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「不躾な訪問になって申し訳ない。会ってくれて感謝する、マチルダ嬢」

 部屋に入ってきた美青年は言った。金髪碧眼、顔の造作も均整の取れた体格も非の打ちどころがない。

(うわああああ間違いない、あのロイド様で間違いない……!)

 大混乱に陥っているマチルダの心中など知らぬげに、ロイドが軽く首を傾げた。

「……どなたか先客があったのだろうか?」

 片付け切れていないお茶やお菓子、レーナの香水の残り香、そうしたものに気づいたのだろう。

「友人が。席を外しましたが」

「そうか。すまなかった」

 軽く詫びる侯爵に頭を下げ、マチルダはマーサにテーブルを片して新しくお茶の支度を整えるよう頼む。高位貴族を前にして行き届かないことこのうえないが、こちらに非はない。マチルダが使える客間が二つも三つもあるわけではないし、訪問を知らされなかったのだからもてなしの用意もできない。

 浮ついた様子のマーサが、それでもてきぱきとテーブルを片付けていくのを横目に、侯爵に席を勧める。腰を下ろした侯爵の方をちらちらと気にしつつ、マーサは食器類をワゴンに乗せて部屋を出て行った。

 ドアが閉まるのを見届けて自分も腰を下ろし、マチルダは口を開く。

「それで、どういったご用件でしょう? ……そもそも、私を訪ねてこられたので間違いはないのでしょうか? 」

 この方がロイド様ご本人なのは間違いないが、訪問する相手をお間違えではないか。わずかな望みを抱きつつ尋ねたが、ロイドははっきりと答えた。

「間違いではない。あなたに依頼があって来たんだ、マチルダ・リーランド子爵令嬢。『宮廷のキューピッド』」

「あなたがですかー!?」

 こっぱずかしい二つ名を呼ばれ、マチルダは思わず叫んだ。確かに依頼人は女性が多いし、恋のまじないを頼まれることが多いし、得意だし、間違ってはいないのだが……キューピッドもビーナスも裸足で逃げ出すような美青年が依頼する相手としては大間違いにもほどがあるのではないだろうか。

「……依頼に来た者に対して、それはないと思うのだが」

 冷ややかな視線にうっとなるが、根性で言い返す。

「……お言葉ですが、本当にご依頼ですか? ……違う気がするのですが」

 彼からは「必死さ」を感じない。今まで依頼を持ってきた者は多かれ少なかれ、切実さ、望み、揺らぎ、そういったものを抱えていた。目の前の相手にはそうしたものを一切感じない。叫んだのは悪かったが、

「……ほう」

(怖い怖い怖い!)

 端正な口元が笑みを浮かべているが、碧眼がまったく笑っていない。マチルダは内心で震え上がった。

(まさか……誰かを消してくれとか、そういった依頼!? 請け負っていないのだけど!?)

 わざわざ「宮廷のキューピッド」を名指しで依頼に来たのに、それは口実でした、とかいうことなのだろうか。

 座っていてよかった。立っていたら腰が抜けていたかもしれない。

(やめてよ、ハイリスクハイリターンな儲け話は! ローリスクローリターン、ささやかに堅実に……目の前のお方とはまったくそぐわない印象だけれど……)

 叶わないだろう希望を押し込め、マチルダは口を開いた。黙っていても始まらない。

「……ともかくも、ご依頼ということですが。詳しいお話を聞かせていただけますか?」

 聞きたくないという表情を隠さずにマチルダは言った。ロイドは顎に手を当てて答えた。

「そうだな……惚れ薬を頼みたい」

「!?」

「なんだ? そんなにぎょっとした顔をして。『宮廷のキューピッド』たるもの、この手の依頼など腐るほど受けているのでは?」

「受けていませんし、そもそも私がそう名乗ったわけでもないですからね!?」

 確かに惚れ薬を頼まれることはあるが、応えたことはない。ぎょっとしたのは目の前の美青年が――存在自体が惚れ薬みたいな人が――惚れ薬を求めたからだ。照れや後ろめたさなどをいっさい滲ませることなく、パンを一つ注文するような気軽さで。

(いけない……調子を崩されてどうするの。目の前にいるのは依頼人、依頼人……)

 マチルダは自分に言い聞かせた。そう、目の前にいるのは絶世の美青年で侯爵閣下でもあるお方ではなくて、人の形をした金袋だ。まじないの代わりに袋の口を開いてくれる。

「……なぜだろう。なにか取って食われそうな気がしてきたのだが……」

「……気のせいです」

 こほん、と咳払いしてマチルダは気を取り直した。

「はっきりさせておきますが、惚れ薬のたぐいは請け負っていません。人の気持ちや行いを変えさせるようなものは作れません。たとえばですが、依頼者の魅力を増すものや、すでにある恋心を刺激するもの、偶然の出会いを呼び込みやすくするもの、そうした個別具体的な効能を持つまじないなら施せます。強制的に惚れさせるのではなく、惚れてもらえる助けになるものですね」

「……言い値で払うが?」

「…………!?!?」

 侯爵の言う言い値ってどのくらいだろう。一瞬そんな考えが頭をかすめるが、強く首を振って邪念を追い払う。金銭の問題ではないのだ。……と、自分に言い聞かせる。

「いくら積まれても、作れないものは作れません」

「なんだ。評判のまじない師と聞いたが、そんなものか」

「そんなものです。お客様になる気がないのなら、お帰りください」

 挑発に怒るでもなく受け流すマチルダを見て、ロイドはようやく表情を改めた。

「すまなかった。依頼する前に、どうしても確かめたかったのだ。きちんと矜持を持ってまじないをしているのだな」

「……自負はあります。責任も」

 依頼主の願いを叶えるお手伝いをしている、という意識はつねに持っている。ある種の覚悟もある。踏み込んでしまう、踏み込みすぎない、その線引きをして綱渡りをしたりもする。どうすれば喜んでもらえるか? 本当に望んでいるのは何か? ……その願いは、本当に叶えてもいいのだろうか?

 叶ったとて本人が幸せになれるとは思えない望みもある。復讐などその最たるものだ。だが、そこにマチルダの価値観を混ぜてしまうのも、それはそれで違うということは分かっておかなければならない。幸せかどうかなど、マチルダどころか本人でさえ分からないものなのだから。それを幸せであると決めるなら外から何も言うことはないが、その過程でほかの人を巻き込んでしまうなら断るし、マチルダの勝手な判断で解釈を加えることもある。機械的にまじないを施して終わり、とはしない。

 目の前にいるロイド、彼に恋い焦がれていた少女にまじないを施したときもそうだった。彼女の立場や年齢を考えても、恋が成就してしまったら却って不幸になる未来が見えていた。マチルダの見る不幸を自分にとっての幸福だと彼女が決めるのなら反対する筋合いはないはずだが、それでもマチルダは自分の解釈を加えずにはいられなかった。その結果、彼女は別の男性と幸せになっている。それについて、いいことをした、と全肯定することはできないし、すべきでもない。むしろ余計なことをしたとも思っている。ただ、マチルダはマチルダなりに最善を尽くした。それだけは言える。

 自負を新たにするマチルダに、ロイドは言った。

「では、媚薬を作ってほしい」

「人の話聞いてました!?」

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