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店の中には様々な服、普段着――とはいってもお客様をお迎えしてもまったく問題のない、平民基準では一張羅のようなワンピース――から、貴族基準でお呼ばれに使えるような上質なドレスまで揃っていた。
「いらっしゃいませ」
にこやかに店員に迎えられ、マチルダは会釈を返した。ロイドは鷹揚に頷くにとどめており、なるほどそういう態度が客として正しいのだろう。だがいかんせんマチルダは慣れていない。
「どうだ? ……何だその顔は」
「……いえ、その……」
一着いくらくらいなのか考えていました、などと店員の前で言えるわけがない。だが、察したらしいロイドは吹き出した。自覚は無いが、自分はよほど情けない表情をしていたのだろう。
(仕方ないじゃない! どうせ名ばかりの貴族よ! 小市民で悪かったわね!)
心の中でだけ言い返す。ロイドはなおも笑いながら言った。
「デザインに見とれるでもなく、どれが自分に似合うかなどと考えるでもなく、反応がそれか。まあ、任せておけ」
普段着が何着、外出着が何着、こういったシーンを想定して、などとロイドは店員とやり取りをし、マチルダ本人そっちのけで話が進められていく。店員は接客要員というだけでなくお針子でもあるらしく、話を具体的に詰めていっている。
(いくらかかるの、これ……)
色々な意味でついていけないマチルダは思考を放棄することにした。
「……おい、自分の買い物で寝る奴がいるか」
「はっ!」
呆れた声で我に返る。椅子に腰かけて、気づけばうとうとしてしまっていた。
「まあ、その間に採寸もできたようだからよかったな」
「!?」
「ああ、私はもちろん席を外していた。そのあたりは大丈夫だ。それに服の上から軽く測る程度のものだ」
「それは……よかったけれど……」
意外と紳士だ。まあマチルダをそういった対象と見ていないのだろうし、がっつく必要もないということだろう。余裕があるから紳士でいられるというのはありそうだ。
お金もそうだ。余裕があればロイドのように鷹揚に構えていられるのだろうが、「せせこましく稼ぐ」身としては値段が気になって仕方ない。
ロイドは首を傾げた。
「他人事のようだな? もっと好みを言ったり、高いものを買わせようとしたりしないのか」
「好みは……どれも素敵だと思うし、高いものを買わせようなんて、そんなことしません!」
「そうか」
ロイドは笑ったが、嫌味な笑い方ではなかった。
「既製服だが多少の仕立て直しはした方がいいものもあるし、君の所に送らせる。だがひとまずはここで着替えてもらう」
「分かりました。ありがとうございます」
マチルダは素直に頷いた。服を買いに行く服がないと言われたことは根に持っているが、いただいたものを無碍にすることもできない。恋人役として必要なことなのだろうし。
(金貨一枚金貨一枚……)
心の中で唱えると落ち着いていく。恋人役をまっとうすれば一か月に金貨一枚が手に入る。そのことを考えれば、とても金貨一枚どころではなさそうな金額の買い物のことなんて忘れていられる。……はずもないが、とにかく金貨一枚のことだけを考える。
着替えて、もともと着ていた服は洗濯後に一緒に送ってくれることになり、なぜか化粧までここで施されて、マチルダはロイドのところに戻った。そのマチルダを見て、ロイドが目を見開いた。
「……化けたな」
「一言目がそれ!?」
確かに自分でも化けたと思うが、ちょっと正直すぎないだろうか。
チョコレート色の髪は整えられて毛先を少し巻かれ、薄めに施された化粧が上品だ。落ち着いたワインレッドのワンピースは要所が金糸の刺繍で飾られて華やかにも見える。装いを変えるだけで気分ががらりと変わる。お金を数えるよりも優雅にお茶や刺繍を嗜みたい気分になってくる。
「育ちが良く見える……」
鏡を見て思わずつぶやいたマチルダにロイドが吹き出した。
「貴族令嬢の感想とは思えないんだが」
店員も笑いをこらえているのに気づいてマチルダは咳払いした。ありがとうございました、と頭を下げる。
「こちらこそ、当店をお選びくださって光栄でございました。またのお越しを」
必要以上に容姿を褒めたり他の服を勧めたりせず、店員は愛想よく頭を下げた、このあたりがロイドから選ばれた理由なのだろうとマチルダはなんとなく察した。
店を出てロイドにも丁寧にお礼を言う。必要があるからだろうが、ロイドにとっては些細な金額だろうが、そんなことは関係ない。当然のような顔をして受け取ることなどできない。
そんなマチルダのお礼を意外そうな顔で受け、ロイドは自分のペースを取り戻すかのように言った。
「では、次へ行くか」
「……まだ終わってなかったんですか!?」
「……何のために着替えたと思っているんだ?」
……それは確かにそうだ。