【第一話】プロローグ
この国、リヴェルタ王国の王宮では、
将来有望な若い貴族の子弟が「見習い」として働く制度がある。
私、フィオナ・ウィンスレットもそのひとり。
貴族とは名ばかりの田舎から出てきた貧乏娘だが、奇跡的に推薦を受け、王宮入りを果たした。
——とはいえ、まだ正式な雇用契約は結ばれていない。
いまの私はあくまで仮配属、「お試し期間」の身。
働きぶり次第では、即日追い出されても文句は言えない。
そして、そんな私が仮配属されたのが、
よりにもよって気難しいと噂の第三王子リュシアン・アークウェル殿下のお付きメイドだった。
……まさか、こんなに破産の危機を感じる職場だとは思わなかった。
その日、なぜかリュシアン王子は、私にお茶を淹れろとは言わなかった。
「本日は……特に指示はない。暇なら適当に休んでいろ」
低く響く声でそう告げた王子は、書類の山に顔を伏せたまま、私を一顧だにしない。
見習いメイドになって早二週間、王子は気まぐれに世話を焼かせる程度の仕事を振ってくれる。
なのに、今日は——休め、だと?
もしや、そろそろ“仮配属”期間の打ち切りか。
契約もない今の立場では、失職だけでなく、
「これまで王子に淹れたお茶代・運んだ軽食代・買い出し費用」すべて請求される可能性すらある。
ちなみに、これはあとから知った話だが、当然ながら仮配属中でも給与は出る。
もちろん、その間に発生した経費が使用人宛に請求されることもない。
だが私はなぜか、「どうせ実働試験みたいなものだろう」と思い込み、
試験中に給料が発生している可能性など微塵も考えていなかった。
「まぁ、きっと、無給なんだろうな」
という、根拠ゼロの認識をしていた。
要するに、ただの私の勘違いである。現実ではもちろん違法案件だ。
そのため、このときの私は本気で、ここで王子から見放されれば、
請求書の束を抱えて、貧民街で皿を洗う未来がよぎっていた。
なぜか田舎に帰ってもいなかった。
(……王宮、怖い。いつどこで見切りをつけられたのか。美味しい話には裏があるってお父様の言う通りだった)
じっとしていても不安は募るばかりなので、私はそっと、リュシアン王子の机の端に“気付かれない程度の距離感”で水差しと菓子皿を置いた。
この国では、王族に勝手に物を勧めてはいけないが、「置いておく」だけならセーフである。たぶん。
「……ふむ」
リュシアン王子が顔を上げた。
冷たい灰色の瞳が、ちらりとこちらを見る。
私は全力で「私は何もしていません」という顔をした。
無駄な抵抗かもしれないが、請求書の枚数を1枚でも減らしたい一心だった。
「お前、妙に気が利くな」
「い、いえ、そんな……! そんなことは……! むしろ、何かありましたら水道代だけは、あの、あまり高くならない範囲で……!」
「?」
リュシアンは眉をひそめた。
が、結局、何も言わずグラスを手に取った。
私は小さくガッツポーズを取った。
今日も、水道代1杯分で乗り切った。
破産までのリミットは、たぶん、まだある。
そう信じたかった。
——まさかこの数日後、
「正式に雇用する。これまでの働きに対する給与も、相応に払う」
などと告げられるとは、このときの私は夢にも思っていなかった。
──続く。