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「私が君を恋人役にしたのは、まだ結婚するつもりがないからだ。下手なところと縁を繋ぐわけにはいかなかったから、家格に差があってあまり結婚が現実的と思われない君の立場が都合がよかった」
いきなり何を、と思ったがマチルダは大人しく話を聞く。
「それに実際、困っていたんだ。私が独身だから、とりわけ数人の令嬢が熱心に自身を売り込んでこようとする。それを角を立てず断れるように弾除けが欲しかったんだ」
「いま、弾除けって仰いました!? 恋人って私が知らないだけで防具か何かだったの!? 被弾するこちらの身にもなってほしいのだけど!?」
「金貨一枚で借りられる防具だな」
大人しく黙っていられなかったマチルダの抗議をさらりと流し、ロイドは数人の名前を挙げた。
マチルダは瞬いた。その中の一人、カトリンという名前に聞き覚えがある。直近でマチルダがまじないを施した令嬢だ。
思い人と上手くいきますようにという決まり文句を口にして送り出したが、実際には、思い人の目に留まりたいという願いを叶えるまじないだった。
彼女は夜会でカーティスと親しげに話していたから、まじないは上手くいったと思っていたのだが……カトリンが、ロイドに言い寄っていた? 頬を染めて話しかけていたと見えたのは……カーティスではなく、ロイドを意識していたから?
「見ろ、カトリン嬢があちらにいる。君は彼女にどんなまじないをしたんだ?」
ロイドに促されて見ると、確かに、カーティスと連れ立って歩くカトリンの姿があった。カーティスの家の領地だから彼の姿があることはおかしくないし、カトリンが彼と親しくしているなら一緒に歩いていて不自然なこともないのだが……まじないをして奇遇を引き寄せたのはマチルダだ。
彼が唐突にこの話をした理由が分かった。
「……思い人の目に留まるまじないをしました……」
「効果は確かだな」
「すみません……」
謝りつつ、彼女に対しての違和感を思い出す。何がどうとは言えないが、もやっとしたのだ。
ロイドの話を聞いて考えついたのは、もしかして彼女がマチルダに対して負の感情を抱いていたのではないかということだ。ロイドを取ってしまった――と見える――マチルダへの嫉妬。
だが我が事としての恋愛経験に乏しいマチルダには気づけなかった……ありそうだ。
(それもあるかもしれない。でも……それだけではない気がする……)
それは言語化しようのない感覚だった。根拠も何もなく、だが違うのだと、頭ではなく感覚が訴えていた。
カトリンは最初からこちらに気づいていたらしい。ロイドの視線が向いたことを察したらしく、一緒に歩いていたカーティスを置いて、こちらへ歩いてきた。
その姿が、ぐにゃりと歪んだ。
「!?」
マチルダは息を呑んだ。目の錯覚だろうかと瞬いてみるが、彼女の姿がゆらいで見えている。
「……厄介なことになったな」
舌打ちせんばかりにロイドは言い、視線を鋭くした。魔のものを見通す彼の瞳が、淡く光っている。
カトリンの方も様子がおかしい。歩くというより、もはや走っている……というより、跳躍するようにしている。人間のできる動きではない。しかもその体が淡く光っている。ロイドの視線を受けて、魔の部分が存在を主張しているのだ。
「こっちだ!」
マチルダの手を引き、ロイドは出店のテントが連なる裏側へと駆け出した。人込みから離れる方へと走っていく。カトリンも二人の後を追いかけた。
(何が起こっているの!?)
マチルダは混乱しながらも必死に走った。今はそんなことを呑気に聞いている場合ではない。
人間離れしたカトリンの動きだが、広場が騒がしいことや、軽業師たちが見世物を出していることなどに紛れて、そこまで人々の注目を集めずに済んでいる。
しばらく走った後、ロイドはマチルダが息を荒げている様子やカトリンとの距離を確認し、それ以上は逃げられないと判断したらしく足を止めた。
向き直って身構えつつ、息を整えるマチルダに聞かせるように言った。
「彼女は魔に心を侵されている」
「……っ!?」
彼女が尋常ではない様子であることは分かるが、ロイドが何を言っているのか分からない。ロイドは説明を加えた。
「世の中の不思議は、何も魔法や魔女ばかりではない。魔は人々の心の奥底に潜み、時おり顔を出す。君のように意図的に魔の力を使える者に限らず、誰しもが持っているものだ。それ自体に善悪はないが……言ってしまえば本能を助長するようなものだからな。理性の箍が外れて、攻撃的になったりするんだ」
マチルダが彼女に感じていた違和感の正体が分かった、言語化しようのない何とももどかしい感覚……それは彼女の魔に触れたからだったのだ。
カトリンがゆらりと不自然な動きをする。
「……もしかして……私が、まじないをしてしまったから……?」