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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕たちの行く末

作者: つき




 僕は偽者の空を見上げた。

 どこまでも続いているような空が、天井には広がっている。少し古びた青色の中では、白い雲がゆったりと流れている。

 でも、それは偽りでしかないのだ。

 人間によって造られた空。

 規則的にしか動かない雲と、外れるはずのない天気予報。


 八月十九日、天気、晴れ。


 スピーカーから機械的な声が響き、遠くで録音された鳥の声が聞こえた。途中でたまに混じるノイズに、僕は笑みを浮かべる。

 くそったれ、だ。



 ドーム。

 それは、地下深くに作られた何階層にもわたる大きな建物だった。

 世界にドームは無数にあり、一つのドームで百万人ほどの人が暮らすことができた。記録によると、世界最大のドームは十億人を収容する事ができるらしい。僕には想像もできないほどの大きさだった。僕の暮らしているドームは小さく、五十万人ほどしか生活していないからだ。

 ドームの中ではプログラムにより気温などが設定され、食べ物は配給制で人々は仕事をしなくても生きていける。まさに楽園のようなものだった。

 だけど、生きがいを見つけるために、ほとんどの人が仕事をしていた。

 そして僕たちのような子供は、学校に行かされる。もちろん、いかなくても何の支障もないのだけど、世間的にいろいろとまずい事があるらしかった。

 残念ながら僕は、その世間的にまずい人の中の一人に数えられると思う。

 勉強は嫌いではないけれど、学校に行って勉強をしなくても、データベースに行けば学校なんかよりもいろいろな事が勉強できる。そんな僕を両親は最初のうちは叱っていたが、最近ではすっかり何も言わなくなった。

 それは僕の行動を認めてくれた訳ではなく、諦めただけなのだろう。

 僕は地面を見下ろし、硬質な床を見つめた。日差しは温かく、これが本当に造られたものなのかと疑いたくもなるけど、僕は本当の日差しを知らないので、比べることなどできなかった。

 記録によると、ドームが作られたのは千年前だ。人間の寿命は八十歳前後。この事から、今このドーム内に、いや、この世界に本物の日差しを知る人はいない。

 僕たちはじめじめとした土の中で、一生生きるしかないのだ。

 ドームから出る事は許されない。いや、と言うか不可能だった。

 僕達は外の空気には適応できていない。

 外の空気、と言っても、汚い空気ではなかった。

 むしろ、綺麗な空気で、このドームの空気の方が汚い。

 でも、それでも、僕達は綺麗な空気では生きていけなくなっていた。

 そしてそれを進化だと、どこかの愚かな科学者は言った。



 二千年前、世界は荒廃していた。

 空気は汚染物質で汚され、海の水も化学薬品によって汚された。

 生き物の大半が死に、遂に人類も、当時の人口の半数以上が死んでいった。

 その時、一人の科学者が言った。

 環境を変えられないのなら、人類を変えてしまえば良い、と。

 この汚い空気でも、生きていけるようにすればいいのだと。

 その意見に反対する人はいなかった。いや、きっと何人かはいたのだろうけれど、その意見に代わる案を誰も思い浮かばなかったのだ。

 次々に実験が行われ、失敗が繰り返された。やはり人類を変えることなどできはしないのだと、誰もが絶望の淵に追いやられたとき、遂にそれは出来た。

 人類を進化させる薬品。外科的手術を受けなくても、その薬を飲めば人の遺伝子は自動的に操作され、汚い空気で生きられるようになる。

 人々は畏怖の意をこめ、その薬の事をゴッドと呼んだ。

 生き残っていた人達の中で、裕福で偉い人達がその薬を最初に飲んだ。

 その後を追うように、人々は薬を飲んだ。

 それから、汚い空気のせいで死ぬ人はいなくなった。

 人類は汚い空気を吸い、汚い食べ物を食べた。

 綺麗な空気を吸う事はなく、汚染されていない食べ物を食べる事はなくなった。

 そして、人類は、二度と同じ事を繰り返さない様に、自然回復に努めた。

 千年後。

 山に緑が溢れ、見え隠れする生物の姿に、人々は喜んだ。

 それと同時に、自分たちの息苦しさにも気付いた。

 汚い空気で生きられるようになった僕等は、綺麗な空気に適応できなくなっていたのだ。


 原因は不明。


 人類は地下にドームを作り、逃げ込んだのだ。

 綺麗な空気を遮断するフィルターでドームは覆われ、食料は地下プラントで作り、飲み水はわざと綺麗な水を汚して飲んだ。

 科学者達は必死になって、人類が元に戻る術を探したけれど、どの方法も失敗に終わり、僕達は今、人類の終わりへと、足を進めていた。



 「ルーク、学校はまたサボり?」

 頭の上から聞こえてきた声に、僕は目だけ動かして反応した。じめじめと暑い中で、あまり体は動かしたくなかったのだ。

「そう言うカエラこそ、サボりなんだろ?」

「まあね。学校なんか行っても意味ないし」

 カエラは僕の隣に自然に座った。

 薄い金色の長い髪が、偽者の風になびく。それを特別綺麗だとは思わないけれど、少なくとも、この悪趣味な空よりはマシだった。こんな言い方をすれば、カエラは怒るだろうけれど。

 カエラは僕の数少ない友人だった。別に性格が似ているとか、好きなものが似ているわけではなかったけれど、何故だか気が合った。

 きっと、僕たちは根本的な何かが似ているのだ。いつも薄氷の上を歩いているような、そんな危なさが僕たちは似ていた。

 僕は気付かれないように、カエラの白い右腕を覗き見た。その手首には大きめのリストバンドが付けられている。きっと、その下にはカエラの葛藤が隠されている。

 生と死の狭間で揺れ動きながらも、カエラは生きることを選んだのだ。

 僕たちはなぜ生きているのか。

 生き抜いてしまったのか。

 僕は自分に問いかける。こんな世界に生き残って、何の意味があったのだと。

 綺麗な空気。

 僕たちが壊してしまったもの。

 それが今は、僕たちを壊そうとしている。

 馬鹿すぎて笑いがこみ上げてくる。

「何、ルーク? 一人で笑って気持ち悪いよ」

 無意識のうちに声を出して笑っていた僕を、カエラは気味悪そうに見つめてくる。

「ごめん、ちょっと考え事してたんだ」

 僕の答えにさして興味もなく、ふーんと答えると、カエラは本題を切り出してきた。

 それは、いつもの危険な遊びの提案だった。

 カエラはこれまでも、危険な遊びを作り出してきていた。

 軍の建物に潜入するとか、店の商品を盗んだり。

 その他もろもろ、だ。

 いつも危ないところで、僕が止めてきた。

 なので今まで誰にも、僕たちの行動はばれていなかった。遊びが成功するたびに、馬鹿な大人たちだと見下してきた。それと同時に、馬鹿な大人たちを相手にする僕も僕だと、思ってきていた。

 だけど、僕は日常に退屈していたのだ。少しでもいいから、刺激が欲しかった。

 そして、カエラの遊びは、僕の予想以上に刺激の強いものだった。


「外への抜け道を見つけたの」


 カエラは桃色の唇を歪ませて笑った。



 外への抜け道。

 それの意味することは、ドームからの脱出だった。

 だけど、それは不可能なことだった。

 ドームから地上へ出る通路は二本しかなく、両方とも厳しい警備体制のもと、管理されている。

 長い上り坂を上り、五重にもわたるドアの向こうに、世界は広がっているのだと聞く。


 綺麗な空気が広がる世界が。


 もし仮に、外へと行くことができたなら、僕たちはすぐに死んでしまうだろう。

 綺麗な空気に耐えられない僕等の体は、肌が焼け爛れ、息が苦しくなり死んでいくのだと言う。

 カエラの言う抜け道が本当にあるのなら、それは死を覚悟して行くのと同じようなものだった。

「それは確かな情報なのか?」

 僕の問いかけに、カエラはしっかりと頷いた。

「この事はまだ誰も知らないはずなの。軍さえもね」


 カエラの長い話を要約すると、抜け道を見つけたのはほんの偶然だったらしい。

 いつものように、数人の友達、もちろん、カエラの友達は男ばかりだった。

 その男友達と遊んでいるとき、行ってはいけないことになっている禁止区域へと足を伸ばした。

 そこは昔の遺伝子研究所で、今では廃墟となっていた。

 禁止区域といっても、大人たちの監視の目は甘く、子供たちはよくそこでかくれんぼなどをして遊んでいた。

 もちろん、カエラ達はそんな子供っぽい遊びはしていなかった。

 研究所の奥へ肝試しをしていたのだった。

 カエラはジョンという十二歳ほどの男の子とペアだったらしい。

 ジョンは始めのうちは、ズンズンと前に出ていたが、奥へ進むごとに、周りは暗くなっていき、結局カエラが前に出て歩いたらしい。

 かなり奥に行ったとき、カエラは飽きてきたので、もう帰ろうと思い、ジョンに話しかけようとした。

 すると、ジョンの視線がある一点に釘付けになっていた。

 そこには、ひび割れた壁があった。

 カエラが不思議に思い、その壁に近づくと、ひび割れの奥には、まだ通路が続いているように見えた。

 そこは隠し通路だったのだ。

 カエラは無理やり壁を壊し、もちろん、ジョンを最大限使ったらしいけど。

 隠し通路へと足を進めた。

 通路は真っ暗なきつい上り坂で、入り口が一向に見えなかった。

 そして、急にジョンが走り始めた。

 光だ!

 それが、カエラが聞いた、ジョンの最後のまともな言葉だった。

 ジョンはあっという間に奥の方に行ったかと思うと、いきなり奇声を発し始めた。

 カエラは流石に恐ろしくなり、ジョンの方へ近付けなかった。

 ただ、カエラの鼻には、強烈な腐臭が入り込んできたらしい。

 肌が焼けるような、ジュジューとした音も聞こえ、カエラはその場から一目散に逃げ出した。

 それが、カエラの話の全部だった。

 話し終えた後、カエラは左腕をまくり、僕に腕を見せてくれた。

 真っ白なその肌には、異様な焼け跡が残っていた。


「カエラ……これって?」

「……綺麗な空気に、きっと私は少し触ってしまったのよ」

 そう言うと、素早く服を下ろし、腕を隠した。

 僕はまだ理解できなかった。

 何故、死ぬと分かっているところに、カエラは行こうとしているのか。長い葛藤の末に、カエラは死を選ぼうとしているのだろうか。

 すると、僕の考えを読み取った様に、カエラは笑った。

「忘れられないのよ、あの、澄んだ空気が。考えてみてよ、私達は、この汚い世界に囲まれて死んでいくのよ。だったら、綺麗な空気に包まれて死んだ方がマシよ。そのためには、急がなくちゃいけない。ジョンの親が軍に捜索願を出す前に。そうじゃなきゃ、あの研究所は軍によって捜索されるわ。そして抜け道も見つかって、封鎖されるに決まってる。その前に、一緒に抜け道にいこうよ」

 カエラの言葉には強い意思が宿っていた。

 本気なんだ。

 彼女は死ぬつもりなのだ。

 僕は何故か手が震えた。

 きっと彼女は、僕と一緒に逝きたがっている。

 そして僕は、それに答えてあげなくちゃいけない。

 だって、僕にとっての世界の全ては、カエラだった。

 恋愛感情、なんてものはない。

 ただ、僕達はよく似ていた。

 考え方や容姿が似ているんじゃなく、魂が似ている気がしたのだ。

 

 カエラは僕の答えを待っている。

 でも、その表情はひどく安らいでいた。

 カエラは知っているんだ。

 僕の答えは、YESしかないって言う事を。



 僕達はその日の夜、家を抜け出して抜け穴へと出発した。



 「ここよ」

 カエラが家から持ってきた懐中電灯を、研究所の壁に向けた。

 そこには崩れた壁と共に、奥へと続く道が見えた。

 僕は、生唾を飲み込む。ゴクリ、と言う音が、やけに大きく通路へと響いた気がした。

 汗ばんだ手を握り締め、僕達は一歩、その通路へと踏み出した。


 通路はカエラが言っていた通り、急な上り坂だった。普段あまり運動をしない僕には、少しキツイ道のりだ。

 外は上にあるので、仕方がないのだろうけど。

 僕達は一言も話さずに歩いた。通路には不規則な二人の呼吸だけが響いている。


「この辺のはずなんだけど」

 カエラがポツリと呟く。

 この辺、それは、ジョンが死んだ場所、と言う意味なのだろう。

 僕は前の方に目を凝らした。死体らしき物はまだ見えてこない。

 それから数歩ほど進むと、地面に何かが付いていた。

 僕はそこにしゃがみ込む。

「……カエラ!」

 僕はカエラを近くに呼び寄せた。

 その地面には、焼け焦げた布と皮膚、血の跡がべったり付着していた。

「これが……本当にジョンだったモノ?」

 カエラが小さな声で呟いた。

 その声は狭い通路に反響して、やけに響く。

 僕はそっと、ジョンだったモノに触れた。

 綺麗な空気に当たり、皮膚は爛れ、体内のものは溶け、そして、これだけが残った。

 骨一つすらない、人間の残骸。

「……おかしいな、ここがジョンの死んだ場所なら、僕達もとっくにやられているはずなのに」

 それなのにまだ、僕達は生きている。

 汚い空気の中で。

 僕はカエラの青い瞳を見つめた。

「これがどう言う事か分かる?」

 カエラはゆっくり首を横に振った。

「……綺麗な空気が、ここにはないんだ。もう、汚い空気で汚染されたんだ」

「そんな!?」

 馬鹿な事があるはずがない。

 僕も自分で自分の言葉が信じられなかった。いや、信じたくなかった。

 汚い空気は浄化なんかされていなかった。逆に、綺麗な空気を汚染していたのだ。

 もしかしたら、地上の空気も、このままだと汚染されるかもしれない。

 それは、果てしない絶望だった。

 永遠に地球は綺麗にはなれない。

 僕達は、汚い世界でしか、生きていけないのだ。

「……行こう」

 カエラが僕の手を取り、前方を見据える。カエラの瞳に今何が映っているのか。僕には計り知れない。

 だけど、きっと、その瞳に映るものは僕と同じものなのだろう。希望と絶望の狭間で、果てしない未来を見つめている。そしてその未来の中に、僕たちの姿はない。

 この先には、綺麗な空気があるかもしれない。地上への入り口が待っているのだ。

 今は夜のせいか、ジョンの見た光は見えない。だけど、僕は確かに見たのだ。

 未来への光が。前方には広がっているのを。

 ただ、僕たちにとっての光と、みんなの考える光は違った。ただ、それだけのことだったのだ。

 僕はカエラの手を握り返した。

 そして一歩、足を踏み出す。

 



 綺麗な空気は、きっと僕達を殺すに違いない。

 だけど、それ以上に。

 僕達は地球を殺すに違いない。

 




 肌の、焼け爛れる音が、通路に響いた。










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