【第二話】 正式採用、でも条件付き
「ウィンスレット嬢」
静かな呼びかけに、私はビクッと肩を跳ねさせた。
机に伏せていたリュシアン王子が、いつの間にかこちらを向いていた。
「……はいっ!」
気合いとともに即答する。
呼ばれたら即レスポンス、これ、仮配属生存の鉄則である。たぶん。
「お前を、正式に雇いたい」
「はい、了解しまし……えっ?」
一瞬、脳が理解を拒否した。
いや、待て、今のってつまり——
「……正式、採用、ってこと……ですか?」
「そうだ」
リュシアン王子はあくまで淡々とした口調だった。
が、その灰色の瞳は、妙に真剣だった。
「当然、これまでのお前の働きに応じた報酬も支払う。
仮配属中の労働分も、遡及して支給する」
「………………」
沈黙。
期待値を大幅に上回る好待遇に、脳内で「王子様、裏の顔:闇金王説」が浮上しかけた。
騙されてはいまいか。
あとでトイチで返せとは言いませんよね?と不敬な考えが過ぎったが、よくよく考えてみたら、
(これはっ……超安定の就職先ゲットなのでは!?)
私は涙ぐみながら頭を下げた。
「ぜひ、よろしくお願いいたします……っ!」
「……うむ」
リュシアン王子は、ほんの少しだけ、口元を緩めたように見えた。
見間違いかもしれない。だって絵本の王子様スマイルはもっと大仰だった気がするし。
「ただし、条件がある」
「じょ、条件……!」
やっぱり闇金か!?
私は内心、またしても皿洗い生活を覚悟した。
だが、王子の口から出たのは、意外すぎる言葉だった。
「これまで通り、私の身の回りの世話を頼む。
……それと、なるべく傍にいろ」
「…………え?」
「傍にいろ」
言い直された。
ものすごくナチュラルに。
まるで、机の上に書類を置け、くらいの感覚で。
「いや、その……それって、こう……あの……」
語彙が死滅した。
こう、もうちょっと正式な言い方があるのでは?
たとえば“専属メイドとして契約を結ぶ”とか!
「……不満か」
低く問われ、私は慌てて首をぶんぶん振った。
「いえいえいえ!光栄です!はい!ぜひぜひぜひ!」
即答3連打。
この王宮で生き残るためには、
多少疑問があっても「YES」を即答できる順応力が求められる。
リュシアン王子は満足そうに頷くと、書類の山へと視線を戻した。
私は安堵のため息をつきながら、ふと、ある疑問に思い至った。
(……これ、もしかして、メイドってより、ペットの世話係みたいなポジションでは?)
ちょっとだけ複雑な気分になりながら、
私は心の中で、正式採用記念の小さなガッツポーズを取った。
(よし、まずは初任給で借金(仮)を返すぞ!)
破産回避まで、あと一歩。
……しかし。
このとき私は、知らなかった。
リュシアン王子が、
「傍にいろ」という契約条件に、
まったく別の意味を込めていたことを——。
──続く。