15
「じゃあ、互いの価値観を知るためにデートをしよう」
「………………」
なにが「じゃあ」なのか分からないし、結局そこへ行きつく過程も分からないが、マチルダに拒否権は無い。相変わらず何を考えているのか分からないがひたすら甘く接してくる彼と、再びのデートと相成った。
行き先はもちろんロイドが指定し、馬車に乗った二人は港町に降り立った。王都は山の方なので海は久しぶりだ。マチルダはこの辺りに少し縁があるので慣れてはいるが、ロイドは物珍しげに辺りを見回している。
「ロイド様、どこに行きますか?」
「どこでも。君の行きたいところへ」
この港町を選んだのはロイドだというのに、特に見たい場所もないようだ。だったら何故ここを選んだのだろうとは思ったが、蒸し返して藪蛇になるのも避けたい。マチルダは大人しく口をつぐんだ。
少し土地勘があるので、ロイドを連れて坂を下る。港からほど近い場所に広場があり、そこではたいてい何かしらが行われているので、とりあえずそこに行けばいいだろうとの判断だ。市が出ていたり、祭りがあったり、ちょっとした大会があったりもする。
広場が近づいてくると、なんだかいい匂いが漂ってきた。
「あ、ロイド様、美味しそうな匂いがします!」
広場で大きな鍋が焚火にかけられ、熱々のスープが売られている。どうやら豊漁を祝う催しの一環らしく、魚介類をふんだんに入れてスパイスを効かせた郷土料理のスープが安くふるまわれている。スパイスを多用するのは南国との交易が盛んな港町ならではだ。
さすがにこういったものまでロイドに買わせるつもりはない。マチルダは二椀を求め、片方をロイドに渡した。ロイドは戸惑いながら受け取った。
「そこらで売っているものを食べるのか……? 直接……?」
「……喫茶店で普通に飲食していらっしゃいませんでした?」
「ああいった店は規制を守っているし……そもそも立って食べるというのは……」
なんとなくマチルダは合点がいった。ロイドは買い食いや立ち食いといったものを知らないのだ。貴族なのになじんでいるマチルダがおかしいといえばその通りではあるが、根っからの平民気質はいまさら変えられない。
「まあまあまあ、騙されたと思って、ぐいっと」
「だから君はなんでいちいち酒飲みみたいな調子になるんだ……」
ぼやきつつ、案外素直にロイドは口にした。そして目を見開いた。
「……美味しい」
たちまち一杯を空にしてしまう。
「そうでしょう!」
家で作るのとは違う、分かりやすい美味しさがこういうところの料理にはあると思う。その場の雰囲気も極上の調味料だ。
「もう一杯買ってきましょうか」
「いや……」
断ったものの未練がありそうだ。それならとマチルダは何の気なしに自分の椀を差し出した。
「食べかけでよければ…………って失礼しました! つい妹たちと同じようにしてしまって」
「……いいのか?」
怒っていないらしい。ならばいいいのだが、
(もしかして今こそ、あーんをすべき……?)
ちらっと思ったが食べる邪魔になりそうなので控えた。餌を食べている犬と一緒にしたら失礼だが、手を出したらうなられそうな気配があったのだ。気のせいなのだろうが。
「……すまない、全部食べてしまった」
じっと見ていたから誤解されたらしい。マチルダは首を横に振った。
「いえ、そこまで空腹だったわけではないので。少し味わえれば充分だわ」
「でも君は……食べ物に執着があるのだとばかり」
マチルダは瞬いた。確かにケーキの時は惜しいと思ったのだが、スープは未練なく差し出せた。
(……別に甘いものばかりが好きなわけではないけれど……)
このスープは高価なものではないが、港町ならではの味付けで、普段は口にできないものだ。確かにもっと惜しく思っても不思議ではないが……
(……ロイド様が、嬉しそうに食べるから)
喜んでもらえるなら食べてもらおうと自然に思えたのだ。
(…………普段いろいろ頂いているし! こういうときくらいは譲らないとね!)
彼に喜んでもらいたいからだなんて気のせいだ。マチルダはぶんぶんと首を横に振った。
辺りは騒がしいほどに賑やかだ。だがその中に子供の泣き声が混ざっているのに気づき、マチルダは辺りを見回した。
どうやらはしゃぎすぎて転んだらしい子供が膝を擦りむいて泣いている。親が近くにいないのか、子供だけで来たのか、ともかくも面倒を見る大人はいないらしい。
マチルダは膝をつき、子供と目線を合わせた。
「痛いよね、でも大丈夫。おまじないをしてあげるね」
目をぱちくりさせる子供の視線を誘うように人差し指を立て、くるくると回して弾き飛ばすしぐさをしながら唱えた。
「痛いの痛いの、飛んでいけ!」
唱え終わると、子供は驚いた顔になった。涙も引っ込んだ様子で立ち上がる。
「すごい、いたくない! お姉ちゃんありがとう!」
そのまま駆け出そうとする子供を引き留め、マチルダは広場の隅を指した。
「痛いのがなくなっても、傷口はちゃんと洗ってね。洗っても痛くないからね」
「うん! 分かった!」
洗っても痛くない、の言葉が効いたらしい。子供は素直に頷いてそちらへ走っていった。
見送るマチルダの背後に影がさす。
(…………しまった……)
おそるおそる振り返る。案の定、ロイドの姿がそこにあった。彼のことをすっかり忘れていた。まじないを止められていることも忘れていた。
「……これは、その……」
ロイドは軽く息をついた。
「そのくらいのことを咎めるほど私も狭量ではない」
「すみません……」
悪いことをしたとは思っていないが、彼の意に沿わないことをしたとは思っている。まじないを危険視する彼の懸念が正しいことも分かっている。
「……まじないも、使う人次第なのだな」
「ロイド様?」
「君も、そのまじないも、優しいものだと思う。そういったものばかりであれば、魔法の力も害はないと言えるのだが……」
「…………」
マチルダには何とも答えられない。