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ロイドは肩をすくめた。
「聞いていたさ。要は、人の意思を捻じ曲げることはできないというのだろう? だから惚れ薬ではなく、媚薬。人を惚れさせるものではなく、好き合った者どうしが気持ちを高める薬。それならいいだろう?」
「…………」
目の前のこの人は、独身のはずだ。決まった恋人や婚約者がいるという話も聞かない。いたら大ニュースで、すっぱ抜けばどのくらいの儲けになるか……
(……って、駄目でしょう私! 依頼は秘密厳守! ……でもこれ、別の問題もあるのでは……)
表沙汰にできない恋人関係にある者どうしを、さらに燃え立たせてしまっていいものかどうか。……これはこれで危ない気がする。倫理的にも……関わり合ってしまう危険性についても。
(……どうしよう……すごく、断りたい……)
マチルダは冷や汗をだらだらと流した。根性で顔には出さないが、背中が滝状態だ。
彼の依頼は、絶対に駄目とまでは言い切れない、微妙すぎるラインだ。一押しがあれば承りにも断りにも転ぶ……
「――銀貨六十枚。それでどうだ?」
「承知しました」
マチルダはあっさりと転んだ。
そして一週間後。依頼の品ができたとロイドに連絡を入れてから数日が経ち、ロイドはふたたびリーランド男爵邸にやってきた。配達を手配することも、マチルダが持っていくことも断り、本人がじきじきに現物を受け取りに来るというのはなかなかの気合の入り具合だ。
(そんなに楽しみにしてくれていたのかしら……恋人によっぽど夢中だとか? あのロイド様に熱愛発覚! なんてなったら、宮廷は阿鼻叫喚でしょうね……)
そんなふうに思いつつも顔には出さない。小さな瓶に入った媚薬を渡して使い方を簡単に説明し、銀貨六十枚――マチルダの普段の稼ぎの半年分くらい――を受け取る。効能に満足できなかったと申し出た相手には半額を返金しているが、滅多にそんなことにはならない。仮に性能への不満を理由に半額を踏み倒そうとした相手には、今後の依頼を引き受けない旨を伝え、悪行にふさわしい不運が舞い込むようまじないをかけてやると伝えることにしている。それでたいがいは片がつく。
(まあ、侯爵閣下ならそういう心配はなさそうだけど……)
銀貨六十枚はマチルダにとっては大金だが、侯爵どころか一般的な貴族にとってはそこまでの金額ではない。貴族令嬢の一回のお買い物で簡単に吹き飛ぶくらいの額だ。……そんなに豪勢な買い物をしてみたいものだ、とマチルダは小市民な感想を抱く。
マチルダが渡した媚薬を、ロイドは矯めつ眇めつしている。薄く紫がかった透明な液体で、香油のように使うものだ。体に垂らしたり、香油皿に入れたりして香らせて使う。
ロイドがここで瓶の蓋を開けたのでマチルダはぎょっとした。
(使ったりしないわよね!? 確かめるだけよね!? 愛情のない二人には効かないから別にいいのだけど、びっくりするわ……)
軽く扇ぐようにして香りを確かめ、ロイドは確かめるように言った。
「……思っていたよりもどぎつくない香りだな。むしろ嫌味がなく甘い感じだ。ライラックのようだな。……イランイランなどが使われるものかと思ったが」
イランイランの花には催淫効果があることが知られている。だが、マチルダのまじないはそういした自然のものではない。自然を元にしつつも自然の範囲を超えた……超自然のものだ。
マチルダは言い当てられて驚きつつも丁寧に説明した。
「当たっています。ライラックの五番目の花びら……本来は四弁であるはずのライラックに、まれにみられる五番目の花びら。それをメインに使ったので」
この媚薬の香りも色も、ライラックに由来するものだ。だが、たくさん集めて蒸留して精油を抽出して……といった一般的な手順を踏んではいない。硝子の器に入れて水に浸し、満月の光を一晩当てて作り上げた。使った水もただの水ではなく、蝕の日に泉から汲み上げたものを特殊な方法で保存してあるものだ。他にもいくつかの材料を使っているが、製法は秘密だ。……そもそも、教えても意味がない。
血筋なのだと思うが、マチルダにはこうした超自然の感覚がある。何をどう組み合わせればどういった効能になるか、どういった手順を踏めばどのような効果が得られるか、そういったことを自然と理解できる。ごく幼い頃、母方の曾祖母から手解きを受けたような記憶がかすかにある。きっと母方の血筋なのだろう。
でたらめにまじないを施しているわけではなく、マチルダなりの経験と裏付けがあってのものなのだ。だからと言って依頼人にはそれが分からないから、実績を積み立てていくしかない。ロイドにも、満足してもらえるといいのだが。
媚薬を眺めていたロイドが、口を開いた。