」
「乗っ…………じゃなくて!」
あやうく即答しかけて、かろうじてマチルダは踏みとどまった。
金貨一枚。銀貨に換算して百枚。まじないの技を使わずとも、恋人として雇われるだけで一月にその大金が手に入るのだという。間違いなく儲け話だ。マチルダが普通にまじないだけで金貨一枚を稼ごうと思ったら十か月くらいかかる。
「儲け話だけど……怪しすぎるでしょう!?」
しかも何だ、恋人として雇われろとは。まじないではなく体を売れということか。マチルダは用心深く続けた。
「……お金を払わずとも、むしろお金を払ってでも恋人になりたい、そういう行為をしたいと思う人は多いと思いますが? 老若男女、よりどりみどりでは?」
ロイドは軽く肯定した。
「自慢ではないが、そうだな。だが君は私に心底興味がないようだから、こういう話ができる」
「…………? つまり、恋人のふりをしろということですか? 恋情も行為も何もなしで?」
「言ってしまえば、そうだ。そうすれば私は君を監視できるし、ついでに虫よけにもなるし、君は稼ぎを得られる。ぜんぶ丸く収まると思わないか?」
「…………」
それは確かに、一考の余地がありそうだ。マチルダは考え込んだ。
お互いに恋情を抱いていない、それはいい。恋人のふりをすることでマチルダには令嬢たちから嫉妬の対象にされそうだが、一か月に金貨一枚と考えれば充分以上に割に合う。そもそもマチルダはロイドに睨まれてまじないがやりにくい状況にあるのだし、彼がこうして一応は譲歩してくれているのだから、乗っかってみるのも悪くはないかもしれない、と思う。
マチルダにとって金貨一枚は大金だが、ロイドにとっては端金だろう。彼は忙しいようだし、マチルダを恋人と称して傍に置くことは監視しやすいという利点にもなる。金貨一枚でそれができるなら、といったところだろう。
(でも……やっぱり、怪しくない……?)
うまい話には裏があるはずだ。儲け話ではあるが、落とし穴もあるのではないか。
「そもそも、一か月に金貨一枚ということですが、いつまでです?」
一年で金貨十二枚。美味しすぎるが、そもそもどこまで契約が続くものだろうか。
ロイドは顎に手を当てて答えた。
「そうだな……どちらかからの申し出がない限り、基本的に無期限。今後一か月分の支払いは今この場で行う。一か月後にまた金貨一枚だ。それでいいな?」
「……書面にしていただけるなら……」
「いいだろう。では、紙とペンを。あと、書類挟みも二つ」
マチルダに用意させ、ロイドはさらさらとペンを走らせた。今しがた述べたことを記し、特別な事情がない限りは恋人として振る舞い、各種の行事などに共に出席すること、と書き連ねていく。対価を得てまじないを行う行為の禁止もしっかり記されてしまった。従わなければ報酬を取り消す、と書いたあたりでロイドはわざとらしく笑みを浮かべた。
「人は報酬を得られないことよりも、一度得た報酬を返す羽目になることの方を忌避したがるのだそうだ。君には特に効きそうだな?」
守銭奴、と暗に言われているが、間違っていない。
「君は契約をしっかり守るのだろう? 期待している」
「うっ……」
「それに、あまり私の機嫌を損ねるのはまずいはずだな? 君はまじないで稼ぐことができない現状であるし、これが唯一の収入源になる。自分で自分の居心地を悪くするような真似はおすすめしない」
「ううっ……」
同じ文面の書類を二枚用意し、日付とともにサインを入れてロイドはマチルダに渡した。ペンとインク壺も一緒に返してくる。ごく自然に人を使う様子が、いかにも高位の貴族といった感じだ。
(どうしよう……!)
冷や汗を滲ませて書面を見つめるが、もちろんどうすればいいかの答えが書いてあるわけではない。見たところは問題のない、しかし逃げ場もない文面が鎮座ましましているだけだ。
「……どんな裏があるんですか?」
「裏? 裏側には何も書いていないぞ?」
苦し紛れの問いに、そらとぼけてロイドは返した。マチルダはそんな彼をじとっと見つめる。
(絶対なにか、裏があるはずよ! だっておかしいもの、恋人契約だなんて……!)
……だが、お膳立てを整えられてしまった。もはや後戻りはできない、サインするしかない状況だ。
マチルダは腹をくくり、二枚ともにサインをした。それを満足げに見やってロイドは一枚を取り、書類挟みに挟み込んだ。
「今日のところはこれでいいだろう。くれぐれも言っておくが、『宮廷のキューピッド』はやめてもらう。そのための契約だからな。貴族としてもどうかと思うぞ、せせこましく稼ぐなど」
言うだけ言ってロイドは出て行った。
その背中を見送り、マチルダは――思い切り舌を出した。
(契約は守るわ。でも、「対価を得ないまじない」のことは契約外だものね?)
譲歩はしてくれたのだろうが、それにしたって横暴だ。法に反していないマチルダの行為を咎め、権力を使って無理やりに止めさせるなど。
しかも最後の最後で、彼は余計なことを言っていった。お金を稼ぐことを貶めるその言葉はマチルダの逆鱗に触れた。貴族の在り方としては正しいのかもしれないが、人として間違っている。
――そんなものに屈するマチルダではない。