12
「……え、っと……」
マチルダはとっさに返答ができなかった。その様子を見たロイドが追及しようとしたが、マチルダは遮った。
「違うの、そういう人は本当にいないわ。状況が不本意といえば不本意ではあるけれど……意味が違うでしょう。それより」
話しながらマチルダは自分のペースを取り戻した。話の矛先を変えようとする。
「不本意なのはロイド様の方なのでは? まじないごとが大嫌いだと聞いた覚えがあるのだけど……」
「…………」
今度はロイドが詰まった。お互い痛いところを突かれたといった感じだ。
マチルダの方は、本当にそういう人はいない。幼い頃に淡い初恋があったりはしたが、今はいない。
二人の間に気まずい空気が流れた。
ロイドが息をつき、宥めるように軽く両手を上げてみせた。
「悪かった。詮索するつもりではなかったんだ。誤解を招いて困るような相手がいないならいいんだ」
「ええと……大丈夫です」
恋人の「ふり」だということは家族にも内緒だから、父や母から心配されたり面白がられたり、誤解を招いて困っているといえば困っている。妹たちからは疑いの眼差しで見られたりもしている。「あの姉が社交界一の有名人と本当に?」と。
でもまあ、金貨一枚で充分以上にお釣りが来るから問題ない。
「それはそうと、心に決めた相手がいないなら、もっと恋人らしく振る舞っても問題ないな?」
ロイドがにっこりと笑みを浮かべた。嫌な予感にじりっと椅子の上で身を引く。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だ。嫌がる相手に手を出すようなことは絶対にしない。そうではなく、もっと甘やかしてあげようということだ。食べ足りないなら追加していいんだぞ?」
「いえあの、さすがにもう……頂き過ぎです」
やけ食いのように頼んだ後だ。お洒落な店でやることではなかったといまさらながらに反省する。
ロイドは瞬いた。
「それにしては皿が綺麗に空になっているんだが。食べられないではなく、受け取れないという意味だったら気にしなくていい。いくらでも頼め」
「うっ……それは……」
いろいろな意味で甘すぎる誘惑だ。普段ぜいたくに甘味を食べる習慣がないから、太る心配はしない。それに、多少太ったところで本望だ。どれも美味しすぎた。
「……甘いものは別腹ですから……」
視線を逸らすマチルダにロイドは吹き出した。
「遠慮は本当にいらない。これらはすべて報酬と思ってくれていい。はっきりさせておくが、もちろん金貨一枚とは別だ」
「ううう……」
美味しすぎる。甘すぎる。一人だけこんな贅沢をしていることが妹たちに心苦しいが、金貨一枚が貰えたら少しは贅沢をさせてあげよう。
甘い誘惑に屈して追加を頼んだマチルダに、ロイドはさらに笑い出した。
「別にものすごい高級な食材というわけでもないのに、甘味くらいで心を動かしすぎだろう。ちょっと安すぎないか?」
言葉とは裏腹に、馬鹿にした様子はない。いつものような笑みではない笑みとは違い、本当に面白そうに笑っている。
だからマチルダも安心して笑い返せる。
「そうは仰いますが、こういうものは嗜好品ですから。なくても大丈夫なものだと思ってしまうと、なかなか手が出なくて……」
一つひとつはそこまでの値段でもないのかもしれないが、それが積み重なると馬鹿にならない出費になる。そうしたことを考えてしまうと、とても手が出せない。まじないの依頼を受けるときに喫茶店を利用することはあるが、依頼人の手前がっつくことはできないし、遠慮しつつ選ぶことになる。
(お金持ちで自分にべた惚れの恋人がいると、こういう美味しい思いもできるのだろうか……)
自分には縁遠い話だったはずだが、何がどうなってか分からないがこういう状況にある以上、開き直って楽しむべきなのかもしれない。
追加で運ばれてきたチェリーのケーキを前に、マチルダは神妙に頭を下げた。
「いただきます。ありがとうございます」
真剣すぎたせいか、応じるロイドの声が若干ぎこちない。だがまったく気にならない。美味しいものを頂いたのだから当然の礼儀だ。
「んー! 美味しい!」
「口の横。クリームがついているぞ」
食べ進めてお茶を飲むタイミングでロイドが手を伸ばした。仕方ないなと苦笑しつつも愛しさが抑えきれない、そんな調子で指の腹で頬を撫でられ、マチルダは硬直した。
(うわ……! なにこれ、破壊力がすさまじい……!)
周りから再び甲高い歓声だか悲鳴だかが上がる。マチルダも内心で悲鳴を上げた。
(自分に落ちないから誰か心に決めた人がいるのだろう、なんて決めつけは短絡的だと言いたいけれど…………すみませんでした……)
なんだかもう謝りたくなってしまう。ケーキが余計に甘く感じられてくる。
(ロイド様がここまで徹底して恋人らしく振る舞っているのだから……私も応えないといけないわ。これだけたくさん御馳走してもらったのだし)
契約を遂行しなければ。マチルダは考えたあげく、フォークを取り上げてケーキの端を切って乗せた。追加のケーキはロイドの分だと思われていたらしく、新しいフォークがつけられていたので、それを使った。
そして、差し出した。
「はい、あーん」
「あーん……?」
絶世の美青年がぽかんとする様子、という世にも珍しいものを見てしまい、じわじわと我に返ってくる。
(しまった……やりすぎた?)
「すみません、やっぱり……」
「やっぱり何だ? 食べさせてくれるのだろう?」
甘ったるく微笑み、ロイドはフォークを持つマチルダの手に手を添えようとしたが、マチルダは素早く手を引っ込めた。
「やっぱり、あげられません! こんなに美味しいのに分けてあげられません!」
ロイドは再度、ぽかんとした。次いで、堪え切れないように肩を震わせ始めた。
「恥ずかしくなったのかと思ったら……もったいなくなったのか! 何だそれは!? 君はいちいち予想外の方向に行くな!」
「…………ケーキが美味しすぎるのが悪いんです」
言い訳が我ながら子供じみている。だが、ありついた甘味をそう簡単に手放したりできない。
若干むくれて、だがケーキの甘さに頬を緩めつつ、マチルダは笑い続けるロイドからの視線に耐えた。
……その様子がいかにも仲睦まじい恋人どうしと見えたのは、二人のあずかり知らぬことだった。