19
ロイドは端的に肯定した。
「呼び水になった可能性はあるな。だが、君の魔法があろうとなかろうと、無から魔は湧いてこない。彼女の心にはすでに魔が顔を覗かせていたんだ」
カトリンが飛び掛かってきた。とっさに顔を庇うマチルダをさらに庇うかたちでロイドが腕を交差させた。袖のカフスが輝き、光の盾となって攻撃を防ぐ。魔に対する防具を身につけていたらしい。
庇われて怪我はなかったが、その拍子にカトリンの体に少し触れ……彼女の心に、触れた。
どくん、とどちらのものか分からない心臓の音が鳴る。
――いくら見つめても、いくら言葉を交わしても、まったく届かない人への憧れ。その人が恋人だと言って連れ回しているマチルダへの不可解な思い、認めたくない嫉妬。遠回しに近づいてみた、マチルダと縁続きの青年カーティス。
信じていないから今までは依頼しなかった「宮廷のキューピッド」への依頼。笑顔で心を隠すのは得意だ、恋心を悟らせはしなかった、と思う。親身になってくれて、お代もいらないと言われて、効きそうな気がして――
――ちょっとした賭けをした。彼女にまじないをかけられた自分と、彼女と、ロイドはどちらを選ぶのか。もしも、彼女を選んだら――
マチルダを庇って立つロイドに逆上し、カトリンはさらに激しさを増して襲い掛かってきた。
(まずい!)
彼女の心に触れたマチルダには分かる。自分のものにならないならいっそ、壊してしまえと――魔に侵された心がささやくのを。
危険性はロイドも正しく認識しているようだった。素早く短剣を構えて対峙する。
「何をするの!?」
「魔を切る。痛みを伴うし後遺症が残る可能性もあるが、こうなったら仕方ない」
「そんな……!」
マチルダはとっさにカトリンに手を伸ばした。その手が彼女に触れ、光を放つ。何か目に見えないものがせめぎ合っている感覚が体中をかけめぐる。
「魔を以て魔を祓おうとしているのか……!?」
驚愕するロイドが言う通りなのかもしれない。だがマチルダはいっぱいいっぱいで分からない。
(もう少し、もう少しで彼女の心から魔を追い出せる……!)
「マチルダ!?」
そこへカーティスの声がした。状況が分からずに説明を求める声をかけただけだろう。
だがその声に、マチルダはびくっと委縮した。関係が良くも悪くもない相手だが、タイミングが悪かった。カトリンの心の魔に触れたこともあり、マチルダの過去が――苦い思い出となった初恋の時のことが――呼び起こされたのだ。
その隙にカトリンが乱暴に腕を払った。その形相はまだ魔に支配されていることを示すものだ。
「おい、どうした!?」
ロイドの焦った声から耳をふさぐように、いやいやをするように、マチルダは首を強く横に振った。
「……できない、私……人の心を変えるおまじないをしちゃいけないの……大おばあさまに約束したの……」
「どういうことだ!?」
ロイドは焦った様子を見せつつ、舌足らずな口調になったマチルダに怪訝な顔をした。「時間稼ぎにしかならないが」とカフスのチェーンを使い、一時的にカトリンの動きを止め、マチルダの両肩を掴んで正気づかせようとした。
マチルダはつたない口調で切れ切れに吐露した。
――かつてマチルダは、カーティスに対してとんでもない失敗をした。とんでもなく失礼な……してはいけないことをしてしまった。
彼に淡い恋心を抱き、初恋の彼に、まじないをかけたのだ。彼の心を――自分に向けるように。
善悪が良く分かっていない幼い子供のまじないだったが、効力を発揮してしまった。カーティスは突如マチルダを大切に扱い始め――その様子が、まじないによるものだと曾祖母に見抜かれたのだ。
マチルダは、人の心を変えるまじないをしてしまったのだ。
いま思い出してもいたたまれない。曾祖母はマチルダを厳しく叱り、カーティスにかけられたまじないを解いた。
具体的にどのように叱られたのかは記憶が曖昧だが、思い出すのを忌避してしまうくらいに堪えた。向けられていた愛情を、大切なものを、すべてなくしてしまう感覚に陥った。
まじないのせいか叱責のせいかマチルダは具合を悪くして寝込み……やっと治ったとき、心から誓ったのだ。
もう私は恋をしないと。
そうでないと、恋をしてしまうと……私はきっとその人の心を求めてしまう。心を操ってまで求めてしまう、と。
成長し、「宮廷のキューピッド」として依頼を受けていく中で、その思いはさらに強まった。恋に必死になる人々を見て……恐れたのだ。その思いの強さに……いけないことだと分かっていても手を染めてしまう、そんなふうにさせる恋というものを。
「駄目なの、ロイド様が仰ったことは本当なの。私は……私のまじないは、人の心を変えてしまえる。捻じ曲げてしまえる……絶対に、それをしてはいけないのに……」